第28話 酒盛り泥酔

 威勢良く言い放つ半魚人に構わずニルは攻撃を仕掛けた。

 それも、俺の目では追えない……というよりも、気付いたら半魚人に攻撃を仕掛けていて、その圧倒的な攻撃速度は人間離れしたものだった。

 だが、半魚人はひょいっと体をくねらせながら軽々と躱して、再び体勢を整える。

 ニルも負けじと何度も攻撃を仕掛けるが、そのたびに半魚人はそれを軽々と躱す。目で追えないほどの攻撃速を何度も繰り出すニルも凄いが、あの攻撃を躱せる半魚人も相当なものだ。


「おいおい、そんな様子見程度の攻撃じゃ俺は倒せないぜ?」

「……様子見程度?」


 ニルがこちらには聞こえないくらいの小さな声でボソリと呟く。

 雷をまとった両手を、体を捻らせながら脇腹へと持っていく。すると、まとっている雷がどんどん増幅されていき、その形は獅子の顔面を模したような形になった。


「へっ! 何やっても同じだぜ。俺はな――ッ!? う、動けない!?」


 余裕そうな半魚人が急に焦りを見せ始めた。体をしきりに動かそうとしているが、何故かその場から動けないようだ。半魚人の体をよく見てみると、糸状に伸びた電気が半魚人の体を縛り上げるように絡みついていた。それはニルの体から放たれているようにも見える。


雷線拘縛らいせんこうばく……双牙咬砕拳そうがこうさいけん

「うわっ!? ちょ、マジかよ!?」


 ニルが動き出したのと同時に半魚人の体はニルの方へ引っ張られる。

 その勢いを利用してニルはさらに獅子の形を模した、雷をまとった両手を前に突き出し、半魚人の腹を目掛けて強烈な一撃を繰り出した。地面を抉るほどの爆音とともに両腕に纏っていた雷が半魚人の体に吸収されるように消し飛び、半魚人はピクリとも動かずにニルの体に支えられるように項垂れていた。徐々に空を覆っていた黒い雲も晴れていく。


 まさか、本当にこれで終わったのか?


 ニルの姿も徐々に元に戻って、大きな溜息を吐いて半魚人の体から離れた。

 半魚人はそのまま糸の切れた人形のように崩れ落ち。地面に突っ伏す。

 生きているか? まさか、死んだとは思えないけど……。でも、ニルのあの攻撃を受けて無事なはずもないし……電気を浴びたから麻痺して動けないって事なのか?


「……あ、あれ? ちょっと、やり過ぎちゃったですか?」


 ピクリとも動かない半魚人を前にオロオロしだすニル。

 手加減したつもりだったのか……あれで。普通の人間が食らっていたら即死だろうに。


「――ッ!? 馬鹿! 油断するな!」

「酒盛り泥酔!」


 何かを察知したコルトはニルに向かって声を荒げながら叫ぶ。

 だが遅かったのか、半魚人が放った攻撃が完全に油断していたニルに直撃した。

 けれど、ニルの攻撃みたいに激しいものではなくて、指先から放たれた大きなシャボン玉のようなものがふよふよと漂い、ニルの頭の上でパンと弾けただけだった。


「何だ? 半魚人は何をしたんだ?」

「分からん。けれど、あいつの様子、おかしいぞ」


 ニルは天を仰ぎながらフラフラと体を揺らしている……というより、足元が覚束ない感じだ。

 ゆっくりと起き上がった半魚人はフンと鼻を鳴らすと、ニルの体を指で軽く押した。

 その力に任せるように、ニルは背中から地面に倒れ込む。


「ニル!」

「……へへ、ふへへ、ひひっ」


 慌ててニルに駆け寄り、顔を覗き込んでみると何故か頬を赤らめて上気した表情のまま、肩を揺らしながら不気味に笑っていた。


「……ニル? おい、ニル! どうしたんだよ!」

「ふへへ……ろぉしらんえすかぁ? ボクはぁ、ヒクッ、らいじょううでしゅよぉ。ふへへ」

「……は?」


 ニルの体を抱きかかえ声を掛けるが、俺の声には反応するものの、目の焦点が合っていないというか、ずっと気の抜けた笑い声を上げていて呂律も回っていない。


「お前、何をしたんだ」


 駆け付けたコルトがニルの状態を確認するや否や、半魚人に向かってハンドガンを構える。

 半魚人は体をゆっくりと起こしフンと鼻を鳴らしながら腕を組んだ。

 あれほどの攻撃を受けているのに全く効いていないようだ。体は焼き魚みたいに焦げているけど。


「酒盛り泥酔。竜宮の加護の基礎技能の一つで、攻撃を受けた相手を泥酔状態にする技だ。簡単に言えばべろべろに酒に酔った状態になるって事だな。安心しろよ、ただ単に戦闘不能にするだけで死にはしねえよ」

「……いつでもできましたって、事なんだな」

「……はっ。当り前だろ。俺が本当に本気を出せばこんな小娘二秒でチョンだ。まあ、今まで戦った奴よりは結構楽しめたけどな。それで? これでもまだ俺と戦うつもりか?」


 半魚人はい腕を組んで誇らしげに胸を張りながらコルトを見据える。

 一瞬、ハンドガンのトリガーに指を掛けたコルトだったが、半魚人の迫力に気圧されたのか大きな溜息を一つ吐いてハンドガンを服の内側に収めた。

 コルトの戦意が消失したのを見計らって半魚人は俺とニルの傍まで歩み寄る。俺は警戒して少しニルを抱き寄せたが半魚人は俺達のすぐ目の前で胡坐をかいて座り込み、ニルの耳元で指をパチンと鳴らした。


「ひゃう!? ふぇ!? な、何ですか!?」

「ニ、ニル!? 良かった。正気に戻ったみたいだな」


 技の効果が解かれたのか、ニルは酔いが醒めたようで急に飛び起きてしきりに周りに目を向けていた。


「よぉ。俺に負けた気分はどうだ? おっぱい。どうなんだ? 悔しいか? お? 悔しいのか? へへへへ!」


 立ち上がった半魚人は座り込んでいるニルを指差しながら下卑た声で笑う。

 結果的にニルは死ぬ事はなかったけれど、これはこれで心底むかつく。自分の事じゃないのに、凄くイラっとくるんだが。

 そんな俺に対して、ニルは半魚人の反応を目を丸くして見つめていた。

 馬鹿にされて動けないほど怒っているのか? もしかしたらまだ酔いが醒めていないのかもしれないけれど……。


「すっごく悔しいですけど、何だか久しぶりに戦えたので楽しかったです!」

「えっ!?」


 相手が本気でなかった事も忘れて、白い歯を見せながら無邪気に微笑むニル。

 半魚人は口をあんぐりとけたまま固まっていたが何かを悟ったようにふんと鼻を鳴らして少しばかり口角を上げた。


「……なかなか根性あるじゃねぇか。実力差を思い知らされてそこまで言える奴は初めてだ。まあ、俺も正直驚いたぜ。あれだけの魔法を自己流で組み合わせる事が出来るなんてな」

「ボクは魔法を使っていない状態じゃ身体能力はかなり低いですから、身を守るためにも魔法を学ぶ必要があったです。そうでもしないと、ボクはとっくに死んでいたかもしれないですから……」


 ニルは半魚人から目を逸らして表情を曇らせる。

 何かを察した半魚人は再び口角を上げてふんと鼻を鳴らした。


「嬢ちゃんは十分強いぜ。俺が太鼓判押してやるからよ」

「ありがとうです! 魔法をもっと勉強してもっと強くなってやるですよ!」

「おう! その時は相手してやるよ!」


 そう言って2人は厚い握手を交わす。

 こんな事もあるものなんだな。魔物と人間の間に友好的な関係が芽生えるなんて。


「あっ……そうだ、ニル。ブラックムーンとかいう真珠の回収はどうするんだ?」

「ああっ! そうでした! 戦いに夢中で忘れていたです! すぐに回収に行かないと!」


 ニルは慌てながら湖の方へと向かう。ブラックムーンとかいう真珠はこの湖に眠っているらしいから恐らくは湖底にあるんだろう。


「ん? 何だ? 嬢ちゃん、ブラックムーンを探しているのか?」


 半魚人は首を傾げてニルへ問いかける。というか首そのものがないのだけれど、頭が斜めに動いたし傾げたと捉えて良いんだろうな。うん、きっとそうだろう。


「え? はい。そうですけど?」


 半魚人の問いかけに怪訝そうな表情をするニル。

 ニルの返答を聞いた半魚人はどこか意味深な笑みーーとは言っても単に口角を上げただけなのだがーーを浮かべると大きく口を開けてそのまま口へ腕を突っ込んだ。


「……おっ!? うっ!! おえぇぇぇぇぇ!!」



 肘の辺りまで腕を口の中へ突っ込んだ半魚人は途端にその場に四つん這いになり、激しい嗚咽を漏らす。胸を仕切りに握った拳で叩き、何かを吐き出そうとしているようにも思えた。

 おっ……おいおい。まさか。


「おえぇぇぇぇぇぇ!! ごぽっ!!」


 一層激しい嗚咽が漏れた瞬間、半魚人の口の中からソフトボール大の暗紫色の球が鈍い音を立てて落ちた。研磨されたように滑らかな表面は陽の光を浴びて輝いている。

 いいや、これあれだろ。半魚人の胃液と一緒に出てきただけだろ……。だから何か粘液を帯びたようにテラテラしてんだろ。

 ほら、ニルも凄く不愉快そうな顔してるし。


「どうした? これがブラックムーンとかいう真珠なんだろ?」

「何で……あんたの体から出てきたんだ?」

「あ? 食ったからだ」

「は?」

「いやぁ、初めは美味そうなイガミルが転がってんなと思って食ってみたんだけど、なかなか消化されなくてさ。吐き出すのも面倒だし消化されるまで待ってたわけよ。あー、良かった。スッキリしたぜ」


 半魚人は満足そうに自分の腹を摩っている。

 胃液まみれのブラックムーンをなるべく触れる面が少ないように、10本の指先で挟み込むように器用に持ち上げたニルは無表情で湖に放り投げ、泣きながら洗っていた。

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