0x010F リア充って存在がムカつくことってあるよね
デアドラの話を聞いた時、僕はエマの姿を想像した。
白髪交じりの茶髪で、四十半ば。年齢以上にシワが多かったとかデアドラが言っていた。
エマの強い勧めで、デアドラは奨学金制度を設けた。
応接室での会話。
暗めに設定された『照明』で、デアドラの表情の機微は伺えなかった。
ただ、デアドラの白い頬。まだ幼い彼女の
エマが言ったという、
『希望の芽は摘むのではなく、咲かせるべきです』
という言葉。
それが僕の耳に残っている。
エマという女性が何を考えて生きたのか、今の僕にはわからない。
第二孤児院の領主シベリウスではなく、王族のマッカーサー家に嘆願書を出している。
そして、エマは貴族のマナーなど守ることもなく、デアドラに奨学金制度を設立させている。
ジネヴラの強さ。
マルティナの几帳面さ。
彼女達の在り方を見抜いたエマという人物。
どう考えても、僕が持っている一般的な売春婦のイメージと結びつかない。
そうせざるを得ない時代背景があったはずだ。白髪交じりの茶髪を見た訳じゃない。
だけど、ジネヴラとマルティナを推薦するだけの行動力はあった。
想像に過ぎないが、僕はエマは押しが強くて、
でも、グリーン・ヒルでも売春婦のイメージは良くないらしい。
事実、セルジアから聞かされた話だと、当時の陪審員の受けは良くなかったらしい。(※a)
あの時のセルジアは、僕に目線を合わそうともしなかった。
彼女の握られた拳は堅く、痛々しいまでにジネヴラとマルティナのことを考えていたと思いたい。
セルジアは以前に言った。
エマが亡くなった事を、ジネヴラとマルティナは少女のように泣き出した、と。
セルジアが敢えて詳細を伏せているのは、二人を傷つけるのを考慮してのことなんだろう。
転生した世界には、それまで生きた人々の歴史がある。
僕の手元に時間を計る道具はない。あっても砂時計ぐらいだ。
この世界にあるだろう大きな、大きな砂時計。
僕はそれを理解できていない。
PCへと意識を移せば時刻はわかるだろう。
だけど、過ぎ去った時間に残されている因果を、僕は全くわかってない。こちらの歴史を全く理解していない。
エマは自分の希望をジネヴラとマルティナに
彼女の意思は二人の中に生きていると思いたい。
それこそが歴史。小さな砂粒が作り出す時代の欠片だ。
僕はEmmaに忠誠を誓った。
何があろうとも、エマの事は信じてみようと思った。
僕は自室のベッドに横になって天井を眺めて見る。
月明かりは白く、淡い青色を帯びた月明かりが部屋の床を照らしていた。
OMGのネットワークは暴いている。OMGメンバーの殆どのメールやデータは抜き取った。
ただ、メンバーの中でメールやデータを抜けてない奴が居る。
ドナヒュ-ともう一人、ミハエルという名の男。
入手したドキュメントから、年齢は特定できる。
ドナヒューは65歳。ミハエルは45歳。
ミハエル絡みのメールを読み下して、推測すると、セル民族に対してプロジェクト・リーダーというポジションになる。
魔法論理学学会にいつも論文を提出しており、助成金が出されているようだ。(※b)
確か実技試験の時に、ガシュヌアとアステアが言及していたプロジェクトことを指している。
この線からドナヒュ−を追う方法もある。
この国では身体検査はなく、外見上の情報を取得できていない。
SNSが発達していたら、その線からドナヒュ-やミハエルを特定し、人物像を知ることはできただろう。この二人が何者なのかがわかるのだけれど……
ドナヒューはヤメ検。
だから、検察庁へと潜り込めば、ドナヒュ-の足跡を掴めるはずだ。
社会制度は僕の国とは異なる。
僕がハッカーという利点を利用するなら、検察庁に潜り込み、何か証拠となるものを拾い上げればいい。
ジネヴラにはエマの件について、僕は手を汚すかもしれないと言った。
だけど、これからしようとしていること。
……それをしたら、ジネヴラは僕のことをどう思うだろう?
僕は怖い。
ワーストハッカーとして悪名を馳せた時、僕へと向けられた視線は
通り過ぎればヒソヒソ話は消え、目を向けると誰もが目を伏せる。
アレは嫌だ。
もう、アレは繰り返したくない。
………………でもさ。
ソレはソレ、コレはコレ。
直面している問題を何とかしなくちゃいけない、とも思う。
ええと、ぶっちゃけて言うと、ジネヴラの誕生日プレゼントって何がいいの?
そういうイベントって、まだ先だと思ってたよ。
うん、正直に内心をぶちまけると、そっちの方が気になって仕方がない。
朝起きてジネヴラとマルティナのコーディング・レビューする予定は決まっている。
約束しちゃったもんね。
だから、僕にはジネヴラの誕生日プレゼントを買いに行く時間がない。
セルジアに聞いたけど、答えをボカされた。
スカートに縋り付いたら、軽くあしらわれ、応接間でゴロリと転がった。
しかし、セルジアはどうも僕を玩具と思っている節がある。色々と扱いが雑すぎる。
これはこれで待遇改善を要求したいところだ。
だが、それも優先順位から考えると後回し。
一番問題なのは、僕はジネヴラが贈られて喜ぶであろうプレゼントがわかってない。
これだ。
プレゼントを軽く考えるべきじゃないらしい。
「プレゼント選びに手を抜くな。下手をすれば一生の悔恨を残す事案になる」
サイバーストーカーは、そんなことを言っていた。
アイツ、結構スゴい奴だったんだなって、今更ながらに思う。そんな助言なんか今までマトモに考えたことなかった。
ああ、サイバーストーカーの残した意思は僕の中で生きている……
それこそが歴史。小さな砂粒が作り出す時代の欠片だ。
もっとも、人間としてヒリヒリとした痛みを伴うけどさ。
他にいいサンプル例ないかな?
なんて考えていると、僕の脳内PCにメールの着信シグナルが立った。
意識の上に通知音が響く。
色々と考え事しているのに誰なんだ?
ベッドの上で枕を抱えて向き直る。そしたら、またもやメール通知。
何だと思っていると、またもや通知。
嫌な予感がする。
既に午前一時。
月明かりでボンヤリ照らされた部屋で、僕は枕を抱え直した。
メールを開くと送信者はラルカン。
この真夜中に!
ガシュヌアとマルティナに無視されたから、矛先が僕の方に向いているっぽい。
しかも、こんな夜中に!
メールを開く。
『マ ル テ ィ ナ の 現 状 を 詳 し く 教 え ろ』
本文から、ラルカンが如何に切羽詰まっているのかがわかる。
勘弁して欲しい。
それでなくても、こちらは疲れている。
ラルカンのマルティナへの想いはわかる。だけど、夜中にスパムメールとか迷惑行為以外の何物でも無い。
面倒になったので、ラルカンからのメールをゴミ箱へと仕訳しようと考えた。
しっかし、コイツは気楽でいいよな。
それでなくとも、僕はジネヴラのプレゼントをどうしようか悩んでいるというのに……
そして、ラルカンのことを思い出す。
そういや、あいつプロムの時に、ジネヴラにダンス・パートナーになってもらったとか言ってたよな。
プロムを日本で例えるなら、文化祭のフォークダンスみたいなものと思えばいい。
卒業パーティーの定番。男子は女子を誘う。背伸びをして大人のように着飾り、ダンスを踊る。
ううむ。
何か複雑な気分になってきた。
ジネヴラ、いくらなんでもラルカンはないと思う。
いや、君が優しいのはわかるけど。
何だろう。僕の中に悪い僕が生えてきた。
ニョキ。
そんな音がしたかもしれない。
気が付いたらラルカンにメールを送っていた。
時として悪い僕は面倒事を作り出す。
『ジネヴラの誕生日プレゼントの件について。何がいいと思う?』
しまった!
ベッドの上で僕は目を見開いた。月夜に照らされた天井は白かった。
そして僕の頭の中も真っ白だ。
ラルカンからのメールの嵐は止まった。
ヤバい。これは良くない前兆。
ラルカンはマルティナと上手くいってない。
そんな所にリア充っぽいメールを送ったりすると大変だ。
非リアにリア充っぽいメールを送るのは御法度だ。
この点についてはハッカーも同じ。何ら変わらない。
ハッカーは表面上は情強を装っている。だが、それは建前。
実際の所、心の奥深い所に、薄暗いものを隠している。
なまじ技術力があると、プライドも高くなる。こういった刺激的な話題は、爆弾と何も変わらない。
自分にも覚えがある。100%キレる。
間違いない。実際、僕がそうだった。
だから、事態が急速に悪化するのが手に取るようにわかる。
確か僕の場合って……
世界中からランダム抽出した、セキュリティの甘いサーバーを沈めて回った。
なんてこと思い出していたら、脳内モニターが揺れた。震度七ぐらいはあったと思う。
脳髄を揺すぶられるほどの衝撃。頭の芯がブレる勢い。
DoSアタックがあったらしい。
脳内PCが処理仕切れない。
これはかなりマズい。
ラルカンがキレた。わからないでもない。
が、ラルカンは甘い。
サイバー・ウォーは一撃必殺が基本。
初手で橋頭堡をぶっ飛ばし、こちらに有利なように
舐めてもらっては困る。
ラルカンからのパケットを遮断した後、僕はベッドから起き上がった。
薄暗い机ぐらいしかない部屋。
そんな中、僕は指を鳴らした。口が歪んだ笑いを浮かべていただろう。
戦争は開始された。
真夜中だけど、ハッカー相手に戦争を挑むと、どうなるか身体に教えてやる——
……白み始めた夜空を見て、僕はジネヴラのことを完全に忘れていたことを、思い出したのだった。
ヤバい。
朝焼けの空で小鳥が小さく鳴いていた。
<Supplement>
※a この世界での司法制度
日本に似せている部分はあるが、陪審員制度を取っている。
裁判長(ここでは判事という言葉を使う)に判決を委ねるのではなく、陪審員の決定でもって判決が決定される。
裁判の判決結果は判例という形で残され、その後の判決に引用されることとなる。
また、
尚、陪審員に庶民が入れているのは、カヴァン王国で民衆が勝ち取った権利。
時代背景として、貴族が全て決めてしまうことを不服とした民衆を統治する為に、譲歩せざるを得なかった為、陪審員に庶民が加えらるようになっている。
大陪審については、国家運営という建前を理論的に崩せず、0x010Eの※dで述べた通り、貴族8人、庶民4人という構成で貴族が有利になっている。
尚、物語中では余り語られない予定だが、陪審員制度はこの時代において、模索中である。”司法制度”を民衆に開くべきだという不服申し立てが行われており、継続案件が複数ある状態。
カヴァン王国では三審制となっている。
よって貴族が持つ領土には地方裁判所が存在しており、その上には告訴裁判所(日本で言う高等裁判所)、王国最高裁判所とが存在している。地方裁判所が正常な判決を行えているのかという点については物語上で語られる。
尚、王国最高裁判所での判決は、告訴裁判所、地方裁判所とは意味合いが異なる。
王国最高裁判所での判決が出た場合に関しては、立法、つまり議会において、法律の改正、法の制定を求められることとなる。
※b 魔法論理学
魔法学にはいくつか学問がある。
魔法倫理学、魔法論理学、魔法力学、魔法情報学など分化している状態。
魔法学では纏めきれず、学会が複数存在している。
学問はエルフという先行種族から吸収して発展している為、歪な学問体系になっているのは否めない。
学問の分類はエルフの学問体系と等しくはない。
これはエルフの学問発展過程が人間の発展過程とは異なるのに加え、人間の世界での国際的な学問の協力関係が影響している。最先端技術になる為、国策として閉鎖的にしている場合もある。
</Supplement>
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