3章 その9

 細い道を通っていき、少し歩くと再び開けた場所に出た。そして、目の前に小さな小屋が現れた。その小屋には煙突があり、そこだけが石造りで、他は木製のようだった。

 ブランは小屋の扉を開けてこちらを振り返った。


「粗末な小屋だが……本当に粗末な小屋だが、どうぞ、入ってくれ」


 彼女は長い手を小屋の入り口にやって言った。


「それじゃ、あたしから入るね。二人は怖いなら後ろからついてきなさい」


 リュミエールはアランたちを煽った。アランはムッとして「あんまり馬鹿にするな」と小さな声で言って、彼女と並んで入っていった。ヨアンも二人に続いて入っていった。


 小屋の中は散らかっていて埃っぽい。端っこにはベッドがあるが、その傍らには何冊もの本が積み上げられており、少し押すとバラバラと崩れ落ちそうだった。二つの椅子と丸いテーブルが置いてあるが、片方の椅子には洗濯物らしき衣類がかけっぱなしで、テーブルには汚れた食器が置きっぱなしだった。床にも細々とした正体不明の物体がいくつも散乱していて、うかつに足を踏み入れると何かを踏みつけそうで危険だと思った。リュミエールが自分の部屋でこの状態を再現したとしたら、いくら温厚な父でも流石に怒られるだろう。

 とはいえ、他には調度品や薪、食料などがいくつか置かれているくらいで、特別おかしな物はなく、最初に彼女を見たときに想像した、浮世離れした『魔女』らしさは微塵も感じられない。

 唯一目を惹くのが、小屋の中央付近に置かれたイーゼル。キャンバスが置いてあるようだが、布がかけられており中を見ることはできない。その横には小さな丸太の椅子のようなものが置いてあり、その上に絵の具や筆、ナイフや油の瓶など絵を描く道具だけが大事そうに置かれていた。


「さて……君はリュミエール、といったね。名前に間違いはない?」


 ブランは小屋に入りながら言った。その言葉にリュミエールは反応して言った。


「ええ、その名前で合ってるよ。ちゃんと覚えていてくれたのね」


「よかった。私は滅多に人と会うことがないから覚えるべき名前は少ないのだけれど、そもそも人の名前を覚える、ということ自体を忘れそうになる。だからちゃんと名前を覚えておけるかちょっと不安でね。忘れなくてよかった」


 ブランは早口で言った。彼女は机の上に散らかっている何だかよくわからない小物を退けて、そこにランタンをゆっくりと置いた。ランタンの光がわずかに揺らめいた。


「そういえば、君は私に聞きたいことがあるのだったね。先日あったときはもう暗かったし、聞いている時間はなかったからね。半ば強引に追い返してしまってすまない。だが、今日はたっぷり時間がある。だからじっくりと話を聞こう」


「ありがとう、ブラン。あたしが聞きたいことはね——」


 リュミエールが言いかけたときに、アランが立ち上がって口を挟んだ。


「その前に、一つ質問してもいいですか?」


「……かまわないよ」


 ブランは気を落ち着かせてさっきより少しだけゆっくりと答えた。


「どうして、魔法も呪いもできず、殺したこともないのに『魔女』なんて言われているのですか。巷で言われている噂が嘘だとしたら、どうしてそんな嘘が広まっているのですか。火のないところに煙は立たない。何か理由があるのではないですか? 答えてください」


 アランは真剣な顔をして言った。


「アラン! ちょっと不躾すぎるんじゃない?」


 リュミエールはアランに向かってそう言ったが、アランは彼女に向かってこう答えた。


「俺はまだこの人を信用していないんだ。まず俺たちを安心させて、それから油断したところで殺したりするのかもしれないだろ。確かそんな手口の犯罪も昔どこかであったと聞いたことがある。リュミエール、数日前に会ったばかりの人をいきなり信用しきってしまうのはよくないよ」


 アランの目は疑念に満ちており、ブランのことをかなり警戒している様子だった。リュミエールは反論しようと口を動かしたが、彼女にしては珍しく言葉が出てこなかった。

 ブランは少し黙り、白い手で頭を掻きながら考え、やがて口を開いた。


「やれやれ。随分と怖がられているんだね。まあ無理もないか。噂の全部が全部嘘ってわけじゃない。そう思われるようになった理由はちゃんとある。まあ事実は覆しようがないからね。その理由が知りたいなら話そう。その警戒心を解くことができるかはわからないけど」


 ブランは一旦言葉を区切り、深呼吸してからまた話始めた。


「理由なんてないのさ。この見た目以外にはね」


 ブランは少しうつむいて答えた。そしてそのまま短く息をしてから話を続けた。


「理由なんて後付けしたに過ぎない。気に入らないものを排除するための口実としてね。私は身体が普通の人よりも白い。他の人とは少し違っているんだ。異質なものが排除されるのは世の常。仕方がないんだよ。きっと怖いのさ。異質な私が。これは一見合理的ではないように見えるがその実そうでもないようにも思う。周りと違うものを受け入れるのはリスクなんだよ。周りの調和を乱すというリスクだ。周りと違うということは、もしかしたらそれは病気の症状なのかもしれない。それが感染症だとしたら? もし私を受け入れることでその感染症が広まったとしたら? いや私自身はこれが感染症だとは思っていないよ。だけどだからといって感染症じゃないとは言い切れない。言い切れるほど確たる証拠はないからね。当事者たる私ですら、何故このように白くなってしまったのか、はっきりとした知識はないんだ。そして他人ならなおさらだ。この現象についての知識は皆無だ。だから、前もってリスクを排除しておくんだ。最初から排除しておけば、病気になることなんてない。余計なリスクを負わなくて済むんだ。そのために、皆で協力して私という異分子を排除した。そして、そのためのもっともらしい理由を創作して私を脚色した。排除に値する「化け物」としての価値を付加した。そこから生まれたのが『魔女』の噂だろうね。私が街に住めなくなった頃は魔法だの呪いだのという話はなかったのだけれど、いつの間にか尾ひれがついているようだ。とにかく、そうやってどんどん価値を付加されてできたのが今の私だ。化け物と人間が一緒に暮らすことはできない。だから人と接触することがないように隔離した。これがこうやって森の奥底で暮らしている理由。望まれるべくしてこうなった」


 ブランの語りは淡々としていた。彼女は人を恨まないと言っていたが、その口調には恨みがこもっているようにも感じられた。

 語り終えたブランは、ハッとしたようにうつむいていた顔をアランの方に向け直した。


「っと、また一方的にしゃべってしまったようだ。まあ理由はこんな感じだ。これで納得してもらえるとは思えないけどね」


 じっと彼女の話を聞いていたアランが、ゆっくりと口を開いた。


「あなたは、弁解しようとは思わなかったのですか? 自分が無害だと、化け物ではないと説明したりはしなかったのですか?」


 それを聞いたブランはふっと鼻で笑い、答えた。


「私の母親はずっと私の味方をしてくれた。なんとか私が人の中に溶け込めるように頑張ってくれた。だけど誰も耳を貸しはしない。最初から受け入れることを拒否しているのさ。リスクなんか受け入れる義理はないからね。無駄な努力だ。それでも、母親は最期まで私のことを思ってくれた。いつでも人の中に入れるように、言葉を教えてくれ、読み書きを教えてくれ、知識を教えてくれた。母親はやがて病に倒れた。医者に診せれば簡単に治るような病気なのに、「化け物」の母親だと言われ、誰も診てはくれなかった。私がこんな「化け物」でなければこのような最期ではなかっただろう。それでも私を愛してくれた。だから私も母を愛している。大勢に受け入れられなくてもその愛があれば私は十分だ。だから弁解なんてしなくてもいい。このままでいいんだよ」


 ブランはそう言うと、またうつむいた。質問したアランは彼女を見つめたまま何も言わなかった。

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