2-16:狐は化かす明かす

「貴様、リリーア様を離せ!」


 エヴァンスは血気盛んだが、その場を動く様子はない。

 そしてまた、パロンに刃を当てられている皇女はというと、しばし自分の置かれている状況を把握するのに時間を要していた。

 彼女は一度体を硬直させたかと思えば、ガタガタと大きく震えだし、ついには腰を抜かして立っていられなくなってしまった。じんわりとローブに染みが広がってゆき、液体が足をつたって地面に滴っていく。


「ひっ! あ……ああ……や、やめてください」

「あっ、ちょっ!? 汚いですわ! ほらちゃんと立って、もう!」


 結果的に全体重を預けてきた彼女を、パロンはなんとか必死に支えてみせる。

 そんな周りの様子をみて、ヴェニタスは弓を構えたまま、平然と疑問を呈した。


「いいのか? 死体の処理が面倒なのは間違いないが、普通は近づくことも許されないアビス教国の象徴をこの場この時に消しておけるのは、俺達の国としてはこのうえない利益だと思うが」

「ふん、利益であることは否定しませんわ。でも、消す選択肢が貴方には“殺す”しかないんですの? それって、とっっても野蛮なことですわ」


 パロンは馬鹿にするように、わざとらしいため息をつくと、今度は近衛の方へと優しく語りかける。


「本物の皇女様とその近衛さんには、わたくしが2つの選択肢を与えてさしあげましてよ。――ここで死ぬか、二人で駆け落ちして国外へ出るか、選びなさいな」

「ちょっと待て、な、何を……僕らに生まれた国を捨てて出ていけというのか!?」


 それはエヴァンスにとって到底看過できないことであったが、想い人の首元が狙われている事実が目の前にあっては、何もできずに拳を強くにぎるばかり。


「あら、じゃあその国にいいように使われてきた可哀そうな皇女様も、お国のためにここで死ねといいますの? ああ……ひどい人、この子はこーんなに怖がっているのに……ほうら」

「ひぃ! や、やめて……」


 うっすらと笑みを浮かべると、パロンはその尖った指先で、皇女の白首をなぞった。彼女は恐怖で弾けたようにひくつき、着ている黒いローブの染みが、更に広がっていく。


「やめろ! リリーア様を離せ卑怯者め!」


 彼は怒りの声を上げるが、パロンは全く怯える様子がなかった。それどころか、彼女はちょっと楽しそうに目をキラキラさせていた。


「じゃあ、逃げてお城に帰ります? 帰ってそれで、皇女様が婚約しているヴェルニュア国のドレイン王子でしたっけ? その方に、こんなに可愛い皇女様をあげちゃうのかしら?」

「そ、それは……」


 近衛兵は目を伏せ、言葉を濁した。人質にとられた皇女の方も、はっきりとしない彼の様子を見て、落ち込んだように黙り込んでしまう。その反応を確認したのち、


「うふふ、ですから、わたくしがお手伝いしますわ……“変化”」


 パロンは皇女を捕まえながら囁くと、彼女の背中から新たな腕が二本生えた。

 各々が調子を確かめるように、手のひらを閉じたり開いたりしている。皇女は、またもや叫び声を上げる。


「ひ、ひいっ!」

「ああ、御心配なさらないで、そういう魔術ですから。でも便利でしょ?」


 そう言って、もとの二本腕で皇女を拘束したまま、背中の一本が自身の懐から紙と首飾りを取り出す。

 今度は残り一本の手先をペンに変える。器用に何かを手紙にさらさらと書き記し、折りたたんだ。そして、自らの腕に抱える皇女の眼前へと、手紙と首飾りを差し出す。


「この手紙と首飾りをもって、帝国のナインテイル領に向かいなさい。そこで衛兵にこれらを見せれば、中に入れて匿ってくれるでしょう」

「て、帝国? なにを……おっしゃっているんですか?」


 化け物じみた四本腕の様相に首元へ刃を当てられながら言われては、皇女はいくばくも安心できない様子。荒事で有名な国を思い浮かべ、絶望気味に言葉を絞り出した。


「あら? 別に難しいことを言ったつもりはなくてよ? わたくしの領地で匿ってあげるから、そこで式でもなんでも挙げて、隠れて二人平和に暮らしなさいと言っているの」

「ですから! 帝国の人が急に匿おうだなんて、なんなんですか! そもそも貴方達が何者かすら分からない! どうして私と同じ姿をしているんですか、気持ちが悪い!」


 皇女は再び偽物の姿を上から下まで凝視し、想いの丈をぶちまけては、この状況下で言いすぎてしまったかと、その身を震わせた。

 しかし、その心配は杞憂に終わったようである。彼女は背後でみょうに納得したように頷いていた。


「あ、それもそうですわね。じゃあ、教えてあげますわ」


 パロンは小さく“変化”と呟くと、彼女の頭に狐耳が、そして臀部にふさやかな尾っぽが生えた。顔の造詣は鼻先がつんとしていき、少しずつ本来の形へ、もとの狐の獣人に近づいていく。


 もとの姿にもどると、彼女は一度その金髪をかき上げ、これが言いたいのだとばかりに、にやり笑って堂々と宣言した。


「わたくしは帝国領のナインテイル家が一人娘、パロン・ナインテイルですわ! わたくし達は帝国のある部隊員で、今回はとある任務で教会に用があって、ここにきておりますの!」

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