第2話

 やはり早朝であればまだ涼しいとは言え、学校前の墓参りはよくなかったかもしれない、と今更ながらに後悔した。

 いつもよりも家事の手順をいくつか飛ばして準備をしたと言うのに、気づけば家から出る時間を超え、いつもよりも駆け足気味に教室に駆け込むことになった。


「珍しいな。タイセイが遅刻スレスレになるなんてよ」


 そう言って腹が立つほどゆったりと迎えたのはクラスメイトの倉沢瑞池くらさわみずち。普段は彼こそが遅刻常習犯であるにもかかわらず、たまにこんなことがあると鬼の首をとったかのようなことを言う。


「ミズチ。お前が言うな」

 その隣に立つ御堂順平みどうじゅんぺいが瑞池の頭を叩く。


 そんな思いを知ってか知らずか「ちょ、ミズチって言うなよ!」と不満げに叩かれた頭をさする。

 この男、悪い人間ではないのだが、何せ頭が他の人間よりも数段緩く作られている。


「まぁ、その、ミズチじゃないが、タイセイが遅刻なのは確かに珍しい」

順平は概ね大人しい奴であるが、時折こうやって揶揄からかうことがある。

「ジュンまで言うか」

 特に遅れた訳ではなく、ギリギリ間に合っているので気分としては複雑だ。


「まぁ、今朝はバァちゃんの墓参りに行ってたからさ」

 すると二人とも「あぁ」と納得したように頷いた。

「そっか、今日は月命日か」

「早いね。去年の秋だったっけ?」

 中学からの友人である二人はそれなりに祖母のことを知っている。


故人について語る時に、こう説明するのは間違っているかもしれない。

だが、エネルギッシュな人であった、と説明するのが一番しっくりくる。


 齢八〇を超えてなお壮健で、若者よりも力強く、気力は充実し、声にも張りがある。

 そして、怒るとすごく怖い。

 そんな老女に身内である泰生だけではなく、よく家に遊びに来ていた友人二人もよく叱られた。

 余所の子だから、などと言う温い基準で子供を区別する甘い人間ではなかった。


「でも、あのバァさんが死ぬなんて思わなかったなぁ」

 瑞池が懐かしそうに口にしたことは当たり前といえば当たり前で、当然といえば当然の話。

 しかし、何故か人はその「当たり前」が自分には来なくて、「今」は永遠に続くのだと誤解する。

 決定的な「終わり」が来るその瞬間まで。


「しかし、タイセイは本当にあの人のことが大好きだよね」

 「大好きだった」と言う過去形の言葉を避けたのは順平らしい配慮だ。

「そうだな。あの人は恩人だからね」

 家族に対し使うには少しばかり大袈裟な言葉だが、それでも家族である前提とするならばその言葉を避けては通れない。

そんなことをしみじみと感じているとーー、


「で、どうだ? 明日からの夏休みだが、高校二年の夏にしかできないことをやらないか?」

空気を読めないミズチは、突如そんなことを言い出した。

「突然なんだ?」

 自分のいない間に話が進んでいたのかと思い順平を見るが、彼も不思議そうに首を振る。

 そんな反応に白けたように「おいおい」と芝居がかって呆れると「自転車でどこか遠くにでも言ってみないかって話だよ。前に言っていなかったか?」と説明した。


「うーむ」


 首をひねるが、思いつかない。

 もっとも、瑞池の「前」は、二、三年前のことだいうことが割とあるので、今ひとつ当てにできないが。


「言ってた……気もするなぁ」

 順平も記憶が曖昧らしい。

 彼の場合は思い出したというよりも、「そういうこと」にしておけば、まぁ丸く収まるだろう、という公算があっての可能性が高い気がする。


 だが、瑞池はそれで気を良くしたのか、機嫌よく自分の脳内プランを語り始めた。

「夏休みは四〇日もあるんだぜ、自転車を使えば、きっと遠くへ行ける」

「……?」

「……って計画ってそれだけ?」

疑問符を頭の上に浮かべる二人。

 対する瑞池はキョトンとして「そうだが、何か?」とのたまった。

「おい、ミズチ。えっとさ、何日間の旅行とか、どこまで行くとか、費用はいくらかかるとか、そこらへんの考えを聞かせてはもらえないのか?」

 まるで癇癪を起こした赤子をあやすようだった。

「? なんで優しく語りかけるように訊くのかわからんが……言ったろ。まぁ、適当な日数で適当なところまで行く。あと、自転車なんだから金なんて要らんだろ」

 その一言にめまいを起こしそうになる。


「あのねミズチ。夏休みは永遠じゃないんだよ。まるまる全部を充てられる訳ないでしょうよ。あと、俺たちの体力も無限じゃないしね。目標がなかったら結局グダグダじゃない?

 あと、金が一円もかからないなんてありえないからな!」


 泰生の言葉に言葉を詰まらせ、瑞池は困ったような目で順平を見つめる。

 口では自分では泰生に勝てないとすでに悟っているらしく、助け舟が欲しいと言うことらしい。

「ねぇ、タイセイ。それ以上コイツを責めるなら言っておかなきゃいけない事がある」

 その言葉に瑞池は思ってもいなかった助け舟に驚き、すぐに破顔させて順平に駆け寄った。

「さすがは順平だ。いやぁ、やっぱり俺のことをよく分かってらっしゃる!

 さぁ、先生! この分からず屋に、あっしの考えの高尚さをわからせてやってくだせぇ」

 そそくさと順平の後ろに隠れて順平を盾のようにして身構える。

 その行動に泰生は戸惑うと、順平はコホンとワザとらしく咳払いをする。

「俺は泰生の味方だぜ」

「って、お前も俺の敵だったのかーー⁉︎ 」

 そんな叫びには耳を傾けない。

「あと、コイツは迂闊なんだから、責めるなら徹底的にやってくれ」

「むしろコイツの方が容赦ないだと!」

 取り敢えず、そんなザルな計画に乗っからない、と説明をすると(友人らの忠告を理解はできながったが)さすがにしょぼくれたようだった。


「どうする? 諦めるの?」

「ーーちょっと考えてみる」

 そう言って、席を立ち上がり教室から出て行った。

 黙って瑞池を見送ったのは純粋な優しさである。

「アイツはなにやってんだか」と泰生は呟く。

 と言うか、瑞池は四〇日全てをこの旅に注ぎ込む頼りだったのか。

 相変わらずの考えなしだ。

「で、お忙しい泰生さんはどうするのかな」

「どうって……。家の掃除もしないとだし」

 その言葉は半ば予想できていたのだろう。「やっぱり」と呆れるように、また窘めるように呟いた。

「えっと……」

「俺だって夏期講習やら何やらでずっと遊んでる訳じゃないけど、もうちょっと楽しんでもいいんじゃないか?」

「……」

「この夏は今年しかないんだから」

泰生だって、順平の言いたいことはわかる。

祖母に報いようと、自分を犠牲にまでするべきではないのではないかと。

その言葉は正しい。

祖母だって「好きなようにやれ」と亡くなる前に言っていたのだ。


「でもさ。僕はこうするしか思いつかなかったんだ」

「タイセイ……」

順平の呼びかけは思ったよりも真剣だった。

でも、祖母であった老女への恩は、返す場所を喪い、心の奥で澱となって漂っている。

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