4-4:ひととき

「ふう、ラック王子にも困ったものじゃな」


 ローム隊長は鼻をつまんだ。扉の前にうず高く積もった腐肉の山。その中に紛れ込んでいるアクセサリーや衣服の切れ端から推測するに、これらはラック王子が最近まで侍らしていた4人の女が数日前に変わり果てた姿らしい。


「結果は分かり切っておったじゃろうに。酷なことをする」


 あの嫉妬深い彼女のことだ、ここで何が起きたのかはローム隊長には容易に想像がついた。ラック王子はユファ副隊長をいたく気に入っており、今回の様に幼稚なちょっかいを定期的にかけている。ため息をつくと、鼻をつまんだ手を離し、ヴェニタスの部屋の扉をノックした。


「ユファ副隊長。少しばかり邪魔をしてもよいかの?」


 返事がない。


「ふーーむ」


 彼は目を細めると白い顎髭をゆっくりと撫でた。


「返事がないとは。もしかすれば中で二人とも倒れているかもしれぬ。これは入って確認せねばのう」

「入れば殺す」


 扉の隙間を伺えば、うっすらと黒い光が染み出している。どうやら言葉通りのつもりらしい。室内で葬術を今にも放とうとしている彼女の姿が、ローム隊長の脳内に浮かんだ。


「ほっほっほ。相変わらず物騒じゃのう。レイス帝に謁見した後、ずっと部屋に籠り切りと聞いておったから、儂も心配しておったのじゃぞ?」


 真夜中に墓場から彼女に殺された死体が動き出し、城の厨房から食材を拝借していく姿をメイドや警備が目撃している。おそらく食事や生活に必要な必需品は、彼らを操って間に合わせているのだろう。特に体調を悪くしている様子も無かった。


「さっさと用件を言えよ耄碌ジジイ」


 礼儀もへったくれもなく、不躾な言葉だけが返される。ローム隊長は真顔のまま、声だけは朗らかに語りかけ続ける。


「いやあ、元気そうでなにより。では言伝だけ。レイス帝より、悪魔殺しの任務は明後日の朝になるとのことじゃ」

「……分かった。これで用は済んだか? 終わったんなら消えろ」

「冷たいのう。顔を見せてくれてもよいじゃろうに」


 ローム隊長がドアノブに手をかけようとすると、扉の縁から漏れ出る黒い光がより強まった。どうやら開けようとしていることがバレているようだった。手を下げ、再び髭を撫でる。


「ふーむ、仕方ないのう。今日明日は安静にして当日は万全の状態で臨むように。悪魔殺しの要である君が、直前に体調を崩しましたでは困るからのう」


 心底残念そうな声を作ると、ローム隊長は部屋の前から立ち去って行った。


 ―φ―


「ふー……やっと行ったかあのジジイ。この城にいる奴ら、ホントみーんな鬱陶しいよな? ヴェニタス」


 ローム隊長の足音が聞こえなくなったのを確認すると、紫髪の女が、意識があるのかも分からない廃人に向けて、ぼんやりと告げる。

 二人は簡素な部屋にいた。ベッドと椅子、洋服箪笥くらいしか置かれていない静かな部屋。そこで、ユファが一人、ひたすら廃人達磨男に語りかけ続けている。


「……ふう、まあ答えらんないよな。そんな状態じゃ」


 ベッドの上に彼を自由に転がしたまま、自分はベッドの縁に座り込み、こともなげに両足をぶらぶらさせている。依然として部屋の前には赤い液体を垂らすミンチが広がっているのだが、彼女はそれを気にもとめておらず。


「あ、悪い。眠かったのか。もう夜遅いもんな」


 目の端に捉えた彼の、ほんの少しの、毛先ほどにも及ばない微妙な表情の変化だけで、今はもう感情表現すら覚束ない廃人達磨男の欲求を鋭く読み取った。


「よしよし、そんじゃあ寝よう」


 ベッドの縁に膝をかけたまま、背を後ろに倒し、仰向けのまま彼の隣に上体を置いた。横を向き、添い寝をしたまま頭を近づけ、ハイライトの失われた彼の一つきりの瞳を覗き込む。

 そして、彼の瞼が小さく動いたのを見て、また何かに気が付いたのか、問いかける。


「あー、もしかしてアレが眩しくて眠れないのか」


 ベッドの上、窓越しに浮かぶ月を、恨めしそうに目の端で睨みつける。


「ごめんごめん……そしたら僕がアレを半分ばかり、削り落としてやろうか」


 本気で言っているのか冗談なのか定かではないが、どうか。ひとまず。その目は穏やかな色味を湛えていた。


「なんてな。そんな大層なことしなくたって、こうすりゃいいんだ」


 小さく笑むと、そっと彼の顔を自分の胸元に優しく抱き寄せ、彼の視界から月光を遮った。


「何もかも、僕に任せろ。たとえ両手足がなくなったって、話せなくたって、お前は何も心配する必要はないんだ」


 例え悪魔との戦いに勝利し、レイス帝がヴェニタスの正気を取り戻したとしても、彼の両手足は戻らない。それをユファは理解し、納得していた。彼女にとって、それらは大した問題ではなかった。


「僕がいる」


 ただ、得意の弓も引けないどころか、誰かに介護を受けなければ自分で食事もとれないような状態で、ヴェニタス自身は生きる希望を持つのだろうか。それが何よりも、ユファは恐ろしかった。もしかすれば、そのまま舌でも噛み切って自殺でもするのでは――。

 そう考えれば考えるほど、ユファは自身の心がどっと疲弊していくのを実感した。同時に、酷く強烈な眠気に襲われて。


「だから、僕を一人にしないでくれ……」


 ユファはまどろみに浸り、彼を抱いたまま数日ぶりの眠りについた。

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