雪雲去りて

赤魂緋鯉

雪雲去りて

 姉が亡くなった、と聞かされたのは、年が明けてすぐのことだった。


 5歳上の姉は、乗っていた軽自動車が雪道でスリップして、対向車と正面衝突事故に遭ったそうだ。


 それを運転していた彼氏と一緒に、姉はほぼ即死だったらしい。


 まあ、苦しまずに済んだのだけは良かった、と思う。


 私と姉の関係は冷え切っていたのも良い所で、ここ10年弱ぐらい連絡すら取っていなかった。


 姉は少し思考回路がおかしくて、昔から罪悪感なんか一切無しに、平気で犯罪や違反行為をしていた。


 飲酒と喫煙を小6でやらかしてからは、中学卒業まで万引きやいじめ、売春や詐欺など、軽犯罪はほとんどなんでもやっていた。


 そのせいで、父は単身赴任に行ったきり蒸発。母は何度も学校と警察に呼ばれて心労が絶えず、私が中学校に上がる頃には亡くなってしまった。


 なのに、姉は母の死に目に会いにも来ず、そのときの彼氏とよろしくやっていた。


 高校に行かなかった姉は、ほぼ毎日朝帰りをしていて、母の稼いだお金を盗んだりしていた。


 それらの事で葬式場から火葬場まで、母方の親族から散々嫌いやを言われ、私は心がボロボロの状態で家のアパートに帰った。


「なに、してるの……?」


 すると姉は、彼氏とコトに及んでいる最中だった。

 私が母の葬式に来なかったことを責めると、それを聞いた彼は非常識な姉に怒り、別れる、と言ってさっさと帰って行った。


「ちょっと! なにすんのよ!」


 ヤり損ねた姉は烈火の様にキレて、私につかみかかろうとした。


「出てって……」

「あん?」

「家から出てって! みんな……、みんな、お姉ちゃんのせいだ! もうどっか行っちゃえ!」

千尋ちひろお前! アタシに向かってその態度は――」

「出て行けええええ!」


 私はそう叫んで、姉にカッターナイフの刃を向けた。


 そんな私の剣幕けんまくに気押されたらしい姉は、自分の鞄だけ持って逃げていった。


 それからは、親戚の中で、唯一優しくしてくれた、父方の祖父の家で育った私は、祖父の手を借りながら大学まで進学した。


 学生時代はひたすらアルバイトをして、姉の様になるまい、と自分で学費を稼いでいた。


 そんなとき私は、大学の講義で「小説の創作」、というものがあるのを知った。


 昔から本を読むのは好きだったので、何となくその講義を受けた。

 空想を形にしていく事が思いのほか楽しく、半年後、その講義が終わった頃には、長編小説を2本書き上げていた。


 表に出す気は無かったけど、せっかくだから、と教授に勧められて、それらを新人賞に出してみた。


 そうすると、2本目に書き上げた物が、まさかの大賞を受賞してしまった。


 出版されると、それは50万部以上も売れて、バイトしなくても学費を払えるようになった。


 2作目と3作目もそこそこ売れて、貯金額は見たことのない数字になっていた。


 大学卒業後、私は姉がたかりに来る前に、郊外のマンションに引っ越した。


 それから4年がって、ふと姉の事を思い出していたとき、ちょうどその訃報ふほうが届いたのだった。


 姉の葬儀は親族だけでやることになり、一応、姉妹である私が喪主になった。遺影はまともなのが無くて、中学の卒業写真が額に入っていた


 嫌なら来なければ良いのに、母方の親族がわざわざやってきて、姉本人はもちろん、父や母、「遊んで飯を食ってる怠け者」にされている、私への悪口を延々聞かせてきた。


 私がそれらを全部受け流していると、


 ……ん? あのくらいの子、親戚連中にいたっけな?

 見慣れない中学生ぐらいの女の子が、姉にお焼香をあげていた。


 セーラー服姿の彼女の表情は暗く、ちょうど今日の空模様と同じ曇天どんてんの様だった。

 そんな彼女の正体は、直接たずねなくてもわかった。


「ほら見て。あの子よ」

「あー、アレが行きずりの男との子供か」

「17歳で産むなんて、何考えてるのかしらね」

「まあ、陰気な子ねえ……」

「財布をられない様、用心しなくちゃな」


 なぜなら、親戚達が顔をしかめて、本人に聞こえるようにそう言っていたからだ。


 彼女の名前は、瀬戸絵理奈せとえりな、というらしい。ちなみに「瀬戸」性は母方のもので、私が名乗っている「あずま」は父方のものだ。


 納骨の後の食事会で、連中は絵理奈ちゃん本人を目の前にして、誰の家で引き取るかの話し合いが始まった。


 だがそれは、すぐにただの罵り合いになっていた。


「……っ」


 私の隣に座る彼女はうつむいて、そんな醜い連中の言葉を耐えていた。

 その様子が、母の葬式での自分と被って、いたたまれなくなった私は、


「じゃあ、私が引き取ります」

 親戚の連中にそう宣言して、姉のお骨を手に、絵理奈ちゃんを連れてさっさと会場から出た。


 彼女を自分のSUVに乗っけて、私は自分の自宅へと走らせる。


「えっと、その……。本当に、良いんですか?」


 後部座席の絵理奈ちゃんが、おずおず、といった感じで私に訊ねて来る。


「うん」

「でも私……。あの人の娘、ですよ……?」


 途切れ途切れにそう言う彼女は、かなりおびえた様子でこちらの様子をうかがう。


 ……多分この子はそのせいで、親戚達から避けられてきたんだろうな。


「関係ないよ、そんなの。あなたはあなたで、姉は姉だからね」


 私はルームミラー越しにそう言って、絵理奈ちゃんを安心させる様に笑顔を作る。


 例え姉が人殺しをやっていたとしても、この子にはなんの関係もない。


「はい……。ありがとう、ございます」


 ガチガチだった彼女の表情が、多少和らいだように見えた。


 それからしばらく、私も絵理奈ちゃんも何も話そうとしないせいで、路面の雪や水が泥よけに当たる音だけが車内に響く。


 街中に入ると、途端に車の流れが悪くなり、早速赤信号に引っかかった。

 そのすきに、私はルームミラーで絵理奈ちゃんの様子を見る。


「……」


 彼女はひどく寂しげな様子で、夕日でオレンジ色に染まった空を眺めていた。


 ――私も多分、この頃はこんな感じだったんだろうな。


 母が亡くなってから、姉を追い出し、父方の祖父の家に転がり込むまで、私はずっと家で一人だった。

 その寂しさを紛らわせるため、私はずっと勉強ばっかりやっていた。……そのおかげで今がある、っていうのがちょっと複雑だけど。


 アパートの下に入っている近所のコンビニで、夕食のおつとめ品弁当を買ってから、私の家のマンションへと帰ってきた。


 市街地の郊外に立つそこは、そこそこ値が張る買いマンションで、セキュリティーもかなり充実している。


「さ、入って入って」


 私は鍵を開けると、落ち着かない様子の絵理奈ちゃんを招き入れる。


「お、お邪魔じゃまします……」


 わざわざそう言って頭を下げてから、彼女は玄関の敷居をまたいだ。


 とりあえずリビングに通して、絵理奈ちゃんにソファーに座るようすすめる。


「気楽にしてて良いよ。今日からここがあなたの家なんだから」


 またガチガチになって部屋を見回す彼女へ、私は弁当をチンしつつそう言う。


「……あ、はい」


 ありがとうございます、と言って、絵理奈ちゃんはまた頭を下げた。


 あのとにかく図々ずうずうしかった姉から、なんでこんな良い子が生まれたんだろう……。


 カエルの子はカエル、っていうのは案外当てにならないらしい。


 弁当を暖め終えると、長いこと一人でしか使ってこなかった、二人用の食卓で一緒に弁当を黙々と食べる。


 せっかく二人いるのに、会話がないってのもどうかと思って、


「ねえ絵理奈ちゃん。気になることがあったら、遠慮せずに訊いてね」


 ひねりはないけど、なんとか話題に出来そうな事を絞り出した。


「はひっ」


 お茶を飲んでいた絵理奈ちゃんは、突然話を振られたせいか、びっくりして盛大にむせかえった。


「だ、大丈夫?」

「はっ、はい……。すいません……」


 私は反対側に回って、彼女の背中をさすってあげると、彼女はき込みながらお礼を言う。


 ややあって。


「じゃあその……、お、叔母さんのお名前の方を教えて下さい」


 私はそこまで気にしなかったけど、気を遣ってくれているらしく、叔母さん、の所で絵理奈ちゃんは少し言いよどんだ。


 私が名乗ると、彼女はなにか思い出そうとする顔をして、私の名前を褒めた。


 まあ、わりとありがちな名前だし、どこかで聞いたんだろう。


「あとその……、お金とか、困りませんか……?」

「うん。その辺は心配しなくても大丈夫だよ」


 追い出したりはしないから、と、伝えると、絵理奈ちゃんはもう一度お礼を言って、安心した様にため息を吐いた。



 

 二人とも弁当を食べ終わると、好きにしてて良いよ、と、絵理奈ちゃんへ言った私は、リビングダイニングから出て、右側にある仕事部屋へと移動した。


 そこは洋室の六畳間で、資料がぎっしり詰まった、高さが天井まである本棚や、パソコンが置いてある机と椅子、休憩用の一人掛けソファーが置いてある。


 さてと、転校とかの手続きってどうやるんだろ。


 パソコンを立ち上げて、私はインターネットでそのやり方を調べてみた。すると、


 ……うわ、結構手間がかかるなこれ。


 住民票の移動だのなんだの、と思いの外やることが多かった。


 私が世の転勤族のお母さんに若干の同情を覚えていると、部屋のドアが静かにノックされた。


「あの、千尋さん……。お仕事中、失礼します」


 その音と同じような控えめな声で、絵理奈ちゃんがドアの向こうから、入っても良いですか? と訊いてくる。


「あー、良いよ良いよ」


 見ていたサイトをブックマークした私は、ブラウザを閉じてから彼女へそう返事した。


「し、失礼します」


 面接みたいに入ってきた絵理奈ちゃんは、後ろ手にドアを閉めるとその場で棒立ちになっていた。


「……そこのソファー、使って良いよ」


 私が見かねてそう言うと、


「あ、はい……。では、お借りします」


 彼女は何度も頭を下げながら、本革の茶色いそれに座った。


 浅く腰掛けている絵理奈ちゃんは、興味津々な様子で仕事部屋を眺め始めた。


 ……なんか、小動物みたいだなあ。


 その様子を消えているテレビ画面の反射で見ていた私は、そう思ってちょっとほっこりする。


「千尋さんって、ご職業は作家なんですか?」


 今度はその目を私に向けて、彼女は少し前のめりになって訊いてきた。


「うん、そうだよ」


 まあ作家って言っても、超一流って訳でもないけど、と謙遜けんそんすると、絵理奈ちゃんは全力でそれを否定した。


 そこで会話が途切れて、私が仕事を始めると、彼女は


「そんなに面白い?」


 プロットを見ながら文字を打つ手は止めず、私はテレビ画面越しに絵理奈ちゃんへそう訊く。


「はい。凄く」


 一度、小説家の先生の部屋を覗いてみたいなあ、と思っていたんです、と言う絵理奈ちゃんは、私に初めて笑顔を見せた。


「作家、目指してるんだ」

「あ、はい。……と言っても、まだ書いた事は無いんですが」


 彼女はそう言うと、恥ずかしそうに苦笑いをする。


「んー。じゃあ、教えてあげよっか?」

「えっ、良いんですか!?」

「締め切り前以外ならね」


 私がそう言うと、絵理奈ちゃんは目を輝かせて喜び、ありがとうございます! と凄い勢いで頭を下げた。


 ああ、この子は本来、こういう表情をする子なんだ。


「ところで、作家を目指そうと思ったきっかけは?」


 もっとそんな感情を解放してあげたくて、私は作業の手を止めると、振り返ってさらに話を掘り下げてみた。


「そうですね……」


 絵理奈ちゃんは少し間を開けてから、


「私、中1のとき、図書室で偶然、ある先生の作品を借りたんです」


 彼女曰く、その内容を一言一句、全てそらんじられるほど読んでいる内に、ふつふつと自分も書きたい、と思うようになったらしい。


「へえ。ちなみに、そのタイトルって?」

「はい。それは――、ああっ!」


 私の質問に、楽しげに答えようした絵理奈ちゃんは、突然声を上げて、私の隣に駆け寄ってきた。


 その目線の先には、机の上にある壁棚に乗っている文庫本があった。それは、小さいイーゼルで、表紙が見える様に飾っているものだ。


「これです! これなんです千尋さん!」


 目を輝かせながら私に許可を取って、その文庫本を手にした絵理奈ちゃんは、作品のどういう部分が好きなのかを話し始めた。


 まとめると、何があっても諦めず、どんなときでも大切な誰かを思っている主人公達や、生きていてはいけない人はいない、という作品を通してのテーマに感動したそうだ。


「そんなに好きになってくれるなんて、私も嬉しいよ」


 彼女が熱く語ったそれは、出版した記念に飾ってあった、私のデビュー作だった。


 まあ飾ってる理由は、ずっとコンビを組ませて貰ってる、表紙のヤマモトユウさんの絵が好き、ってのが大きいけど。


 ちなみにヤマモト先生は、ちっちゃくてとてもかわいい人だ。


「えっ……、ええっ!? 千尋さんが、十石とおいしちひろ先生なんですかっ!?」


 それを聞いた絵理奈ちゃんは、口元を右手で押えながら、大興奮の様子でそう訊いてきた。


「う、うん」


 その勢いに押されながら、私はコクコクと頷いた。

 すると、絵理奈ちゃんは、


「ああ……。私……、生きてて……、生きてて良かったですぅ……」


 少し言葉を詰まらせながらそう言い、急に大粒の涙を流し始めた。


「ちょっ、どうしたの!?」


「私……、私……っ。ずっと、先生の作品を心の支えにしてたんですぅ……」


 しどろもどろにそう言った彼女は、本を机の上に置くと、目頭を押えてその場に泣き崩れた。


「おっ、落ち着いて絵理奈ちゃん」


 慌てて椅子から降りて膝立ちになった私は、彼女の背中をそっと撫でてあげた。


「先生のおかげで……、どんなに、寂しくても、今まで……、生きてこられてぇ……」


 今までため込んでいた物を、全部はき出すかの様に絵理奈ちゃんは号泣する。


 彼女の気持ちが私にはよく分かる。私も同じように、ある作家の作品のおかげで、寂しさを一時でも忘れられたから。


 絵理奈ちゃんの身体をそっと抱き寄せた私は、その事と自分の過去を伝えた。


「一緒……、ですね……。私達……」


 少し驚いた様子を見せた後、私に身を委ねてきた彼女は、鼻をすすりながらそう言った。


「そう、だね」


 お互いの孤独を埋め合わせるように、私たちはしばらくそのままでいた。



                    *



 絵理奈ちゃんが泣き止んだ所で、ちょうど担当さんから電話がかかってきて、3日後が締め切りになっている原稿を催促された。


 作業を再開した私の邪魔にならない様に、と、絵理奈ちゃんは私の蔵書を借りて、後ろのソファーで読み始めた。


「んー……」


 夕方から夜中までぶっ通しで原稿を書いていた私は、流石さすがに少し休憩を入れる事にした。


「絵理奈ちゃん。もう遅いから寝てて良いよ」


 数回出入りはしたけど、ずっと本を読んでいた絵理奈ちゃんへ、私はそう言ったけど、


「絵理奈ちゃん……?」


 彼女からの返答が帰って来なかったので、後ろを振り返ってみた。


「もう寝てるのか……」


 すると、彼女は本を膝の上に置いて、気持ち良さそうに眠っていた。


 データのバックアップを取って、パソコンをスリープさせた私は、そんな彼女を仕事部屋の向かいにある寝室へ運んだ。


「あいたた……」


 長らく力仕事をしてなかったせいもあって、たった数メートル運んだだけで、腕と足がパンパンになった。


 ジムとか行こうかな……。


 私はシャワーを浴びるために、ぎこちない動きで寝室から出ようとすると、


「行かないで……、おかあ、さん……」


 ベッドの上の絵理奈ちゃんは、探るように手を動かしながら、寝言で寂しげにそう言う。


 そうだよね。あんな姉でも、この子にとっては大事なだもんね……。


 もう少しだけ傍にいてあげよう、と思った私は、布団の中に入って彼女の隣に寝転がった。


 すると、私の腕をとった絵理奈ちゃんの表情は、穏やかなものになっていた。


 それを見た私の中に、無性にこの子を幸せにしてあげたい、という気持ちが湧いてきた。


 これが、母性ってヤツなのかな?


 彼女の顔を見ながら、そんなことを考えている内に、私はうっかり眠り込んでしまった。




 あー……。やっちゃった……。


 私が目を覚ましたときには、とっくに夜が明けていて、カーテンの隙間から爽やかな朝日が差し込んできていた。


 私はボサボサの頭をきながら、うだうだとリビングへと向かうと、


「あっ。おはようございます! 先生!」


 絵理奈ちゃんがものすごい笑顔で私に挨拶してきた。


 彼女は寝間着用に貸した、私の高校時代のジャージの上に、使ってなかったエプロンを身につけている。


 ちなみに私が『十石ちひろ』だと分かってから、絵理奈ちゃんは私の事を『先生』と呼ぶ様になった。


 彼女へ返事をしてから食卓を見ると、そこには、卵焼きとほうれん草のおひたしが並んでいて、後はご飯とみそ汁を茶碗によそえば、朝ご飯が完成する状態だった。


「すいません。冷蔵庫の中、勝手に使っちゃって」

「あー、いいよ別に。どうせ食べないといけないんだし」


 作ってくれてありがとう、と言った私は、二つの茶碗を手にとって、自分でよそおうとしたけど、


「ああ、それなら私がやります」


 絵理奈ちゃんが、先生は座っていて下さい、と、言って両手を差し出した。


「じゃあお願い」

「はいっ! 先生!」


 彼女はにこやかに茶碗を受け取ると、足早に台所へと引っ込んだ。


 しかしまあ、絵理奈ちゃんって働き者だなあ……。


 綺麗に掃除されているリビングを眺めつつ、私は椅子に座ってご飯とみそ汁が運ばれてくるまで待つ。


「先生! お待たせしました!」

「ん。ありがとう」


 ご飯とみそ汁が並ぶと、私は合掌してから、まず豆腐とネギのみそ汁に口を付ける。


 おっ、旨い。


 それは、私が適当に作ったヤツとは違って、出汁のうまみを強く感じた。


「先生、塩加減はいかがですか?」

「ちょうど良いよ」


 上目遣いで訊いてきた絵理奈ちゃんへ、私がそう答えると、彼女は表情を明るくして、良かったです、と言った。


 彼女の作った物はどれも一級品の味わいで、昔、担当さんに連れて行って貰った、海辺の旅館の朝食に引けを取らなかった。


 そのことを彼女に告げると、いえいえ、まだまだです、と、ものすごい照れた顔で謙遜けんそんした。


「にしても、どこで覚えたの? これ」

「あ、はいー。お料理の本を見て研究しましたー」


 ホクホク顔でそう答えた絵理奈ちゃんは、気に入って頂けたようで何よりです、と言ってから自分の分に手を付けた。


 

 朝食を食べ終わった私は、シャワーを浴びようと洗面所へ向かう。


 その扉を開けると、洗濯カゴに詰め込まれていた洗濯物が、綺麗きれいさっぱり無くなっていた。多分、絵理奈ちゃんが洗濯してくれたんだろう。


 いやー、本当、働き者だなあ……。


 洗面台の向かいに置かれた棚に納めてある、丁寧ていねいに畳まれたバスタオルを見つつ、私は服を脱ぎつつそう思った。


 風呂場に入ると、綺麗に並べられたシャンプー類のボトルが目に入った。浴室内を見回してみると、予想通り、そこら中がピッカピカになっていた。

 大方これも、絵理奈ちゃんがやったんだろう。


 毎日この調子だと私、もっとダメ人間になりそうかも……。


 私は苦笑いしながら、新品みたいになっている、シャワーの蛇口じゃぐちひねった。

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