焔ノ通リ廻ル街

木林藤二

#1-1


──返してよ!


『嫌だね』

『こんなもん持って来る方が悪いんだろっ』


 三人がかりで殴られ、蹴飛ばされ、ランドセルの中身をぶちまけられる。


──返せ……。


『返してくださいお願いします、だろ?』

『土下座しろよ、土下座』

『これ食ったら返してやるよ。薬草だぞ? 体力回復しろよ』


 言われるがままに、差し出された雑草を口に入れた。


『うわっ、こいつマジで食った!』

『汚ったねー! ぎゃはははっ!』

『嘘だよバーカ! 返してやんねーよ!』




 河川敷の土手。小学生が顔を真っ赤に泣き腫らし、蹲っていた。辺りには散らばったランドセルの中身。そして遠ざかっていく、いつもの三人組の声……。


 悔しさからか、身近にあった草の葉をむしり取ると、手には緑汁がにじんだ。


 少年は日頃から、同じクラスの三人組からいじめを受けていた。相談できる相手は誰も居ない。担任に話せば『自分で解決しろ』と言われるのがオチだ。両親は共働きで夜遅くにしか帰ってこずに、幼いながらも親の苦労を身に染みて感じた少年は、心配をかけさせまいと打ち明けなかった。


 そしてつい先程、やっと誕生日に買って貰ったゲームソフトを奪われてしまった。仲のいい友人と遊ぶつもりで持っていたところ、三人がかりで殴られ、蹴飛ばされ、ついには取り上げられてしまったのだ。


(ちくしょう……)


 自分の不甲斐なさを地面にぶつけるも、還ってくるのは痛みとむなしみだけ。ずっとこうしていても、誰かが助けになど来てはくれない。


 歯を食い縛って立ち上がり、散らばった教科書やノートを集めに掛かった。全部拾ったところで帽子の無い事に気が付く。



「これ、君のでしょ?」


 誰も居ないと思っていた背後から声。驚き振り向くと、女性が一人立っている。


 黒い髪が細く赤いリボンで縛られ、睫毛の長い瞳は大きく、赤い口紅が大人の印象を強くしている。黒を基調とした、まるでゲームか何かのイベントのような服は胸元を大胆に覗かせ、やはり黒いスコートからは細い足が伸び、ストッキングの先には真っ赤な靴が履かれていた。


 女性は近づくと、帽子を手渡してくる。


「……あっ」


 少年に合わせて身を屈め、女性は黙って土埃を払い落としにかかる。この間少年はとても自分がみじめな存在に感じられ、無性に情けなくなってきた。


「い、いいです! しなくて!」

「怪我してない?」

「大丈夫ですからっ!」


 しかし女性は尚も膝に付いた土を払ってくれている。それを拒否しようとした時、少年はつい胸元へと目線がいってしまっていた。大きく開かれた服が布と肌との間に隙間をつくり、柔らかいラインが更に奥へと伸びて見えている。ハッとして思わず赤面し、気付かれまいと慌てて視線を逸らす。その様子に気付いたせいかはわからないが、女性は笑みを浮かべていた。


「途中まで一緒に帰りましょ?」

「いえ、本当にもう、大丈夫です」

「嘘言わなくてもいいよ」


 そう言って立ち上がった女性からは、少し強い化粧の香りがした。


「大事な物、取られちゃったんでしょ?」



 夕日が差す堤防の道のりを、少年は後ろから黙ってついて行く。この時少年は目の前の女に対し、疑念と怒りの感情がこみ上げていた。


 間違いない、この女は自分がされていたことの一部始終をどこからか眺めていた。

 どうして助けてくれなかったのか? 女性とはいえ大人、小学生が寄ってたかって殴られている状況を、どうして止めてはくれなかったのか?


「止めに入ってもさ、あいつらはこう言ったでしょうね。『これは遊びだ』って」

「えっ!?」


 驚き顔を上げると、女はこちらを向いて立ち止まっていた。


「便利な言葉よね。遊びって言えば、周りはみんな納得しちゃうんだから」

「あ……」

「遊びって言えば何しても許されるのかしら。それはそれで便利な世の中だけど」

「……」


 誰も納得している訳じゃない。何をしても許される訳じゃない。他人は関わるのが面倒だから、逃げるための口実に便乗しているだけなのだ。

 それにしても目の前の女性は奇妙な物言いをするものだ。皮肉で言っているのだろうが、本気で言っているようにも聞こえる。


「ねぇ君、あいつらを懲らしめたくはない?」


 顔を近づけ、迫るように問い掛けてきた。


「したいけど……相手が三人じゃ……」


「ああいう連中はリーダーを抑えれば大人しくなるものよ。あの中の一番威張ってた子がそうだったんでしょ?」


「でも、どうするの?」


 一対一だったとしても、相手は体が大きいし、力もある。


「お姉さんにまかせてみない?」

「えぇ!?」


「あたしなら何とかしてあげられるよ? 君さえ黙っていてくれればね」


 突拍子の無い提案に、少年は唖然とした。


 子供相手に大人が力でねじ伏せるとでもいうのか?


 明らかに問題ではなかろうか?

 それこそ『遊び』だけでは済まされない程の……。


「ついでに取られた物も取り返してあげる」

「で、でも……見ず知らずの人にそこまで……」

「諦める? お父さんとお母さんが、一生懸命働いて買ってくれた物なんでしょ?」

「──っ!」


 女性を不思議に思ったのも束の間。既に少年の脳裏には、朝早く出て夜遅く帰ってくる両親の顔が浮かんだ。この瞬間、心の中で何かがぐらりと傾いたのだ。


 そして、次の言葉が決定的となった。


「このままだと、これから先もずっと続くよ?」


「……宜しく……お願いします」


「うん、素直が一番ね。このことは誰にも言っては駄目よ?」

「はい」


 女性は右手を差し出し握手を促してきた。てっきり頭を撫でられるのかと思っていたが、この意表突いた行動を少年は受け入れ、手を握る。

 この人は自分がまだ子供なのに「坊や」とか「ボク」とか呼ばずに「君」と呼ぶ。感じたことの無い不思議な大人の振る舞いに、すっかり少年は信頼しきってしまっていた。


 バイバイと手を振る女性に対し、少年は笑顔でそれに応える。かつて今まで自分にここまで親身になってくれた他人は居ない。


 ただ不思議な事に、もう一度振り返ると女性の姿はどこにも無かった。

 


 次の日、少年が学校へ行くと、例の三人組のリーダーが休んでいた。担任の話では昨晩遅く、その子の自宅が火事に見舞われたらしい。家は全焼、リーダーだった子も体に火傷を負い、病院へ搬送されたとの事だ。


(まさか、あのお姉さんが!?)


 心当たりのある少年は、急に恐ろしくなってきた。しかしそれも二、三日も経つと慣れてくる。それどころか今まで自分がされてきたことを考え、これは当然の報いなのだとさえ思えてた。

 少年は嫌がらせをしてくる者もいなくなり、平和な日々を満喫するのだった。


 数日経つも、リーダー格の子はまだ学校に来ない。ある日担任の先生が、入院していた子が家庭の事情も兼ね、遠い町へ引っ越してしまうと告げてきた。少年はこれを聞き内心ガッツポーズだ。


 学級会の時間になると、クラスの皆で寄せ書きを送ろうと色紙が回って来る。


(あんな奴に言う事なんか、何も無いよ)


 お大事に、とか、またどこかで、などありきたりな文字の並ぶ中、青い水性ペンで「さよなら」とだけ書き込んだ。ここで一思案巡らせ太さと色の違うペンで、目立たない場所へ文字を捻じ込む。


──とったゲームかえせよ!!


 色紙は後ろの席へと回され、その後も担任に気付かれることは無かった。


 更に二日後、例の子が帰りのHRの時間、最後のお別れにと学校へやってきた。顔と腕に巻かれた包帯が痛々しく、どことなく元気が無い。簡単に挨拶が済むとHRは終わった。クラスメイトが数人集まって別れを惜しんでいる中、少年は顔も見たくないとばかりにさっさと帰ろうとする。


 そこへ声が掛かり、呼び止められた。


「……ごめんなさい」


 謝罪の言葉と共に渡された包み紙。中身を確認すると、出て来たのは新品のゲームソフト。恐らく一緒に火事で焼けてしまい、同じ物を買って来たのだろう。少年は黙ってそれを受け取ると、何も言わずに教室を出た。


 下校の道を複雑な心境で歩く。何も言わずに出て来てしまったが、最後だし別れの挨拶でもしてやればよかっただろうか。


 いやいや、その必要はない。あいつが今までしてきたことを思い出せ。許してやることなんか何一つ無い。


 あいつには罰が当たったんだ。自分は何もしてないし、何も悪くない。家が焼けて無くなってしまったのは可哀想だが当然の報いだ。ゲームソフトだってこれが自分の手元にあるのが当然じゃないか。きっと色紙を見た親に呼び止められ、言いとがめられて新品を買って来たに違いない。そうでなくては自分から頭を下げに来ることなどありえない、あいつはそういう奴なんだ。

 心の隅にこびり付いた罪悪感を磨り潰すかように、何度も自分へと言い聞かせた。


 それから少年を苛める者は一人としていなくなった。一緒に少年を苛めていた二人もリーダーが居なくなると大人しくなった。むしろクラスの中では孤立していった。


 少年が女性と別れてから十日が過ぎようとしていた。

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