第37話 茶畑ツーリング

「お小夜~、こっちだよー」

「琴ちゃん、おはよう。こっちの方面に来ることないから迷子になるかと思ったよ」

お小夜は淡いグリーンのシクロクロスに乗って現れた。細身のフレームにクラシックな字体でBIANCHIのロゴが渋い。

「ゆりは?」

「うん、すぐ来ると思うよ。ゆりんちは川の向こう側なんだ」

「いつもここで待ち合わせしてるの?」

「そうだよ。丁度二人の家の真ん中らへんなんだ。お小夜の自転車ってなんかお洒落っぽいねー」

「うん、アンティーク風でしょ。サドルがだんだんお尻の形に合ってくるんだって」

「へえ、皮は馴染むって本当なんだねえ」

「あ、ゆり、来た。おはよう」

「おはようお小夜、ちゃんと来れて良かったよ」

三台の自転車が揃った。お小夜はパステルカラーのTシャツにレインボー模様のリュックを背負っている。

「ゆりが言った通りだ、お小夜可愛いなあ」琴は感心した。

「でしょ。じゃ、行くよ。先頭はコト。あたしは最後につくから、お小夜はコトに続いてね」

「はーい」

三台は川沿いの道を北に走った。

「いつもこうやって走ってるの?」お小夜が聞いた。

「普通はゆりが先で私が後だねー」

「そいで、時々見ないとコトはすぐどこか行っちゃう」

「いや、可愛いお花とか、変わった犬とかいると、つい停まっちゃうんだよねー」

「なんか楽しそう」

品の良い住宅街に入り緩い坂を下ると待ち合わせ場所だ。

ガラス張りのお洒落なジャイアントショップ前で五十鈴さんは待っていた。

「おはようございまーす。お待たせしましたー」

「うわ、かっこいいですね、フラットバーロードって」

琴がいきなり五十鈴さんに近寄った。

「うん、キャリアもあるから便利だよ。コンビニも行ける」

「やっぱ、きれいな色だー。私のすずらん号とお揃い!」

「お小夜、結構走れるじゃん」隣でゆりが感心している。

「だって毎日乗ってるし、高校の時は一応運動部だったし」

「でも弓道部だったでしょ。あんまり走らなさそう」

「確かに。道着と袴で走るの大変なんだ。重くて」

「そりゃそうだー」ゆりは笑ってみんなを見渡した。

「じゃあ、行きましょうか。あたしの次にお小夜、で五十鈴さん、最後はコトだよ。コト、いなくなっても判らないからちゃんとついてくるんだよ」

「あーい」


 四台の自転車は住宅街を走り出した。国道脇の川沿いを走って、線路を越えて、

三十分後にサイクリングロードの出発点である泉大橋に到着。

「ここから、加茂へ行きます。で、国道を少し走って左折して和束へ向かいまーす」ゆりがテキパキとガイドする。こうでなくっちゃと琴は心で拍手した。

加茂への一般道は交通量も少なく、見え隠れする木津川を左に見ながらの快適コースだった。途中で川の堤防に出て、視界も開ける。国道につながる恭仁大橋から見渡す木津川は、自然の中の大河の様相だった。

「ここならカワセミいそう…」

琴はゆりの自転車の愛称発祥地たる川を見下ろした。

「ゆったりしてるよねえ。小夜ちゃんも見てみなよ」

五十鈴さんも覗き込む。

「いやー、ちょっと私は…いいです」

お小夜が仰け反っている。

「あれ、お小夜って高いところ駄目なの?」

ゆりが聞いた。

「あー、まあね。こういうのはちょっとね。山なら大丈夫なんだけど」

「へー、普段は矢をぶっ放してるのに意外だねえ」

琴は妙に感心した。

「あのね琴ちゃん、人聞き悪い事言わないでよ。精神鍛錬なんだからさ」

「はーい、じゃ、行きますよ。国道に出たら右折して、少し走って左折しまーす」

ゆりが号令をかけた。


自転車は再び走る。国道を左折し、和束町に向かう府道は緩やかな上り坂だった。

「お小夜、しんどかったら言ってね。今はまだましな方だけど、途中は結構大変だから」

「はーい」

和束川沿いの道を四台は走ってゆく。幾つ目かのカーブを曲がった後、ゆりのハンドサインが左折を示し、小さな橋を渡った。

「なんか、前の方がすごい坂なんですけど」お小夜がぼそっと言った。

「茶畑はねー、山の斜面にあることが多いからさ、それを見にゆくってことは坂を上るってことなんだよ」

速度は激落ち。森の影を抜けるところでついにお小夜が諦めた。一番重い自転車だ。

「あー きつっ、もうだめー、押すうー」

「おう、私も降りよう」琴がすかさず便乗する。

「あらら、じゃあたしも押すわ」ゆりまでが押し歩きに転じた。

「あれ、五十鈴さんは大丈夫なんですかあ?」

「うん、蛇行しながら行ってみる」

五十鈴さんはダンシングで蛇行しながらジワジワ登って行った。

「さすが体育の先生だねー」琴は五十鈴さんを目で追った。

少し行くと茶畑が見えてきた。

「うわー、きれいに並んでる!」

お小夜が叫んだ。まあるいお茶の木が整然と列になって山の斜面に並んでいる。

道の脇にある立札の前で五十鈴さんが待っていた。

「すみません、お待たせして。ここ、思わず停まっちゃいますよね」ゆりが並んだ。

「うん、きれいねー。タテタテヨコヨコに並んでるねー」

立札には茶畑の説明が書いてあった。

「ここ宇治じゃないけど宇治茶なんだ。景観資産だって」ゆりが説明を読み上げる。

「ブランドってことだね」

「プロペラがたくさんだ」

「あれは霜よけなのよ」

「へえ、五十鈴さんお茶畑に詳しいんですか?」

「それ程でもないけど、前にイギリスの人が来て案内したことあるの。ここじゃないけど」

「えーイギリスから?」琴は驚いた。

「だって、紅茶だよねイギリスなら。宇治茶も好きなのかなあ」

「宇治茶って今では世界ブランドなのよ。健康にいいし、海外でもペットボトルの日本茶を買えるのよ」

「ふーん。お茶ってすごいんだ」


「では行きまーす。もうちょっと坂が続くから押したい人は押して。途中で待ってるから」

ゆりはカワセミ号に跨った。少し鍛えとかないとな。その後も茶畑の間を上ったり下ったりを繰り返し、ようやく開けた所へ出てきた。ゆりのハンドサインが減速、次いで左折を示す。入って行ったのは「お茶カフェ」と看板がある建物だった。

「ここで一旦休憩しまーす」

「あれえ、レンタサイクルって書いてる」お小夜が見つけた。

「うん、クロスバイクを貸し出してるみたいね。ママチャリじゃこの道は大変だからね」

琴も覗き込んで言った。

「それ、いいアイディアだねえ。いつも思うんだけど、明日香もさ、坂多いじゃん。でもレンタサイクルってママチャリだからみんなしんどそうだし、クロスバイクをレンタルできたらいいのになあって」

「カフェ・ワッフルが明日香に引越しして、そこで貸せばいいじゃん」

ゆりの提案だ。

「いい考えと思うけど、ヨシノ先輩大変だなあ。赤ちゃん産んで引越ししてって」

五十鈴さんが思いやった。

「コウヘイさんがきっと頑張るよ。ショップも明日香にお引越しで」

琴は嬉しそうだ。

「コト、考えてみな。そしたらあたしら、自転車の整備とか、いちいち明日香まで行かなきゃ駄目なんだよ」

「うわ、そりゃやばいわ。ちゃんと走れない時には明日香まで行けないし」

「はーい、みんな好きな事言ってないで、お茶するよ!」

五十鈴さんがお茶カフェの扉を開けた。


一休みした一同は、町の中心の交差点に出て、府道を北上する。

「ここまで来たら抹茶ソフト食べない訳に行かないでしょ」

ゆりのお勧めポイントがあるそうだ。

道路は快適。右にも左にも美しい茶畑が見える。この町は「日本で最も美しい村連合」に選ばれているのだ。琴たちは何台ものロードバイクに抜かされながら、消防署を通り越し、小さな橋を渡り、そしてお小夜がそれに気がついた。

「ねえ、あれ何?毛皮?」

視線の先には毛皮らしきが幾つもぶら下がっている。四台は思わず停車し、まじまじと見つめる。

「クマ?」

「いや、多分、イノシシよ」

「えー?なんでこんなことに?」

「だって、ここほら、お肉屋さんだもん」五十鈴さんが看板を指さした。

「おおー!」

ゆりはこっそり目を逸らした。

「さ、行こう」

「はいはい」一同はお肉屋さんの前を走って緩やかな坂を上ってゆく。

「ほら、もうあそこだよ」

ゆりが示した先には抹茶ソフトクリームの幟がはためいていた。

「ゆりってね、ソフトクリームマニアなの」琴がお小夜に言った。

「それは便利なマニアだ」

「だって、美味しいよ、ここの抹茶も絶品。だけどね、宇治市内の抹茶ソフトもすごいんだよ。今度連れてってあげる」

まったく、カロリーを取るのか落とすのか、どっちが目的だかわかりゃしない。琴はこっそり思ったが、勿論口に出しはしなかった。

抹茶ソフトを堪能した後は上って来た坂道をひたすら下る。

「車に気をつけて!」ゆりが叫ぶ。続いて「おサルに注意!」

「何だってー?」

見ると、道路脇のガードレールの袂に、おサルたちが並んで何やらムシャムシャ食べている。

「なんだあ?どーなってるんだここはー?」

叫びながら走り過ぎる。

「見ザル聞かザルだよー、目が合うと追っかけてくるから」

イノシシと言いおサルと言い、全くワンダーランドだよ。そのうち三月兎だって出てくるかも知れない。琴は思った。

さすがに下りっぱなしは速く、来た時の半分以下の時間で元の国道まで戻り、JRの駅前を通って幾つかの丘を越え、奈良市街地に出た。

「ああ、やっと知ってる所に出たー」お小夜と琴はほっとした。

「はいー、もう大丈夫だよねー って事で先頭はお小夜に譲るわ。お昼の店、選んでね」ゆりが後退しお小夜が前に出る。

お小夜は坂を上った左手にあるカフェにみんなを案内した。森に包まれた感じの佇まいだ。

「へえ、可愛いお店じゃん」

「テラス席あるからそっちに行こう」

「お小夜、結構坂道ばっかだったけど、大丈夫?」

「うん、まあそっちは大丈夫だけど、だけど、何なん?あそこらへんってサファリパーク?」 お小夜は身震いした。

「そんな大げさな。おサルは結構どこでもいるんだよ」

「人間の方がおサルのテリトリーに侵入してることもあるしね」

五十鈴さんが解説してくれた。

「ま、敏捷な子たちだから、ぶつかりそうになってもピョンって避けてくれるんだ。その代り、なんだよー危ねえよーって顔してるけど」ゆりも余裕の解説をした。

「でもなー、イノシシだとやばいんじゃない?」

「うん、あれはあたしの管轄外だよ。さすがにイノシシと衝突した話はあたしも知らない」

「ってか、もうその時点で終わってるし」お小夜はまた身震いした。

他愛のない話をしながら遅いお昼を終えた四人は琴の大学の近くまで帰って来た。

「じゃあ、ここからは好きな道で帰って下さい。ゆりガイドは任務を終了します」

「ありがとー、ゆりちゃん、お疲れさま」パコパコパコ。グローブを嵌めているので拍手も音が出ない。

琴たちは広い県道を西に向かう。大きな交差点でお小夜は左折した。

「有難うねー、私はこっちに帰るわー」

「気をつけてね」

「帰ったらストレッチするんだよー」

「うーん、ありがとー」

「お小夜、凄いねー。初めて来てこんなに走れて」琴は感心した。

「根性あるんだよ。でなきゃ家出なんかできないよ」

「あー、そんなことあったなー」次第に小さくなって行く虹色のリュックと同じように、思い出も仄かになっていた。


少し先で、今度は五十鈴さんが右折する。


「じゃ、私は曲がるわ。また連れてってねー。今日は有難う。あれ?」

五十鈴さんが曲がりかけてブレーキを掛けた。横断歩道にママチャリを見つけたのだ。

「千歳じゃない?」

「あ、お姉ちゃん、お帰り」

ママチャリで信号待ちしていたのは千歳ちゃんだった。続いて琴たちも停車した。

「ここまでそれで来たの?」ゆりが聞いた。

「あ、はい、ちょっと買い物で」

「えー、だって西が丘だよね。よくママチャリで来たねえ」琴が感心した。

「何買いに来たの?」五十鈴さんが聞いた。

「えっとスポーツショップに、自転車見に来たの。お姉ちゃんの見ていいなあってちょっと思って」

「ひゃー、千歳ちゃんも乗りたくなったんだ!」

「はい、まだちょっぴりですけど。でもめっちゃ高くてびっくりしました」

「そうでしょ。でもいい子だ!」ゆりが断言した。

「これはコウヘイさんとこに連れてくしかないよ、五十鈴さん」

「それで王子様と巡り合うんだ」と琴。

「そのあと、クリスマスは三年間我慢」すかさず、ゆり。

「え?クリスマスですか?我慢?」千歳ちゃんが怪訝そうに聞いた。

「コトんちだけだよ。麻影家の伝統」

「はは、若かったよー」返しながら、琴は第2幕の始まりを感じた。目の前でこの三年間が一気に飛去したのだ。もう、制服は着ない。でも別の制服着るかもな。それは、ゆりが期せずして点けたほんの小さな灯りだったが、琴の心に密かに灯っているものだった。


「じゃ、ゆりちゃんと琴ちゃん、私たちはこっちへ帰るわ。本当に有難うね」

「失礼しまーす」 

千歳ちゃんは小さく手を振ると、五十鈴さんと何やら話しながら並んで走って行った。


「お姉ちゃんがいるっていいなあ」琴が呟いた。

「あたしら、二人とも一人っ子って珍しいよね」

「うん、得な事もあるんだろうけど、兄弟げんかってしたことないし」

「どんな感じなんだか判んないよね。でも今更急にお姉ちゃんが来てもどうしていいか判んないわ」

「それはそうだけど、なんかでも羨ましい」

「まあね、じゃ、コト、あたし達も姉妹みたいに帰ろう」

「うん、姉貴」

「おお、妹よ。次は琵琶湖だよ。爺様にお願いしておいてくれ」

「うん、らじゃあ、夏休みに入ったら行こう」


「ただいまー」

「あーお帰り。なんか嬉しそうねー」

「うん、楽しかったよ。ゆりもたくさん走れたし、大勢で走ると楽しいし。ほら、春高の千歳ちゃんがさ、乗るかも知れないんだ。帰りに会ったの。そしたら自転車見に行ったんだって」

「ふうん、みんなが繋がってゆくのねえ。琴は自転車乗って本当に良かった。三年分のクリスマス以上のものがあったねえ」ママはしみじみと言った。

「そうか!今年からお誕生日とクリスマス解禁だった!すっかり忘れてたよ。よーし、何頼むか気合入れて考えよう」

「あ、しまった。ママとしたことが迂闊だったわ」

「お誕生日は過ぎちゃったけど、プレゼントの受付けは延長しまーす。じゃ、シャワー浴びてくる!」


三年…か。琴は半歩遠くに行ったのかも知れない。ママの心にも、一瞬、春高の制服が去来した。

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