4話 蹂躙の理屈


 ※


 珠纒の神垣には、自慢が四つある。


 幾重もの垣根。土塀と板塀と。珠纒の豊かさと兵力を示すものだ。

 そして桜の玉垣。稲穂の神霊の降りたつ御座みくらは、実りの豊かなることを示すものだ。


 神垣の真中まなかには、御神木の桜がある。つる桜。これが、珠纒の神垣を守っている。春を告げる役目を持つ桜。


 ――そして珠纒の宝。美しき咲織の巫女姫。


 十五年前、神垣を囲む桜が咲きみだれ、その生まれを祝った。聡明で、正善で、優しい巫女姫。誰もが彼女を慕い、敬愛している。


 里長は十五年前、いっせいに咲きみだれた桜の玉垣を知っていた。

 舞う雪と競うように降りそそぐ薄紅の花びら。心が奪われた。

 こんなに花の祝福を受ける里が、他にあるだろうか。どこよりも強く豊かで美しい、珠纒。かつて玉城たまき王宮みやのあった、都の跡にあるこの神垣。


 滅びた国で、未だ強い神秘の元、神々の加護をいただくこの神垣。

 国のすべてが、このようにあるべきだと思った。そうだ、このようにあるべきだ。

 凍える寒さも、憂いもなく、誰もが満ちてあるべきだ。


 どうすべきか考え、珠纒たまきをより豊かに、より強くすることを願い続けた。

 それでも、消えていく神垣や垣離の噂は絶えない。

 導いてやるべきだと思った。強い者が、強さを築いてきた者が、皆を率いるべきだ。

 この神垣が、自分が、国を統べるべきだ。そのはずだ。


 珠纒の繁栄も、平穏も、国が滅びた後に焼け野原となったこの都の跡へ、里を築き守ってきた幾世代もの人間たちの労力のたまものだった。

 そして桜の神秘と共に生まれ落ちた巫女姫は、神々からの意志のように思えた。国を救うべきだと、支持を受けているようだった。


 武を率い、政をなす里長と、民の心を導く巫女姫とで。

 ――この神垣の神意は、過去の遺物ではない。



 三重みえの守りのうちの、ふたつめ。板塀の門に立って、珠纒の里長は、薄い雪化粧の中の炎の群れを見ていた。



 神喰の軍の中から、男が進み出てくる。他の者と同じように頬に赤い紋様をほどこし、額にも印が描かれている。


「それが神変をおこす巫女姫か? そうは見えないが」

 里長の傍らに立つ都波を興味深そうに見て、男は鼻で笑った。そして後ろに向けて手で合図をする。


 後ろから別の神喰が、誰かを連れてくる。縄で縛られて、ぐったりと疲れ切った少女を、引きずり出した。


「満秀!」

 駆けだそうとした都波の腕を、里長が引き戻した。

「満秀を離して!」

 都波は里長の手に抗いながら、憤慨して叫ぶ。

 だが、神喰は少しも取り合わなかった。自分たちの盾のように少女を前に押し立てて、神喰は言う。


「巫女姫を連れて来て、どうするつもりだ? 池野辺でのことは俺も聞いたが、この目で見るまで信じられない。神々が俺たちを追い払うのか?」

 やって見せろ、と嘲笑った。


 彼らは神々や珠纒を見下し、巫女姫を見下し、里長を見下している。

 悠然と笑う神喰の言葉に、里長の手が震えていた。都波が見上げると、里長は憤怒の表情を浮かべていた。


「どういうつもりだ」

「我々は神の残り香を消す。それだけだ、知っているだろう」

「当然だ。だから取引をした。珠纒は別のはずだ。なぜ珠纒の門を焼いて兵を殺した」

「何故そう思う」

「珠纒を襲わない約束だったろう」


 男の言葉に里長は苛立ち、声を荒げた。ああ、そうだな、と男は笑う。

「お前が他の神垣を従える手助けをする、そういう約束だったな。珠纒を襲わず、神喰の矛先を他の神垣に向けると。互いの兵力を使い、他の神垣を従えると」

「それは、まだ先のことだったはずだ。いずれ民を納得させ、軍の準備が整うまで。珠纒を襲い、それを明かすなど、どういうつもりだ!」


 火無群ほむらの里長が言っていた。食料を渡したのに、なぜだと。

 神垣を守るために、彼らは取引をしたのだ。珠纒は当てにならないとも言っていた。

 もしかしたら、珠纒の里長を介しての取引だったのかもしれない。


 そして珠纒の里長は、珠纒を守るために、他の神垣を差し出したのか。


「ああ、そうだな。お前が俺たちを呼び込んだ」

「埋み門の場所を教えたのは、兵として迎えるためだ。珠纒を襲わせるためではない!」

 神垣の民に向けていた虚勢を失い、里長は激高した。


 それに対して神喰の男は、弾けるように笑った。

 顔をあげ、神垣の内側で震える人々に向けて、高らかに声を上げた。

「珠纒の神垣の者よ、この長は俺たちを利用して、他の神垣を襲う兵力としようとしたのだ。かつて国が滅んだ時のように、軍を率いて、また国を乱そうとした。そして愚かなことに俺たちを招き入れた」


 板垣の内側で怯える人たちの目が、疑問を帯び始める。

 声もなく里長の背に突き刺さる。どういうことだ、と。

「黙れ、お前がよくそのようなことを言える!」

「俺たちは、国のために動いている」

 お前とは違うのだ、と。神喰の信念に基づいて、神喰の王は言った。


「お前が俺たちを利用していたのと同じことだ。俺たちもお前を利用していただけのことだ。珠纒を見逃す理由がない。神の残り香は消す。この国のために。凍つる桜は燃やす」


 都波の腕をつかむ里長の手の震えが大きくなる。

 人々の視線が、寒気が、彼を包んでいる。怖気をふるう神喰の言葉が、里長を追い詰めた。


「あなたたちは間違ってる」

 里長を見上げ、都波は強く言った。そして、神喰の王に対して。

「なぜこの国から神々がいなくなって、日の恵みがなくなったのか、本当にわかっていないの? あなたが自分で言ったのに。人が争って、神々を殺そうとしたからでしょう。あなたたちこそが繰り返そうとしている」

「それは我々が、すべての神の遺骸を排除した後に分かるだろう」

 神喰の王は、少しも揺らがなかった。


「どうせ、ここの桜は春を告げることなどできない。神無き国に女神はいない。必要ないのだから」

 神喰たちが火矢をつがえる。塀の上へ向けて。


 里長は青ざめ、都波を引き連れて門の中へと駆け戻る。同時に、矢が放たれた。


 たくさんの火が、音を立てて飛来する。

 暗い雲の下、板塀を飛び越えて、人々と家々に突き刺さった。

 悲鳴が響き渡り、それを合図のようにして、再び神喰たちが喚声かんせいをあげた。すさまじい声だった。


「門を閉めろ!」

 里長は駆けながら、兵に命じる。



 押し寄せる神喰たちに、兵は慌てて門を閉めようとしていた。

 門扉を内側から押し戻そうとする兵たちと、それをとどめて乗りこもうとする神喰たちが、門前でもみ合った。


「都波!」

 里長に引きずられていく都波は、呼びかける声に振り返った。

 何よりも、聞きたかった声だった。少し彷徨さまよった目が、神喰たちの中に願った顔を見つける。


「颯矢太!」

 泣きそうな顔で叫んだ。

 それから、颯矢太の傍らの鋼牙に気づいた。


「――鋼牙?」

 問うように呼んだ。その都波を、里長や兵たちが捕まえて、扉から遠ざける。人の波の向こうに、颯矢太たちの姿が見えなくなった。




 突然、鋼牙が颯矢太の腕を掴んで、周囲の者たちをかき分けて押し進んだ。


 神喰が兵を一人突き殺す。

 その隙間を神喰が進む前に、門前でひしめき合う兵たちの中に向かって、颯矢太を押しこんだ。自分の剣を颯矢太の手に持たせる。


「行け!」

 背中を押しこんだ。

 その鋼牙の背を、誰かの剣が突き刺した。颯矢太の目の前で腹から剣を生やし、鋼牙は血を吐いた。


「鋼牙、お前――」

 振り返って、颯矢太が叫ぶ。

 口から血をこぼしながら、鋼牙は鋭い目で颯矢太を睨みつけた。


「行け」

 その目の前で、扉が閉まる。

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