5話 命を懸けて君をたすく


 ※


「やはり裏切ったな」

 背中から剣を引き抜かれ、鋼牙は雪の上に倒れた。


 神喰の王は、無造作に剣の血を振り払った。そして縄をうたれたまま、放り出されていた満秀を見遣って、他の神喰に命じた。


「もう必要ない。殺せ」

 満秀はぐったりしている。いつもの気勢がない。


 考えるよりも前に、鋼牙は雪の上に手をついた。

 胸が背中が熱い。火を押し付けられ続けているようだ。冷たい雪の感覚もない。ただ、血が熱い。


 力の入らない腕でなんとか地面を押し返し、起き上がる。

 鋼牙は倒れ込むようにして、満秀に向けて剣を振り上げた神喰に体当たりした。体重をかけてぶつかった鋼牙は、ふいをつかれた神喰ごと倒れこむ。


「どういうつもりだ!」

 神喰が叫ぶ声がした。


 どういうつもりだ。自分でも分からない。

 地面に転がり、うめく唇から血が滴り落ちる。

 他に気を取られていた王が振り返る前に、鋼牙は四つ這いになって、なんとか体を起こした。満秀の腕を掴む。


「立て」

 引き起こしたいが、自分の体を支えるので精いっぱいだ。


 満秀の目が睨みあげてくる。どういうつもりだと、その目が言っている。

 ――そんなの、俺にもわからない。


 鋼牙に倒された神喰が立ち上がり、再び剣を振り上げた。今度は鋼牙に向けて。

 縛られたままの満秀が、転がるようにしてその膝に体当たりをする。音をたてて倒れ込んだ神喰が剣を取り落とした。


 なんとか立ち上がった満秀と鋼牙は、お互い支えるようにして足を踏み出した。


「殺せ!」

 声が追ってくるが、燃える門や板垣を、剣や槌で破壊し続ける轟音にかき消えた。

 鋼牙はよろめきながら、気勢をあげる神喰の軍の中へとまぎれこむ。


 ※


 咲織の姫は土塀のそばで立ち尽くし、神喰たちが板塀や門へ押し寄せるのを見ていた。

 塀の中で逃げまどう人を思って、体が震える。それに気づいて、咲織の姫は唇を噛みしめた。震えている場合ではない。


「お願い。わたくしを、凍つる桜のところまで連れて行って」

 拓深の腕を引いて、咲織の姫は言った。


「言うと思った」

 険しい顔で門を見ていた拓深は、振り返り、わざとらしくあきれた顔で咲織の姫を見た。

「あの神喰の群れを抜けて、争乱のただ中をくぐりぬけて、神垣の中心へ行けとは。会ったばかりなのに、無茶ばかり言う」


 分かっている。咲織の姫は息をつめて、うつむいた。

「ごめんなさい。でも、あなたしか頼れないの。わたくしは、行かなくてはならない。あの桜を燃やされるわけにはいかない。この神垣を守らなければならないの」


「謝るな」

 拓深は苦笑して、子供を慰めるように、咲織の姫の頭を軽く撫でた。

「逃げろと言ったところで、あんたは聞かないだろうしな。颯矢太ならともかく、あんたは目立つ。どうやって行くつもりだ」


 拓深には、少しの迷いも困惑もなかった。その自信はどこからくるものか。だけど今はそれがありがたかった。

 揺るぎのない拓深の目を見上げて、咲織の姫は言う。


「水路があるの。田植えの時期に、珠纒の中央から溶かした雪を流すものだけど、今は水を流さないから、そこをたどれば隠れて進めるかもしれない。板塀の下も通っているから、中に入れる」

「雪に埋もれてるだろう」

「だから彼らは気づいていないわ」


「掘りながら進めって言うのか、あいつらの只中を」

「神垣の内側の雪なら、かきわけるだけで行けるはずよ。そこしかないの」


 だけど、何の道具もない。

 見つかるかもしれない。やはり無茶を言っているとわかっている。


「行くのはいいが、あんたに何ができる。戦えるわけでもないだろう」

「それでも。行って、皆を助けて、神垣を守るわ」

 必ずできることがあるはず。


 板垣に押し寄せる神喰たちを見遣ってから、拓深は頷いた。

「しかたない。颯矢太や都波を放っておくわけにもいかないしな。場所を教えてくれ。俺が道を作ってやる」

 うなづいて駆けだそうした。拓深はそれを、腕を引いて止める。


「その前にひとつ、約束してくれ。あんたのために、俺の命を懸けてもいい。そのかわり、あんたも命を懸けてくれるか」

「もちろん、わたくしもあなたの陰に隠れているつもりはないわ。神垣のために命を懸ける覚悟はあります」


「そういうことじゃない」

 咲織の姫の反応に、拓深はおかしそうに笑った。


「首尾よく俺があんたの願いを叶えて、この争いをおさめられたら、俺のものになってほしい」


 あまりに率直な言葉にぽかんとして、巫女姫は拓深を見た。

 すぐ頬が熱くなるのを感じて、拓深の腕を解く。声をあらげた。


「このようなときに、何を言ってるの」

「こんな時だからだ」

「わたくしは、巫女です」

「俺はそういうの気にしない」

 拓深はあっさりと、不遜なことを口にする。


 二の句を継げずに、巫女姫はただ拓深を見上げた。

 拓深は少しの気負いもなく言った。


「なあ、相手の立場とか、俺の立場とか気にしていたら、トリはやっていられない。俺たちはいつ死ぬかわからない。少しでも共にいたいと思う相手がいたら、迷うことなく言うと俺は決めてる。だから、あんたが巫女姫だとか、俺がトリだとか、どうでもいい。あんたがどう思うかだけだ」

 旅に倒れるトリはたくさんいる。傷を負って旅に出られない者も、旅に疲れた者も。


 そういう者たちが、この神垣や日の宮にとどまっている。だから拓深の言いたいことは、わかるつもりだった。

 命を懸けて雪の国を行き、人々を繋ぐ糸になる。そんな彼らのことを、敬愛していた。


「わたくしは、神垣のためにあるの」

 咲織の姫は、はっきりと言った。


 かつて神々のいた頃、巫女は生涯身を清く保ったという。

 けれど雪に閉ざされた今のこの国では、巫女はいずれ人の群れに戻る。

 神垣に人は少なくて、子を少しでも残して、生き延びていくためだ。だから拓深は、こんなことを言うのかもしれない。


「わたくしが生まれたとき、神垣の桜が一斉に咲いたと聞いたわ。咲いた花や散った花びらが鮮やかな絵織物のようだと、皆がわたくしを咲織と呼ぶようになった。桜は、稲田の心霊サの御座みくら早降さおりは、サを降ろす者ということ。神垣の皆が、わたくしに、何を望んでいるかよく知っているつもりよ」


 ――くわし花の咲織の姫。


 神垣の人々は、桜の祝いの日に生まれた神秘の巫女姫を、実りをもたらす者として、現人神であるかのように崇めている。

 咲織の姫は、それを知っている。


 だからこそ、自分は清くあり続け、神垣のために尽くしたいと、応えたいと願っていた。

 そのように生まれついたのだから、そのように生きて、死ぬのだと思っていた。


 それを、里長は踏みにじろうとした。

 咲織の姫の意志も、神垣の皆の意志も、汲もうとしなかった。

 だから、憤りを隠せなかった。


 それでも。わかってる、と拓深はあっさりと言う。


「あんたが、この神垣を大事に思って、神垣のために、皆のためにありたいと思ってるのはわかってる。あんたのことを話す人たちの様子を見てたらわかる。そういうあんただから好きになった。俺はあんたが大事に思うものを守りたいと思っているし、誰かのものになったって、神垣のために働くことはできる」

 あっさりと言う拓深に、言葉が出なかった。頬が熱くなるのがわかる。


「たぶん、あんたに会うために、俺は雪人に生まれてトリになった。この国のどこにいても、探しに行けるように。ここに来たのは、あんたに会うためだ」


 拓深は少しも引かない。

 ただじっと咲織の姫の目をみて笑っている。

 それがなぜか悔しかった。


 何かを言わなければと思った。けれどうまく言葉にできない。

 咲織の姫はあえぐように言った。


「そういうこと、言い慣れているように感じる」

 拓深はおかしそうに笑った。


「そうかもしれないな。だが命を懸けるだけじゃなくて、生涯をもってたすけたいと思ったのは初めてだ」

 咲織の姫は眼差しをうけていられず、視線を地面に落とす。


 里長は、自らの望みのために、咲織の姫を傍らに置こうとしていた。

 あの時のような嫌悪を抱かない自分が、不思議だった。


 自分のものになれと言う里長と拓深の、どこが違うというのだろう。

 信念を固く持ち、揺るがない心は同じ。自信にあふれる態度も同じだ。

 ふたりとも冷静で、力強くて、頼りになる人だ。


「さあ、どうする」

 拓深は、咲織の姫に手を差し伸べる。

 騒乱の音を聞きながら、咲織の姫はその手を見た。


 遠慮もなく巫女姫に触れる人は今までいなかった。ひとつき前、里長が暴挙に及んだ以外は。


 トリと神垣の外に出るとき、はぐれないように手をとることはあっても、トリは姫が自ら手を差し出すのを待っていた。

 遠慮なく言葉を放つ人も、今までいなかった。

 神垣の人も、トリも、日の宮の雪人も同じだ。巫女たちでさえ。


 共に行こうと、手を伸べてくれる人はいなかった。


 皆が巫女姫を大事に扱ってくれたけれど、敬意と遠慮の内側に踏み込んできた人はいない。


 咲織の姫は、まっすぐに拓深を見上げる。拓深は、変わらず笑っている。


 そうだ。この好奇心に満ちあふれた瞳は、里長とは違う。

 そして――生涯をもって輔ける、と。拓深は言ってくれた。

 己の目的のために、奪おうとするのではなく。


 咲織の姫に毛皮を着せたせいで、拓深は無防備に見えるくらい薄着だ。

 寒さに慣れていたとしても、まわりに迫る脅威を思えば、不安になるくらい。それでも、命を懸けると言ってくれた。


 目的のために他者の犠牲を厭わない里長と、自らを捨てることのできる拓深は、あまりにも違う。

 それは咲織の姫のためというよりも、トリとしての務めをまっとうするためのことで、その意志は、自分と似通っているのを感じていた。


「約束はできない。わたくしは、この神垣の巫女だから」

 拓深が咲織の姫を見る目は、少しも揺るがない。

 そう言うと思った、と目が言っている気がした。

 だけど咲織の姫は、言葉を継いで言った。


「もし首尾よく運んだら、きちんと考えるわ。必ず」

 ああ、と応えて拓深は笑う。


「その言葉、忘れるなよ」

「でも、あなたの望みには応えられないかもしれない」

「いいさ、あんたの生き方に関わることだ。よく考えて答えを出せばいい。この騒ぎがおさまって、珠纒に平穏が戻った後にでも」


 拓深は気軽に請け負った。

 言外に、必ずやり遂げる、と約束した。


「行こう、咲織の姫」

「それは、わたくしの本当の名ではないの」

 差し出された手をもう一度見て、巫女姫は言った。


はなと言うの」

 手を取って顔を上げ、拓深の目を真っ直ぐに見た。


「皆が呼ぶのは、本当の名前じゃないの。皆が私に、そうあってほしいと願って、呼んでくれてるだけ。はなぶさ、という意味よ」


 はな、と、拓深は確かめるように口にした。

 そして笑みを深め、気負いもなく言った。


「行くか」

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