神官


「雨が来るな」


 ぽつり、と呟いた朝陽チャオヤン風鬼ふうきさんがうなずいた。木々が茂っているせいで、空の色が見えない私には雨の気配を感じることができない。が、二人が言うなら降るのだろう。できれば雨には当たりたくない。


「急ごう。この先に変わり者の神官が住んでいる。少しの間そこに世話になる」


 不機嫌に呟いて急ぎ足で進む風鬼さんに、朝陽はなんだか少し嬉しそう。人の気配をさけていたのに大丈夫なんだろうか、とか『変わり者の神官』は黒龍様を捕らえた神官とつながっていたりはしないのだろうか、とか気になることは山ほどあるが、とにかく雨に当たらずに済む事と屋根のある場所で眠れることが嬉しくて、風鬼さんの後ろを必死に追いかけた。


「……ここ?」


 神官が住んでいる、と言うから勝手に神社のような建物を想像していたが、そこは……。

『神官の住まい』と言うよりは『炭焼き小屋』の方がしっくりくる。屋根も壁も、職人が造ったものではないことが一目でわかり、雨も風もろくに防げないんじゃないかという不安が頭をよぎる。


「変り者だと言っただろう?変り者だからこそ、安全だ」


 ……なるほど。

 断りもなくガタガタと音を立てて戸を開けると、広い土間と板の間だけの質素な造り。板の間には男性が一人座っていた。年のころは村長と同じくらいだろうか、長い髪を一つに結い道着のようなものを着ている。突然戸を開けられても驚くことなく、茶をすすっている。


「風鬼、久しいな」


 無言でずかずかと板の間に上がり込む風鬼さんに、朝陽がクツクツと笑いながら私と珠樹チュシュの背を押し、中に入れた。


「お邪魔します」


 珠樹とそろった声は、自分でも驚くほど弱々しく情けない。それが可笑しかったのか、神官は笑い出し上がれ上がれと促してくれる。『神官』ってこんな感じなのかな?


「『変り者』と言っただろう? これだからこんな所に一人で住んでいる」


 たしかに相当な変り者に見受けられるが、それだけではなさそうだ。風鬼さんの鋭い視線をも全く気にする様子もなく朗らかに笑っている。鬼が、恐くないのだろうか。

 

「雪花、こちらへ」


 いつの間にか、朝陽が部屋の隅で壁に寄りかかって座っている。となりにある座布団は、部屋の隅にあるのを勝手に使ったのだろうか?朝陽、こんな場所に住んでいる神官のことも、知っているのかなぁ。

 座布団を借り腰を下ろすと『変わり者の神官』がお茶を入れてくれたが、何やら妙な香りがする。これ、お茶っていうか。


「薬湯だ、疲れが取れるぞ」


 やっぱり……。でも、少し甘みがあって、味は悪くない。久々の感覚に思わず細い息が漏れた。


「お前は、私がここに来た理由を知っているのだろう?」


 不機嫌な顔で言い放った風鬼さんに、無言で笑う『変わり者の神官』。不機嫌な鬼と楽しそうな神官、疲れた龍神に戸惑う徒人ただびと。不思議な光景だ。

 ぼんやりと見ていれば、急に『変わり者の神官』がこちらに向き直って姿勢を正した。私も珠樹も、慌てて背筋を伸ばした。


「さて、嬢ちゃん、坊主。其方らはこれから神に仕える者と戦うことになる。それが、どういうことかわかるか?」


 『神に仕える者』。周和国の帝に仕える神官のことだよね。神官と戦うのが、どういうことかって……。


「わかりません。私たちの村には『神官』がいませんでしたから」


 素直に答えた私に、『変わり者の神官』はゲラゲラと笑った。よく笑う人だな。

『神官』は村にはいなかったので、何をする人なのか詳しいことはわからない。それでも勝手に想像していたのは、厳かで無表情で静かに神の教えを受け取り民に伝える。常人とはどこか違う、別世界の人。そんな私の勝手なイメージを、この『変わり者の神官』は見事に打ち壊してくれた。おかげで、『神官』がどういう人なのかかえってわからなくなってしまった。


「そうか、いなかったのか。それで戦おうとは、大したものだ。それでは、嬢ちゃんには『神官』が何をするのか。まずはそこからだな」


 時間がかかるぞ、と前置きをして薬湯のお代わりを入れてくれた。


「神官とは、本来は神に仕える者をいう。特別な力などなくても、古より伝わる神の言葉を民に説き、神の代わりに民の心に寄り添い、民と供に救いを探す。もともとはそれだけが役目だ。だが、代々神に仕えているうちに神力が宿る者が現れ、神力の強さを競い、人ならざる力をもって神官を祭る民のみを豊かにするように変わっていった。今の神官は、神への信仰よりも神力の強さが求められている。中でも周和国の帝に仕える神官の神力は、尋常ではない」


 その、尋常じゃない神力を持つ神官が黒龍様の力まで手に入れた。季節を変えるほどの力を手にして、龍庭ロンティンを手に入れようとしている。背中を、嫌な汗が伝うのがわかる。


「神官の名は、紅河ホンフェァ。紅河は、幼き日より神力に優れており、七つになる年には国でただ一人、帝に仕える神官となり城に居を構えることを許された。眠る民の夢を操り人心を惑わし、呪術を以て人を殺め、帝の害となる者を幾人も貶めた。もはや紅河は神に仕える神官ではない。人の心すら忘れ、帝を守る黒い盾と化した」


 害となる者を神の力で排除することが、周和国の帝のやり方なの?害となる者って、何?上に立つものがそれでは、河北フェァベイが、周和国の民が救われるはずはない。

 その帝が、龍庭を手にしようとしている。恐い。心のそこから、怖い。


「紅河は、黒龍の宝珠を使い緑龍の力までも欲している」


「朝陽の、力を?」


「そう。黒龍の宝珠を持てば、龍の神力を使う事ができる。龍の神力は、他の龍の宝珠に触れることで、自らの意志とは無関係に相手の力も命も取り込んでしまう。黒龍を救う事を第一とするのなら、緑龍は黒龍の宝珠をその手に掴むことはできない。もちろん、龍の宝珠を持っている紅河に触れることも、黒龍から命を奪うことになる。対して、龍の宝珠を手にした紅河は、緑龍の宝珠に触れることにためらいはない。緑龍の命も能力も、全てを手にするつもりだ。黒龍、緑龍の力を手に入れ、気候を操り、雷雨を従え、人ならざる者を手足として戦う事ができれば、他国を手にすることも容易だ。龍の加護を無くした清華国はもはや敵ではない。周和国は隣国すべてを従え、帝はかつてないほどの大国の王にもなれる」


 『我ら龍には宝珠を取り戻すすべがない』初めて会った日の、朝陽の言葉を思い出す。黒龍様は、きっと朝陽にとって大切な仲間なのだろう。それなのに、黒龍様の宝珠を朝陽が取り戻すことで、黒龍様の命は朝陽に取り込まれる。そんなことは、優しい龍に出来ることではない。


 長く守ってきた龍庭の春を奪われ、民の心が壊れていくのに、朝陽は戦う事すらできなかった。なんの力も持たない私に黒龍様の宝珠を任せるなんて、どれだけ情けなく辛いのだろう。


 どれだけの想いで、朝陽は私を供にしてくれたのだろう。

 答えなきゃ、なんとしても、黒龍様の宝珠を取り戻さなくては。


「宝珠を取り戻す方法を、教えていただけるのでしょうか?」


「取り戻す方法は、教えられぬ。そんなものがわかれば、とうに私が取り戻している」


 一瞬見せた切なげな瞳に、なぜか胸が締め付けられる。


「同じ神官として、紅河の能力と動きを教えよう。宝珠を取り戻せるのは、嬢ちゃんだけだ」


「……お願い、します」


 いい子だ、と私の頭に手を置き『変わり者の神官』は言葉を紡ぐ。今の紅河がしていることは、私の想像をはるかに超えていた。


「まず、風と星から運命さだめを読み、動きを探る。紅河は神力を風に乗せ、心の動きを読む事もできる、迷うなよ。迷ったら、すぐに付け込まれるぞ」


「……はい」


「次に、自身の神力を分け与えて作った札を使い、呪文で結界を作る。結界は、人ならざる者からも宝珠を隠し、黒龍を縛る。そして、人ならざる者が結界を無理に壊そうとした場合、結界は河北の民の命を使い、さらに強固なものへと変わる」


「民の、命を?」


「そう。結界が限界に近付けば、河北の民の命を吸い強固なものへと変わる。河北の民がいなくなるまで、結界は強くなっていく。それが、心優しき龍が結界を破れない一番の理由だ」


 帝が、民の命を奪うというの?帝っていうのは、国の民を守るためにいるんじゃないの?民は大国になることなど望んでいない。ただ、家族が安心して暮らせる国を求めているのに。村の民がより暮らしやすくなるように、全力を尽くしていた村長を思い出すと、胸が熱くなる。


「紅河は夢を見せて心を惑わす。迷いがあれば、不安や恐怖を夢として見せ心を病ませる。これより先、何があろうと宝珠を取り戻すと強い気持ちを持て」


「はい」


「そして、紅河は呪術にも長けておる。其方らの名を知られるな。名を知られれば心は捕らえられ、捕らわれた心では身体を守れはしない。できれば対峙することも避けた方がよいだろう。髪や爪などを紅河が手に入れれば、呪術で殺められる事もある」


 迷わず、名を隠し、対峙もしない。難しそうだな……。

 結界張ってあるから神官の場所もわからないし、結界を壊したら民の命を使って強固なものにということは、朝陽も風鬼さんも、村の中には入れないってことだよね? 

 私と珠樹だけで、宝珠を取り戻して、黒龍様を開放する。

 そもそも私は神官の顔を知らない。それで、避けることができるだろうか?どうやって、宝珠を探したらいいんだろう?紅河の神力に、どうやって対抗する?


「朝陽?ねぇ」


「なんだ?」


 朝陽の声が、いつもよりも固い。私の声も、おそらくいつもよりずっと固いだろう。


「前に、『龍神の妻』の私には神力が宿ったって言ったよね?あれ本当?」


「ああ」


「神力って、どうやって使ったらいいの?」


 『神官』より『龍神の妻』の方が神力は強い気がする。もちろん、上手く使えたらだけど。


「私には人が神力を使う方法はわからぬ。紫陽ズーヤンに聞くといい」


 紫陽?と首をかしげると『変わり者の神官』が、自分を指してニコニコと笑っている。


「何も聞いていないのだな。この二人がここに来たのは雨宿りなんかじゃない。嬢ちゃんに神力の扱い方を教えるためが。通常は何年も行を積むのだが、そうだな。七日ほどここで鍛えて、出立はその後だな」


 そんなこと、私聞いていない。七日……。


「雪花、今の其方では河北に入る事すら難しい。だが、私にも緑龍にも人として神力を扱う術を知らぬ。紫陽は、人だ」


 何か問題でも? と言わんばかりの顔で首を傾げた風鬼さん。

 人は人に教わるべき、てことですよね。わかります、けど……。


「何か、不満が?」


「いえ。少し、驚いただけです」


「……そうか」


 風鬼さんに、一瞬戸惑いの色が見えた。彼女なりに、最善と思われることをしてくれたんだろう、少し、申し訳なかったかも……。


「よろしくお願いします。雪花と申します」


 『変わり者の神官』に向き直る。これからは、この人が師匠だ。優しそうな人で良かった。


「雪花、か。良い名だ。紫陽ズーヤンだ、短い期間だ、少し厳しくなるが許せ」


「はい」


 七日だもの、それは厳しくなるよね。でも、宝珠を取り戻すためなら仕方ない。これでやっと、私のするべきことがわかる。不安より、期待の方が大きかった。

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