★3-4:おしおき

 ――数日後の夜更け。


「んっ……ふぅ……っ」


 一人の獣人が隻眼の男の顎を強引に掴み、自分の舌を相手の口へと差し込んで、口腔を無理やりに犯し続けていた。

 当初ベッドの上に整えられていたシーツや布団は、いまや彼女の熱心な活動の余波で滅茶苦茶にされ、しわくちゃになってベッドから遠いところに転げ落ちている。

 周りの光景など気にする様子もないのか、貪り食うように絡みつきながら、パロンは不満げに声を荒げる。


「はぁ、はぁ……どうしたんですか? 反応が薄いですわ! もっとちゃんと、気持ちを込めてこちらを見てくださいな! ほら、ほら! どうしたんですの!?」


 肢体をヴェニタスの上でうねり狂わせつつ、爪の引き出された手で彼の腰元を掴んで大きく前後に揺さぶる。行為に伴って、彼の側部が無数のひっかき傷で血だらけになっていく。


「どうしたじゃないだろ……」


 ヴェニタスは目を覚ましていたが、連日の攻めに疲れ切っているためか、その瞳には諦めが入っていた。それでも、もはやパロンに自分の言葉が響かないと分かっていながらも、彼は唯一できる抵抗として、表情と言葉で拒否の意思を伝え続けていた。


「もう……そういうことはやめろ――うぐっ!」


 言葉の途中、ヴェニタスは自分の胸部に訪れた突然の鋭い痛みに、苦悶の表情で呻いた。

 首を傾けて確認してみれば、一向に構ってもらえないことにしびれを切らしたパロンが、鋭く尖った爪を彼の胸板に深く刺しこんでいた。


「そういうことってなんでしょうか? 具体的にお願いしますわ、具体的に。ハッキリと」


 どこまでも楽しそうに命令するような口調。

 ご機嫌な声の主はごくりと唾を呑み、深く息を吸って、切なそうに熱を吐く。

 そして彼女はヴェニタスの下腹部に向けて、か細い指先を伸ばしていく。流し目でその先が到達するのを凝視している。


「やめろ、暑苦しいんだよ」


 指先が触れる寸前、ヴェニタスは冷たく告げた。

 きょとんとした顔で、パロンは動きを止める。


「あら? もう夏ですもの、それは仕方のないことですわ」

「そうじゃない! 近すぎるって言ってるんだ、離れろ!」

「ふふ。やーですのー」


 都合の悪いことは適当に聞き流す。

 彼女には、そんなパターンができあがっていた。可笑しそうにくすくす笑うと、ヴェニタスの下腹部を強く手のひらで撫でさすった。

 その瞬間から、彼の背筋にぞくぞくと、悪寒が走る。体中から脳へ不快感が押し寄せ、拒否本能が抵抗しようとする。ヴェニタスは思うまま、ありったけの声で怒鳴った。


「離れろと言ったんだ! 俺に触るな!」

「……ええ? なんて言いましたか? よく聞こえませんの」


 獣人はピタリと動きを止めた。しかし、様子を見るに彼の声に怯んだわけでもないようだった。

 それもそのはずだろうか、彼女による過剰な管理が始まってからというもの、実に4日が経過していた。こんなやりとりも、既に数回あった。

 これまでは、ヴェニタスが叫べばその声量に驚いて、耳の良いパロンは距離をとらざるを得なかった。しかしもういい加減に学習してしまったのか、いまや彼女は馬乗りになったまま、目を細めて彼を小ばかにするように微笑んでいる。

 言いたいことがあるならどうぞ、と言わんばかりに。


「っ……! そもそも、俺の体は本当に治るのか!? たんに俺を弄ぶために生かしているわけじゃないだろうな!? あれから全く、俺は自分の体が回復しているようには思えない!」


 少なくとも彼の外見は、良くなっているどころか明らかに悪化していた。

 体のところどころに残された彼女の噛み跡、爪痕。これらはヴェニタスがパロンに拒否の意思を示すたび、拷問ともとれるような仕打ちを繰り返し受けていた証でもあった。

 爪もすでに数枚が剥がし取られ、指の肉が痛々しくさらけ出されている。


「ぅう……そんな言い方は……あんまりですわ。わたくし、ちゃんと治しきるつもりでしたのに……ひどい」


 パロンは三角耳を力なく垂れ下げた。

 そして、おもむろに手を、その鋭い爪を、彼の首に添えた。


「ねぇ、わたくしが無償の愛で、付きっきりで看病しているんですのに、どうして分かってくれないんですの?」

「ぐ……ぐああああああっ!!」


 どろりと粘つくような声で語りかける彼女は、がりがりとヴェニタスの首肉を削り取って、痛々しい爪痕を残していく。その抉られた道筋に、血がじわじわと滲んでいく。

 パロンは、息も絶え絶えに苦渋の顔を浮かべる彼を、じいっと見据える。そして歪に口角を上げた。


「貴方が悪いんですからね? もう何日も経っているのに、全然分かってくれないんですから。貴方の理解の悪さには困ったものですわ。もっともっと、おしおきを厳しくしないといけませんの」


 手を口元まで持ち上げると、爪の隙間に削りたまった彼の赤い血肉を、桜色の舌先で器用にほじくって舐めとった。口端に血色を少し残して、じっくり味わうように目を閉じた。

 彼の肉をこくりと飲み込むと、綺麗になった舌をチロリと出して、悪戯っぽく笑う。


「美味しい」


 人肉を喰らった感想を述べては、頬を勝手に紅潮させていく。


「そうですわ、貴方の腕と足、わたくしが食べてさしあげましょう」

「ば、馬鹿かっ!? どうかしている! 落ち着いて考えろ、どうして俺を食うことになるんだ!」

「どうしてって……」


 慌てふためくヴェニタスの言うことが、パロンは本当に理解できないようで、小さく首をかしげていた。


「なっ……まさか、お前……本当に俺を喰うつもりなのか……」


 彼女のふとした仕草の何もかもが、追いつめられた彼の心をすり減らし、殺していく。


「貴方だってわたくしの髪を食べたじゃないですか。おあいこですわ」


 彼女の獣じみて歪んだ目が、けして冗談を言っているわけではないと、告げている。


「髪はまた生えてくるが、腕と足は、食ったら取り返しがつかないだろうが!」

「別にいいじゃありませんか。仮に治らなかったとしても、わたくしが一生傍でお世話しますわ。ふふふ」

「ば、馬鹿な……」


 どれだけ叫ぼうとも、睨みつけようとも、彼女は聞く耳を持たないようだった。ただ目を細め、彼を見てうっとりと頬を緩めている。


「おいしそう」

「やめろ……やめろ……! 今のお前は正気じゃないんだ! おい、俺の腕をみて涎を垂らすな!」

「ふふふ、怯えちゃって、かわいいひと。おしおきばかりじゃ辛いですか? じゃあ、仕方ないですわね。ほら」


 パロンが“変化”と囁くと、数束の眩い黄金の髪が、しゅるしゅると伸びていく。それは瞬く間にヴェニタスの頬まで伸び届き、彼女の香りを仄かに纏って顔を覆う。


「っ!」


 ヴェニタスの目が赤く染まり、目もとの血管がビキビキと浮き上がる。瞳孔は大きく開ききり、パロンの輝く黄金の頭髪から、熱い視線を外すことができないでいた。

 当の彼女は、彼からの強烈な眼差しを受けて、やや恥ずかしそうに頬を染めて、くすぐったそうに身をよじってみせる。


「あはっ! やっぱり! こうやって髪を綺麗に見せると、人が変わったようになるんですわね!」


 更に挑発するように、ヴェニタスに向けて自身の金髪をさらりとなびかせる。

 ヴェニタスは理性を総動員して必死に目線を逸らすが、まもなく我慢ならぬようにチラリチラリと彼女の頭髪へと向かってしまう。

 パロンはそんな熱烈な視線を受けて恍惚とした顔。


「ああもう、こんなものが好きだなんて、救いようのない変態ですわね! どうしましょう! わたくしが貴方を食べている間、ちゃんと反省してくださいね!?」


 そう罵倒しながらも、隠された宝物を見つけたように表情は嬉々としている。

 彼の思考にとどめを刺そうとばかりに美麗な髪をとめどなく増量してゆき、彼の顔を、上半身を、金色に輝く繊維で埋もれさせる。


「や……めろ……」


 妙に歯切れの悪い、ヴェニタスの言葉。視界はぐるぐると回り、彼の頭の中で理性と欲望の激しい戦いが繰り広げられているようだった。

 それは髪を振り乱し、相も変わらず蠱惑的な仕草で語り掛ける彼女によって、彼の抱いていた理性のタガが、崩れ落ちていく音のようだった。


 そんな彼が必死に絞り出した静止の回答は、パロンが求めるものでは無く。


「ふぇー? ふぁんて言いましたか? ふふふ。いただきまーす」


 パロンは肉付きの良い二の腕に舌を這わしながら喋り、ヴェニタスの表情を見ては憎たらしく笑みを浮かべ、そのまま彼の腕にがぶりと犬歯を突き刺した。

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