真鍋

 この夏休み、僕に鬼の友達ができた。

 まだ夜が明けないうちに車に乗り、数時間かけて祖母のいる集落に到着し、祖母に抱きしめられながらお菓子をたらふく食べて車疲れを癒した後、僕のような理由で来た見知らぬ数人の子供と一緒に川原で石投げをしていたら、いつの間にか子供の鬼が僕らと混じって石投げをしていた。

 子供の鬼のその恐々しい風貌が目端に入るや強烈な好奇が芽生えてしまい、ふとその風貌をまじまじと眺めた。背丈は小さく、肌は真っ赤で、髪は黒炎のようであり、頭の両端にはサイの角のような白い突起物があり、ぼろぼろの麻布を着ていて、表情は怒っているような悲しんでいるようなしかめっ面で、よくわからない寂しさがある。彼は挿絵に描かれる鬼そのものだった。

 異形の怪物が僕ら人間と混じっている異様な景色が目の前にあるのに、不思議と何の違和感も芽生えなかった。子供の鬼の、はあはあと息を切らしていてもなお素早い動作で必死に石を投げる様子は無邪気で楽しげであり、人間味をひしひしと感じ取れた。

 子供の鬼は僕の視線に気付くや石のように動きを止め、一瞬さっとこちらの顔をうかがった後、疾風が駆けるような速さで林の奥に走り去っていった。目に焼きついた子供の鬼のしかめっ面にあったのは、こちらに飛び掛って打ちのめそうとする意思ではなく、子供の鬼の計り知れない寂しさだった。どうせ君は僕をのけ者にするのだろう、もう石投げをしちゃいけないのだろう、分かったよ。そういう顔だった。僕は彼を寂しい人間なのだと思った。

 僕は何て無神経なことをしたのだ。石投げを誰よりも望んでいて、独り密かに楽しんでいた彼をこの川原から追い出してしまったのだ。僕というものは何て人の気の知らない人間なのだと悔いた。じんわりとした涙が頬をまっすぐ伝った。最早石投げに興じられるような気分ではなくなっていた。

 日が暮れ、祖母の家に帰った。涙を流す僕を見た祖母はすぐさまぎゅっと抱きしめ、そして背中にかかえた。

 祖母ならば僕の今の気持ちを判ってくれると信じており、今日の川原であった僕と子供の鬼とのやり取りと感じた所を話した。しかし祖母はわかってくれはしなかった。

「あの恐ろしい顔を見ただろう。鬼と付き合っていたら棍棒で殴り殺されてしまうよ。おじいさんは鬼に食われた。子供だろうと鬼は鬼なんだ。決して付き合ってはいけないよ」

 祖母は僕にいつものゆったりとした優しい声で、鬼が人間に今までどんな人間味に欠けた邪悪な仕打ちをしてきたかを語った。僕には祖母の話が遠い昔の物語に聞こえ、何も心に響かなかった。

 祖母は僕を慰めようとしてくれたが、僕は本当の慰めを見いだせなかった。僕はこの日ひたすら泣いていた。


 次の日、僕はまた川原に行き、見知らぬ子供に混じって石投げを始めた。暫くしてあたりを見回したら、案の定昨日見かけた子供の鬼がさりげなく僕らと混じり、寂しそうに、必死に石投げを楽しんでいた。

 僕は彼をここで遊ばせたいと望んでいた。彼がここで遊べればどれほど気が休まるのだろう。どれほど楽しんでくれるだろう。などと彼を見ながら思いを巡らせていたら、僕の足は彼に向っていた。

「ねえ君」と話しかける。

 彼は石のように動きを止めて顔だけをこちらに向け、二息の間僕の動きをじっと見つめた。

 僕が何もしないと知るや、また楽しげに石投げを始めた。しかしその石投げは今までのものとは違い、動作は大きく穏やかで力強くあり、全身から喜びを放っていた。人間にここにいていいのだと認められた喜びが行動からにじみ出ているのだろう。僕は嬉しかった。

「君は鬼かい?」

「うん、そうだよ」

 彼は僕の方を振り向かず、石投げをしながらそっけなく答えた。その声が確かに何ら変わりのない人間の子供のものだったので、僕は驚いた。

「人間を食べるの?」

「食べないよ。鬼は人間食べない」

「僕のおじいさんは鬼に食べられたんだ」

「そう。けど僕も家族を人間に殺された。悪い事した天罰なんだって人間が言ってた」

 こんな背丈の小さい子供が、自身の境遇をそっけない声で、さも当たり前であるかのように語っていた。涙すら流さず、石投げの動作にまったくよどみがない。僕は彼の抱いている現実に同情し、憤りを感じた。

「ねえ。僕って鬼だけど、悪いことしてないよね。殺さないよね」

「悪いことはしてないし殺さない。悪いことしても殺しなんかしない。だからここで石投げを楽しんでいいんだよ。悪いのは人間なんだ。君は本当に何も悪くない」

 彼にとって人間とは鬼という存在なのだ。人間に家族を無くされ、孤独を強いられ、それでもなお人間と混じって遊ばなければならない心境とはいかなるものなのか。なんてむごい現実を彼は背負い込んでしまっているのだ。――僕こそは彼の友達でいなければならない。

 一緒に石投げをした。周りの子供が時折彼の風貌を茶化し、その都度僕は彼の代わりに子供をしかった。彼の石投げの動作があまりにも元気に満ちているので、皆は彼を石投げの鬼と呼んだ。僕は石投げの鬼という呼び名が嫌だったが、彼は非常に喜んでいた。


 次の日も祖母に内緒で彼と遊んだ。また次の日も、そのまた次の日も遊んだ。彼は本当に楽しそうに遊んでいて、なので僕も本当に楽しかった。

 楽しい日々の中で考えた。彼は鬼という恐怖の存在などではなく、周りの子供達となんら代わりがない同じ子供だ。本に書かれた鬼という恐怖の存在は人間の怯えが生み出した幻想に過ぎず、真に鬼と呼べるものは怯えに取り憑かれて何かを必死で殺さなければならなくなった心そのものなのだ。祖母が僕にいつもの優しい声で鬼の非道さを語ったその時、祖母はまさしく鬼そのものとなっていて、彼の存在を殺してしまおうとしていた。祖母のような心持の人間がいるから人間と鬼との争いが未だ絶えないのだ。僕の心にも鬼はある。しかしそれは他人に向けるためにあるのでなく、自身の良心のなさや意気地なさに向けるためにある。僕も大人になったら、祖母のように自身の鬼を誤って他人に向けてしまうようになるのだろうか。


 実家に帰らなければならない日が来た。朝は彼と精一杯遊び、昼は車に乗って集落を出た。彼に別れの言葉は切り出せなかった。切り出そうとすると、心が酷く迷って、どうしても言うことができなかったのだ。彼は他の子供たちと一緒に遊ぶのだから、僕がいなくなっても辛くはないだろう。そう自分を納得させて、僕は車に揺られていた。

 抜け殻のようにぼんやりと車窓の外を眺めていた。心の底からよく分からない寂しい感情が沸き起こっていて、気が気でなくなりそうで苦しかった。あえて感情の原因について考えないようにしていた。ぼんやりと外を眺めることで気を紛らわそうとしていた。

 車が赤信号で止まった時、脇道の雑木林の陰りの中に彼を見つけた。彼はとても寂しそうな顔をして僕を見つめ、無言でぶんぶんと力強く手を振っていた。僕ははっとして、急いで車窓のガラスを開ける。

 信号が青になって車が動き始めた。僕は彼に向かって「ありがとう! また遊ぼう!」と叫んだ。後ろから「ありがとう!」と聞こえた。聞こえた途端いたたまれなくなり、車窓から顔を出して後ろを見る。彼が車道の明るみに出て、ひたすら大きく手を振っていた。彼のその頬からは確かに、涙の筋が夏の日差しを帯びて強く光っていた。僕は彼が段々と遠のき、見えなくなってからもしばらく車窓から顔を出していた。

 体を車に戻すや、心からあふれ出す何かを止めていたせきが壊れ、僕は大声で泣いた。友達との別れがこれほど辛いとは知らなかった。

 来年の夏休みも集落で彼と会うことができたなら、また蝉の騒がしい河原の常夏の日照りの中で一緒に笑顔で石投げをしよう。そして次の年の夏休みも、そのまた次の年の夏休みも、そのまた次の年の夏休みも、ずっとずっとそのようにしよう。僕は車に揺られながら、涙をぬぐいながら、こう心に思い描いていた。

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