4-6:生贄

アルメアが魔方陣に向けて走る道中。彼女は早くも、妙な雰囲気を感じ取っていた。並行して走っている兵士たちと共に立ち止まり、あたりを見やる。


「……どういうことだ? 先行していた兵達は、どこへいった……?」


やけに静かだった。先に突撃して行った、あれだけの兵士たちが見当たらない。ものの数分も経たない内に消え去っていた。召喚を行っていた魔術師達も同様に、一切合切がそこから姿を消していた。


 その場に何かに引きずられたかのような跡が残されている。

紫色の液体が溢れ返っている巨大な魔法陣からまだ数十歩は離れた所で、アルメアは纏わりつくような不穏な空気に、周囲へ警戒を促す。


「みんな魔方陣の中に気をつけて! 何かがいる」


アルメアが剣先を向けてにじり寄ると、魔法陣から突如、紫色の液体が細長く飛び出した。


「出てきたぞ! 避けろ!」


繊維質を持ったうねりが、まるで髪のように形を造り、飛び避けたアルメアの背後に立っていた兵士2人をまとめて絡めとった。

繊維は彼らを天高くかかげると、濡れ雑巾のように兵達を強く捩じり上げ、彼らから断末魔と血を絞り出していく。


「連れていかれた! みんな、この奇妙な触手を斬りつけろ!」


周囲に声をかけながらブロードソードを振りかぶり、一気に斬りつける。が、彼女はすぐに手元に異変を感じた。


「な……」


得物は触手の中程で止まっている。しかも、それだけはない。繊維が刀身にぐるりと巻き付き、得物が触手の内側へと取り込まれていく。アルメアは咄嗟に剣の柄から手を放した。


「一体なんなんだ、これは……」


別の兵士たちも各々が槍で突くほか、剣で斬りつけるなどするものの、いずれも繊維に絡み取られ、繊維の中へと取り込まれていく。


「刃が、通らない!」


しばし戸惑いを見せながらも、ならば魔術で試すまで、と彼女はすぐに思い立ち、魔術師を探してあたりを見回す。


「生きている魔術師は、兵を捉えている触手を優先して狙え! 他の者は、生き残っている魔術師を囲って守れ!」


皆に言葉をかけてみるものの、その魔術師は近くに数名しか見当たらない。それもそのはずであった、召喚開始の時点で、彼らのほとんどが既に魔方陣に取り込まれてしまっているのだから。アルメアは拳を強く握った。これでは急場凌ぎにもならない。


「体制を立て直す! 一旦みんな下がれ! 急げ! 武器を置いていっても構わん!」


身を翻し、地面に伏した負傷兵達を担ぎ上げながら城に向けて走る。

ものの数分も持たずに呆気なく撤退とは。しかも、あの紫色の液体は段々とその範囲を広げていっている。あのような化け物を放置し、帝国を脅かすわけにはいかない。彼女の頭は焦りで満ちていた。早急に対応策を練る必要があった。


なりふり構わず駆けるその道中、一匹の異形が立っていた。継ぎ接ぎだらけの白い肉塊が、その肉の隙間から除く複数の目でこの惨状を観察している。アルメアはその肉塊、レイス帝の姿を目視で認めると、彼の前で足を止めた。


「陛下! 撤退です! 一旦退いて作戦を練りましょう!」

【……ほお】

「陛下もご覧になられたでしょう、あの触手に物理攻撃は効きません! 剣や槍では容易に絡めとられてしまいます。ここに集められている大多数の兵士が魔術を使えない以上、これ以上の戦闘は無意味、無為に被害が増える前に一刻も早く撤退を!」


息を切らして必死に語るアルメアに対し、レイス帝は落ち着いていた。奇妙に膨らんだ体躯をぶるぶると震わせて、あぶく混じりの言葉を残す。


【それはならぬ】

「……え?」


アルメアは思考が追い付かない。帝王の言葉を聞き間違えたのかと、思った。「それは、どうしてでしょうか」と聞き返す間もなく、次の声が響き渡った。


【皆の者、今すぐ止まれ】


未だ触手の進行を食い止めよう戦い続ける兵士、撤退しつつある兵士たち全員の動きが、ピタリと停止した。喧噪が収まり静まり返った空間に、レイス帝の肉の隙間から、赤い光が零れ出ている。


(な、何故陛下は念動力の魔眼を触手どもにではなく、“我々に”お使いになられたのだ?)


声を出すことすらできぬまま、身動きのできない状態で必死に思考する。そうこうしている間に、前線で奮闘していた兵士が無抵抗なまま触手に絞り殺されていく。悲鳴は一切聞こえないのに、血しぶきの音だけが次々と後ろから聞こえる、凄惨な状況であった。


【撤退はならぬぞ、アルメア隊長。最高位の悪魔を呼び立てるためにも、生贄が逃げてはならぬ】


レイス帝は静かに喋り続ける。

アルメアの背後で伸び上がっている紫色の触手は次第にその数を増し、身動きのとれない兵士たちを次々と捉えては、巨大な螺旋を描く紫の魔法陣の中へと放り込んでいく。彼らはそのまま繊維の渦に沿って魔方陣の中に沈み込む。

そしてどうやら、レイス帝はこの惨状を意に介した様子はない。アルメアのこめかみを、一筋の汗が伝う。


「あ、あああ……」


その先は考えたくなかった。この後の自分の運命が簡単に予想できてしまったから。誰ともわからぬような悲哀の呻き声だけが出た。


【光栄に思いたまえ、君達はここで彼らに喰われ、冥界の悪魔を呼び出すための礎となるのだ】

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魔天の食契~ヤンデレファンタジー~ 土日はじめ @donichihajime

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