#1-2


「見つけた。その後はどう?」


 友達のところへ遊びに行った帰り道、少年は呼び止められた。


(あの時のお姉さんだ)


 世話になったのは確かだが、家を放火した犯人なのかもしれない。そう考えると、どう対応して良いのかわからずに、とりあえず立ち止まって会釈だけをする。


 すると、女性の方から近づいて来た。


「もう誰にも苛められてない?」

「は、はい。ゲームもちゃんと戻ってきました」

「それはよかったよかった」

 

 そう女性は優し気に微笑むも、それが逆に得体の知れぬ不気味さを漂わせている。少年はできることなら早く別れて立ち去りたかった。しかし女性は行く手を阻むようにして立ち続けている。


「じゃあさ、君はお姉さんにお礼をしないとね?」

「あ、はい。ありがとうございました」

「言葉じゃなくてね、ちゃんと形にしてくれないと」

「形って、何かあげないと駄目ですか?」

「そりゃそうよ。現に君は満足してるし、こっちも手間がかかったのよ?」


 女性の困った仕草に怒らせてしまったかと不安になる。少年はなんとか取り繕おうと必死に考え始めた。


「えと、何をあげれば…」

「んー、手っ取り早いのはお金かな」

「いくらですか? 僕、五百円しか持ってませんよ?」

「多分君じゃ払えない。お父さんの財布から抜き取っても足りないくらい」

「そ、そんな!?」


 どうしよう、と少年は青ざめる。流石に親の財布から金を盗るなどは言語道断だ。ならば持っているゲームを全部売り払おうか。お小遣いを前借して貰えば足りるだろうか。よい考えが思い浮かばず、頭がどんどん真っ白になっていく。


「出世払いってのもあるけど、あたしもこの街にいつまで居られるかわかんないし、お互い忘れちゃうかもしれないでしょ。そこでお金の代わりに君にして貰いたい事があるの」


「それは何ですか?」

「教えるから一緒について来て。ちょっと歩くけど、すぐそこだから、ね?」


 そう言って差し出された手を、今度は握ることが出来なかった。相変わらず女性は微笑んではいるが、その奥からひしひしと感じられる底知れぬ恐怖。背筋から冷たい汗が流れ落ち、本能が「この人について行ってはいけない」と告げた。


「……嫌です」

「どうして?」


「僕できませんっ! ごめんなさいっ!」


 そう言い切って横をすり抜け、一目散に走り出す。思えばこの女性と会ってから、色々とおかしなことばかりだ。


 ついて行ったらどこへ連れて行かれるか、わかったもんじゃない。

 追いかけて来たら大声を上げてやる。


 しかし女性は動こうとすらしなかった。代わりに少年を捕えたのは言葉だった。


「君が放火したって、みんなにばらすよ?」


 走り出した足が止まる。止まらずにはいられなかった。


「な、なんでだよ! 僕は何もやって無い!」


「あの火事ね、警察は放火だってわかったみたいだけど、目撃者が見つからないの。だから犯人も、犯行動機も不明のまま。確かに君は何もしていないけど、放火する動機は十分にあるよね」


「そ、そんなデタラメッ! 僕がやっただなんて誰が信じるもんか!」

「そうかしら? クラスのみんな知ってるでしょ? 君があいつに苛められてたこと」

「!?」


「他人って残酷よね。見て見ない振りして、ちゃーんと知ってる。例え嘘でも君がやったって言いふらせば、みんなすぐに信じちゃうと思うけどなぁ。クラスメイトも、学校の先生も、警察も……もしかすると君の親御さんたちもね」


「な……なんで……!」


 いつの間にか、女性は少年の傍まで来ていた。


「遊びが遊びでなくなる境界って知ってる? それは誰かが怪我をしたり、死んだりした時なのね。君を苛めてた子のお母さんね、全身が大火傷で意識不明の重体なの。警察は今も必死に犯人を捜しているし、当然君にも疑いが掛かると思う」


 あいつの母親が、大火傷を……!?

 この瞬間、見えない釘で心臓を突き刺され、少年は指一つ動かせなくなった。


「火事のあった時間、家に居たってちゃんと説明できる?」

「夜だったし、寝てたし……!」

「それを誰かが証明してくれるの?」

「……お、お父さんと……お母さん……」

「仕事の疲れでぐっすり寝ちゃってたんじゃないの?」

「……そんなはず……ない……」

「どうかしら」


 少年は完全にパニックへ陥っていた。自分は確かにやっていないのに、それを実際証明するとなると、まさかこんなにも難しい事だったとは。悪魔の証明のトリックに気付くには、少年はあまりにも幼過ぎた。


 更に追い打ちを掛けるべく、女性はやや口早にまくし立てる。


「百歩譲って君が犯人じゃないと証明できたとしても、警察から取り調べを受けたら周りに迷惑が掛かると思わない? 」


「なんでっ!?」


「近所の人はきっとこう思う。『あそこの家の子は何かやっていた』『疑われる様なことをしていた』って。こんな狭い田舎町、悪い噂はすぐ広まってしまう」


「……嘘……嘘っ!」


「そうなったら大変よ! 君のお父さんとお母さん、お仕事辞めさせられちゃうかもしれないわ! ご飯が食べれなくなって、お家も無くなって、家族もバラバラに…」


「そんなの嘘っ! うっ……ひぃぃぃん……わぁぁぁぁーんっ!」


 少年は遂に、大声上げて泣きだしてしまった。悪い事など何一つしていないのに、どうしてこんな辛い目に遭わねばならないのか? 誰にも相談できず、女性の言う事にも耳を貸さず、あのまま自分は苛めを受け続けていればよかったのか?


 そんなのあまりに理不尽ではないか!


「あぁぁーんっ! うあぁぁぁぁんっ!」


 立ち尽くして泣くことしかできない少年を前に、女は屈んでじっと見続ける。


 その顔には感情が無く、同情の欠片すら見当たらない。


「君はあたしにどうして欲しい?」

「……いっ言わないっでっ…… 誰にもっ…言わない…でっ!」


「ちゃんと言う事を聞いてくれたら言わないであげるわ」

「……ひっ……うぅっ……」


「どう? 一緒に来て貰える?」

「……」


 泣いていた少年は、答える代わりに頷いた。そうせざるを得なかった。

 ようやく女の顔に笑顔が戻り、手を繋ぐよう促される。

 握ってきた手はヒヤリと冷たかった。



 長い距離を歩き、次第に辺りは暗くなっていった。見慣れない住宅が疎らに建っている寂しい風景。女は少年の手を引きながら、どこまでも歩いて行く。やがて雑木林へと差し掛かり、薮の中から塀に囲まれた古い家が見え始めた。 


 女は黙って薮に入り、木戸を開けると手招きをする。中を覗くと傾いた家屋かおくに人の気配は無く、捨てられ放棄された空き家のようにも見える。


「あそこにわらが積んであるのが見える?」


 中を指さしそう言うと、手に着火器と煙玉らしきものを握らせる。


「今からこれに火を付けて、あの藁の中へ放り込んで来て貰いたいの」

「っ!」

「大丈夫、あの家には誰も住んでないし。これはそういう『遊び』だから」


 女はすぐ傍にあった何か奉ってある祠に腰を掛け、足を組んで頬杖をつく。


「さ、行ってらっしゃい。君が終わるまでここで見てるから」

「……どうして僕がこんなこと……」

「それともまた逃げる? 別にそれでも構わないよ?」

「……」


 少年は究極の岐路に立たされた。今からするのは確実に犯罪だ。もし誰かに見つかれば、立ち待ち警察へと突き出されてしまうだろう。もし見つかれば、の話だが。


 幸いにして辺りに人はいない。それに家には誰も住んでいないというではないか。見つからなければいい、見つからなければ……。意を決して足を踏み入れると、人が来ないか用心しながら身を屈め、藁小屋へと近づいた。

 そして煙玉の導火線に火を付ける。シュッという音とともに藁小屋へ放り込むと、ちゃんと藁の中へ入ったかも確認せずに、逃げるようにその場を後にした。


(……あれ?)


 空き家の敷地から出ると、祠の前に腰掛けていた女の姿が無い。隠れているのか? 闇に染まっていく薮の中、辺りを探すも一切の人影が見当たらない。


 まさか騙され置き去りにされてしまったのか?


 怒りが胸に込み上げるも、すぐに我に返ってすべきことを思い出す。ここに留まる理由は無く、一刻も早く家に帰らなければならない。


──ガサッ


「う、うわっ!」


 物音がして振り向くなり、少年は驚き尻餅をついてしまった。見れば闇の中に光る二つの目。化け物でも現れたのかと肝を潰すが、なんてことは無い。


(な、なんだ……猫か)


 猫は一声にゃあと鳴くと茂みの向こうへ去って行った。ホッとするも驚いた手前、心臓音がバクバクと鳴りやまない。胸に手を当てて何とか静まらせようとする。

 

 そして恐る恐る立ち上がると、今度は不審な音が耳へと入って来た。


──パチパチパチ……


 開けられた木戸の向こう。目に入って来たのは大量の煙を吐きながら燃える小屋。

 ここに居てはいけない、すぐ逃げないと! 足を絡ませ躓きそうになりながらも、少年は走り出した。


 すっかり日の沈んだ闇の中を、少年はひたすら前に走り続ける。


 知らない、僕じゃない、僕のせいじゃ無い、あの女がやれって言ったんだ!


 いつもならすぐ息が切れて歩いてしまうような距離を、ひたすら何も考えず、振り返らずに走り続けた。途中で見回り中の消防車と出会い、思わず電柱の影に身を潜ませやり過ごす。この時ポケットで堅いものが当たり、見るとそれは着火器だった。


(こんなもの持ってたら怪しまれる!)


 急いで着火器を捨て、再び走り出す。ようやく見知った場所へと出た。


 家が見えた、あと少し。

 玄関が見えた、あと少し。

 家の鍵を開けた、あと少し。


 ようやく玄関の扉を閉め、荒い息を上げながらへたり込んだ。




 次の日から少年は憂鬱だった。全てが憂鬱だった。何も見えず、何も耳へと入らない。学校に行ってもただ一日をぼーっと過ごした。

 自分は人としての一線を越えてしまったかもしれない。知らずとはいえ放火を依頼し、実際に他人の家に火を付けてしまった。もしかしたら、昨日誰かが自分のことを見ていて警察へ通報したかもしれない。学校から帰って家に警察が来たら、一体自分はどうしたらよいのだろう?


 帰り道で信号待ちをしていると、隣にいたおばさん二人の話し声が聞こえてきた。


「最近火事が多くて怖いわねぇ」

「そうそう、昨日隣の地区でまた火事があったんでしょ?」


 ……聞きたくない……やめてくれ……嫌でも耳に入ってくるじゃないか……。


「一軒家が全焼ですって。足の悪いおばあちゃんが一人で暮らしてたとか!」

「えぇっ本当に!? それで、どうなったの!?」


 その瞬間、少年は耳を塞ぎ前に出ていた!




キキキキキ──―ッ!!!



『危ねぇだろうが!! 馬鹿ガキッ!!』


 すぐ目の前を車が横切っていく。

 周りで叫んでいる大人の声は、やはり耳には届かなかった。


 後日少年は、引っ越していった子の母親が病院先で亡くなったのを知った。

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