第21話 勉強

さて、ついに月曜日の朝となった。私たちはみな五時半に起きて、それぞれに出かける準備をした。私は朝食と二人のお弁当を作り、涼ちゃんと真理ちゃんは順番に洗面室に入った。そして、念入りに髪を整えた。朝食をさっとすませ、私たち三人は一緒に出発することにした。涼ちゃんと真理ちゃんの学校では、毎朝9時半から礼拝がある。七時に出れば、充分間に合うだろう。

私は玄関で振り向き、涼ちゃんの真正面に立って彼女を見つめた。彼女と同じ目の高さまで身を屈めて、その大きななふたつの瞳を私はじっと覗き込んだ。涼ちゃんは緊張気味だった。私は彼女の両肩に、優しく自分の両手を置いた。

「涼ちゃん、真理ちゃんを守るんだよ。絶対に守るんだよ」私は涼ちゃんの両目を、じっと覗き込みながら言った。

「うん、わかってる」と涼ちゃんは答えた。真剣な目で、はっきりと。でも彼女は私の言葉に、さらに緊張の度合を高めたように見えた。

「やだあ、大げさだよ」と真理ちゃんは私と涼ちゃんの様子を見て笑った。とても先週学校で震えていた少女と、同一人物とは思えなかった。

七時台の総武快速線は、殺人的に混む。私がつり革を握り、小柄な二人は両側から私の腰からお腹のあたりに両手を回してしがみついた。はたから見れば、女子高生二人に抱きつかれる羨ましい中年男に見えたことだろう。しかし、実際の私は腰の痛みと戦っていた。背筋と腹筋を鍛え直さなければ。そうしないと、この通勤生活に耐えられない。

案の定、学校は初日から大苦戦となった。涼ちゃんと真理ちゃんは、そろって私と同じ21時に帰ってきた。

「ツラー」(つらいという意味だろう)

「ダルー」

二人は制服のまま、へたり込むようにダイニングルームの椅子に座った。口を半開きにして、放心状態だった。

「今まで休んでたんだから、人よりたくさん勉強しなきゃしょうがないでしょ?」と私は、キッチンで夕食の準備をしながら二人に言った。「でも、楽しかったんじゃない?」

「超楽しかったー」と真理ちゃんが答えた。さすが真理ちゃんだ。本当に強い。傷を抱えたままなのに。

「私は疲れたー」と涼ちゃんは言った。四カ月振りに登校してもクールだ。これも彼女らしい。

さて、これからひと仕事だ。私は夕食を食べながら、二人が今習っていることを科目ごとにさらっと聞いた。そして食べ終わったらすぐに、それを手帳に書き留めた。

「疲れてるんだから、早く寝るんだよ」と私は言って六畳間に退散した。私はすぐに、ノートPCを開いた。Amazonのサイトにアクセスし、涼ちゃんと真理ちゃんが習っている科目の参考書を片っ端から注文した。明日にはみんな届く。そして、これからの日々に備える。

私はあえて、高校生の参考書でも一番簡単そうな本も頼んだ。まず、基礎の土台を組まなくてはならない。基礎的な本ならば、高校三年生が一年かけて習うことを三十分で覚えられる。行きの電車の中で終わる仕事だ。

次に、試験問題に取り組む。これが、やっかいだ。大学入試の問題も、時代によって変わる。流行り廃りがある。流行歌と一緒だ。もちろん文科省も各大学も、いつの時代も知恵をひねっている。これが子供の学力を図る最善の方法だと信じて、試験問題を作っているのだ。それが時代とともに変わる。私は、最近の出題傾向を押さえる。

つまり、完全な試験問題はないということだ。それは、絶対的な本当がないのと同じだ。十九世紀の哲学者、ヘーゲルは「自分の意見こそ本当だ」と主張して譲らない人を、徹底的に否定している。二十世紀の哲学者、フッサールは「純粋客観は厳密な意味で背理」と言っている。絶対的な本当はない、という意味だ。今挙げた二人に、接点はほぼない。考えの組み立て方が全く異なる。フッサールは、数学者出身だった。彼はヘーゲルを読んでないと思う。

だが「絶対的な本当がない」という現実を、正確に理解して生きている人はこの世にほとんどいないだろう。会社でも、国会でも、家庭でも少しの意見の違いで私たちは言い争う。イデオロギーや宗教の違いは、さらに深刻な問題だ。彼らは自分の主義主張を絶対に譲らず、ついには武器を取って相手を殺してしまう。毎日のニュースを見れば、わかることだ。

では、解決策はないのか?私は紀元前四百年の哲学者、ソクラテスを例に挙げよう。彼の住んだアテネは、奴隷制の上でだが市民による民主主義社会が成立していた。だが当時のアテネは戦争に明け暮れ、徐々に衰退の道を歩みつつあった。過激な政策を主張する扇動者や、難しい言葉で屁理屈をこねくり回す評論家みたいなやつがゴロゴロいた。今の日本と、あまり代わりがない。

そんなやつらが、アテネのあちこちの広場で演説をしていた。今のテレビみたいなもんだ。ソクラテスはそいつらを見つけると、敢然と立ち向かった。議論をふっかけとことん話し合い、そいつの主張の矛盾を明るみにしてインチキ野郎どもをコテンパンに叩きのめした。もちろん、言葉で。そんなことを真夜中まで、酒を飲みながら繰り返した。そしてその日中に、相手と合意するところまで持っていく。

彼の主張はこうだ。「絶対的な本当はない。けれどそれでも、私たちは分かり合えるんだよ。それは、相手ととことん話し合わなければ辿りつけないんだよ」と。

ある問題を抱えている時、とかく私たちは自分の力だけで考えて解決しようとする。しかしそれは間違いだ。問題の答えは、同じ悩みを共有している、家族や、友人や、恋人や、会社の同僚や、商売の取引先の方や、争っている相手の心の中にしかない。だから、彼らと一生懸命話し合わなければならない。僅かでもお互いが納得できる点を見つけ、それを一個、また一個と積み重ねていく。それが、ソクラテスのやり方だ。

そしてさらに、次が重要なのだが、ある日ソクラテスと彼の論争相手は長い議論の末にお互いに合意にたどり着いたとしよう。ソクラテスもその相手も、満足して眠りにつく。当然夜が明け、新しい朝がやってくる。すると、状況は代わり、新しい事実が明らかとなり、昨日と異なる問題が私たちに降りかかってくる。事態は一変したのだ。昨日出した答えでは、もう今日の問題に対処できない。また、相手と話し合わなくてはならない。

ソクラテスは、このつらく厳しい現実を誰よりも自覚した哲学者だった。彼は言うだろう。「昨日の答えは、昨日の話だ。また広場に出かけ、今日の問題について話し合おう。昨日出した答えは捨てて、人々と話しあってまた新しい答えを出そう。それを繰り返すことが、本当を見つける方法だ」と。

だからソクラテスは、一冊も本を書かなかった。同時代の人々はたくさん哲学書を遺しているのに。彼は、時間の停止した言葉に興味を持たなかった。自分の思想は、自分の肉体とともに土に還って構わなかった。なぜなら、ソクラテスの死後の問題に、彼はもうみんなと話し合うことはできないのだから。筋は通っている。

今日私たちが彼を知っているのは、五十歳も年下の弟子、プラトンのおかげだ。彼は師匠ソクラテスを主人公にした対話篇(ドラマの台本みたいなもの)をたくさん書いた。それは、2400年の時を経て現在も残っている。ソクラテスは、どう思っているのかな?

なぜこんなことを長々と話したかというと、絶対的な本当がないこと、日々の解決策は周囲の人々と話しあって見つけていくしかないこと、これが理解できないと人生は果てしなく続く苦しみでしかなくなってしまうからだ。家族とけんかをし、恋人と言い争い、会社では上司や同僚と衝突し、社会ではあるイデオロギーや宗教に固執して、意見の異なる人々と対立する。そんな状況が極限まで悪化すると、殺人や戦争まで行きつく。

私は、涼ちゃんと真理ちゃんにそんな厳しい人生を送ってほしくなかった。社会生活とは、一言で言えば無数の自分と異なる他者と共存していくことだ。真剣に考えると、それは想像を絶する困難な作業だ。私は二人に、最短ルートでソクラテスのような考え方を身につけてほしいと思った。

そのためには、国語でも英語でも歴史でも、しっかり勉強しないといけない。知恵を身につけないと、この境地まで進めないからだ。基礎テクニックがないと、スポーツのゲームができないのと一緒だ。

ここまで考えて、待てよと私は思った。こんな偉そうなことを言っている自分は、どんな人生を送った?若いころの私は自説を曲げず、相手を怒鳴りつけてコテンパンに叩きのめした。もちろんボロクソに怒られ、自尊心を粉々にされたこともあった。そして私は、たくさんの人々に嫌われた。友だちもたくさん失った。ある友人が、私の知らないところで私をこう評したそうだ。「柿沢は、人を捨てる」と。僅かに残った友人が、私に教えてくれた。若いころの私は、短気だった。ヘソを曲げて、友人と口も聞かなくなった。だから多分、彼の意見は正しいのだろう。

それから私は、付き合ったたくさんの彼女全員に嫌われた。そして私は、今もたった一人だ。冷静に考えて、私の人生は「大失敗」だった。それは、ソクラテスのような振る舞いができなかったからだ。私はプライドが高く、容易に人の意見を聞き入れなかった。それが間違いだと気付いたのは、多分40歳を過ぎてからだと思う。あまりにも遅すぎた。全てが、取り返しがつかなかった。


だが今の私には、涼ちゃんと真理ちゃんがいる。二人は、私のことが好きだと言ってくれる。こんな私のどこがいいのか、私にはよくわからない。私にいいところなんてあったっけ?

私は小さく首を振って苦笑した。どうやら私は、いまだに自分自身をよくわかっていないのだ。この調子じゃ、これから先もダメだろうな。諦めるしかなさそうだ。

「拓郎、自分のことなんか放っておけ」と、自分が自分に行った。「今は、涼ちゃんと真理ちゃんのために戦え。明日は、燃えるゴミの日だ。自分自身を市役所指定のビニール袋に包んで、朝早くゴミ置場に捨ててしまえ。そして涼ちゃんと真理ちゃんの勉強に集中しろ」

よし、そうしよう。私はグソクムシくんではない。涼ちゃんと真理ちゃんのことを考えると、私の身体は持て余すほどのパワーで溢れる。アクセルを踏みっぱなしにし、タコメーターはたちまちレッドゾーンまで振り切る。

私は大学入試の、過去問題集に手を伸ばした。付箋を貼ったページを開き、そこに書かれた問題に集中した。線を引き、書き込みを入れ、どうやってこれを二人に教えるか作戦を練った。楽しい。本当に楽しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る