第2話

 駿ながれ 杜若かきつばた

 十四歳 中学三年生。

 性別 男。

 職業 学生兼、情報屋。


「やっぱり、こんなもんしかわかんねぇよなー」

 ぺらりと指先で色の無い紙をつまみ上げ、つまらなそうな顔つきで頬杖をつく。やたらでっかい帽子の下から、派手な玉ビーズが覗いている。身動きをするたび、ぶつかって軽い音を立てる。突き出した唇は色が薄く、全体的に白い印象。いや白というより、灰色―――鼠色か。

「それは、私たちの本職が実戦部隊である以外の何ものでもないだろう」

 細く長い指が、興味なさそうに紙を取る。やたらときらきら光る、後光のような長い金髪。後頭部で高く結われた金の流れは、肩から背中に緩やかに流れ落ちている。

 姿勢を正して、一欠けらの歪みもなく、静かに椅子に腰掛けている。上は皺のない、明るいブルーグレーのシャツ、下のスラックスは相反するように暗い。それこそ、嵐の如く。

「情報収集は向こうの本分であるし、私より少しは得意であるはずのお前が言うのなら、もうお手上げだろう」

「そうだよなあ。鳩羽はとばは、バリバリの戦闘タイプだもんなあ。最前線だしなあ。有力株だしなあ。俺なんかよりもなあ。強いもんなあ。断然なー」

「おい……冗談でも止めろ。腹が立つ」

「ほめてるんだよ」

「からかっているんだろう」

「まあ、イヤミってとこ?」

「…………」

「冗談だよー」

 あはは! と満足げに、褪衣さえは笑った。いいように扱われた鳩羽は、不満そうに足を組んだ。と、そこでふと顔を上げて、店の入り口を振り返る。

「来たぞ。噂をすれば、影だ」

 褪衣も体をずらして、ガラス戸が横に滑るのを見届けた。その人物が入ってくるのと同時に外の雑音が流れ込み、扉が閉じて消える。吹き抜けになった高い天井の下で、きょろ、と店内を見渡して、目当ての二人に気がつくと、わき目も振らず近づいてきた。

「おーう。画面でなく、顔面で会うのはおひさだなー」

「そーだな」

 丁度観葉植物の横になる、二人の間の椅子を引いて、座る。どこにいても不自然ではない少年。野球帽を目深に被り、その下から寝癖めいた髪が飛び出していた。ただし、この静かな音楽の流れる喫茶店では少々浮いていて、居心地悪そうにヘッドホンを外し、鞄を床に置く。込み合ってはいないが、椅子の埋まっている店内をもう一度見渡して、帽子を取った。

「さすがつばたん。礼儀ただしーい」

「信用第一だからね。礼儀作法も必須なんだよ。褪衣も取れ」

「そうだけどー、さー」

 杜若から逃れるように身をよじり、煮え切らない褪衣に、鳩羽が少しだけ身を乗り出した。そしてもう一度、椅子に腰掛けなおす。すると帽子は消えていた。鳩羽は、手にしたそれを平然と自分の頭に乗せる。

「あ」

 玉ビーズがあふれる。褪衣の頭と顔を隠していた帽子がなくなって、褪衣の鼠色の髪は大きいものはピンポン球、小さいものでもビー玉くらいの、大きな丸いビーズで飾られていた。複雑に編まれ組み合わされた髪の房が、じゃらんと左の肩に垂れる。

 ふてくされて相棒を見る。

「ひでえよ、鳩羽」

「ほら、返す」

 頭から取って軽く投げ渡し、被るなよと念を押す。わぁってるよとぼやいて、褪衣は椅子に引っ掛けてあったリュックサックに押し込んだ。ちらりと含み笑いをする鳩羽に、杜若はつられて吹き出した。

「そうだ。二人とも何の用なんだ? わざわざ呼び出すなんてさ」

 鳩羽は笑みを消して杜若のほうに向き直り、真剣な顔つきで口を開いた。

「悪い。この間は、面倒を掛けた」

「え?」

 一拍置いて、思い出す。この前の仕事。

 あー、そうだっけなー。褪衣が頭をかきながら、頬杖をつく。

形山江織かたやまえおり、二十八歳。帰郷のため待っていた電車のホームで、後ろから来たでかい鞄を持ったサラリーマンに突き飛ばされて落下、そのまま来た電車に―――」

 褪衣が笑う。不運だよなあ。笑っているのは口元だけで、眉根を寄せて、いらだちを吐き捨てるように、言った。

「気付かないで電車の中にいたんだろ………行く先も忘れて。嫌な話だ」

 普段軽薄な彼が、そうやって不機嫌そうに、不満を噛み締めるようにしていると、戸惑った。ふつりと煮え立つ思いを抱えて、にやにや笑いの中、灰色の眼だけが鋭い。起きた出来事の意味を、否が応でも知らしめる。

 反応ができず、テーブルを見つめる。―――人との感覚は同じなのだな。余計なことを考える。実感が湧かないからかもしれない。あるいは、そんなもの感じたくないからなのか。

「―――そこまで、わかったのか」

「俺が名前呼んだだろ。それだけで道が開けちまったから、もう要らなかったんだけどな、その書類に書いてあったのさ。ご丁寧に色々。あの時点じゃ、もう済んだ事だったから、報告は詳しく、リアルにできるってわけだ」

 そうかと小さく言う。

「こちらの不手際もままあるからな。ああやって時折、が出る。単純にそこまで手が回らないからなのだが――放っておいても余り害は無い、と思っている者がいることも確かだ」

 鳩羽が俯いて足を組みかえる。

「本当に処理すべきなのは、迎えにいかねばならぬ者、あるいは、この世に仇なす者。とり残された者ならばまだ、ほうっておいてもいい。―――なんて、勝手な話だ」

「まあ、それだけこっちも切羽詰ってるってことなんだけどねー」

「なんか、大変なんだな」

 杜若はそれだけしか浮ばなかった。死神の課業もなかなか楽ではなさそうだ。

「そうだ、だから今回の様な皺寄せが、また杜若達のような人間に向いてしまうのだが、もうしばらくは協力してもらうしかなさそうだ。ヒトの中にも杜若のような能力のある者がいることで、私達は酷く助かっている」

 そこで疲れたとでも言いたげに、鳩羽はため息をついた。ふと、横の褪衣が妙にそわそわしているので、杜若はそっちを見た。

「ああ、落ちつかねー」

 店内で自分に向く視線が気になるらしく、椅子の上でもぞもぞ身動きしている。奇抜な髪型が、どうしても人目を引いてしまうのだ。しかし興味深い髪型ではある。いったいどうやるのだろうか。

「ちぇっ、ちらちら見やがって」

「だったらそんな頭しなければいい」

「仕方ねえだろう? 姉ちゃんに実験台にされたんだよ」

「何だ、お前ビーズが好きだから、好きでそんな頭にしているのかと思っていた」

「そりゃあこれはこれで気に入ってるけどよー。やたら人がこっち向くのが気にくわねえー」

 お前気に入っているのか。そう言った鳩羽が、思い出したと話を変える。

「そうだ。あの後すぐ、こっちへ送ってくれたろう。あの薬が効いた」

 忘れるところだった。深々と鳩羽が頭を下げると、見事な金髪が肩口から零れ落ちて、杜若は慌てた。

「いや! いいよ、別に。二人ともなんだかんだよく俺に声かけてくれるから、こっちだって助かってるんだ」

「不本意だが、丸三日の間、立てなくてな。仕事には出られない、スクールには出られない。褪衣がぴんぴんしていたのが唯一の救いだった」

 苦々しげに、元気な様を見ていると恐ろしく憎らしかったが、と続ける。

「……今は、もう何ともないか」

「ああ、この通りだ。こっちにも出て来られるようになった。本当に、感謝している」

 いや、いいって。またやりとりが繰り返されて、鳩羽が考え込む。

「これだけの規模だと―――流行っている、のかもしれないな。最近、体の調子が悪いという話をよく聞く。私達だけでなく、多少なりともここ以外に関わっている者たちには、多いらしい」

「そうだなあ、そういや、じいちゃんも腰が痛えだの、足が痛えだの言ってたっけ。まあ毎度のことだから気にしてなかったけど」

「へえ………」

「……何も関係ないかもしれないが」

「や、そういうのこそ、何か理由があるかもしれない」

 さんきゅ。杜若はポケットから出したいつもの手帳に、急いで書き付ける。

「で、今日は? 午後一杯、空けておいてくれって話だったから、これから幾らでも付き合えるけど」

「ああそうだ、今日はまたお前に、仕事の依頼があって」

 そこに、手に銀の盆を持って現れた影がある。のりの利いた真っ白のシャツに、黒のエプロン。ウエイターだった。盆の上には、薄く湯気の立つ陶器のカップと、そして百合の花に似たガラスの器が乗っている。アイスクリームを満載にして、生クリームを頂き、さらにその上に真っ赤な果実を乗せた、華麗にして華な、アイスクリーム・パフェ。

 パフェ? 褪衣が頼んだのだろうか。そう思って横を向いたら、鳩羽の眼の色が変わっていた。

「失礼します。ふちのコーヒーのお客様」

「はーい」

 褪衣の前に、雪球のようなカップが置かれる。ソーサーの上にはきらめくスプーンが、その脇にはミルクと砂糖のつぼが添えられた。

「白雪のパフェのお客様」

「はい」

 鳩羽が、丁寧に、肩の高さに手を上げる。もう片方の手は膝の上に乗せられて、背筋が驚くほど真っ直ぐに伸ばされていた。手を下ろすと、目の前にガラスの百合が差し出される。柄の長い銀の匙が、紙のレースの上に置かれる。

 鳩羽の眼は目の前のデザートにとらわれ、うっとりと輝いていた。

「…………え?」

「お客様、ご注文はございますか」

「あっ、はいっ?」

「こちらがメニューとなっておりますが」

 ウエイターがテーブルの端にさりげなく置かれた、皮の装丁の薄い本を開き、差し出している。杜若は呆然としたまま紅茶をレモンで頼んだ。頭を下げ、奥へ去るウエイター。

 向き直ると、鳩羽は眼の端に光るものをためていた。涙。杜若は目を見張った。鳩羽は強く目を擦り、震える声で言った。

「この日をどんなに待ったことか………!」

「………!?」

「頂きますっ」

 顔の前で手を合わせ、頭を下げてから、鳩羽は匙を取り上げ、構えた。絶妙な角度でアイスに差し込み、食べ始めてからは、わき目も振らない。

 あっけにとられている杜若の横で、褪衣がけたけた笑っている。

「やべーぞ。開いてるよ、口、口閉じなきゃ、若っち」

 ぱくんと口を閉じる。それがまたおかしかったらしく、褪衣はご機嫌だった。

「状況説明、頼む」

「ん? ああ、鳩羽、とんでもねー甘党だから」

 それだけじゃ説明が足りない、という杜若の視線に気がついたようだ。

「俺らのとこではー、うまくって綺麗な菓子ってのがあんま無いから、鳩羽は毎回、こっちに来るたびに甘いものを満喫して帰るのである」

 人差し指を立てての説明に、呆然と杜若は、

「全然知らなかった」

「世の中には知らないことなど億万よりもっとあるのだ。そして知らないままに死んでいく。だぜ、ベイベー」

 なんつって、と褪依は自分のコーヒーカップを傾ける。よく見ると何も入れていない。杜若は驚いたが、褪衣は「ああやっぱ駄目だ」とすぐにうめいて、ミルクと砂糖を手にとり、だーだー入れる。別の意味で驚いたが、褪衣らしいといえば褪衣らしい。

 そしてもう片方に顔を向ければ、鳩羽がパフェと真剣勝負の真っ只中だ。一世一代の戦いのような顔つきで、もはや仕事の話など頭の片隅の隅にもないだろう。

 なんか、その、今までのクールな印象や姉御的なちょっとしたカッコよさなんかが、がらがら崩れていくような感じだった。

 その間に挟まれた杜若。明らかに一般人。ていうか中学生。

 喫茶店は使っちゃいけません。なんていう人もいないけど。店内でこれほど浮いている三人組もないだろうと思って、杜若は頭を抱えてテーブルに突っ伏したくなった。情報屋なのに。目立っちゃまずいのに。

 そうこうしている間に、頼んだ紅茶が運ばれてくる。

「〝砂漠の暮れ時〟でございます」

 白いカップの中で、澄んだ赤茶が揺れる様は、確かに蜃気楼に見えなくもなかった。しゃれた名前をつける。湯気がやわらかく立ち上る。あ、すみませんと返事をして、受け取る。一口飲んで、添えられたレモンを絞った。色が変わる。染め変えられた赤色は明るく、砂漠の明るさに似ていく。

 人生、開き直りが大切なのかもしれない。ため息を吐きつつカップで手のひらを暖める。テーブルにはポットも共に置かれていた、もう一杯は飲める。駆け出しだとしても、仕事をする中三は大人びるのだろうか。ぼんやり哲学的な現実逃避に身を任せ、ああ紅茶はおいしいなあ、ともう一度ため息を吐く杜若だった。


 しばらくして。

 褪衣がとっくにコーヒーを飲み終え、杜若もカップとポットを空にして、手持ち無沙汰で鳩羽の戦いを見守ること数十分。(パフェは意外とボリュームがあるようだった/しかしそれは気に留めるどころか、むしろ鳩羽のやる気を煽ったようだ)

 鳩羽は澄んだ音を立てて銀の匙を置き、口元をどこぞの令嬢のように拭うと、満足げな息をついて微笑を浮かべた。その余りに幸福そうな雰囲気が逆になぜか恐ろしく、気圧されて声を出すのにも勇気がいったが、杜若はそれを振り絞って声をかけた。

「あの………鳩、羽?」

「なんだ? 杜若」

「えーと、俺に、仕事の依頼じゃなかったっけ」

 それとも俺の聞き間違い? いやあゴメンな、そうだったら悪いんだけど。早とちりだったかな。鳩羽の怒りを買った場合の言い訳を、三つぐらい喉元に用意して臨んだのだが、思いのほかあっさりと、鳩羽は満ち足りた微笑みで、カッコよさげに杜若に応えた。

「ああ、そうだ。これを」

 鳩羽が傍らの鞄を取り、中から小さな袋を取り出す。口は紐で結われ、白いテーブルの上に置くと、中で硬いものがぶつかる音がした。

「受け取ってくれ。依頼料だ」

「………! おい、ちょっとこれ、多いんじゃないか」

「薬代も入っている」

「いや、それはサービスだから」

「じゃあ、その分働いてもらおう」

 反論する言葉を無くす杜若に、キツイ仕事だぜえと人事のように褪衣が言う。

「詳しい説明は外でしよう。ここの冷菓は非常に美味だった。私は満足だ」

「あ、鳩羽」

 席を立とうとする鳩羽が振り返る。「ここ、ここ」と杜若は自分の右頬を押さえた。鳩羽は同じ場所に手をやって、ついた白いクリームに気がつく。一旦、動作を止めてから、口元を拭った紙ナフキンで、クリームを取った。

 鞄と会計の板を取って、鳩羽が歩き出す。褪衣がリュックサックを背負い、杜若も鞄を取り上げた。テーブルに残したカップの中に、不吉な予告が無いことを少し祈った。


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