第17話 見計らって来る人


 後藤が、朝出社。

 周囲に挨拶し、席に着く。

 何かに気付いて立ち上がり、…石原の席の近くのゴミ箱を持って部屋から出ていく。

 …石原のゴミを捨てに行ったんだな…。

 戻ってきて、立ち上がったついで、といった感じで、プリンターに新しい紙を追加し、小さいホコリ取りで自分の周りの数台の電話を撫でる。

 変なホコリ取り。太い毛の生えた茶色のぬいぐるみに、棒が刺さっているみたいなやつ。あれ、後藤の趣味かな。

 また着席。

 …石原登場。

 抑え気味の笑顔で、石原に挨拶をし、すぐにパソコンに向かう。が、自分の左側の席の石原が微妙に気になって気持ち、身体が左に傾いたまま。

 偶然とはいえ、ハッキリ『無理なもんは無理』と言われたのにあの様子。

 拒否されても好きでいる後藤。

 俺が入っていく隙が見えない。

 待つしかないと自分に言い聞かせる。


 手を握られた時の感覚を信じるなら、俺はお前が他の誰かを好きでも好きなままでいるしかない。

『いつか好きじゃなくなる日が来るかもしれないけれど、今はまだ好き』。

 俺の観察は続く。



 その日の昼休み、珍しく後藤の方から俺に声をかけてきた。

「佐々木さん、今ちょっといいですか」

 デスクに向かっていた俺は、振り返って後藤を見上げた。

「どうした」

「次は、いつジムに行くんですか?」

 この角度から見上げることは少なかったせいか、顎のラインや薄めの唇など、ついつい観察してしまう。

 髭は薄くて、頬はつるんとしている。

 瞳は灰色っぽい黒。

 なんでだろう。可愛い。


「決めてないけど、週に一回くらい適当に行ってる」

「じゃあ、次、来週ですか」

「いや、お前が行くなら今日でも行く」

 素直にそう言ったら、後藤が笑った。

「なんで笑う」

「いや、ほんとに佐々木さんって、変」

 そうかな。

「いつも返事が即答過ぎるっていうか」

 それは…後藤と一緒にいたいしさ。

「今日は急すぎるんで…明日とか、佐々木さん大丈夫ですか」

「うん」

「俺、急に行っても入れますかね」

「大丈夫」

「何持ってったらいいですか?」

「Tシャツと短パン、タオルと…あ、シューズ持ってるか?」

「大学の時の体育館シューズとか…」

「うん、とりあえずそれでいい」


 うわ、どうしよう、嬉しい。

 あれ?何これ。

 嬉しいって。何?


 顔に出てないだろうか。

 いや、出ていても構わないか。

『佐々木さん、変』って言われるだけで。

『佐々木さん、変』って言われたい。


 こんな気持ちになったことがこれまでなさ過ぎて、もうよく分からん。

 彼女これまで三人いたけど、この気持ちは無いぞ。もしかして俺、男の方が良い派だったのか。

 いや、石原にも全然ウキウキしないぞ。

 やっぱお前だな、お前だ、後藤。

 お前が俺を変えたんだ。


 明日の夜の約束をして後藤が離れて行くと、見計らったかのように石原が俺のところに来た。

 いや、見計らって来たな。

「佐々木、メシ行こう」

「うん」

 今石原と目を合わせたらマズイっていうくらい、楽しみな気持ちが止められないので、かがんで、足元の鞄を持ち上げた。

 中を覗いて、何か探しているふりをした。

「後藤とメシ行くのかと思った」

「うん」

「お前ら、仲良いな」

「…さあどうだろう」

「楽しそうだな」

 ドキッ。

「そうか?」

「お前、本当に後藤好きだな」

「うん」

 嘘には、常に本心を混ぜておくことが大事だ。

 大して使いもしないメモ帳を、やっと見つけたような様子で鞄から取り出し、ズボンのポケットに突っ込んだ。

「行くか」

 立ち上がる。後藤の話に、そんなに興味がない顔をする。

 そうやって演技をしているものの、よく考えたら石原にばれても困らないような気がしてきた。

 石原が、俺の気持ちに気付いたとして、だからどうなる。

 いや、やっぱ気付かれない方がいい。後藤に迷惑がかかるから。



 後藤と一緒に何かをする、ということに気持ちが集中し過ぎて、それが具体的にどういうことだか考えるのを忘れていた。

 今回の場合、結構な薄着になって運動をする、ということなのだが、そういうことを考えていなかった。

 白いTシャツに紺の短パンを着た後藤は、やっぱり大学生のようだった。

 薄い胸、細い脚。

 何をやらせてもすぐギブアップする。

「佐々木さん…あの…休憩…」

「こらこら、早すぎ」

「無理」

 石原も持久力があまり無い方なので休んでばかりいたが、後藤のはもう別格だ。クラスで一番運動できない男子レベルで、本当にこれまでの人生どうしてたんだと思う。

 しかし…薄着で汗をかいて息切れして頬が上気していて…弱っている後藤、というのは職場では絶対に見られない姿で、えっとこれ、ちょっと…胸がざわつくやつだ。石原とは真逆の意味でなんか…。あの、言っちゃいけない何かっていうか。

 いや、もうはっきり言うとエロさを感じる。

 他の人はどうだろう。多分何も思わないだろう。そういう意味でも石原とは違う。

 俺だけが今目の前にいる後藤にちょっと興奮している。しかし、それは絶対に本人に知らせてはいけない。傷付きそう。

 気持ちを押し殺してマシンの説明をしながら、でもやっぱりもうちょっと体力つけようね、と先生みたいな気持ちで補助などもする。

 あ、それだ。

 先生みたいな気持ちになるからだ、ジムに来てからの、この背徳感。後藤が今日は幼く見えるんだよな。スーツ着ていないから。

 もやもやとむらむらが混ざる。

 片想いっていうものに神聖な何かを感じていたけど、間違ってたな。神でも聖でも無い。

 片想いって欲深い。

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