2-23:奥の手

「ちょ!? きゅ、急になにを!? え、ええええ!?」


 パロンは突然に抱き締められ、大いに慌てふためく。しかしそれに構うことなく、ヴェニタスは彼女の首元へ、さらに深く顔を埋めた。

 そしてそのまま、耳元でささやく。


「すまなかった……」

「え?」

「こんなに綺麗な君に気が付けなかったなんて……どうにも渇いてしかたがない、俺は君に飢えているみたいだ」

「な、ななななな何言ってるんですの!?」


 日頃そっけない彼の、いつもと違う妙に優しい口調。歯の浮くような言葉。謎の言動。

 このような特殊な状況でなければ、彼女はドン引きしてビンタの一つでもかましていたところであった。


「……良かったら、食べてみてもいいかい?」

「へ?」


 パロンが困惑している間にも、ヴェニタスは血走った目で、よりいっそう頭のおかしいことを言い始める。


「た、ったたたたたた食べる!? わ、わたくしの髪の毛を!? い、いや、その……流石にそれは……」


 しかしながら、彼女は当の本人に、ここに至るまでに唇を奪われたほか、命を救われるなど諸々あって、今はまともな言葉の受け取り方ができなかった。


「貰うぞ」

「え……ちょ!?」


 そうして上手く拒否する間もなく、強く押し返す間もなく、パロンの髪の一端はヴェニタスの口に含まれた。


「あ、ああ……ほ、本当に食べ……てる」


 彼女は横目にその行動を見て、心臓の拍動が早鐘のように速まっていく。

 その事実に気付くや否や、パロンは湯気が噴出するかのように、顔が熱くなった。

 思考がぐるぐると渦巻く。

 こんな非常識なことをされて、胸をときめかせるなどと、自分はどうかしている、と。


 だがその一方で――、

 自分の奥底で眠る、酷くどす黒い感情を、彼女は自覚してしまった。

 とめどなく沸き、血管を通して体中に巡り狂う不明の熱情。

 耳元で髪を一心に咀嚼する彼を、光彩の無い瞳で、ぼんやりと見つめていると、心中から延々と、甘く粘ついた思考が溢れてくる。

 彼女の理性は、どっぷりと浸ってしまった。


「あ、ああ……」


 そう呟いてから、どれだけの時が経ったか。ゆらゆらと部屋中に舞う火の粉が一つ、彼女の手の甲に触れた。


「あつっ!」


 高温の接触に、パロンは弾かれたように意識を取り戻した。そして、この現状を思い出し、慌ててヴェニタスをしばきはじめる。


「あの、そんなことをされている場合では……ほ、ほら! フェニクスが意識を取り戻したみたいですわ!」

「ん……?」


 必死に彼女が指し示す方を振り返ってみれば、言う通り、頭をぶんぶんと振り回して意識を取り戻そうとしている怪鳥の姿がすぐそこにあった。瞳はまだチカチカとしているようだが、聞こえる騒ぎ声を頼りにしているのか、見事二人の方を向いている。

 相変わらずの憎悪を顔に浮かべ、ドタドタと足元もおぼつかぬまま、前のめりになりながら突進してくる。


「クエエエエエ“エ”エ“!」

「ま、また来ますの! はやく逃げましょう!」

「ちい……」


 不服そうに顔をしかめた彼は、渋々とパロンをその腕から解放した。そして、フェニクスに負けず劣らずの憤怒を表情に示す。


「邪魔だ!」


 たった一言のシンプルな意図を不死鳥に伝えたかと思うと、並み外れた跳躍を見せた。

 そのまま不死鳥の首へと、彼自身が飛来する。

 そうされて驚いたのはフェニクスの方。その傷でまさか突撃してくるとは。


「グェ!?」


 途端、巨大な首が上空へ斬り飛んだ。高速で空中を回転する、とさかの頭。

 それが“どてん”と地面に跳ね落ちたかと思うと、すぐさま不死鳥の首元から新しいものがニョキニョキと生え始めていた。

 ヴェニタスは我慢ならぬように吠える。


「また再生か、鬱陶しい! 腹の立つニワトリだ!」


 青筋を浮かべるヴェニタス。そんな彼はいつのまにやら、自分の慣れ親しんだ得物“アーチブレイド”を拾い上げていた。高熱に当てられたその武器を持つ彼の掌からは、肉が焼けた蒸気を放たれ、持ち手に触れている部分の肌は爛れていく。

 だがその手を離すことは無い。いまの彼は熱さというものを、まるで感じていないかのように、アーチブレイドの柄をよりいっそう強く握りしめた。


「しっ…………行くぞ!」


 一つ息を吐くと、石床を強く蹴り出し、前へ勢いよく突進した。

 その速さを維持したまま怪鳥と交差し、再生したばかりの首を瞬く間に斬り飛ばす。


 首を落としたのは早くもこれで三度目。

 残った胴体は、何度も切り刻まれて痛くてたまらんとばかりに、羽、尻尾、残る全身を使って大いに暴れだす。

 それをヴェニタスはいずれもギリギリで躱しきり、更に懐へと飛び込む。


「なるほど、死なないとはいえ、痛みはあるようだな」


 煽るように笑みを浮かべた。

 そして不死鳥が放つ死に物狂いの乱舞を回避しつつ、ヴェニタスはがむしゃらに剣を振るう。

 攻撃を、何度も何度も繰り返す。

 燃え盛る嵐の中で、斬って、寸前で避ける。飛び込み、噛みちぎり、突き破る。そしてまた、ギリギリで避けて、一気に肉薄する。体が焼けても、退くことが無い。


 肉片が塵芥のように細切れに飛び散り、血潮が飛び散り、蒸発する。とうてい脳の処理が追い付かない速度。剣が灼熱に照らされ輝き、あちこちに光をはじき返す。


 およそ人の次元ではたどり着けない抗争に攻防の切り替えはなく、ひたすらに彼の“攻”があるのみ。だというのに、その動きは途轍もなく洗練され、速さに任せた直線的な動きは一手たりとも存在しない。


 ときおり彼の横腹に不死鳥の尻尾が直撃するが、条件反射すら起こさない。痛みそのものが美髪への渇望の奔流にシャットアウトされて、僅かにも引くことがない。

 五臓六腑に衝撃が伝わり、脇腹の骨にヒビを刻み込もうとも、高熱で肉が焼け、変成しようとも、彼は自暴自棄な戦いの態度を変えることは無かった。

 その獣じみた戦い方に華麗さはなく、ただ狂気と赤黒い血がひたすらにつきまとっていた。


「クェ……クエエエ……?」


 その異常性はかの伝説の魔物にすら混乱を引き起こした。

 あろうことか、足をすくませていた。

 死を覚悟した存在の強さに理解が及ばず圧倒され、怒りの対象から恐怖の対象へと、その感情の色が無惨にも変わり果ててしまっていた。


「す、すごい……」


 離れたところから、パロンはそのヴェニタスの姿を見ていた。

 彼女はようやく――長らく感じていた違和に納得がいった。


“彼がいままで、あまりにも弱すぎたのだ”


 あの史上最悪の魔術師『ユファ・クロリネル』を、あんな化け物をたった一人で三日三晩凌ぎきったような存在が、人の理解が及ぶ戦いをするはずがなかった。

 自分ごときが変化を使ってフォローできるレベルで、あるはずがなかったのだ。


 事実、さきほどまで彼は本気を出していなかった。まだこんな、奥の手を隠していた。

 彼の戦いぶりは伝説の魔物すら超越している。


「どうした」


 後ずさりを始めたフェニクスに合わせ、彼は走って距離を詰める。そして、近場に落ちていた矢。おそらくガーゴイルを撃ち取って、そのまま刺さり落ちていたものを掴み上げ、再びアーチブレイドにつがえる。


 即断速攻。


 弓が一度しなったかと思うと、フェニクスの目玉は打ち抜かれた。


「クケ“エエエエ!!!」


 目玉に矢が刺さったままの不死鳥は痛みと恐怖で廊下の方へと走り出す。

 この変態的かつ狂暴な人外から、一刻も早く逃げようとしていた。


「どこへ行く気だニワトリ」


 だが、その恐怖すべき存在は獲物を逃がさない。

 すぐさまに、剣を携えた彼の影が、不死鳥の頭上に現れた。

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