0x010E エマの過去とジネヴラの今

 僕とデアドラ、セルジアは応接室へと移動した。

 時刻は既に十二時を回っている。

 デアドラも十五・六歳だろうに、振り返って、彼女の顔を見ても、目に疲れは浮かんでいない。


 王族として、どのような日常を過ごしていたのかわからない。

 けれど、真夜中だというのに、背筋は伸ばされている。

 僕なんかは、気付いたら猫背になるってのに。


 これまでは気付かなかったが、指先まで挙措きょそが意識されている。指は揃えられ、動きもしなやか。

 そして、フリル付きのドレスにはシワ一つない。

 今更ながらに、王族の徹底ぶりに気付かされた。服装は個人のステータスを間接的に語る。



 会談は応接室で行われることになった。

 『照明』の明かりは落ち、絨毯に刻まれた花々も輪郭がぼやけて見える。

 応接室で席に付いたら、僕の身体は絶叫した。

 悲鳴をあげるどころじゃない。

 油が切れた機械式ミシンを、十七時間ほど連続稼働させましたって感じ。


「どうしたのです、ウーヤ……。顔色が冴えないようですが……」

「いや、今日一日で色々あったからね」

「それで、正確な情報というのは、何を指すんですか……」


 デアドラはいつもの表情。まだ、頬のラインに幼さが少し残っているが、豊かなカールした金髪は鮮やか。

 隣に座っているセルジアと言えば、ダーク・ブロンドの前髪がやや乱れていた。

 タフな弁護士ですら、この有様。


 僕はと言えば深紅のベルベットのソファーが目に眩しく感じるぐらいに疲れていた。

 デアドラは気品はあるが、どこか得体のしれない奥深さを隠している。


「まずはエマのことを聞かせて貰えないかな? 僕は何も知らないんだ」


 セルジアが横髪を掻き上げた。

「エマの罪状は背任罪。ブラウン・ツリー第二孤児院の資金を横領したことになってるの」

「それは以前に聞いた。確かセルジアは状況証拠ばかりといったよね? どういうものだったの?」


 僕は前屈みになり、両手を組んで肘を腿の上に置く。何が出てくるのかわかったものじゃない。心構えが必要だ。

「証拠品として提出されたのはアクセサリー関係ね。エマの住居から発見されたことになっていたわ。それと宣誓供述書があるわね。内容は宝石店の店員によるもので、エマが金品を購入したという証言だったわ」(※b)

「それは本当あったことなのかな?」

「記録されていた証言者は姿をくらましていて、私ではわからないのよ。かなり調査したんだけどね」

 セルジアは両手を上げた。つまり、お手上げという訳か。


 僕は親指を摺り合わせながら次の証拠を探す。

「そうなんだ。それだけなら証拠として弱くない?」

「そうね。出来すぎただと思うんだけど、領収書は発行されているの。証拠品の一つにあるのよ。受領者の名前はエマ。エマの家宅捜査で見付かったらしいけれど」


 セルジアは淡々と答えたが、僕のセンサーには引っかかった。

「おかしい。領収書を切る理由がない。メリットあるの? 使い込みだったら、秘密にしたいはずだよね」


 この指摘に関しては、セルジアが感心したようだ。

 彼女は顎を少しだけ上げた。短くカットされた、ダーク・ブロンドが揺れる。

「ないわね。あなたの言うとおり。領収書が発行されているのが不思議なのよ」

 

 作為的に作られたとしか思えない。

 エマがわざわざ使い込みの証拠を残す理由が見当たらない。

 加えて、証言者は行方をくらませている。(※a)


「次の証拠になるものって何になるの?」


 セルジアは視線をデアドラに移した。

 視線を受けたデアドラは構わない、とばかりに小さく頷いた。

 何があるんだろう?

「いいこと。これは絶対にジニーに言っちゃだめよ」


 セルジアは強い視線で僕を指をさす。

 彼女から出てくる気迫に押され、僕はツバを飲み込んだ。

「わかった」


 セルジアは目を瞑り、深呼吸をした。デアドラは僕の様子を注視している。

 僕は言葉が出てくるのを待った。

 セルジアは目を開き、一言で言い切った。

「エマは昔は奔放ほんぽうだったらしいの」

「それはどういう意味?」

 意味を理解できなかった。この時、僕は顔をしかめたと、思う。

「言い方が悪かったわね」

「できれば、わかりやすいように表現してほしい」

「彼女は売春防止法違反で逮捕歴が十回ある。ユーヤ、これ以上は言わなくてもわかるわね」


 僕はかなり動転したらしい。気付いたら、立ち上がっていた。

「嘘だろ? ジネヴラとマルティナは……」

 言葉を続けようとしたが、口をつぐむことにした。

 セルジアとデアドラの視線が僕の様子を一挙一動全てを見張っている。


 これは決してジネヴラとマルティナに口にするなということだ。

 宣誓の時にジネヴラは”誇り高きエマの名の下に”と言っている。

 彼女達がエマを信じているのは間違いない。


 聞かされた事実は思っていた以上にハードだった。

 ジネヴラとセルジアが、どうしてギルド名でEmmaで揉めたのか理由がわかってきた。

 エマは監獄で自殺したという理由だけじゃない。

 エマには醜聞があり、それを広めたくなかった。

 だが、セルジアは理由を言うことができなかった。何故なら、ジネヴラとマルティナを傷つけてしまうと知っていたから。


 以前にセルジアは言っていた、

 ”ジニーとマルティナが、少女のように泣き出したのは今でも覚えている。二人とも人前で泣いたりしないから、どうしていいのか分からなくて”、と。


 これこそがセルジアがEmmaの命名を渋っていた本当の理由だ。

 そして、ジネヴラとマルティナは、この事実を知らない。

 彼女達がいずれ傷付くことになるのは明らかだ。

 だけど、今は目の前にいる大切な人を労らなきゃいけない。

「セルジア、ギルド名の件はわかった。わかったよ。辛かったね」


 彼女は目線を外し、俯いた。

「言えなかった。言える訳がないでしょう? でも、わ……」

「仕方ない、と僕は思う」

 セルジアの声を遮って、僕は天井を見上げた。

 『照明』で照らされていても、天井はボンヤリとしか見えてこなかった。

 この世界はんまりに残酷だ。現実ばかりが目の前にある。

 

 でも、僕はEmmaに忠誠を誓ったはずだ。

 誇り高きエマの名において。


「エマの逮捕歴ってどうなの? それと第二孤児院へと赴いた経緯いきさつを知りたい」

「二十年前が初犯。執行猶予中だったんだけど、違反して実刑判決。それからは出獄、再犯を繰り返していたみたい。十八年前に釈放されて受刑者就職斡旋制度を使って孤児院に手伝いとして就職。ここでの評価はよかったらしく、先生の資格をとることができらしいわね」(※c)

「ここでの教職って、前科を持っててもいいんだ」

「そうね。戦後直後というのもあったから」


 確か、十年程前に戦争があったと聞いた。

 どうも話が合わない。十年前戦争以前にも、何かあったのだろうか?


「そうすると十年前より、もっと前にも戦争があったってことなの?」

「二十年前の戦争は第四戦争と呼ばれてる。十年前のは第五戦争。アングル王国とは因縁があるの。国境線は多少動いたけど勝敗なし。ただ、第四戦争時代は産業が発達していなかったから、国庫は完全に空になって重税を課してたの。私の家族も生活がギリギリの状態だったんだから」


 思いもよらないシビアな状況。

 膝の上で肘を置いて組んだ両手の中が、手汗で滲んでくる。

 日頃の景色が変わって見えてきた。

 平和と思われた日常は、戦争の間の休憩時間でしかないみたい。

 アングル王国との決着はついてない。


 以前にガシュヌアは言っていた。

 ”アングル王国との国境問題が、顕在化する可能性がある。余談を許さない状況だ。事前に探れるものは探っておく必要がある”と――


 僕はこの世界の歴史を知らない。

 この世界で生きた人達が積み上げてきた時間とは、異なる時間からやって来た。


 セルジアは続ける。

「私の幼少時代からすると、あの頃は戦争で何もかもが滅茶苦茶になってたし。今みたいに魔法産業が活発化してなかった。だから、エマが売春せざるを得なかったというのは納得がいくわね。エマの場合、家族もいなかったみたいだし」

「そういう時代だったの?」

「国も荒れてたし、公娼館っていうのがあって、国の財源にしていた時期もあったの。でも、当時の娼婦の手取りが少なくて、自分で稼ぐって人も多かったのよ。エマと同年代人で、そういう人多いもの。国にしてみれば、そういう人達を懲役にしてしまえば、低賃金の労働力が得られるでしょう?」


 僕は言葉を失った。

 世界は違うとはいえ、”生きている”というのは、僕の世界と何も変わらない。

 エマは生きていた。

 彼女は娼婦にならないと”生きている”が続けられない時代だったらしい。

 そして、カヴァン王国も自分の生存で手一杯だったようだ。


「……そうなんだ」

「ちゃんと理解している、ユーヤ?」

 無意識の内に、僕が目を落としているのに気付いたらしい。

 セルジアは声で僕は意識と取り戻した。

「うん、ちゃんと聞いてる。整理するとエマは娼婦をしていてた。だけど、それって他の例もあるわけで、最終的にはエマは普通に教師してたんでしょ? それだったら、裁判では不利にならないじゃないか」

「エマは弁護士をつけれなかったの。それに倫理観でも売春は良くないことにされているし。陪審員にとっては犯罪歴があるのを公開されると心証は悪くなるでしょう」

「陪審員制なの?」

「だから、エマの再審を行うなら、大陪審を経て再審しなくちゃならないの。そうするためには、決定的な証拠がいるの」(※d)


 僕は親指で目頭を押さえた。

「エマの話は大体わかった。今度はデアドラに話を聞きたい。今の所、検察庁というのは反ヴィオラ派と考えて良いのかな?」

 デアドラの目が細められた。縁は青いが光彩は黄に近い色をしている。

 応接間が沈黙に包まれたが、その静けさを埋めるように彼女は口を開く。

「検察庁全てが反ヴィオラ派ではありません。検察総長は中立派ですが、先の政変により、親ヴィオラ派になびこうとしています」

「ヤメ検のドナヒュ-を仕留めたら、検察庁内に居る反ヴィオラ派は駆逐できそうかな?」

「ウーヤ、物事を簡単に考えてはいけません。一枚岩ではありませんが、一瞬で何もかもが変わってしまうなどあり得ません」


 本当にそうだろうか?

 けれど、セル民族問題を関わらせて、検察庁の問題を公開することで、大規模な編成は可能なはずだ。

 それについては、セルジアが居るから、話はできないけれど。

 でも、仄めかすことはできる。少し顎を上げて話しをしてみた。


「仮に検察庁内で大問題が発生したら、それは可能じゃないかな?」

 デアドラの心をノックするようにして、瞳を覗き込む。

 金色のカールした髪は、華美なレースの上で舞っていた。

「国防に関わります。ウーヤが前回の方法をとったとした場合、アングル王国から政変が起こっている判断して、停戦を取りやめてくる可能性があります」


 デアドラの言葉が終わるや否や、セルジアが話を差し込む。

「ちょっと、ユーヤ? また問責決議とか言うんじゃないでしょうね?」

「そういう方法もあるだろう?」

「ないわね。カヴァン王国憲法で決めれてるの。特別王令は年に二回だけ。そうしないと、議会が混乱しちゃうじゃない」

「そうか。それ以外の方法でとなると入り口が見えないなあ」


 両手を組んで、枕代わりにしてソファーに背を預ける。

 ぼやけた天井の輪郭がハッキリしない。


「それより、ウーヤ。あなたはジネヴラさんを傷つけたという自覚があるのですか?」

 あれ?

 デアドラ、怖い。


 何その目付き。

 純粋に僕って被害者だよね?

 セルジアの件だよね、君が言ってるのは。

 完全に誤解が取れてる訳じゃないのかな?

「あの、僕はセルジアと付き合ってる訳じゃないからね。セルジア、ちゃんと説明したの?」


 ここで僕はセルジアの方を向く。

 すると、セルジアは僕の視線を避けた。


 どこを見ているの、セルジアさん?

 君の目線の先には、絨毯しかないよね?

 ちゃんと僕の目を見て話をして欲しいな。


 待てよ。

 この世界は悪い意味でブレない。いつだって悪い方にブレがない。

「いや、そのね。私も立場ってあるじゃないの。ほら」


 またか!

 またなのか!

 どうして、どいつもこいつも地雷を埋めて、僕に爆発物処理させようとするの?

「えー、どんな説明したの? 明日の昼食誘ってOKしてもらったのに! どういうことなの?」

「ほら、付き合いはしてないけど、微妙な関係ってことで。それと……」


「えっ、何? 何なの? そこで話を止めないでよ。何か言いにくいこと言っちゃったの?」

「ええと、ほらキスって東洋では一般的な習慣らしいよ、って言っちゃった」

「ええええ、何を言ってるの? ちょっと! エヘッじゃねえよ。そこで可愛げ見せても、どうにもならねえよ。どうするの」

「ついで言うと、明日ってジニーの誕生日なんだよね」

「マジで? ハードルだけが上がってくるなあ。ちょっとセルジア。良い店知ってる? ヤバいよ。これ。知っていたら準備していたのに!」


 初デートに誘ったというのに無駄にハードルだけが上がってゆく。

 キスするのが一般的って、欧米とかそっちの文化圏の話でしょ?

 日本じゃ、そういうの一般的じゃないんだよ!


「店については後でメールで送っておくから。ジニーも興味あると思う。イタリアンだけど」

「どーしよ。準備も何もしてねえ! やっばい! てか、キスしなくちゃならなくなってるよね? これ何気にハードル上がっちゃってるんですけど?」


 変なスイッチが入ってるのを見て、デアドラは鼻息を吐く。

「その狼狽ろうばいを見る限り、Emmaの忠誠は間違いないようですね。とにかくジネヴラさんは、私にとっても大切な人です。傷つけないようにお願いします」


 王族スイッチが入ったままなのに、デアドラはジネヴラの好意を隠そうともしない。

 王族であるデアドラが、一般民のジネヴラに、そこまで気遣う理由が見えない。

 何があったのだろうか?


「デアドラ、ジネヴラと初めて会ったのって、どういう経緯いきさつなの?」


*******

 

 ここからはデアドラとジネヴラの話になる。


「かなり昔の話になります。私は父親から命ぜられ、領土の施設を訪問してました。その時に、エマさんの請願書があり、ブラウン・ツリー第二孤児院に訪れたのです」

 僕はブラウン・ツリーという土地は知らないし、孤児院と言われても、イメージがピンとこない。何か緑が一杯あるような木造の施設みたいなものってイメージしか思い浮かばなかった。


 デアドラとジネヴラとマルティナ。三人が面識を持ったのは七年前になるらしかった。

 エマから出された請願書がマッカーサー家に届き、デアドラはエマの居るブラウン・ツリー第二孤児院を訪問するだけの予定だったらしい。


 ブラウン・ツリー第二孤児院はシベリウス領になるが、王族として訪問したのだそうだ。

 その当時のデアドラは、訪問する意図など考えもしなかったらしい。

 また、彼女自身、政治には全く感心がなかった、のだそうだ。

 そして、貴族の女は家を安定させる為の道具だと自覚していた。その上で、籠の中の鳥みたいな生活を、漫然まんぜんと過ごしていたらしい。


 デアドラは請願書、嘆願書を出される度に、その場所へと向かわされていたのだそうだ。

 領主代理として、不満を聞くという姿勢を見せることで、領民の捌け口になっていたのだと予想される。


 十にも満たない少女であることから、必然と領民の申し立ても穏便にならざるを得ない。

 マッカーサー家を守る為の道具としてデアドラは使われていたんだと思う。理解するには、当時のデアドラは余りにも幼すぎたのだろう。


 ブラウン・ツリー第二孤児院への道中、デアドラの中は、どうせ、エマから祝辞が述べられ、施設存続の為に投資を申し出られるのだろうと、漠然ばくぜんと思っていたらしい。

 マッカーサー領を出た後は、道も舗装されてはいるが凹凸が激しく、馬車の中で本もロクに読めなかったと言っていた。

 馬車の外は穀物が茂っており、豊作であろうとは思われた。小麦が穂を揺らす様は、金色の絨毯にも見えたらしい。

 

 ただ、読書の中に沈むばかり。デアドラは今回のエマの会談も、請願を聞くものの、そのまま父親に報告するだけで終わるだろうぐらいにしか考えていなかったそうだ。


「ですが。その出会いが自分の全てを変えてしまいました」

 

 ブラウン・ツリー第二孤児院に到着し、迎えたのはエマ。

 彼女の外見は白髪交じりの茶髪で、年齢は四十半ば。年齢以上にシワが多かったのが印象深かったらしい。

 一見すれば、エマの服装も所々すり切れ、衣服のシワも伸びていない。貴族に謁見するのに、最低限の礼節も守れていなかったらしく、デアドラはエマのことを物乞いか、そのたぐい、だと思ったのだそうだ。


 通された応接室は質素だったが、活けられた花は優美で仄かに香る藤の匂いが爽やかだったらしい。

 デアドラ屋敷の裏庭に置かれた藤棚は、その時の思い出の為に作られたと語られた。

 

 デアドラがエマから謁見えっけんの際に、ジネヴラとマルティナを大学へと進学させて欲しいと懇願されたらしい。

 彼女の不退転の表情に圧倒され、デアドラは二人に会うことを決めたのだそうだ。


『希望の芽は摘むのではなく、咲かせるべきです』


 これがエマの言葉。

 デアドラがジネヴラとマルティナに会おうとした切欠きっかけ


 デアドラが言うには、請願書など出された施設を訪問するのは儀式でしかないと思っていたらしい。 

 その仕事をすることで彼女の両親は喜ぶ。

 両親が喜ぶのが嬉しくてデアドラは仕事を続ける。だが、年齢を重ねる内に、考えることが増えたらしい。


 でも、ふとした時にデアドラはこう思った。

 このまま両親の言う通りに生活をしていってどうなるのだろう?

 私は両親の敷いてくれた道の上を歩く。でも、両親が居なくなったら?

 私は一体誰なんだろうか?


 彼女がジネヴラと会ったのは、谷が見える草原だったのだそうだ。

 青々とした緑の山中を切り開き、そこに孤児院はあった。その院庭の端は芝生の絨毯で、目の前の視界が開け、遠くに村の姿が見えたらしい。


 形式的な会話をした後、ジネヴラは芝生へと腰を下ろしたのだそうだ。

 だが、デアドラは衣服が汚れるのを嫌い、立ったままだったらしい。

「デアドラ、どうしてあなたは不安そうな顔をしているの?」

「どうせ、私は……。どこかの貴族と婚約されるんです……。私は……私が誰なのか……わからないんです……」

「ふうん。そうなんだ。でも、一つ訊かせて。あなたはそれでいいの?」

「どうして……そんな質問を……」

「だって、幸せそうじゃないもの。私から見たら、納得しているように思えないもの」

「いいも悪いも……。それしかありませんから……」


 そんなこと、言われなくてもわかっている、とデアドラは叫びたかったと言っていた。

 ただ、ジネヴラはそれを聞いて烈火のごとく怒りだしたらしい。


「ダメよ、そんな考え方! 私はね。こう思うの。あなたは生きてるんでしょ? どうして、諦めちゃうの? どことも知れない貴族と婚約させられるって、間違っていると思わないの?」

「私は間違っているのですか……」

「私が言いたいのはそういうことじゃない! 間違っているのは、あなたが犠牲になってもいいって考えている奴らよ! 全然理解できない! もう一度訊くわね。あなたは生きているんでしょう?」

「はい……」

「なら、抵抗したっていいじゃない。そんな婚約嫌だって、抵抗してもいいじゃない。あなたの人生はあなたのものでしょ? あなたがそれでいいって言うのなら私は何も言わない。だけど、あなたが少しでも嫌と感じるなら、自分の意思を示さなきゃ」

「でも……、それは、大変では……」

「大変よ。毎日、先生とケンカになるし、罰も受けるし。周りからは避けられるし。ずっとひとりぼっちだったわ」

「……」

「でもね、ずっと戦っていても、友達はできるもんなんだね。今はマルティナって友達もできたもの。もう、私は一人じゃない。だから、怖いものなんか何もないわ」

「でも……」

「私の髪って赤いでしょう?」

「はい……。でも、それって何か関係が……」


 デアドラのことは構いもせず、ジネヴラは真っ直ぐに立ち上がったのだそうだ。

 赤い長髪は風に吹かれて宙へと舞い、輝く笑顔でこう言ったらしい。


「今まで、ずっとからかわれてきたのよね。こんな赤毛って居ないから。だから、周りから色々嫌なこと言われるの慣れてるの」


 ジネヴラの鮮烈な赤色の髪は、後ろの広がる緑芝と青空に映え、まるで戦いと怒りを表す、赤いたてがみに見えたらしい。


 ジネヴラは最後にこう言ったのだそうだ。


「それで、気付いたの。自分を周りに合わせていたら、自分がなくなっちゃう。だから、自分が自分である為に、私は戦うことにした。それで、デアドラ、あなたはどうしたいの? 幸せになりたいというのなら戦わなくちゃね」


*******


 ああ、僕はEmmaに忠誠を誓った。

 誇り高きエマの名において。


 僕はエマのえん罪を解くことを、心の底で堅く決意した。




<Supplement>


※a 戸籍制度について

 戸籍はアジア特有の制度。

 イギリス、アメリカなどでは一般的に社会保障番号が使われている。

 この世界では戸籍制度はなく出入国だけが管理されている状態。税収の為に、領主によって租税台帳で管理されている場合もあれば、適当に農地管理者、ギルド連(a-1)を通じてザックリと管理されている場合もある。


 尚、カヴァン王国には移民庁が存在しており、通常の出入国はここで管理されている。

 日本で言う所の入国管理局もこの庁で管理している。

 最大の目的は不穏分子を送り込まれるのを防ぐ為。 


 カヴァン王国とアングル王国は戦争をしている。

 0x0013にてジネヴラとマルティナの両親を失った理由に戦争は第五戦争と呼ばれている。

 0x0015 にガシュヌアが発言している”十数年前の戦争”も同じく第五戦争を指す。


 a-1 ギルド連

 同業組合みたいなもの。正式名称はギルド連合会

 同じ職種のギルドが集まり、政治的な発言権を得るために設立されている。

 後述されるが、ギルド連によって会則と呼ばれる規則が制定されており、同職のギルド連であっても複数存在している。

 一応、宮廷ギルドになるのは、ギルド連内のギル連長のギルドになり、それぞれの関連省庁から認可を受ける必要がある。

(儀礼的に王から認可を受ける儀式がある。立憲君主制なので形式だけの話)


 尚、宮廷ギルドになると議会が法案(後に議会で承認を得る必要あり)を提出する際に、特別委員会が開かれる。宮廷ギルドだと特別委員会での議論に参加することができ、法案決定に影響力を持つ。


※b 宣誓供述書

 公証役場(b-1)で、公証人に宣誓認証を得た文書を指す。

 私文書(b-2)であっても、公証人が立ち会った上で、内容が真実であることを宣誓した上で署名をすることで宣誓供述書になる。

 この書類を作成するのは意味がある。

 エマの事案については、”重要な目撃証言等で、証言予定者の記憶の鮮明なうちに証拠を残しておく”為に作成されている。


 0x010D ※eにあるように宣誓の概念がないと理解しにくい。

 私達の世界の場合、”神に誓って”という真実を記載するという意味合いがあるが、この世界では多神教である為に、”神々に誓って”という意味合いになってしまう。

 

b-1 公証役場

 法務局が管理している機関で、公正証書(b-3)の作成、私文書の宣誓認証を行う機関。

 尚、宣誓認証を行った場合、原本と副本が作成され、一通は本人、副本は公証役場が保管する。

 エマ事件の場合は、原本は裁判所に提出されており、裁判官用の書庫(判事書庫:造設定で裁判官以外の弁護士もアクセスできる)に保存されている。

 (本気でやると脱線するのでさすがに省略)


b-2 私文書

 公的機関もしくは公務員以外が作成した文書。

 個人や会社が作成した文書は全て私文書とされる。


b-3 公正証書

 公証人が立ち会った上で作成される文書。

 民事裁判になった場合については、私文書と比べて、公的な効力がある為、直ちに証拠としてみなされる。私文書に関しては、裁判においては証明を必要となり、問題発生時の証明力の違いがある。

 債務支払い、遺言などの書類はこの文書を作成しておくのが効果的。

 この物語では宣誓供述書なので、公正証書は関係ない。


※c 執行猶予

 要するに有罪判定を受けるものの、刑が執行される間に、問題行動をおこしていなければ、刑罰権を無いものとする制度。

 執行猶予期間中は保護観察官が、定期的に定められた事柄が守られているかを確認する。

 執行猶予期間中に問題を起こせば、実刑が即付きになると考えればいい。


 刑罰を重い順に並べれば、以下のようになる。

  残虐刑(c-1)>死刑 > 懲役 > 禁固 > 罰金 > 拘留・科料 >>こえられない壁>>過料

 エマの場合、懲役刑になっている。

 懲役刑は禁固刑よりも重く、受刑施設(監獄)に拘禁され、労働が課させられる。

 尚、禁固刑は労働なし。

 懲役刑の場合、懲役刑終了時に労働した金額が渡される。

 

 尚、日本での売春防止法は、本来的には売春する者を守る法律である。

 戦後日本で売春婦に成らざるを得なかった売春婦を、法的に守ろうというのが法理念。


 但し、カヴァン王国での売春法は異なっており、売春者は有罪。

 国家として第四戦争時において、国庫が空になってしまった為、公娼館なるものが設立。そこで上がる収益を財源としていた時期もある。


 第四戦争後から五年後に最初の魔法発見がされる。国営化していたが、第五戦争が発生し、魔法開発が滞ってしまう。第五戦争後、魔法開発がギルドとして民営化されたのは、財源がなかった為。新たな産業が発生することにより、ITバボーみたいな魔法開発が発生する。

 これがブラック・ギルドの発生要因。変なスイッチが入りそうだが、次に倫理観を考えてみる。


 カヴァン王国は多神教ではあるが、人を誘惑する行為は良くないという倫理観が根底にある為である。

 その為、売春行為は誘惑にあたるとしており、良くないことだと判断されがちになる。

 尚、誘惑をされてしまった買春者に対しては罰則事項が定められておらず、誘惑したものこそが裁きを受けるべきだという倫理観が法体系を定めてしまっている。


 七つの大罪というものが存在し、以下になる。

 憤怒ira

 高慢superbia

 強欲avaritia

 誘惑illecebra

 嫉妬invidia

 色欲luxuria

 怠惰pigritia

 大食がないのは、文化発展過程において、深刻な食糧難の経験がこの世界ではなかった為。

 

 生活基盤は狩猟から農耕へと移り変わっている。

 狩猟による不確実なカロリー摂取源より、定期的なカロリー摂取源中心した生活様式へと移行している。

 農耕になることにより、定住という生活様式を獲得し、村ができ、都市の基盤となっている。


 c-1 残虐刑

 この世界では死刑以上に残虐刑というのが存在している。

 第四戦争、第五戦争と呼ばれる戦争時においては、この刑が執行されていた。

 戦争による重税により苦しい庶民の解消口として利用されていた向きがある。

 中世ヨーロッパでは車裂きの刑など、酸鼻さんびを極める刑が多いが、これが残虐刑に該当する。


 尚、現実な話として残虐刑を認可するべきだと個人的には考えている。

 ギル畜は頑張っているのに、バグを作る奴が居る。

 どういうわけか、また徹夜である。先週徹夜したばかりにも関わらずである。

 僅か三日しか経っていないのに、バグが増加している。一日三つのペースである。

 世の中は間違っている。何か間違っている。

 誰とは言わないが隣に居る奴がこれに該当する。

 この男はバグを生む為に生まれたのではないかと、最近気付く。

 近況報告爆撃を執行時、この男の呼称について、春さん(c-2)より、バグ野郎という名前を提案。脳内議会で全会一致で可決したので、今後、この男をバグ野郎と呼称するものとする。

 バグ野郎は害悪。だから残虐刑を執行しても問題ないと思われる。

 バグ修正させられる側からするとスッキリする。

 仮にバグ野郎に残虐刑を執行した所で、世界中からバグが減り、ギル畜達のストレスが少なくなるので、世の中的にはWin-Win関係。

 私の頭の中に天使と悪魔がいるが、悪魔は残虐刑執行を猛烈支持。天使はマクロ視点を持っているので、ベンサムの功利主義的でも、ジョン・ロールズの正義の二原理的でも猛烈支持。

 やっぱり世の中おかしいと思う。

 最期になるが、世界中でバグ取りしているギル畜に応援歌を送りたい。

 YOU YEAH!


 c-2 春さん

 カクヨムの作者、夕凪 春を指す。近況報告爆撃の被害者の一人。

 https://kakuyomu.jp/users/luckyyu

 徹夜確定で訳もわからず、近況報告に愚痴を書き込んだ時に、心優しい対応してくれたナイス・ガイ。

 いきなりすいませんでした。朝からやらかす気分でしたが、こういう形でやらかすとは思ってもみませんでした。


 c-3 あきらさん 

 カクヨムの作者、政次あきらを指す。近況報告爆撃の被害者の一人。

https://kakuyomu.jp/users/sabmari53

 徹夜確定でやっぱり近況報告に愚痴を書き込んだ。

 システム業界人であることが判明しており、ギル畜は何かある度に、近況報告に書き込んでストレスを発散する。

 システム業界人として、愚痴をちゃんと拾ってくれるクール・ガイ。

 いきなりの書き込みすいませんでした。システム・オール・イエローでしたので、どうしようもなったんです。今では反省しています。


 尚、春さんが一連の近況報告爆撃に巻き込まれたのは、あきらさんの近況報告に春さんの名前があったからである。


 c-4 三谷さん 

 カクヨムの作者、三谷 朱花を指す。近況報告爆撃の被害者の一人。

 https://kakuyomu.jp/users/syuka_mitani

 徹夜確定で毎度毎度、近況報告で愚痴を書き込まれる犠牲者。

 もはやルーティン化している可能性がある。

 でも、たまに滅茶振りをしてくる習性がある。

 いつもありがとうございます。でも、無茶振り勘弁して下さい。


※d 大陪審

 カヴァン国の刑事訴訟法は日本のそれと異なる。

 大陪審というのは、一般的に起訴陪審とも呼ばれ、起訴を認めるか、棄却するかの判断が行われる。

 尚、イギリスでは10世紀末ぐらいには同様の制度があるものの、現在では無くなってしまっている。

 再審請求した場合でも、大陪審で可決をとってから、になっている。

 カヴァン王国の場合、陪審員は貴族8人、庶民4人で構成される。

</Supplement>

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