2-17:本物への対処

「新入り、それは流石にバラしすぎなんじゃないか」


 ことの顛末がどうなるか静観していたヴェニタスは、パロンの堂々たる情報漏洩に非常に焦っていた。

 近衛兵に向けていた弓矢の照準をパロンの方に向けるべきでは、と一度思案したくらいであった。


「ふふ。別に隠す必要なんてありませんわ。彼らはちゃんと秘密にしてくれますから。それに、信用してもらえないことには交渉なんてできませんもの」

「お前……」


 彼の呆れた視線にも、パロンは涼しげな顔だ。

 皇女とその近衛兵は、顔を見合わせ、どうもかみ合わないパロンとヴェニタスの仲を頭で理解しようとしているようだった。皇女は眉間にしわを寄せ、口を開いた。


「し、信用できません。だいたい、侵略ばかりしている帝国の人たちが私たちを匿うようなことをして、なんのメリットがあるって言うんですか!」

「あら? それは、さっきそこの不愛想な男が言っていたじゃありませんか。アビス教国の象徴である貴方が失踪するだけで、帝国にとっては利益になるんですの。それに、わたくしたちには死体を掃除している暇なんてありませんの」

「だとしても――教国のみんなを裏切るようなこと……」


 いまだに皇女は納得がいかない様子。恐怖の最中にあって、どうも答えを渋っているようだった。煮え切らない彼女のその態度に、パロンはどうしたものかと額を押さえる。


「ああもう、めんどくさいお姫様ですこと……じゃあ、貴方がこれを受け取りなさい」


 皇女の目前に差し出していた手紙と首飾りを、今度は近衛兵に向けた。そのままパロンの腕は、にゅるにゅると伸びていき、彼の手元で止まった。彼はその奇妙な現象に唖然としながらも、パロンを見て答える。


「……僕が?」

「ええ。貴方はこの子のために命をかけているのでしょう? だとしたら、ここで貴方が無理やりにでも連れていくしか、この子を救う方法はありませんわよ? どうやらこの子はここで死んでもいいみたいですし」


 そして、彼女は小刀の切っ先を皇女の首に軽く突き刺した。一雫の赤い血が、白い肌をするりと垂れていく。エヴァンスは目を見開いて、息を呑む。


「や、やめろ! やめてくれ! リリーアに手を出すな!」


 近衛兵が必死な顔で懇願するが、どうもパロンは話を聞く様子もない。どころか、今まで貼り付けていた笑みから一転、威圧すら感じさせる真顔で、近衛兵に語る。


「そこまで言うなら、好きな人に“形だけ”なんて言わせないで、本当の式を挙げてきなさいな」


 そして睨むように目を合わせたまま、それらをエヴァンスが手に取るまで、身動き一つしなかった。差し出された彼はいったん俯き、ゆっくりと、しかししっかりと告げた。


「……リリーア様。夜が明ける前に、この国を出ましょう」

「え……エヴァンス?」


 彼は手紙と首飾りを受け取り、皇女の方を見た。

 覚悟を決めたようである。


 ―φ―


 二人が去っていったあと、パロンとヴェニタスは教会の目前で言い争っていた。


「新入り、分かっているのか? もし彼らが教国の誰かに俺たちの存在をばらしたりしたら、これから教会で任務どころではないぞ」


 ヴェニタスは頭を抱えて呻いていた。それでもパロンは、彼に顔を向けることなく不機嫌そうに、鼻を鳴らす。


「ふんっ別にいいですわよ、そうなったら、わたくしの責任にすれば」

「責任の所在なんて聞いていない! 悪魔像を持ち帰ることが、帝王の悲願を叶えるために必要だというのに、その成功率を著しく下げるような真似をするなといっている! あの様子だと、ばらすことはないと思うが、それでもだ!」


 ヴェニタスがそう返すと、ついに彼女は、わなわなと震え、振り向いた。


「ああああああー、うるさいですわね!」

「リスクを負いすぎだ。あそこまで情報を開示しなくとも、殺してそのへんに隠しておけば済む話だったろう。明るくなるまでには俺達もこの国を出ていくんだから。一体なにを考えている?」


 彼の声音自体は静かになったものの、気に入らない男に問い詰められる事実が腹立たしいのか、パロンは既に涙目になっていた。


「うるさいですわね……だって、見ていられなかったんですもの。自分のしたいように生きられないなんて、とっても可哀そう。わたくしのお父様なら、絶対に自由にさせてくださるのに」

「相当いい家柄だと聞いていたが、それはまた奔放な育て方だな。そういった考え方もあるんだろう。だがな、今優先すべきはレイス帝の事情じゃないのか。俺達は彼の下に所属しているんだぞ?」


 ヴェニタスは難しい顔で唸る。

 たしかに、自分の一人娘にこんな危険な仕事をすることを許しているくらいなのだから、彼女は相当に奔放な家庭に生まれたのだと推察できる。そこまでいくと、家を存続させる気があるのかと穿った目で見てしまいそうになる。


「もちろんわたくしだって、帝王様に認められて、もっとナインテイル家を盛り上げたいと思っていますわ。でも、そのやり方だって矜持が無いと、ここまで自由に育ててくれたお父様に顔向けできませんもの」


 彼の言葉を聞いたところで、パロンは自分のやり方を変えるつもりはないようだった。若干赤めになりつつ、キッと睨みつけた。

 ヴェニタスも、こればかりは退けないようだった。


「言いたいことは分かるが、次からはなるべく任務を台無しにするようなことはしてくれるな。俺はレイス帝に救ってもらった恩がある。あの人の足を引っ張るのはまっぴらごめんだ」

「ふうん、意外ですわ……貴方の目的が恩返しだなんて」

「別におかしな話じゃない。レイス帝は孤児や魔術が不出来な者も分け隔てなく登用なさる。俺を含めて、それを恩義に感じている者は多いってことだ。……とにかく、次からは気をつけろ」


 言って、険悪な空気になりながら、彼は教会の大扉を片手で押し開く。

 そうしながら、もう一方の手で自分の鼻を指し示した。


「まずは鼻血を拭け。ついたままじゃ司祭に勘ぐられる」


 パロンはいまだ、べっとりと赤い血を鼻下に残したままだった。


 ―φ―


 二人は教会に入り込み、再び礼拝堂へと歩き向かっている。早朝に訪れた時とは違い、この広く静まり返った空間には誰もいない。暗い廊下に並ぶ悪魔を模した柱、それらがランプで照らされ、長く影を伸ばしている。

 真っ暗な堂内は、何かが潜んでいるかのように、ひどく静やかだった。


「いた。司祭は祭壇のところだ」


 礼拝堂にたどり着くと、ヴェニタスはパロンに声をかけた。


「ええ、そうみたいですわね……」


 二人には蝋燭の灯が見え、それはチラチラと揺らめき、堂内の一画を橙色に明るくしている。その一画、祭壇のもとに、二人がけさ会ったばかりの司祭が立っていた。彼は祈祷の時に来ていた服よりも、刺繍も豪華に、より一層動きづらそうな恰好をしていた。

 なにやらカンペと思われる紙を熱心に読み込んでいて、まだこちらには気づいていない様子だ。

 二人はズラリと並べられた長椅子の列を抜けて、彼のもとに歩き近づいていく。

 あと十数歩ほどというところまで近づくと、ようやく司祭は二人の訪問に気が付き、顔を上げた。


「おお、リリーア殿下、そして彼女の想い人様、お待ちしておりました」

「ありがとうジェイマンさん。わがままを聞いてもらって」


 リリーア皇女の姿に化けたパロンは、とてとてと小走りに彼の目の前まで進むと、軽くお辞儀をしてみせた。そんな彼女の振る舞いに司祭はにやける。


「いえいえ。このような大役を担えること、このジェイマン、一生の宝物にいたします」

「あら、お上手ですこと」


 彼女は口元に手を当てて、くすくすと笑う。


「それで、さっそく始めて頂いてもよろしいかしら? わたくしたち、日が昇る前には城に帰らないといけなくて……」

「ええ、分かっております。それではまず、こちらにタキシードとウェディングドレスをお貸ししますので、衣装室でお着替えください」


 そして、いそいそと祭壇の下から2つの大箱を引っ張り出した。そのサイズ感からして、二人の衣装が収まっているようだ。

 ヴェニタスが一歩前に出る。


「不要だ。着替えている時間も惜しい」


 なにせ、タキシードなんてキッチリした服には、アーチブレイドのような大きな武器は隠せない。もしこの後に転送される聖域で悪魔とやり合うことにでもなると考えると、手ぶらでは心もとない。


「すみませんが、正装することも聖域に行くためには必須の工程でして……」

「げ、まじか……」

「ええ、その通りでございます」


 ヴェニタスに対して答える司祭の目は冷たく、皇女の晴れ舞台で正装してあげないことを、その態度で責めているようにも伺えた。彼はヴェニタスの纏う真っ黒なローブを、気に入らなそうに見ている。

 そんな空気を読み取ったのか、するりとパロン皇女が間に立った。


「ドレスがありますの? 嬉しいですわ! 早速わたくし達、その辺りのお部屋を借りて着替えてきます。さ、ダーリン。一緒に着替えましょ。そこの荷物を持ってきてくださる?」


 パロンはヴェニタスの背中を軽く叩き、先行して扉の方へと向かっていった。


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