「先生パンクしちゃってるよ」

 とある高校に勤める女性教師、笹山祐葉(ささやまひろは、以下ヒロハ)は、二年○組で担当の国語の授業を行っているとき、いけないこととわかっていても職務である授業以外のことを考えてしまっていた。


「というわけで、ここで登場人物の心の動きは」


 チョークで黒板に授業内容を書いているが、ここに書いていないことを考えてしまっている。

 目の前の黒板にはまだまだ若手であるヒロハが一生懸命に考えた授業内容が広がっていっている。けれど頭の中ではまったく別のことが広がっていっていっぱいになりつつあった。

 どうにもならないその原因はわかっている。今このクラスで授業を受けている生徒が原因だ。


「この二人の関係性というものが主軸となっていて」


 それも二人。


 一人は鹿子透子(かのことうこ)。いつも真面目に授業を受けている、しっかりとした印象を受ける少女。制服の着こなしも校則をしっかりと守っていて、自分を含め教師から怒られている姿を見たことはない。髪はしっかりと黒く、肩より長い。


 そして教え子をこう形容して良いのかわからないが、美人だ。ヒロハからすれば正直自分よりも大人っぽくも見える。


 もう一人は姫早(ひめさ)みえり。たまに寝ていたりとそこまで授業態度が良好というわけではないが、他人の邪魔はしないタイプの少女。制服の着こなしは乱れ気味で、注意されているのをよく見る。ヒロハもたまに言う。なんとなく茶色っぽい髪を肩くらいの長さにし、毛先は遊ばせている。


 そして教え子をこう形容して良いのかわからないが、可愛らしい感じだ。年齢からするとやや幼く見えるのがそう思わせているのかもしれない。


 で、どうしてこの二人がヒロハの頭に広がってしまっているのかというと。


 ――この二人、デキているのでは?


 教師としてのではない。己の、ヒロハ自身の勘がそう思わせている。あの二人はそこまで仲が良いようには見えない。二人きりで会話をするところも見たことはない。同じグループにいるわけでもない。

 前まではその通りの、ただのクラスメイトという関係なのだとヒロハも感じていたが、ほんの一週間くらい前から何かピンときてしまったのだ。


 それが気になって気になって仕方がない。



 これは昨日ヒロハのこと。


「え? クラスにカップルがいるぅ?」


 ヒロハ含めた同級生四人の女性組でいつもの安い居酒屋で酒を煽っていたとき、酔いもあって話題にしてしまったのだ。

 ぐいっと中ジョッキのビールを放り込んで、ヒロハの隣の席に座るサコが続けた。


「そりゃ高校生だろ? いるに決まってんだろう、ヒロハー」


 同意同意まさに同意とばかりに、サコの言葉に三人が頷く。

 そんな風な反応が返ってくることはお見通しだ。梅酒のロックにちょこっと口をつけ、視線を合わせるのにやや気を張らねばならぬようになった視界で三人を見回す。


「女の子同士なの」


 びたっと時間が止まった。繁盛している居酒屋のがやがや感はそのままに、この四人の席だけそうなってしまった。しばらく経ってびっと指が差される。それは隣同士座るヒロハとサコに向けてだ。


「あんたらじゃん!」


 伸びてくるサコの手を弾き、ヒロハは言う。


「昔ね、昔」

「その割にはいつもあたしの隣に座ってんじゃなーい」

「うるさい、いつもそっちが座ってくるんでしょ」


 にへにへ笑うサコに対し、ヒロハぷいっとそっぽを向く。


「二人が付き合ってたのって、いつからいつまでだっけ?」


 その質問にヒロハはノーコメントで、代わりにサコが答えた。


「高校の二年から大学の一回生の冬までだねえ」

「違う、高校二年の夏から大学一回生の秋まで」

「細か。だいたい一緒だからいいっしょ」


 些細なことだがヒロハからすれば大きなことだった。きっと一生忘れることのできない時間。梅酒の氷がからんと、店のうるささをすり抜けて聞こえた。


「え、どっちから告ったんだっけ?」


 何度きかれたかわからない質問。というよりこの目の前の友人二人はわかってきいてきている。隣のサコはぐびぐびビールを進めて、横目でヒロハのことを見続けている。いやらしい視線で。


「私だけど何?」

「そしてフッたのもこっち」

「し、自然消滅的なやつだから……!」

「それにしてもお互い初めての恋人だったんでしょ? よくもまあ長く続いたねー」


 サコがヒロハを軽く抱き寄せ、きざな声を作った。


「ふ、お互いに良い関係を築こうと努力したから、さ」

「気持ち悪」

「辛辣……」


 思い出す。あれは高校二年生、夏休みの終業式の日。放課後の誰もいなくなった教室に二人きりになったとき。それまでよく遊んでいて、そのときもいつものようにくだらない会話をしていた。

 お開きになり明日からしばらく毎日学校で会えないと思うと、無意識にサコの制服の裾を握ってしまっていた。


 そこで一言、一言だけ彼女に告白した。

 そして彼女も一言、一言だけ彼女に返事した。

 それだけだったが二人は幸せな時を過ごした。


 現在はこんな感じの付き合いになっているが。これはこれで悪くなかった。気まずいときもあったがそれも乗り越えて、こんな風に話せるのだから。

 と、そこまでは良かった。そこまでは。


 今朝目覚めたらお互い裸でヒロハのベッドで目覚めたこと以外は。


 そう、ヒロハはデキているであろう二人へと意識を飛ばすことによって、そのことを忘れようとしていたところもあったのだ。だから授業に身が入らず、生徒からの誤字の指摘も反応が遅れた。


 ――なんでなんで!?


 酒に酔うのは日常茶飯事だ。だがこんなことは一度もなかった。それなのに一体どうしてこんなことに。

 ヒロハは混乱したが冷静に、冷静に彼女を起こさないようにして出ていき、今に至る。


 まったく覚えていない。だから一体どういう流れになってこんなことになったのか、色んなことが考えられてもうたまらない。と傾きかけたところでトーコとミエリを見てしまう。


 ――そうだとしたらどこまでいってるんだろう?


 生徒に対して何たる不純な思考。ヒロハは一生懸命に頭を振って、授業中の生徒たちが困惑し、


「先生パンクしちゃってるよ」

 などと声が上がる。


 ――しかし当時は思わなかったけど、これは不純異性交遊に当たるのかな。そもそも異性じゃないし。不純同性交遊? そもそも不純て何? 不純て?


 ぱちくりと目を覚まし、隣ですやすやときれいな肌を晒して眠るサコの姿。


 ――私のことかぁーっ!


 そんなことを繰り返しているうちに授業が終わる。時が流れていく。

 いつものようにいつもの時間に自宅のマンションの一室に戻ると、そこにはサコの姿があり、「よっ、おかえり」にかっと笑みが放たれてしまう。


「なんでいんの?」

「いやだって私鍵持ってないし。さすがに開けっぱで出ていくのはまずいっしょ?」


 テーブルには食事が並んでいる。がさつな彼女だがこういうのはしっかりとできる。むしろヒロハのほうがあまりうまくできない。


「まあまあゆっくりご飯でも食べながら話し合いましょうよ、ヒロハさん」

「ん、んん……っ」


 まるで講和のような、そんな話し合いが食卓で開催された。

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わたしたち恋人同士です? 武石こう @takeishikou

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