偽り


雪花シュエファ、大丈夫か?」


 空が白くなるころから休みなく歩き続け、もうすぐ陽が真上に上る。何度も珠樹チュシュが私を気遣い休もうと声をかけてくれるが、正直私はなんともない。紫陽ズーヤンさんの早い歩みにも慣れているし、これまでのうだるような暑さは消え、風が心地よい。大丈夫じゃないのは、珠樹の方だろう。異常なほどの汗、赤い顔、時折手が震えているのがわかる。

 紫陽さんに珠樹の時間がないと言われていなければ、休もうと言っていただろう。

 

 でも、休んでいたら、珠樹の命は持たない。


「私は大丈夫。先を急ごう」


 ごめん、歩くのが辛い事、わかっているのに……。

 見ないふりをして、先を急ぐ。紫陽さんが気遣う様な視線を投げるが、それすら見ないふり。


 生い茂っていた木々が開けて、道は平坦に変わり両側には畑が見えてきた。緑が畑を覆い、明るい色の実がなっている。もう、夏野菜が取れる季節なんだ。龍庭ロンティンの来ない春を思い出して、少し足が止まった。


「行くぞ」


 気遣うように背中に回った珠樹の手が、固い。ちゃんと、しなくちゃ。



「水路を越えれば、河北フェァベイだ」

 紫陽さんが指した先には、細く緩やかな用水路。とても、畑に水を撒くには使えそうにない。せいぜい家の仕事に使う程度だろう。それでも、この暑さの中勢いよく流れている。雪解けの季節はどれだけの水が流れるのだろう。


「これは、雪解け水が村に入らず上手く川に流れるように作られている。偽りの暑さで山の上の万年雪すらも溶けだし、水の量も増えている。本来なら、溶けてはいけない雪、偽りの水だ」


 紫陽さんの低い声が、響く。『彼女の故郷に、暑い夏を呼ぶことは意味がない』そういった朝陽の顔が、紫陽さんに重なる。


 河北にはいると紫陽さんは迷うことなく進んでいく。村の人は皆気さくに声をかけ、紫陽さんも笑顔で、『後で伺いますよ』なんて返している。背負った荷には薬草やら珍しい食べ物やらが詰まっており、村で売るためには村長に挨拶を、というわけだ。村に入ってからの紫陽さんは、すっかり商人だ。


「今年の夏は暑いからねぇ。作物が実るのはいいけど、ここの村はめったに暑くなることなんてないから、皆やられているんだ。何か、いい薬があったら皆で買うから、少し安くしてもらえないかい?」


「もちろん勉強させていただきます。河北は昨年から豊作で景気がいいって、城下でも噂になっていますよ」


 にこにこと話しをしながら、村長の前に薬草を広げていくその姿は商人そのもの。ううん、龍庭に紫陽さんが来ていたら、私はすっかり信じているだろうな。


「なんだい、坊。えらく顔色が悪いけど大丈夫かい?」


 村長の奥様らしき人が、珠樹の顔を覗き込む。土のような色をした珠樹は、大丈夫と笑って見せるが大丈夫ではないことは、誰でもわかる。

 村長のご好意で離れを貸してもらえることになり、紫陽さんと二人で珠樹を運んだ。


「すみません、ちょっと、暑くて……」


 暑さぐらいでそんなになるわけないでしょう、とは言えずに無言で睨むが紫陽さんは笑っている。


「なに、ちょうどいいさ。お前さんの顔色で、村長の離れに入れたんだ。上等だ」


 まぁ、そうなんですけど……。



「あの、これ、母様から」


 そろそろと開けられた離れの扉から顔をのぞかせたのは、十になるかならないかの少女。水桶と湯飲み茶わんを持って現れたその顔は、風鬼さんそのものだ。


「ふ……」


「すまないな、わざわざ」


 思わず『風鬼さん』と呼びかけそうになるのを、紫陽さんに止められた。そうだ、風鬼さんはここにいるはずなんてない。

 私の態度に、少し驚いたようにしている目の前の少女。どうしよう、かな。


「お前の妹に、よく似ているな」


 横になったまま、珠樹がつぶやく。助かった。


「ごめんね、あんまり妹に似ていて、ちょっとびっくりしちゃって。ねぇ、これ食べない?」


 ここは、食べ物でごまかそう!紫陽さんが用意してくれていた、干し芋に砂糖をまぶしたものを差し出してみた。もらっていいものかどうか迷っているそぶりを見せたが、目は輝き、今にも手が伸びそうになるのを必死でこらえているのが伝わってくる。無理もない。干し芋に砂糖をまぶすなんて、そんな食べ方私だって知らなかった。この村だって裕福なわけではない。村長の子とはいえ、砂糖なんて手に入る事は少ないだろう。迷いながらも、目は一点を見つめている。


 可愛い……。

 見た目は、間違いなく風鬼さん。風鬼さんの大人びた物言い、しぐさと違い、目の前の少女はまだ自分を抑えることも隠すこともうまくはできない。思わず、持っている干し芋なんて全部差し出したい衝動に駆られる。


「離れを借りて、お水までもらったんだから、お礼。母様にも、あげて?」


 紙で包んだ干し芋を強引に渡すと、紫陽さんが渋い顔をしたが、気づかないふりを貫いた。ありがとう、と頭を下げて戻っていく後ろ姿は、嬉しそうに飛び跳ねている。


「いいのか?」


「はい」


 干し芋を包んだ紙は、朝陽の神力を少しだけ分け与えたものだ。持っているだけで、雨や霧が少しだけ味方をしてくれるようで、手放さないようにと何度も言われた。

 でも、これから私は、私の意志で河北から黒龍様を取り返す。私に何があろうと、それは私の選んだ事。だけど、あの娘は?村が豊かになり、穏やかに笑う両親と幸せに暮らしているのに。あの娘の春を、私は奪う。飢える恐怖、売られる恐怖に襲われることが無いように。少しでも、あの娘を朝陽の神力で守ってほしい。


「珠樹、水」


 紫陽さんの視線から逃れるように、珠樹の側に座り込む。熱が高い。これは、紅河の神力のせいなのだろうか。急がなきゃ。


「宝珠は、この村にあるのでしょうか」


「あるだろうな。だが、紅河の神力が村中に広がり、宝珠の場所を特定することは難しい」


 紫陽さんでも、難しいのか。


「紅河は、今もこの村にいるのでしょうか」


「いる。が、どこにいるのかまではわからん。手当たり次第に探すことで尻尾を出してくれるかもしれんが、まずは少し調べてから、だな」


「出てくる。ここを動かぬように」


 一緒に行きたいと言ってみたが、邪魔、と目で一蹴された。まぁ、邪魔ですよね。わかって、います。今、珠樹の側を離れるのも、どうかとは思うし。

 珠樹の事だけを考えたいのに、出来ない。だからと言って、私じゃ、黒龍様も宝珠も探せない。なにもできない自分が、悔しい。

 珠樹の青かった顔は、赤くなり、息も荒くなってきている。ぼんやりと天井を見上げている瞳は虚ろで、口の中でなにやらぶつぶつと呟いている。


「珠樹、何?何か、ほしいもの、ある?」


「神社に、いる……」


「神社に?何が、いるの?」


 返事はなかったが、『早く行け』と言うように手をヒラヒラと動かしている。珠樹を、置いていく?こんなに、苦しそうなのに?


「お前がいても、良くならない」


 そう、だけど。でも……。


「早く、黒龍様に宝珠を渡して、帰ろう。もう、帰ろう」


 絞り出した、低い声。


「……うん」


 そうだよね、早く、帰ろう。もう少し、待っていて。

 

 離れをでると、青い空が広がり風が土の香りを運んでくる。龍庭から奪った夏。この村の人にだって理由はある。それでも私は、河北から穏やかな季節を返してもらう。

 神社は、どこ?


「干し芋ありがとうね。坊は大丈夫そう?」


 村長の家を出る前に奥様から声をかけられた。さっきの子供の姿はない。


「こちらこそ、休ませていただきありがとうございます。ちょっと熱が高いみたいなんですけど師匠に薬を置いていってもらうのを忘れてしまって……」


「薬を?それなら、うちの薬草を煎じようか?」


「いえ、いつも使っている薬がありますので。この辺りに神社はありますか? そこにいると思うのですが」


「……神社?」


「はい、まずは土地を守る神に挨拶をしていると思うんです」


「……へぇ、いい心がけだねぇ。神社なら、この裏をまっすぐ山に向かっていくんだけど、小さいからわかりにくいかもねぇ」


 奥様の声は明るかったが、目が笑っていない。神社に、行ってほしくない何かが、ある?

 

 山に向かう道は思いのほか細く、とても先に神社があるようには見えない。龍神様を封じる神官が、こんなところにいるのだろうか。それとも、そう思わせる意図もあるのだろうか。


 紫陽さんに、知らせた方がよかったかな……。

 神社に近付けば近づくほど固くなる空気に、自分の身体が脅えだすのがわかる。行きたくない、と足がすくみ、嫌な汗が背中を伝う。頼りにしていた紫陽さんがいないのが、心細い。

 でも、紫陽さんはこの国を第一に、と言った。珠樹のことを気にかけてはやれないと。それならば、私は今、珠樹のために動きたい。


 どれくらい歩いただろう。急に空気が軽くなった。嫌な汗は引き、柔らかい風が頬を撫でる。この風は、風鬼さんの加護ではない。嫌なにおいのする風だ。


「ここだ。我が妻よ」


 風に乗り耳に届いたのは朝陽の声。導かれる先には、柔らかな笑みを浮かべた朝陽。人ならざる者は、ここには入れないと言っていたのに。


「其方が先にこの地へ来たおかげで、人ならざる我らもこの地へ入れた。黒龍の宝珠は、やはり私が取り戻そう。其方はもう十分だ。休むがいい。間男が心配であろう、戻ってついていてやるがよい」


 穏やかで、柔らかくて、安心する朝陽の声。助けを求めて朝陽に縋りつきたいと訴える私の胸に、左手首がまとった小さな風が抗う。

 わかっている。ここで助けてくれるぐらいなら、最初から私を巻き込んだりしない。龍庭から春を奪われたときに、朝陽一人でどうにかしていたはず。徒人である私に黒龍様を頼んだのは、どうしても龍では出来ないから。


「貴方は、だれ?」


「其方の夫、緑龍がわからぬと?紫陽はどうした?」


 『名を知られては、ならぬ』確かに、紫陽さんはそういった。でも、目の前の朝陽もどきは紫陽さんの名を口にしている。それは、紫陽さんが捕らわれたということ? 

 困惑する私に、朝陽が手を差しのべてきた。それは、いつもと同じいたわるような柔らかいしぐさ。でも、この朝陽の目を私は知らない。冷たく見据えた瞳に、足がすくむ。

 

 朝陽の足が私に向かって一歩ずつ近づく。怖い、嫌だ。

 伸びてきた手を払おうと、左手を振った。そのとき、左手がまとった風が大きく、強く、偽りの朝陽を退ける。ああ、風鬼さんの風だ。『武運を祈っている』そういった風鬼さんの言葉が、私の背中を押す。一人じゃない。


「宝珠を、返せ。貴方なんかに、私達は負けない」


 精一杯の強がりと同時に差し出した左手で、偽りの朝陽を掴む。そのまま、神力で居場所を探ってやる、と思ったのに……。 

 神力を使った瞬間私の目の前は真っ暗になり、身体は溶けた蝋のように崩れていった。

 意識は、ある。肌に触れる土の感触も、わかる。痛みは、ない。それでも、身体が全く動かず目を開けることすらできない。朝陽、風鬼さん、ごめん。

 誰か、来る。力の入らない私の身体は荷物のように担がれ、そのままどこかに運ばれていった。

 『集中』紫陽さんの言葉が頭に響く。はい。わかっています。感覚はあるんだから、出来るだけ集中します。

 私を担いでいるのは一人だけど、もう一つ足音がする。軽くて、少し歩幅も小さいみたい。女性、かな。緩やかな階段を登っていく。結構長いのに、少しも速度が落ちることはない。



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