Episode10 共犯

「でもやっぱ、顔が好きだったんだよねえ。その時から」

「おい、最後の最後で性欲丸出しにすんなよ。ぶちこわしじゃねえか」

 そう言いつつも、ソフィアは笑って話を聞いてくれた。やはり、彼女にわたしを殺す気などかけらもないのだろう。

「一つ聞いていいか?」

「どうぞご自由に」

 しゃべり倒して喉が渇いた。手近なコーヒーを口にふくみつつ、話に耳を傾ける。

「そのマリーって女のこと、好きだったのか?」

「ぶふっ! なに言ってんの!」

 あまりに突拍子もないご指摘に、盛大にコーヒーを噴き出してしまう。これにはソフィアもご乱心の様子。

「オレの出すコーヒーを噴いてんじゃねえ。で、どうなんだ?」

 忌々しげに顔が歪む。怖い。恋バナに興じる女の子の顔じゃない。というか、恋バナを楽しむ女の子は小型の散弾銃なんて持ち歩かない。

「……わかんない。恋を知ったのは、レイと会ってからだから」

 でも、あの知りたい、興味深いという気持ちこそが、恋心だったとしたら。わたしの恋心は、マリーが発端だったのかもしれない――そう思うと、過去の憧憬が違った輪郭で映りだす。

しかし今、ソフィアのことを知ってみたいという気持ちが、生まれ始めている。今の理論が通るなら、わたしはソフィアに惚れていることになってしまう。

 やはり、恋というのは、理論で語れるものではないのだ。

「で、それからお前らは?」

 それから。どこまで語ればいいのやら。これより先に進むと、物理的にも精神的にも恥ずかしいことが続々掘り出されてしまう。

「まあ……居心地のいい場所をやっと見つけられた、みたいな?」

 最後の最後で、お茶を濁してしまった。なんとなく微妙な雰囲気である。しかし、これ以降のこと――人はそれを惚気話と言う――を語るのは気恥ずかしいというもの。

「ねえ、一つ聞いていい?」

 それならば、こちらから会話を始めればいい。まだ銃は向けられているが、彼女も話を気に入ってくれた様子。引き金に指はかかっていないどころか、いつの間にかセーフティがかけられている。

「答えられる範囲で答えてやる」

「レイに銃を向けたことはあるの?」

 ソフィアの謎哲学、銃を向けると人がわかる。レイと知り合いならば、彼女にも試したのではないかと考えたのだ。

「ある。お前は喋ることを選んだが、シュライクは……立ち向かってきやがった」

「えっ、ショットガンに?」

「あんときはハンドガンだったが、状況はたいして変わんねえ。あいつは……」

ソフィアが、続きを口にしようとした、瞬間。外より飛来した銃弾が窓を割り、ソフィアのショットガン──テクノアームズPTY MAG-7というらしい――に直撃。弾き飛ばした。

 痛いであろう。なのに、平然としている。床に転がった銃には穴が開いており、もう使うことは不可能だ。

「45口径。どうやら、お迎えが来たようだ。お姫様」

「そうみたいね。あ、もう一つ聞いていい?」

「どうぞご自由に」

「どうしてケーキ屋さんを?」

 すると、黙り込んでしまうソフィア。言葉に詰まるということは、考えるだけのなにかがあるということ。彼女にとってのケーキ屋が、どれだけ大事な存在かが伺える。

「……昔作ってもらったケーキが不味かった。それじゃダメか?」

「不思議な動機ね。あなたのこと、気に入ったわ」

「そりゃこっちのセリフだ。生きてたら、まあどこかで会おうや」

「そのときは、美味しいコーヒーとケーキをいただくわ」

「身内だからって、サービスはしねえぞ」

 その時、ドコンと音がして、慌ただしくレイが入って来た。ドアを蹴り破ってきたらしい。わたしではビクともしなかったドアなのに。

「リサ! 大丈……夫?」

「うん、大丈夫大丈夫」

 慌てて危機一髪駆けつけましたと言わんばかりの状態から、ぽかんと呆けてしまったレイ。平和そのものといったわたしとソフィアを交互に見て、首を傾ける。そのまま、力なく壁に寄りかかった。

正直申し訳ないとは思っているが、早とちりしたのはレイの方である。致し方ない。

「ソフィア、これは」

「おうシュライク。どうやら、いいパートナーに恵まれたらしいな」

 未だ状況に対応しきれていないレイ。もう行った方がよさそうだ。残ったコーヒーを飲み干し、席を立つ。

「リサ……あたしがいない間に、なにを?」

「ちょっとガールズトークをね。レイの言う通り、ソフィアは信頼に足る人だったよ」

 去る前に、ソフィアと話しておきたくなった。立ち上がった彼女と向かい合う。謎が多いが、純粋な面を持ち合わせた強い女性。やはり、興味深い人だ。

「もっとあなたのこと、知りたかったわ」

「お前みたいに、熱の入った自分語りができる自信がねえ。勘弁してくれ」

「……そんなに熱こもってた?」

「ああ。どこぞの口下手な小鳥と比べ物にならねえくらい、喋りも達者だ」

 レイが寄って来て、わたしの肩を叩いた。形のいい顎が、外を示す。もう行くぞ、という合図。そう、わたしは追われている身で、時間がないのだ。

「ごめん、行かなくちゃ」

「諸々片付いたらまた来な」

 しかし、逃避行は続く。ここを離れて行くべきところを考えると、ソフィアの言い分には応えきれない。

「この州……というか、この国を離れるかもしれない。その約束はできない」

「そか。お前は強い。腕っぷしの強いヤツもついてる。たぶん、なんとかなんだろ」

 別れの挨拶を済ませ、外へと向かう。

数年間過ごした家に思い入れはさほどなかったので、去ることにさほど躊躇はなかった。だが、人と人の縁は貴重だ。ここで手放してしまうのは、純粋に、惜しかった。

だが、覚悟を決めねばならない。生を勝ち取るためには、より多くの犠牲を。そういう道を、わたしは進んできたのだから。生き残って――生き残って、どうしよう?

 父を討つという目的意識を持っていたが、出鼻をくじかれて逃げて来た。そして今、戦乱の真っただ中にいる。退路を断たれた今、最優先目標は、生き延びることだ。なら、その先は?

「あ、シュライク、お前はドア代と窓代弁償だから、ぜってえまた来いよ」

 レイは、なにも言わずに去る。

 弁償に行く時には、是非わたしもついて行きたい。



「ソフィアを手なずけたんだね」

 カフェを出て早々、レイが切り出してきた。店の前には、レクサスが停められていた。移動用に、レイが持ってきてくれたのだ。

「手なずけたって、変な言い方」

「そうじゃないの? たった何時間かで急接近してて、驚いたよ。しかもあのソフィアと」

「なにー? やきもち焼いてんの?」

「そんなんじゃない。ただ、情が移りすぎたら困る。リサはもう、ここにはいられないんだから」

「そうだよねー。わたしはもう、レイの隣でしか生きられないからね」

「……変なこと言ってないで、行くよ」

 そう言うレイの頬は、淡く染まっているように見える。おそらく、チークのそれではない。

 先ほど言ったのは、真実だ。ソフィアはわたしを強いと言ったが、彼女の言う強さだけでは生きていけないのが現実。レイのように、鉄火場で生き残る力がなくては、わたしの居る戦場で生き残れない。

 未来のビジョンなんて、まったく見えそうにない。でも、レイと一緒に居る未来だけは、想像することができる。その未来に向かって、もがくことができる。

 車に乗り込む。念のため、迎撃可能なレイが助手席。わたしが運転担当。

「レイ、行先は決まってるの?」

「あたしの本拠地に寄る。この車も、そこに取りに行ってた。そこで武装をちゃんと整えて、ついでにしっかり休もう」

 ここまで、順風満帆な人生の終わりに悲観ばかりしてきた。でも、そうとばかり嘆いてはいられない。ここから、再スタート。

「どこまでついてきてくれる?」

「……最後まで」

 無表情で告げるレイ。それが嬉しくて、目頭が熱くなった。でも、まだ泣くのはよしておきたい。この瞬間の嬉しさで流す涙と一緒に、覚悟が流れ落ちてしまいそうだから。

 向かう先には青空がある。まだ、戦える。



 疾走する車――実は防弾仕様。人通りも少なく、都市部からやや離れた道を進み続けた。

途中、堂々と運転してるわたしの姿が見つかっては困るという話になり、運転担当はレイに変わった。暇になったわたしはといえば、後部座席で軽食を取っている。

走り始めてから、そこそこ時間が経過していた。追手らしき車などは見当たらず、平和な時間が続いている。空は未だ明るく、点々と雲がある青空はすっきり爽やかと言った風情。

「目的地ってここから遠いの?」

「いや、そうでもないよ。何時間もない」

 それにしては、ソフィアのところへ戻るのに時間がかかっていたように思う。なにかアクシデントでもあったのだろうか。

それをレイに問うと、回答の前に少しだけ間があった。回答を渋っているのか、どう言おうか悩んでいるのか。とにかく、わたしに伝えるに際してなにかあることは明白だった。

「……リサを呼ぶことで、ちょっとだけ口論になったんだ。今のパートナーと」

「今の、パートナー」

「言わなかった? あたしがこの仕事するときに、パートナーができたって」

 足元をすくわれた気がした。わたしともあろう者が、レイの発した言葉を取り逃がしていたとは。たしか言われたのは、再開してすぐのこと。あのときのわたしは、レイとの再会で熱に浮かされていた。明らかな失態だ。

「そのパートナーってどんな人?」

 若干声が震えていたような気がする。できうるかぎり、この動揺は隠していたい。

 知りたくないわけがない。レイは目的地のことを本拠地と言った。そして、本拠地にわたしが向かうことで口論をした。すなわち、今のパートナーとやらもそこに住んでいる。

つまり、同居している可能性が高い。

「どんな、って……女」

 女。そうと聞いて安心できるほど、わたしの感性は時代遅れではない。今の時代、同性愛なんてどこにでも溢れかえっている。

「いやいや、それだけじゃなんにもわかんないよ。どんな女よ」

「……弱いヤツだ。でも、強い。そいつがいなかったら、今のあたしはいない」

 レイの語り口は矛盾しているが、愛する人のことを語るかのごとく柔らかい。きっとその矛盾こそが、その人を語るための言葉なのだろう。わたしもなにか言ってやりたかったが、特に言葉が浮かばない。聞き役に徹することにした。

「万人に好かれるタチじゃない。あたしが好きなタイプでもない。でも、すごいヤツだよ」

「ふーん」

「……リサ、もしかして、テイラーにやきもちやいてんだ」

「ええ、そうね」

 認めるしかあるまい。わたしはその女――テイラーとかいうやつに嫉妬している。求めてやまなかった六年間を、そのテイラーとかいう女は知っているのだ。レイを手放したことは、こちらに非がある。しかし、それとこれとは話が別。

 嫉妬を素直に認めたのに驚いたのか、バックミラーには驚いたレイの顔が映った。

「ねえ、わたしとそのテイラーさん、会っても大丈夫なの?」

「それはこっちのセリフだよ。リサ、声とか気配に敵意が出すぎてる」

「そりゃなるわよ。まさか自分の好きな女が他の女と作った愛の巣に転がり込むなんて思わないもの」

「なっ、愛の巣って! ……それじゃリサが浮気相手みたいだ」

「実際そうなんじゃないの?」

 車が前に揺れて、ストップ。赤信号らしい。ここまで信号の少ない道を進んで来ていたが、都市部に近づいて来たらしい。整備の行き届いた道路や、建物が目立つようになってきた。

「あのねえ! あたしがリサのためにどんだけ無理してると思ってんの!」

「うっ……でも、わざわざテイラーさんとやらのとこに行く必要はないじゃない」

「鉄火場は初めてでしょ。緊張しっぱなしじゃ、いつ倒れられるかわかんない。休める時に休ませたいんだよ」

 レイの言い分は、わたしを気遣うものばかりだ。それに比べて、こちらの言い分は、わがままにすぎない。論理的に勝ち目がないことは明白だった。

「うー……なんなのよテイラーとやら」

「そういうの、心の声だけにしといてほしいんだけどなー」

 レイが苦笑する。しかし、考えれば考えるほど、泥沼にハマっていく気がして。わたしとしては、笑っていられない。

「あたし言ったよ。最後までついていくって」

「最後って、具体的にどこまで?」

「最後は最後だよ。それ以上でもそれ以下でもない」

 曖昧な答えだ。でもレイは、なんだか、これ以上答えてくれる気がしなかった。

「リサのためでもあるけど、本当のところ、あたしのためでもあるんだ。テイラーのとこに行くのは」

 その時、後方からプップーと間の抜けた音。どうやら、信号は既に青へと切り替わっていたよう。アクセルが踏まれ、車は前へと進む。

「過去を清算するチャンスは、たぶん残り少ないから」

 深刻さを肌で感じるような声のトーン。レイにだって、抱えてるものはたくさんある。

これ以上わがままを言っても仕方ない。レイと共に行くと決めたのだ。なればこそ、わたしとレイ、二人が行くべき道を辿るほかない。



 車は市街地に入り、少しづつ中心部から遠ざかっていく。郊外と繁華街の中間地点といった具合の住宅街で、車は止まった。

 そこは、殺し屋というワードとは縁遠い、のどかな場所だった。鉄柵に囲われた広い敷地の中に、庭とガレージつきの一軒家。平和を享受する人々の領域としか思えない様相を呈している。

「本当にここなの……?」

「そうだよ。というか、ここじゃなきゃ無理」

 前で止まっていると、外界と家を隔てる門が、自動で開く。わたしたちの乗った車の来訪を、どこかで見ているのだろうか。

「この家はテイラー、というかテイラーの家の持ち物でね。あれこれ細工がしてある。住宅街の中だけど、実質浮島みたいなものなんだって。よくわかんないけど」

 レイは躊躇なく――自分の住処ゆえ当たり前だが――アクセルを踏む。

今車に同乗している女には全幅の信頼を寄せているものの、待ち受ける女に対してはそうもいかない。わたしの意志に関係なく、女二人の住処へと否応なく吸い込まれていく。

暗いガレージに向かうにつれ、心の中に不安感がつのる。近づくとガレージ内の明かりが点灯したが、心中の暗い部分が照らされる気配はまったくない。

「リサ、思ってること顔に出すぎ」

 油断した。指摘を受けるまで、自分がどんな面持ちでいるかに考えが及んでいなかった。

「うう……不安なのよ。わかって?」

「大丈夫。あたしにしかわからないくらいの変化だから」

「……いじわる」

「それに、テイラーがいなかったらリサに再会できなかったんだ」

 彼女が殺し屋になり、アンダーグラウンドに潜ってきたからこそ、わたしたちはまた巡り会えた。そうなると、レイの協力者たるテイラーは恋のキューピッドということになってしまう。

「それを言われちゃどうにもならないわ」

 ガレージはそこそこ散らばっており、中には車とバイクが止められていた。その隣、元あったであろう場所へと、レクサスが納まる。車を降りるときが来た。



 数時間ぶりに浴びる外気は生ぬるく、ほどほどに過ごしやすい具合。しかし、先行き不安の現状は常に変わらない。

 ガレージを出て玄関方面へ。やわらかな芝生の上を進み、モダンな白いドアの前へ。

『本当に連れてきたんだ』

 突如、少年の声かと錯覚しそうなアルトボイスが響いた。

「もちろん。嘘はつかない」

 レイがそう答えると、アルトボイスの返答はない。代わりに、ドアが内に開き、住人が姿を現した。

「おかえり、レイ」

 出迎えた女は、穏やかな笑顔だった。

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