第8話 少し風になれた初ライド

 日曜は幸い好天。集合場所は二人の家のちょうど中間地点にあるカフェの駐車場。

「で、どこまで行くの?」

「そだね、まずは川沿いに走って、サイクリングロードに入る。サイクリングロードは明日香村まで行ってるんだけど、今日は途中の広陵町まで行って、美味しいクレープを食べて帰る」

「わお、クレープ!いいね。広陵って家ばっかりと思ったらそんな店あるんだ」

「うん、乙女サイクリストの嗅覚で見つけたんだよ。坂はないけど結構ウォーキングのおっちゃんとか多いから気をつけてね。歩行者を追い抜く時は、あたしが声掛けるからついてきてね。それとさ、ハンドサインってのがあって、あたしが手をこう出すと停止する印、グッパするとブレーキだよ。あと何か避ける時は手をこうやって出すからそこを避けてね」

「はい ゆりセンセイ。余裕があればちゃんと見る」

「飛ばさないからのんびりついてきて」

「はい ゆりセンセイ。のんびりします」

「じゃ、しゅっぱーつ」

 

二人は漕ぎ出した。五月の陽射しが眩しい。やや荒れた路面をかわしながら風の中を走る。

「わお、気持ちいいねー、どこまでも行けそうだ」

「でしょ、でも路面もちゃんと見てよ。いきなり落車はカッコ悪いよ」

「あーい、センセイ」

数キロ走ると川は大きい川に合流する。サイクリングロードは一般道の歩道になって、高速道路を潜ると再び川沿いの専用道路に入る。出発から十キロ余でグラウンドのある運動公園に到着した。


「最初のきゅーけい!」

ゆりに続いて琴も停車。二人は藤棚の下に座った。

「どう?大丈夫そう?」 ゆりが聞いた。

「ん、今のところ問題なし。気持ちいいわ」

「取り敢えず水分補給しておいてね。こんな道だったら大丈夫だけど、坂が続いたりしたら水分やミネラルが汗で出てっちゃうから補給しないと足が攣ったりするから」

「へえ、身体は正直なんだ」

「そうだよ、前に吉野山に行った時、両足攣って大変だった」

「えー?そんな時はどうするの?」

「スポーツドリンクがぶ飲みして、塩タブレット食べて、騙し騙しゆっくり漕いで帰ったよ。ペダルを踵で押したら大丈夫だったりするの」

「もはやサバイバルだねー」

「うん、自転車は自己責任だからね。故障しても自分で何とかしないと帰ってこれない。と言ってもサイクリングロードなら、大人が助けてくれる事もあるよ。乙女はちょびっと得なんだ」

「ふうん、でもこの恰好じゃ歳、判んないなあ」

「そうなんだよ、イケメン兄さんキター!と思ったらオジサマだったりするんだ。ま、助けてもらって文句言えないけど」

「ゆりは、いい出会いってあった?」

「残念ながら、まだでございます。でも今はさあ、自由に走って行ける方がいいかな」

「そっか。それはそうと、ここってどこ?」

「んとね、郡山市と広陵町の間くらい。だからあと少しだよ。今日は片道二十キロだからもう半分以上来てる」

「よーし、じゃ行っちゃおうよ」

「オーケー、コトが元気なら一気に行こう」


再び走り出した二人は丘を越えて行く。


「右も左も古墳だねえ」

「うん、ギア軽くして無理しないでね」

「はーい センセイ、でもロードバイクがこんなに軽やかに走るものとは思わなかった」

「でしょ、ママチャリとは別って判るでしょ」

「確かにー。ママチャリ、もう乗れないなあ」

「次の信号、左折だよ」


2台のロードバイクは、カステラのような建物の前で停まった。


「はい、お疲れー、ここだよ。カフェ・ワッフル」

「ひゃー、住宅の中にいきなりこんなのがあるんだ」

「うん、パンケーキも美味しいけど、クレープも美味しいし、夏はかき氷が絶品」

「そうそう、鍵かけるの忘れないでね。タイヤだけ持っていかれたりするから、こうやってフレームとタイヤにワイヤキーを絡めて、2台をくっつけちゃう。ロードバイクってスタンドないから駐輪は気を遣うのよ」

「もたせ掛ける場所ないと困るね」

「そう、だからと言って、適当に木や壁にもたせ掛けると木や壁を傷つける事もあるから、取り敢えず聞いてみる事ね」


♪チョリーン


「いらっしゃーい、あれ、ゆりちゃん、仲間が出来たの?」

「そうなの、タカラジェンヌなりそこねのアサカゲコトちゃん、それっぽい名前でしょ」

「もういいよー、ゆり」

「コトちゃん? へえ どんな字書くの?」

「えっと、麻薬の『ま』に、影響するの『えい』に、名前はお琴の『琴』です」

「へえ、本当に宝塚みたいなんだ。かわいいねーコトちゃんって」

「はい、有難うございます。自分でも気に入ってます」

「ヨシノさん、あたしはベリーとバナナのクレープにラテ下さい。コトはどうする?」

「うーん、じゃあチョコイチゴと、私もホットラテ」

「はーい、じゃあちょっと待っててね」

「ゆり、ここっていつも来るの?」

「まあ、時々ね。ヨシノさんも自転車乗るんだよ。デローザのロード」

「へえ、美人だよね、なんかカッコいい。私よりよっぽど宝塚っぽいけど」

「体育大学出身で、ヨガの先生もやってるの」

「一人でお店やってるのかな」

「ううん、作ってるのはヨシノさんのお父さん。マスターって呼んでるけど、マスターもロード乗ってるんだ。で、ウチのお爺ちゃんの後輩で、自転車ショップのお兄さんはそのまた後輩。コウヘイさんっていうんだけど」

「ひゃあ、絆が半端ない」

「まあね、トラブってもここまで来れば何とかなる」


「お待たせ。コトちゃんもロード乗ってるの?」

「はい、今日が初めてですけど」

ヨシノさんって幾つなんだろ。少し年の離れたお姉ちゃんみたいだ。ゆりが口を挟んだ。

「あたしと同じ高校の同い年。先月の市のツアーでさ、エイドステーションでバイトしてたんだ」

「あー、あの五十キロ周回の?」

「うん、そこで、あたしのカワセミ号見て、気に入っちゃったの」

「へぇ、決断早いね。でもいいでしょ自転車は」

「はい、風になったみたいです」

「うん、これからどんどんいろんな風になれるわよ」


帰りは別ルートだった。

「コト、帰りは少し坂があるけどじんわり登れば大丈夫だから。龍田川沿いを走って行くよ」

二人は住宅地を抜けて、川沿いの道路を走った。

「車に気をつけて、結構飛ばしてくるから」

「はーい、今度は向かい風だね」

琴は向かい風がこんなに負担になるとは思わなかった。

「スピード出なくなっちゃったよー、ゆりー置いてかないでー」

「大丈夫だよ、ちゃんと見えてるから」

道路は蛇行する川に沿ってカーブし、登坂に差しかかる。琴はギアをローに入れヨボヨボ登って行った。

「次の信号を右折だけど、自転車は2段階右折だからついてきて」

「はーい、結構足に来てるよ」

「初心者らしくてよろしい」

帰りは休むことなく二十キロを走り、集合地点だったカフェに到着した。

「これで、坂を登って帰るだけ。コト、今日はどうだった?」

「んー、正直、帰りはきつかったよ。風と坂は敵だったしー」

「帰ったら足のストレッチしときなね。翌日随分違うから。坂はだんだん慣れてくるし風も行きは恩恵受けてたんだよね。だから仕方ないよ」

「ゆりは全然大丈夫なの?」

「うん、四十キロだから試運転距離だよ」

「へえ、凄すぎ」

「残りの坂道は走っても押しても好きなようにしたらいいから。じゃあ気をつけてね」

「今日は有難う。また明日」


カフェの駐車場からマンションまでの坂を、琴は王子様を押して帰り着いた。

駐輪場はマンションの地下にあるので雨風は防げるが、やはり心配なのでカバーを掛けている。

有難う王子様、お疲れさまでした。また今度きれいにするね。そう言い聞かせて琴はマンションの階段を上がった。


「ただいまー」

「あ、お帰り。初サイクリングは楽しかった?」

「んー、楽しかったしクレープ美味しかったけど足痛い」

「若い証拠よ。ママだったらあさって痛くなるわ」

「オバサマと較べないでください。歳はまだママの半分以下なんです」

それでも琴は満足していた。足は痛いし首も凝ってる気がするけど、下り坂の爽快な感触は忘れられない。

「でもね、少しだけ風になれた気がする」

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