2章 その2

 アランは学校で席に着いて静かに始業の時間を待っていた。他の児童たちも座ってはいたが、隣の友達と私語をしていて少し騒がしかった。


「アラン、さっきから黙ってるけど、あなた友達いないの?」

「……これから授業始まるから、そろそろ静かにしような」


 彼は決して友達がいないから静かにしているわけではなく、隣にリュミエールが座っているから静かにしているのだ。彼女は教室中の注目を浴びるだけ浴びてからアランの隣に座って話しかけてきたので、彼までも注目を浴びてしまう羽目になり、居心地が悪い。。


 数分前、彼女が教室に入ってきたとき、アランは少しだけびっくりした。昨日リュミエールが同じ学校の同じ学年に転入することは父から聞かされていて知っていた。だが、同じクラスというところまでは知らなかった。彼女は慌てた様子でバンと音を立てて扉を開けたので、部屋中の児童が一斉に彼女に注目した。彼女はハアハアと息を切らしていたが、間もなく授業時間なので、きっと遅刻すると思って走ってきたのだろう。彼女は白い服を着ていたが、昨日のようにところどころ土で汚れていた。きっとどこかで転んできたのだろうとアランは推測した。

 リュミエールの登場に、教室は騒然としていた。突然汚れた服を着た見知らぬ少女が大きな音を立てて入ってきたのだから、注目されるのは当然だ。

 彼女は教室で彼の姿を見かけるなり、嬉しそうに「あっ、アラン!」と叫び、隣の席に座ってきた。「同じクラスだったのね!」とリュミエールは話しかけてきた。周囲の目線は彼女に釘付けにされたままで、そのまま隣の席に移動してきたことで、自然と彼も視界に入ってくる。「やっぱり知っている人がいると安心するねー」リュミエールは遠慮なく茫然と彼女を見ているアランにまた話しかける。

 そのうち、ザワザワと周囲からささやき声が聞こえてくる。「誰?」「見ない顔ね」「アランの名前を呼んだよな?」「あいつの友達?」「いや、もしかしてあいつの……」アランは自分自身も注目の的になっていることがわかって、恥ずかしい思いをした。教室の席は特に決まっていないので隣の席に座ること自体は問題ないのだが、今の出来事や昨日の事を思い出す限り、毎日刺激的な日々を送ることになりそうで、嬉しいような恐ろしいような微妙な気持ちになっていた。


 リュミエールはその後も矢継ぎ早にアランに話しかけていたが、今はあまり注目されたくないと彼は思っていたので、それを無視し続け、現在に至る。


 それから間もなく、先生が教室の扉を開いて入ってきて、ざわざわしていた教室が一瞬で静まり返った。彼はクロード先生といい、二十代後半から三十歳くらいの男性教師だ。黒縁のメガネをかけていて、一見して知的な印象がある。


「はい、おはようございます」


 クロード先生は教壇に立つなり教科書を教卓に置いて挨拶した。


「そんじゃー、早速授業始めるぞー。今日は教科書で言うと……」


 先生は見た目と違って意外と軽い、間延びした調子で話す。彼は一度置いた教科書

をまた持ち上げてページをめくろうとした。


「おっと、その前に、君たちに新顔の紹介だ。これが今日初めての授業だし、誰も紹介してないだろ? えーと……おっ、いたいた。そこに座ってる……えっと、リュミエールだっけ? 自己紹介してちょーだい」


 この学校では朝会のようなものは基本的にないので、授業前に全員集合するという時間はない。教科ごとに教室があり、児童は授業の時間割を確認して、時間になったら先生の教室に直接出向いて授業を受ける形式だ。そのため、この時間がクラスの皆との初めての顔合わせだった。


 リュミエールを見つけた先生は、手で起立を促した。リュミエールはそれに従って勢いよく起立した。


「はいっ! あたし、リュミエール・ブラジェと言います! セプテ村から来ました! 好きなことは野山で薬草や動物を探すことです! 皆よろしくね!」


 リュミエールは持ち前の明るい笑顔を振り撒いて、大きな声で自己紹介した。だが、自己紹介の直後、教室内が再びざわざわとし始めた。その反応は好意的なものとは言えなかった。


「セプテ村?」「どこ?」「田舎者か」「山に入るとか野蛮人?」「薬草探しとかウケる」「つーかなんか雰囲気ウザくね?」「生意気そう」「変な奴が来たな……」

 児童たちは口々にそのようなことを口走っていた。好き勝手言いまくる児童たちが作り出す教室内のムードは、彼女を歓迎しなかった。


 アランはリュミエールの様子を横から見た。この調子だと流石に彼女もショックを受けてしまったのではと心配になった。


「リュミエール、ここの連中はよそ者に対していつもこんな感じだ。だからあまり気にしない方が……」


 アランが小声で彼女をフォローした。彼女は手をわなわな震わせていた。

 その震えを見て、アランは「ああ、涙をこらえているんだ、かわいそうに」と一瞬同情しようとしたが、その直後に彼女は叫んだ。


「そんな……野山の魅力がわからない人がこんなにいるなんて! 予想外だわ! こうなったらあたしがこの魅力について教えてあげるしかないわね!」


 どうやらアランの取り越し苦労だったようだ。彼女自身は全くダメージを受けていない。心配して損した。


「わからないことがあったらジャンジャン聞いてね!」


 彼女は周囲に向けて自分自身を宣伝するように言った。


「はいはい、隣のクラスに聞こえてうるさいからそろそろ自己紹介終わったら座って。それじゃ授業始めるよー」


 先生はざわつく教室を鎮め、教科書のページをめくり始めた。


「えーと、今日の授業は、と……」


 教室内は再び静かになり、皆真面目に授業を受け始めた。クロード先生はノリが軽そうに見えて、怒るととても怖いのだ。そのため、私語厳禁。やんちゃ坊主も大抵この先生にはよく従う。

 その後の授業はとても静かで快適だった。正直一番うるさそうな隣のリュミエールも静かだ。何しろ一限目の、しかもクロード先生の授業なのに気持ちよさそうに爆睡している。まだ何も知らないとはいえ、初っ端から堂々と居眠りをする彼女の胆力は称賛に値するものだとアランは思った。

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