第4話 神奈備ノ巫女

 春休みを順調に課題で潰した和沙は、昨晩ようやく終えたそれを陰鬱とした表情でカバンの中に突っ込みながら深いため息を吐いた。


「和沙様、起床のお時間です」


 のろのろと準備を進めていると、自室のドアの向こうから使用人が声をかけてくる。どうやら起こしに来てくれたらしい。


「起きてますよ。どうぞ」


 入室を促すと、一礼をしながら部屋に入ってくる使用人。こころなしか、少し驚いている気がする。


「随分とお早いお目覚めですね。早起きは得意なのでしょうか?」

「なんですか、それは。まるで他の人は起きるのが苦手のように聞こえますけど」

「そうですね。鈴音様は朝に弱いですので、毎日起こしに行かなければ、遅刻は必至でしょう」

「なるほど、それでか」


 春休み中、和佐は朝一で鈴音を見る事が全く無かった。会ったとしても、昼食時か昼過ぎがほとんどだ。


「準備が出来次第、ダイニングルームへお願いします。既に朝食が出来ておりますので」

「分かりました~」

 ひらひらと手を振りながら準備へ戻る。とはいえ、今日は始業式だけなので、そこまで必要な物も無いだろう。早々に切り上げて、一階へ向かう。


「おはよう。残念ながら一番乗りは私だ」


 ダイニングルームの扉を開いての第一声は、時彦のものだった。新聞を広げながら、片手に持ったコーヒーカップから湯気を漂わせている。


「おはようございます」


 和沙もまた、使用人に準備された席へと座る。しばらくすると、鈴音も寝ぼけ眼を擦りながらやってきた。


「また使用人の手を煩わせたのかな?」

「おはようございます。……もう、お父様、私がしょっちゅう寝ぼけているように聞こえますからやめてください」

「おや? では今日は一人で起きられた、と?」

「……起こしていただきました」

「ほら、やっぱり」


 朝一番から時彦が鈴音を楽しそうにからかっている。それを横目で見ながら、和沙は黙々と食事を口に運んでいた。


「兄さんも、何とか言ってください。父親が妹を苛めて楽しんでいるんですよ?」

「……親子のコミュニケーションって大事だと思うんだ」


 この数日で、この家族のノリを大体把握していた和沙は、巻き込まれないように立ち回る術を身に着けていた。スルーすることもあれば、こうして無難な回答をすることもある。実に合理的と言える。


「兄さん!」


 ……とはいえ、今朝の鈴音には逆効果だったようだ。本気で怒っている訳ではなさそうだが、普段の彼女の所作を考えると、少しばかりヒートアップしているようにも思える。


「そういえば、言い忘れていた」


 そんな鈴音を一切気にせず、時彦が和沙に向かって口を開く。


「今日、始業式が終わった後だが、そのまま学校に残っているように」

「?? 何かあるんですか? 一応課題は終わらせましたよ」

「そうじゃない、そうじゃない。今日から通う学校には、佐曇を含んだ一帯の市や街を守護する神奈備ノ巫女の部隊が常駐している。いや、常駐というよりも通っている、と言った方がいいか。彼女達に君の事を紹介しなければならないからね。私はついていけないが、入院中、君のところに来た川根君が案内してくれる予定だ」


 支部の局員と名乗ったあの女性の事だろう。ということは、もう一人のハイテンションな少女とも出会う可能性が高いということだ。


「覚えておきます」

「大丈夫だ。その時間になったら迎えが来るだろうしね。のんびり待っているといい」

「お父様、お話は終わりましたか?」


 少し語気を強めた口調で鈴音が時彦を見る。どうやらまだお怒り状態のようだ。そんな彼女に対し、時彦は態度を改めず、手をひらひらと振っている。


「では、私と兄さんは学校に行きますので、これで。行きますよ、兄さん」

「はいはい……」




「小中高一貫って聞いてたから、どんなところかと思ったけど、意外と普通なんだな……」

「一体どんな場所を想像してたんですか」


 校門とは反対側の車線に止まった黒塗りの車から和沙と鈴音が降りる。自転車や徒歩で登校する生徒が多い中、目立つ存在であるため、周囲の視線を集めてしまう。それを感じたのか、和佐が身を縮こまらせ、視線から外れようとする。


「ほら、背筋を伸ばしてください」


 そんな事をしていると、鈴音に背中を叩かれる。彼女はというと、普段とは纏っている雰囲気が違う。どうやら、こちらが外での顔のようだ。


「では、職員室に向かってください」

「うぇ、一人で?」

「一人で」

「案内とか、ついてきたりとかは……」

「しません。守衛の方に聞けば、どこかは教えてもらえると思いますので、一人で頑張ってください」


 鈴音に冷たく突き放された和沙は、なるべく生徒達の視界に入らないように通路の端に沿って学校の中へ入っていった。


「大丈夫でしょうか……」


 そんな頼りない兄の背中を見つめながら、鈴音の口からはため息が漏れた。




「やっと来たわね」


 職員室に到着した和沙を迎えた第一声は、少しばかり呆れたような声色で発せられた。


「あれ? 確か……、祭祀局のなんたら課の……」

「祭祀局佐曇支部実働支援課、兼この学校の教諭でもあるの」


 そこにいたのは、入院していた時にやってきたスーツ姿の女性、川根菫だった。


「あなたの話は聞いているわ。今日から私が担当するクラスに所属してもらいます。あと、放課後に、この学校に在籍する巫女全員が集合する部活のようなものがあるから、そこにも来てもらいます」


どうやら時彦が言っていた迎え、とは彼女の事らしい。

だが、これでは迎えというよりは監視と言うべきか。


「以上、何か質問はあるかしら?」

「俺以外にも、高等部から入る生徒っているんですか?」

「いないわ。だから目立つでしょうね。そもそも、この学校では初等部で適正や能力を測り、中等部以降でそれぞれの道に進む為の特殊な教育を受けるのが一般なの。だからこそ、初等部ならともかく、中等部、高等部からの入学はほとんど無いわ。加えて、あなたの名前、苗字の方ね、はこの街では非常に大きな影響を持っている。後は言わなくても分かるわね?」

「かなりメンドくさそうですが、理解はしました」

「よろしい。出来る限りこちらでもフォローはするわ。けど、基本的にはあなた自身の頑張り次第になるわね。そろそろ時間だから、教室に案内するわ。あ、それを持って行って頂戴」

「えぇ……」


 入学初日から使い走りにされた和沙は、菫の後ろで悪態を吐きながら彼女についていく。校内の内装は、外観もそうだったが、特に珍しいものはない。小中高一貫が故の大きさはあるが、それを除けば一般の国公立の範疇が逸脱するようなものではない。


「あれ? そういえば、佐曇市にここ以外の学校ってありましたっけ? ここに来るまで、他の制服を見た覚えがないんですけど……」

「学校名に第一と付いているでしょう? 他に、第二、第三があるけれど、学区は違うし、それぞれここからかなり離れているから見なかったのでしょうね。大体行っている事は共通しているから、この街の中で転入するだけなら特に問題は無いわ。別の都道府県となると話は変わるけれど。とはいえ、生徒がこれまで培ってきたものが残るのは、元いた学校だから、あまり転入や編入はお勧めしていないわ」

「へぇ……」


 どうやら私立の学校は現代では皆無のようだ。教員は全て公務員化し、管理した方が確かに合理的ではある。


「さて、着いたわ。ここが今日から一年間、あなたが所属するクラスよ」


 菫が先に入ると、三々五々に散っていた生徒たちが一斉に自身の席に付く。それを見て教壇に上がる菫。


「その書類はここに置いて。あぁ、あとあなたの席はあそこね」


 指で指し示した席に歩いていく。すると、周囲が小さな声で話すのが聞こえた。小中高一貫なため、クラスメイトの顔はよほどの事がない限り覚えているだろう。そんな中、見たこともない生徒が教師と共に教室に入ってきたのだ。こういった反応は当然だろう。

 席に着いた和沙を見た菫は、そのままホームルームを始める。本日の予定、そして高等部に上がり、何をすべきか、その心構えと口にする。


「それじゃあ最後に、顔馴染みもいるだろうけど、高等部に上がり、交友関係にも変化が出てきます。自らを一新したつもりで自己紹介をしてみましょう」


 おそらくは和沙の為だと思われる自己紹介に、周囲の生徒は比較的好意的だったが、当の本人は非情に苦い表情をしている。


「じゃあ、出席番号が一番の人から」


 指名された生徒から次々と自己紹介を行う。中にはユーモアを交えて紹介する者もいる中、とうとう和沙に順番が回ってくる。


「え~っと、鴻川和沙と言います。よろしくお願いします」


 よく言えばシンプル、悪く言うと言葉足らず。だが、他の生徒は彼の自己紹介に対して反応を示さずにはいられなかった。いや、正確には彼の姓に、だが。

 席に座った和沙に集中する視線。もう、慣れたのか、もしくは無視を決め込んでいるのか、どちらにしろ、その視線に和沙が反応することはない。しかし、和佐は気づいていなかった。その視線の中に、明らかに他のものと異なる視線があることを……。

 和佐が自己紹介をしたおかげで、一時的に流れが止まったが、菫が促すとすぐに次の生徒へと移る。これ以降は自己紹介が止まる事は無かった。




「それじゃあ、ここで待ってて」


 始業式が終わり、今日は授業も無い為、生徒達がそれぞれ帰るなり部活に行くなりする中、和沙は菫に連れられとある一室の前まで来た。菫は一言和沙に言うと、部屋の中に入っていった。

 しばらく待っていると、菫が部屋の中から出てくる。そのまま中に入るように促され、和佐は押し込まれるように部屋の中へ入っていく。

 特に変わった部屋ではなかった。が、中央に長方形の机がおいてあり、その周りを囲むかのようにして五人の少女達がいた。

 和沙から見て右側に座る二人の少女。一人は茶色い髪をショートにした少女で、見た目からしていかにも元気いっぱいと言った少女だ。その横にいるのは、黒髪ロングで、サイドを後ろで一房に纏めた髪型をしており、たれ目だが、何故か先ほどから目を細めて和沙を睨みつけている。

 その反対側にいるのは、これまた髪型と服装以外ではほとんど見分けがつかない双子だった。片方はオレンジに近い茶髪のツインテールで、こちらは興味津々といった様子で和沙を見つめている。もう片方の少女はやはり同じく茶髪だが、こちらは先ほどの少女とは異なり、長いサイドテールにしていた。毛先が腰まで届いているだろうか。

 そして、正面に座る少女。その顔は少し前にも見たことがあった。金髪ポニーテール、勝気な目、そしてどこか挑戦的な笑み。藤枝凪がまるでどこぞの悪役の親玉のように、豊満な胸の前で腕を組んで座っていた。


「よく来たわね、少年!!」

「……」


 凪の唐突な発言に和沙は無言で菫を見る。が、菫は目頭に指を当てて頭を振っていた。


「隊長! もしかして、高校生に少年って言えるほど歳取ってるんですか!?」

「年齢車掌だ!!」

「んなわけあるかい! こういうのは勢いが大事なのよ、勢いが。それと、車掌じゃなくて詐称だから」

「はぁ……」


 ため息を吐くのは、両サイドにいるムードメーカー二人とそれぞれその隣に座った少女達である。


「はいはい。新人をコントで迎えるのはいいけど、まずはここの説明と自己紹介が先」


 手を叩きながら前に出てきた菫が少女達、正確には三人に向かって口を開く。


「それもそうね~。そんじゃま、まずはここの説明からかな?」


 凪が部屋全体を一通り見渡し、最後に和沙に向かって指を差す。


「部室よ!!」

「なんの!?」

「はぁ、頭痛い……」


 菫が小さくこぼすが、どうやらそれは彼女だけではないらしい。先ほどため息を吐いていた二人も頭を抱えている。


「部屋の説明じゃなくて、この集まりの事を説明しなさい!」

「あ、そっち? あはは、ごめんね~。新人の緊張をほぐすためのちょっとした茶番だと思って、ね?」


 凪が頭を掻きながら笑っているが、その直後に菫の咳払いが響き、急いで姿勢を正す。


「えっと、私達は佐曇市とその周辺を温羅から守護する神奈備の巫女の部隊なの。私達は巫女隊、って呼んでる。んで、いつも四六時中温羅が攻めてくるわけじゃないのは分かるよね? 常に戦闘に待機してるってのもあれだから、こうやって集まって色々活動とかしてるのよ。ボランティアとか、地域のイベントの手伝いとか、ね」

「なんか、慈善事業みたいな事してるんだな」

「実際、非営利団体みたいなものだから、巫女隊って。とは言っても、戦闘を行う以上訓練とかもするから、いつも活動してるわけじゃないんだけどね」

「慈善事業、非営利団体ねぇ……」

「私達はみんなの街を守る巫女隊、と言っても、みんながみんな良い印象を持っているわけじゃないんです」


 和佐の疑問に答えるかのように双子の片割れ、サイドテールの少女が言う。


「一応、国からの援助を受けているので、街に被害が出たりすると心無い人たちから税金の無駄遣いとか、ごくつぶしなんて言われる事もあります」

「ようは表向きは慈善事業っぽい事してるけど、実際はイメージアップの為のプロモーションみたいなものよ。いつもあなたたちの役に立ってるでしょ~、だからある程度は大目に見てね~、ってこと」

「実情がなかなかに生々しい……」

「そんなもんよ。んで、巫女隊についてはこんなところ。次は私達個人の紹介ね。もう知ってるだろうけど、改めて。私が佐曇巫女隊の隊長、藤枝凪。学年は高等部二年生。特技は色々あるけど、強いて言うなら家事、かな。それこそ、今すぐにでも嫁に行けるほど完璧よ!」

「いつも誰の前でも言ってますよね、それ。あ、あたしは大須賀日向おおすかひなた、中等部三年生。よろしくね!」


 茶髪ショートの少女、日向はまるでヒマワリのような明るい笑顔になる。反対にその隣に座っている少女は、先ほどの凪のコントで多少緩んだものの、未だ和沙に厳しい視線を送っている。


水窪七瀬みさくぼななせです。高等部一年。信用も期待もしていませんのでそのつもりで」

「七瀬ちゃん~……」


 日向が七瀬を咎めるような声で呼ぶが、やはりその目は変わらない。


「あんた、男嫌いだっけ?」

「違います。話を聞くところでは、ポッと現れて、洸珠に認められて、女子だらけの中に一人放り込まれたどこかの小説に出てきそうな朴念仁男子なんて信用できるわけないじゃないですか」

「あんたが普段何を読んだり見たりしてるのか理解できてしまうセリフをありがとう……。じゃ、次はあんたたちね」


 はーいと手を挙げたのは、ツインテールの少女。


「あたしは引佐風美いなさかざみ! で、こっちは仍美よみ! 実は双子なんだよ。分かった? 分からなかったでしょ~? 全然似てないんだもんね!」

「お姉ちゃん……。えっと、すみません。私達二人とも中等部二年生です。よろしくお願いします……」


 面食らったような表情を見せる和沙に、仍美が小さく謝る。何をもって似てないと思っているのかは分からないが、どうやら風美にとっては全然似てない姉妹となっているらしい。

 一瞬、和佐が突っ込もうとしたが、厄介な事になると考えたのか、すぐに口を噤んだ。


「それで、私が彼女達のいわば監督役のようなもの。とは言っても、あくまで祭祀局との連絡や、訓練時の指導、その他諸々雑用をするくらいだけど」


 菫はそういう立場らしい。指揮官、というよりも顧問と言った方がいいのだろうか。なんにしろ、指揮自体は凪が執っており、菫は戦闘には関わってこないらしい。


「それじゃ、最後はアンタ! ほれほれ、自分の事を赤裸々に語ってみ」

「そんな語るほどの事なんて……。鴻川、和佐。高等部一年。これといったものは特に、無いかな……?」

「なぁにぃ、それ。もっとインパクトのある紹介を期待してたのにな~。こう、ハーレム王に俺はなる! みたいな?」

「自分が女の子に無条件に好かれると思わない事ですね! いや、例えきっかけがあったとしても、私だけは落とされませんよ!!」

「ハーレム王? それおいしいの?」

「ある意味食べる、って事を考えるとおいしいのかもしれないけど、お姉ちゃんが食べられる方だからね」

「んじゃ、いいや」

「えぇ……」


 反応に困ったような声を漏らしても、誰も助けてくれない。どうやら想像以上に濃いメンツが揃っているようだ。


「はいはい、そこまで。今日の予定だった自己紹介と活動の説明はこれで終わり。鴻川君、何か質問とかあるかしら?」

「なんか、すごく疲れそうなんですが……」

「これくらいで疲労していたら先が思いやられるわ。これからはもっとキツくなるわよ」

「か、覚悟しておきます……」


 どれほどの事が待っているのか、その事に戦慄しながら、和佐が苦虫を噛み潰したような表情で絞り出すように答えた。

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