2-24:崩壊する雲上の聖域から

「が“あ”あ“ああああッ!!!」


 空間ごと叩きつけるかの如き勢いで振り下ろされた一撃は、不死鳥の、そのオリハルコンの硬度に匹敵すると言われている硬いクチバシに、ほんの少しだけヒビを入れた。


 しかし、剛腕を持つ彼が力の限りを尽くした成果は、たったそれだけ。

 ひと筋の切れ目だけだった。ほどなくして、苦労むなしく刀身は反作用で彼のもとへ跳ね返される。


 だが、彼はそれで終わらなかった。

 ヴェニタスはそのまま不死鳥の頭に着地する。


「あ“あ”ああ“ああ”あ!」


 喉が張り裂けんばかりに雄叫びを上げ、高熱を放つ足場に体を焼かれながら、もう一度、更に大きくアーチブレイド振りかざした。

 腕に血管が浮き上がり、筋肉が膨れ上がり、炎に刃が煌めく。


 強靭な意思の力で無理やりに体は動き、しなり、凄まじい速度で再び剣は振り下ろされた。


「ク“エ”!?」


 ガキリ、と音を立てて、またほんの少しだけ不死鳥のクチバシにヒビが入る。

 そしてまた、迷いなく剣は振り下ろされる。


 その凶剣はさながら諦めを知らぬ猪の如く、相対する者にとって絶望的なしつこさで何度も何度も打ち下ろされ、フェニクスの最硬を脅かしていった。


「グゲ!? がkjgkmghlkgj!」


 繰り返し訪れる激しい一撃にフェニクスの鳴き声は悲し気に歪み、その過程でクチバシが打ち砕かれていく。

 なおもまだ、その連撃は止まらない。


 そして――――

 ついに、その殺意は柔肉に触れた。不死鳥の最硬を超えて。

 無茶でひしゃげた剣はそのまま一刀。彼の剛腕に後押しされ、不死鳥の頭から首筋へ、首筋から内蔵へ、一挙に到達せしめる。


「グゲエエエエ!!!!!」


 断末魔の叫びをあげ、不死鳥の体が真っ二つに裂け、V字状になる。

 その巨大な肉の裂け目から、不死鳥が放つ高熱でも蒸発しきれないほどの血が噴出した。


「見つけたぞ! 悪魔像!」


 降りかかる赤黒い体液を大いに浴びながら、ヴェニタスの血走った瞳は不死鳥の肉中に目的の物を見つけた。

 そうしている間にも、裂け目を縫うように触手を伸ばし始めた肉の隙間へ、いそぎ腕を突っ込んだ。


「新入り、受け取れ!」


 その手につかみ取り、腹中から奪い取った悪魔像を、素早く背後へ投げつけた。


「ちょ、まってください!」


 呆然と彼の戦いを眺めていたパロンは、慌てて両手を伸ばしておいかける。


「とれたっ! ……って、熱っ、あつ!」


 彼女は両手でうまく挟み込んでキャッチしたが、その温度にお手玉のような扱いになる。


「それを持って、早くここから逃げろ!」

「あ……ではヴェニタスさんもこちらへ! 一緒に逃げましょう!」


 彼女は大きく翼をあおがせ、穴だらけになった石天井に向けて飛び立つ準備をする。


「ヴェニタスさん……? どうしましたの?」


 だが、彼はその場から動く様子がない。不死鳥の体から渦巻く炎の傍で、振り返ることもなく、床に剣を突き立てて寄り掛かっている。


「俺は……いい。一人で先に地上に翔んで降りろ」


 話す言葉の調子を聞くに、どうやら彼はいつもの精神状態に戻っているようである。


「え? どうしてですの? もう悪魔像も回収できましたし、逃げるだけ――」


 パロンは、今の彼なら変な絡み方をしてこないだろうと安心して近づいていくが、その途中でで、気づいてしまった。


「……ひっ!」


 突き立てた剣に寄り掛かり、苦し気に浅い呼吸をする彼は、全身に見るも無残な大火傷を負っていた。体中から煙をしゅうしゅうと沸き立たせ、肉の焼けた匂いを室内に供給し続けていた。

 加えて、体中にある、ひび割れた骨が見えるほど不死鳥に深く抉りつけられた生々しい傷痕。深々と刻まれたそれら一つ一つからは、いまだに激しい流血が続いている。


「俺はもう……“無理”だ。一人で城に帰還しろ」

「っ……ぁ……」


 そのあんまりな状態に、パロンは一時、息を呑んで黙り込んでしまう。

 それもそうだった。そもそも彼は、パロンを庇って不死鳥のクチバシを受けとめた時点で、既に死に体だった。そこに髪の毛による謎の変態的な作用で伝説の魔物を凌駕するような動きを無理やりさせては、体に無理が生じているに決まっていた。

 無事に済んでいるはずが無かった。

 あれで意識を失っていないだけでも、奇跡に近い。


「そうはいきませんわ! 一緒に帰りますわよ! ほら!」

「お前……」


 急ぎ悪魔像をドレスの胸元にしまいこむと、まともに歩けなくなったヴェニタスの腰に手を回し、翼を一生懸命に羽ばたかせて引き上げていく。

 そうしているうち、不死鳥の様子を横目に眺めてみれば、その体も元通りに治りつつあった。床に広がっていた真っ二つの体が、立体を取り戻し始めていた。


「もう出られますわ!」


 ついに天井の穴から堂内を出た。

 とたん、パロンは気づく。周囲で石の欠片が小刻みに跳ねている。


「な……こ、これって……」


 足場として魔術で構築されていた聖域の雲が、“ただの雲“になっていた。聖堂ごと凄まじい勢いで直下している。


「お、落ちてる!」


 はやくも聖堂は雲を突き抜けた。雲の下は雨が降っていたようで、雷と水滴が飛び交う危険な状況。

 高速落下に伴って上向きの風を浴び、建物を構成していた岩の柱や壁が、ふわりと浮き上がっては、遠い上空の彼方へと離れていく。


「い、行くしかないですわ!」


 風圧を受けて翼とドレスをはためかせながら、彼女は勢いよく飛び立った。

 空中で必死に翼を上下させ、なんとか嵐の中浮き上がる。


 しかし雨に濡れて翼が重くなり、上手く飛べない。ヴェニタスを腕に抱えていることも、飛行に悪影響を与えていた。

 彼は不安げに、パロンを見上げた。かぼそい声で、苦し気に告げる。


「新入り……もういい。さっさと俺を放り捨てて逃げろ。不死鳥がそろそろ再生しきるころだ。このままじゃ……追いつかれるぞ……」

「ヴェニタスさんは黙っていてください! わたくしがなんとかしますから!」


 パロンは根拠もなく叫ぶと、ぐらりぐらりと不安定に飛びながら、落下中の聖堂から羽ばたいて離れていく。

 そんな雷雨飛び交う状況下、ついにフェニクスも彼女らの後を追って、堂の石天井をガラガラと突き破って、完全復活した姿を現した。


「クエエエエエエエエ!」

「えぇ!? もう追ってきたんですの!? ……って、あれ?」


 パロンは警戒を強めてフェニクスの動きを注視しているが、一向にこちらを追って飛び立ってくる様子が無い。ただ堂の上に乗ってクラウチングし、憎々し気にこちらを睨みつけている。


「飛んで……来ない?」

「クケェエエ……」


 不死鳥は情けない声を上げながら、浮遊能力を失った聖域と一緒に海に向かって落ちていく。


「……フェニクスって、飛べなかったんですね」


 拍子抜けしたように苦笑いし、ヴェニタスに声をかける。


「あら?」


 返事は無かった。彼はもう既に気を失っていたようだった。

 しかし、その姿は見れば見る程無惨であった。体中が焼け焦げており、今は生きているのかすら怪しい状態だった。このままいけば、命を落とすことは間違いないだろう。

 パロンは彼の腰を引き上げている腕に、ぐっと力を入れる。


「随分と無茶をしましたわね……」


 そして、ヴェニタスの首筋に唇を落とした。


「でも、安心してください。これからは、わたくしが貴方を守りますから」


 熱っぽい笑みを浮かべると、彼女は翼をはためかせ、ゆっくりと地上を目指して降りて行った。

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