★3-12:殺意溢るる早朝に

「わ、わたくし達……仲間ですわよね?」


 パロンは不敵な笑みを浮かべる彼女から、じりじりと距離を取る。危険な気配は徐々にその濃度を増していた。

 するとユファの方は、気に入らないように眉を歪め。


「はあ? なに勘違いしてるんだよ、お前。その辺の派手な毛虫風情が」


 獣人の血がついたナイフをくるりと回し、そんなことを言う。


「荒事は控えませんか……? ヴェニタスさんも、この場に居られることですし……」


 パロンは冷や汗が止まらなかった。

 更に後方へと下がりながら変化術を使い、切り落とされた手首と薬指を生やして自分の体を治すことに注力していた。不穏な雰囲気になってきた以上、なるべく万全の状態でありたいの彼女の心境であった。


「……ん? ああ、そういうことか。くく、そりゃあ残念だったな」


 ユファは何か納得したように、にやりと口角を上げた。


「ヴェニタスはここにはいないぜ」


 勝ち誇ったようにニヤついたまま、近場の椅子に近づいた。

 そして、椅子の上にあった、軍服の上着に包まれたものをひっ掴んで、ばさりと上着を取り払う。


「あ……嘘……」


 パロンは衝撃に目を見開き、後悔に唇を噛んだ。

 人を騙すことに長けていると自負していた分、どこか油断していたのかもしれない。自分が騙されるわけがないと。だが、あまりにも安易な方法で謀られた。パロンは彼の居場所から、一時たりとも目を離してはならなかった。今となっては、もう遅いが。


 ――彼女の上着に包み隠されていたのは、パロンの思い描いていた独眼の達磨男ではなく、何の変哲もない、ただの枕であった。


「そ、そんな……じゃあ彼は、今……どこに……」

「倉庫だよ。ふふふ、ほんと困るよなあ。あいつ、僕が誰かを殺すところを見ると、悲しそうな顔をするんだ。だから面倒だけど、一芝居うたせてもらった」


 ユファは、黒シャツの上にその軍服の上着を羽織った。そこには先日まで包まれていた男の残り香がまだいくらか残っていたようで。彼女は襟元の匂いを嗅ぐと、嬉しそうに目を細めた。


「ふふふ、きっと僕のことを、気にかけてくれてるんだ。ほら、お前みたいにどうでもいい奴のせいで、僕の手が汚れてしまわないようにさ。えへ、えへへへへ。そんなこと気にしなくてもいいのに。だって、あいつのためなら僕はどんなに汚れたって構わないんだ。望むことは、なんだってしてあげるんだ。……髪以外のことはなんだって」

「そう……ですか。では、すぐに彼の所に行きましょうか。一人にしては危険ですわ」


 目の前の死神女が気色の悪い笑い方をしながら、殺意をまき散らしてユラユラ近づいてくるのを見て、パロンは心臓が縮み上がるような気持ちだった。


「その心配はいらない。すぐに終わらせるさ」

「……わたくしを殺す気ですの?」


 だとすれば、自分には万に一つの勝ち目も無いのではなかろうか。重症覚悟で逃げ切ることすら、困難を極めるのだから。


「殺す? ……ふふ、馬鹿言うな。僕が誰かを殺すわけないだろ? お前なんて僕が手を下すまでもなく、適当に、雑に、気が付いたらぐちゃぐちゃに野垂れ死んでいるんだよ。ほら、さっきのネズミみたいにさあ」


 そう言って、一拍、音が消えた。

 直後、少女からとは思えぬ程の気迫が、つんざくほどの狂気が、ビリビリと空間を痺れさせ。

 あまたの黒い光が一斉に浮遊し、部屋中で殺意を纏って激しくぎらつく。


「だから……さっさと死ねよ馬鹿狐……!」


 不気味に黒く光るその一つ一つが、着弾必死の魔術であり、パロンを狙う無数の弾丸となって飛来することは、明白であった。


 ―φ―


「ははははははは!! ほらほらほらほら! 当たれば死ぬぞ!」


 数十丁ものマシンガンから同時に発射し続けているかの如き、黒い魔弾の雨あられ。死神は絶好調だった。


「ああ、腹立たしい!」


 逃げる獣人は爪を噛む。存分に追いつめられていた。激しく飛来し続ける“死”を、変化を使って体の形状を変え、器用に回避し続けるのに精いっぱいで。凄まじい勢いで飛ばされた魔弾によって飛び散った木やガラスの破片が、彼との想い出の衣装を穴だらけにしていた。


「腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい……!!」


 ふざけている。何もかも理不尽だ。この世は不公平だ。

 恐ろしき魔弾、巻き上がる破片や粉塵が渦巻く中、歯ぎしりする。

 圧倒的な実力差。簡単にくつがえるものではない。

 立てかけられたテーブルを盾に隠れ、肩を大きく上下させしながら、パロンは息を荒げて状況を把握しなおす。

 部屋の壁には既に無数の弾痕、ひゅうひゅうと音を立てて外気を取り込んでいる。空いた壁の向こうから、のどかな外の景色が垣間見えて、遠く離れた城を思い出す。


「せめて、隊長格クラスの仲間が居れば……」


 それくらいは必要だった。自分一人では、戦い方に多少の工夫を凝らそうとも、あの常軌を逸した戦闘センスの前にはあっけなく無為に帰してしまうだろう。

 こうなると、今からでも尻尾を巻いて逃げた方がいいか。一瞬、脳裏をそんな考えがよぎったが、すぐにそんな考えは消え失せた。どの方法、経路を選んでも、自分の逃げる速度では、容易に追いつかれて殺されるだろう。彼女が生き残れる可能性は、限りなくゼロに近かった。


「……は、ははははははははは! はははははは! ああ、この世はなんて理不尽なんでしょう」


 だからこそ、パロン・ナインテイルは死を覚悟した。死を前提に、戦うことにした。恐怖を絞り出すように、声を上げて。


(殺されるなら、この女を可能な限り苦しめてやる)


 覚悟を決めて拳を握りしめると、丸テーブルに隠れたまま、いそいそと漆黒のドレスを脱ぎ始めた。


「なんだ突然? 追いつめられて、ついに気でも触れたか?」


 一方で、隠れ潜んだ彼女に向けて、いまだ死の魔術弾を放ち続けるユファは、随分と楽しげだった。パロンを外に追い出そうと、煽りに煽っていく。

 そして、ついにテーブルから人の影が現れると、ユファは好色な笑みを浮かべて、黒く点滅する指先をそちらに向けた。


「へへへ、やっと出てきやがったか。じゃあな、馬鹿狐」


 しかし。


「……あん?」


 そこに立っていた者は、獣人とは異なる姿をしていた。


 彼女の予想とは違い、テーブル越しに出てきたのは獣人ではなく、ユファも良く知る独眼の男であった。

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