第4話 縛るもの、縛られる者、縛られぬ物

 神の名の下に人は平等にあらず。神に望まれる者あれば、望まれぬ者もあり。

 これ無情と嘆くなかれ。これ神の慈悲にして条理なり。

 今世のみが人の生には非ず。今世に耽溺たんできすれば即ち来世また昏し。

 魂の高きへ至らんと欲すべし。神意に従い生を全うすれば、自ずから道は開けん。

 なお高きを求むならば、名を高め、神の覚えを目出度くすべし。

 魂は流転し巡るものなれば、天命は自らが行いの果てにあると知れ。

 魂に誇りを忘るることなかれ。魂に誇りを忘れたとき、人は真なる死に至る。


 ――白の経典第5版・序文3節より抜粋――




 童女は名をラクハサと言うらしい。

 僧としての名なので、戒名と表すべきかもしれない。

 聖人の名をもらう洗礼名とは少し違う。

 俗名は知らん。


 ラクハサが説教を始めて暫くすると、男が御者台にあがってきた。

 動きやすそうな、作りが簡単なタイプの僧衣を着ている。ラクハサのものとは少しだけ意匠の違う聖章せいしょうが、胸の辺りで揺れている。

 薄々感づいてはいたが、この辺りの馬車は闇の教派の所有らしい。


「奴隷が一丁前に教えを説くとは世も末だな」


「僭越ながら口を開く許しを頂ければ、手前の身で道を示すことができるのは、同じ奴隷を除けば黒の民くらいなものです。この度、下の者の耳を借りる機会を得ましたのも、ひとえに闇の月の思し召し」


 男は口もとを歪め鼻で笑う。

 この男は、ラクハサが御屋形様とやらの娘であると知らないのだろうか。

 知っていて、それでも奴隷の身分ゆえにこの態度なのか。


「傲慢の徒の虚栄は地に沈み、負わされた業に背を丸め生きる様はなんと嘆かわしいことかな」


 芝居がかった口調でそう告げると、男はやれやれと大仰な動作で頭を振る。

 続く言葉は、男の口が開くよりも先にラクハサの口から告げられた。


「しかしそれが白き月の導きなれば、闇の下に生きる我らは、ただ贖罪のため同胞に鞭打つもやむなしと」


「おいおい」


 笑いを含んだ声だが、ラクハサに向けられた目は笑ってはいなかった。


「人間サマの説法を奴隷が横からかっさらうたあ、感心しねえなあ。まあ手前の言葉でそれだけ言えりゃあ、ガキふたりの説教としちゃ文句も出るめえ。精々励むんだな」


 ラクハサは深々と頭を下げている。

 これは、つまりどういうことなんだ。


「ただ、あまりでけえ声でやるなよ。奴隷の説法なんて聞いちゃあ、人間であるおれの耳が腐っちまう。それから黒のガキ。お前は鬼族に道を説いてもらえる幸福を噛みしめときな」


 奴隷である鬼族を、相対的にではあるが持ち上げる。

 この世界の身分制度を理解するのは、中々に手間かもしれない。

 とりあえず、ラクハサに倣って床につくくらい頭を下げておく。

 男は鼻を鳴らすと背を向けたようだった。


 間もなく馬車が動き始める、ああ今回もひいているのは鳥だ。

 そして荷台の上は激しい揺れに呑み込まれる。

 ラクハサは静かに立ち上がり、なんでもないことのように木箱のひとつに近づくと、蓋を外し、藁の山を取り出した。

 それらを自身の座っていた場所に積み、残りを唖然としていた俺に押し付ける。


 激しい揺れはそれほど長くは続かなかった

 揺れが小刻みなものに変わる。石畳でも敷かれているのだろうか。

 景色は空以外見えないので良く分からないが、整備された街道にでも入ったらしい。

 揺れが小さくなったことで、ラクハサの説法も再開される。


 ラクハサの説法は、牢で聞かされたものとは異なり、大信仰の聖典を頭からなぞる形で進められた。

 正確には白の経典、だったか。


 教派を跨ぐ共通した思想という点では、地球で言う旧約聖書が近い。

 信仰全体を見れば、仏教を内包するヒンドゥー教の方が、形態としては似ているのかもしれない。しかし神が実際に人の上に君臨するという時点で、どちらとも根本的な在り方が異なっている。

 なんせ、この世界の神は、別に人の救済のために存在するわけではないからな。


 神は人のあるじであり、人は神のしもべである。

 それがこの世界を支配する思想の根源。

 神は人を助けない。ばかりか、神を助けるために人が生み出されたのだそうな。


 混沌の中に神が生まれる。神が光を灯すとそこから新たに幾柱もの神が生まれた。

 神々は大地を作り、天を作り、生命で世界を満たす。

 世界は不十分だった。世界に神の恩寵が行き渡るように、加護を与え人間を作った。

 人間は神々に与えられた役割を果たそうとしたが、その短い生涯では満足のゆく結果を出せずにいた。

 神は人間を管理し導く者として魔法種を作る。

 神と魔法種に導かれた人間は役目を果たし、大いに繁栄した。


 人が存在する経緯を、その前後ごとざっくりまとめるとこんな感じか。


 途中、馬車がどこへ向かうのか聞いてみた。

 誰にって、聞ける相手は1人しかいないだろう。

 聞いたといっても声に出したわけじゃない。視線と手振りと文字を使ってだ。


 ラクハサによると、後方の拠点に向かっているらしい。

 捕えた兵士や奴隷は既にあらかた送り終えているとのこと。

 降伏の処理もまとまり、平定も順調に進んでいる。

 占領政策を主導する青月派にとって闇月派は邪魔なので、後方に送り返されることになった。

 とかなんとか、丁寧に解説までしてくれる。


 そんなこんなでラクハサの説法を聞きながら、数日馬車に揺られた。

 辿り着いたのは、かなりしっかりとした造りの城砦都市だった。

 こっそり窺い見た市街は未だ戦時下といった様相が強く、人通りも疎らであった。


 宿営地を出てから街に着くまで、ラクハサは『実に賢い娘っ子』、それに終始していた。

 普通からは大きく逸脱しているものの、端々には子供らしさが覗く。

 あの底知れぬ恐ろしさは欠片も見せていない。

 それが逆に怖いと言えば怖い。


 そんなことを考えていたから、というわけではないだろうが。

 別れ際のこと。

 ラクハサが身を寄せ、耳元で囁いた。


 ――あなただけが神に縛られていない――


 それは、呪いの言葉に他ならなかった。



 ◇◇◇



 ラクハサが去った直後のことはよく覚えていない。混乱から立ち直った時には、既に牢に入れられていた。

 宿営地の簡易のものとは違って、石造りの堅固な牢獄だ。

 3方が石の壁に囲まれていて、通路との間に鉄格子が嵌められたよく見る型である。

 1つの牢に5人ほどが入れられているが、造りからすると本来は2人用だろう。

 そんな牢の中の1つに居るということは、他の黒の民と変わらぬ扱いがされると決まったと思ってよいのだろうか。


 どうにも解せない

 なぜという疑問符ばかり並ぶ。


 異物として排さない。それはラクハサの行動から導き出せる答えの1つだ。

 最後の言葉は、1つまったく逆の答えを暗示しているが、ならばなおのことここへ連れてくる意味がわからない。


 このままいけば、黒の民の捕虜の常として、どこかの街に売り払われるだろう。

 親のいない自分は、そのまま傭兵としてこき使われることになるが、始めから分かっていたことだ。即座に命を絶たれるのに比べれば、まだ未来の可能性が残る。


 不意に視界が陰ると、頬に衝撃と痛みが走った。


 なんだ、ぶたれたのか?

 頬に手をやりながら、陰の主を見る。白髪交じりの大柄なおっさんが、すぐ目の前にいた。


「おい坊主、ちゃんと息してっか」


 不満の声をあげかけて、口がきけないということと、小心で臆病という設定を思い出す。

 視線に込める抗議の感情を薄め、壁際までじりじりと後退りする。


「息はしてるみたいだぞ」


「おいおい、ガキ。情けねえな、タマ落としちまったか」


「いい年して子供相手にやり過ぎたんじゃねーの」


 牢の内から外から、自分やおっさんを揶揄する声が飛び交う。

 俄かに牢獄内が騒がしくなった。まるで動物園の獣だ。


「身内の誰かがくたばったんだと思うがな、お前はあの戦場に出て生き残ったんだろ。ならな、生きなきゃならねえんだよ。だから辛気臭せえ顔するのはやめろ」


「おうおっさん、いいこと言うじゃねえか。鼻水出そうだ」


「まったく。なんだか痒くなっちまったよ」


 茶化す周囲に、おっさんがうるせえと怒鳴っている。

 見当違いもいいところだ。が、今は乗ってやろう。

 自分が設定通りの子供を演じ切れるように、気晴らしを兼ねて訓練するのも悪くない。

 ついでに、黒の民について話を聞いてみよう。

 今の自分に、情報はいくらあっても足り過ぎることはない。


 後になって焦ったのだが、顔見知りがあの場に居なくて本当に良かった。

 まあ子供が居た陣は相手の主力に完膚なきまで蹂躙されたので、生き残りの可能性は皆無に等しいのだが。


 そしてこの4日の後、俺は馬車に揺られ城塞都市を後にした。

 荷台は檻そのもので、見晴らしと風通しだけはよかった。

 馬車をひいていたのが牛に似た大型の四足獣だったことも、この際だから付け加えておこう。

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