二章 不思議の理由

第15話

 泰生が人の死は立ち会ったのは、記憶がある中ではたった一度。

「どう、婆ちゃん。元気かい?」

「へぇ、元気が無いように見えるってのかい?」

 祖母の部屋に入って、祖母の口からこぼれたのは嫌味だった。

 その嫌味に「まさか、言葉の綾だよ」と明るく返せはしたものの、頬はこけ、手足は枯れ木のように細く、血色だって良好とは言えない。

 それが嫌味ではなく、強がりなのは明白だった。

 しかし、死の淵に立ってなおその気丈、凛とした心のありように一切の弛みなく。そのことが祖母らしいと感じてしまった。

「婆ちゃんは今まで人助けをしてきたんだろ」

 その時は魔法使いなんて知らなかったが、それ以外の方面でも祖母は如月町のためにいろいろなことをしていた。

「だったら婆ちゃんのことは誰が助けてくれるんだ?」

 だが、祖母はそんな悲壮な言葉に対して、不敵にニヤリと笑う。

「馬鹿言うんじゃないよ」

 面白い冗談を耳にした時のように、笑い飛ばした。

「そんな風に同情されるほど、そう悪い人生じゃないんだよ」

「でも……」

「過程なんてどうでも良いさ。アンタのような孫がいて、こうして穏やかに暮らせてる。これ以上の贅沢なんてあるかい」

 そんな一言に呆れながらも、安堵した。

 三つ子の魂百まで。

 本当に死ぬまで人間というものは変わらないらしい。

「欲がないね。婆ちゃん」

 そんな若造の一言にも「分かってないな」と鼻で笑う。

「この歳になると、些細に思えるものの方が惜しく感じるのさ」

「そう言うもの?」

 そう言うと、静かに頷く。

「だから、もしもアンタがアタシに負い目があると感じてるなら、その分を他の誰かを助けてやりな」

「どう言うこと?」

「アタシはもう必要十分に救われてるんだ。だから、アタシに返したいと思うなら、その分を助けたい誰かを助けてやりな」

「……分かったよ」

 それはまるで遺言のようで、すぐに頷くこともできなかった。

 だが、ひどく乱暴な理屈ではあったけれども、それはすごく優しい理論だった。

 それでも、きっとすごく素敵なことだったので、はっきりと声に出して応えることができた。

 本当にそれが最後の会話になるとはこの時は知らなかったけれど。

 それでも、強く胸に刻んだ。

 ーーしかし、その崇高な誓いは、彼の目の前で最悪の形で破られようとしていた。


 ※


 目の前で自分よりも同世代の少女が刺される瞬間など、見たことどころか想像したこともなかったが、想像していた以上に精神に堪えた。

 崩れた結界と倒れる小さな体躯。この光景がやたら遅く感じられた。

「ふむ。意外だったな。刃物に対する防御か、結界破りくらい仕込んでいると思ったがーー」

 その声はどこか愉しそうで、

「脆いな、魔法使い」

 それが無性に腹が立った。


「古川ぁぁぁあぁぁぁあぁ」

 真っ直ぐ古川に向かって駆け出すも、見えない壁に阻まれ、弾かれた。

 ふと足元を見れば、今まではーー少なくとも吹き飛ばされた時には無かったはずの線が刻まれている。その線に何の意味があるかは泰生でもすぐに理解できた。

「間抜け。俺の陣がタックルくらいで敗れるかよ」

「いつの間にこんなのを……」

「全く学ばんな。線なんかこいつで簡単に刻めるんだよ」

 そう言って短刀を見せつけるように構える。

「大体、あの女が魔法使いのくせにこう言った時の用意をしてなかったせいだよ」

「……なんだと」

 その怒りと理不尽に塗れた表情を見て気が大きくなったのか、それとも実戦で興奮したからか、どこか饒舌に話していた。

「魔法使いなら不思議な管理くらいは自分でしなきゃならないさ。もちろんどんな状況でも十全に動けるように配慮する必要がある。

 それなのに、ちょっと刺されたくらいで文句を言わないでほしいーー」

「なら、私に殴られる程度で文句は言えないですよね」

 は? と言う声が漏れた気がした。

 だが、それを理解するより先に古川が顔面を全力で殴られ、吹き飛んだ。

 よほど強く殴られたのか、よほど当たりどころが悪かったのか、何度か立ち上がろうとして失敗し、その場で膝をつく。

 その側で立ち上がり見下ろすのは、小柄な白髪の少女。

 それは紛れもなくトコシエだった。

「スゲーな。不死身なのか? アンタ」

 先ほど見た光景を否定するように、力強く立つその姿を見た。

「だ、大丈夫なの?」

「えぇ、私は大丈夫。もう傷も塞がっていますので」

 よく見れば、身にまとったセーラー服にはベットリと血が付いている。

「だが、もう出血している様子もないな」

 古川はようやくゆっくりと、フラつきながらも立ち上がる。

「あの手応えは、間違いなく心臓をぶっ刺したはずなんだがな。

 ってことは、高速再生っとこか?」

「馬鹿正直に話す必要もないでしょう」

 古川の言葉には付き合わず、トコシエは油断なく構える。

 心臓を刺しても死なないなどとは、伝承に伝わる吸血鬼でもありえない。

 もしや、古川が先ほど言ったように、本当にーー、

「は、どんな奇跡を使ったか知らんが、不死身というわけではないようだな」

「え?」

 そう言われて、古川と向き合うトコシエを見る。

 そうして自分がしっかりと理解できていなかったことを知るのだ。

「トコシエ……」

 先ほどまで、余裕があり、泰然自若に構え、本当に無敵なのだと思っていた。


 だが、違う。

 全身から汗が滲み、呼吸は乱れ、視線はどこか力無い。

「ついでに、もとより多いとは言えない魔力が枯渇寸前。なるほど、先ほどの魔法は考えてみれば第五神秘フィフス・ワンダーに近い魔法ふしぎだ。なら使われる魔力も莫大と言うことか」

 相変わらず言っていることを泰生は半分も理解できず、知らない言葉も混じっている、

 だが、まともに返事をすることも出来ないほどに衰弱したトコシエを見て、その重大さは痛いほど理解できた。


 同時に、魔法使いの闘いと言うものを軽視していた自分に気づく。


 ある日突然現れたミステリアスでクールな白髪少女は見た目の年齢以上に落ち着いて、自分よりも年下のくせに子供っぽくなかった。

 だからだろうか。

 当然のように、この少女は無敵なのだと思っていた。


 当然のように、魔法に関してはトコシエに任せておけばいいと思っていた。


 何故、そんなことを思っていたんだろう?


 目の前の敵に立ち向かうのは、間違いなく自分よりも華奢で幼い少女であったと言うのに。


「まぁ、とにかく終わりだよ。お前を倒せばそこにいる男はどうとでもなる」

 悔しいが、泰生に口を挟む権利はない。

「それで、終わりだ」


「さあ? それはどうだろうなーー」

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