第8話 「」の最後には、原則として句点や読点は入れない。後編

「……それでねぇ? 「」に句点を入れない理由なんだけどぉ~」

「お、おう……」


 数分程度の日常会話を唐突に区切り、説明へと繋いでいた彼女。

 驚きつつも聞く体勢を取る彼。

 

 なお、小説において会話を何個も繋げるのは得策ではないのである。

 中には「五個以上、会話が続いたらブラバ」と公言する者もいるくらいだ。数に関しては個人差があるので五個とは限らないのだが。

 もちろん、そんな言葉を鵜呑うのみにしろとは言わないし、実際にラノベでも五個以上会話が続くことも多く見受けられる。

 しかし、先に説明したように。

 会話とは自然に互いが話をしているだけ。読者に状況を説明していない。

 そう、読者を無視して作者が自己満足の会話を登場人物にさせているに過ぎないのである。

 では、ここで簡単な実験をしてみよう。


 

 彼女は軽く息を吐いて言葉を紡ぐ。


「……ふぅ。それじゃあ、繋ぐよぉ~」

「お、おう……」

「それでねぇ? 今の小説なんだけどぉ~、映像だって言ったよね?」

「そうだな」

「まぁ、それと直接は関係ないんだけどぉ~。純文学……まぁ、この場合は大衆文学なのかな? そう言う作品とライトノベルだと、地の文と会話の比率が違うんだよねぇ」

「ああ、確かに違うって何かで読んだぞ?」

「もちろん、全部が当てはまる訳でもないんだけどねぇ~。ライトノベルは会話の比率が断然高いんだよぉ」

「確かに……」



 これは前話の冒頭部分。会話の抜粋ばっすいに、冒頭へ地の文を加えたものである。

 想像してみてほしい。

 会話が続けば続くほど、読者の脳内の二人はフリーズを起こさないだろうか。

 二人の表情や動きや状況が把握できるのだろうか。

 二人の会話を理解できるのだろうか。

 なかなかに難しいのではないかと思うのである。


 そう、会話をすると言うことは必然的に二人の口が動くもの。連動して表情や体も動くのだろう。

 会話をすると言うことは表情や動きも変化するのである。

 正直、会話だけで私の脳内の映像を伝えられるとは思えない。

 言葉の意味もしかり。

 彼女の「繋ぐ」は前々話からの流れだが、覚えていなければ彼女の言葉に不自然さが残るだろう。

 説明がなければ純文学、大衆文学も正確に伝わらない可能性があるのだろう。


 確かに書籍でも見受けられるスタイルではある。

 最近では読者の映像の補完が可能だから、これでも問題がないのかも知れないのだが。

 正直これでは作者の脳内で再生されている映像や説明を、読者へ的確に伝えることは不可能ではないだろうか。

 だからこそ、作者は適度に会話の間に地の文をはさみ、読者へ理解を示してもらう必要があるのだと思われる。


 とは言え、一つの会話ごとに地の文を挟めば逆に登場人物を邪魔じゃまするだけである。

 目安としては。

 登場人物の表情や動きや状況の変化。説明を必要とする際。

 つまり、作者として『読者に場面の変化を伝える必要がある場合』に挟むことが最適なのだと思われる。

 特に読者に伝わらなくても問題がない場合は続けても問題ないだろう。

 とは言え、大抵たいてい会話を三・四個続ければ何かしらの変化は生じるだろうが。

 逆に言えば大きな変化やアクセント。行動に重みを与える為に、一つの会話に短めの地の文を挟んで数回繰り返すのも効果的である。


 このようにバランスを意識した彼女は、他愛たあいのない会話だけを続けて彼の脳内をフリーズさせずに。

 小説の書き方と言う、地の文を挟もうと考えたのだが。

 私が面倒だったので二人の会話文を省いた為に、小説的には意味を成さなかったことを深くおびしよう。



「作品内において、登場人物を一人ずつ確立させているんだからぁ~、会話って作者の言葉じゃなくて、その人の言葉でしょ?」

「ああ……」

「それなのに地の文みたいに句点が入るのは変だと思うんだよぉ~」

「ほうほう……」


 彼女の言葉に相槌あいづちを打つ彼。


「そもそも読者には「」で、会話の部分を枠組みしているのに、更に句点も入るのって……重複していない?」

「……言われてみれば、そうだよな」

「でしょぉ~?」


 彼の賛同の言葉に満面の笑みで答える彼女。

 重複。

 そう、作者語りとしての地の文の延長線上に会話の役割として「」で区切っているのなら理解できるのだが。

 登場人物が地の文ではなく個人的に会話をしている。つまり、地の文の延長線上ではないと言うこと。

 それは「」が、あくまでも個人の台詞……簡単に言えばマイクを向けられていることなのだろう。

 そう言う意味合いを持っていると考えている彼女。


 その上で、読者に会話だと理解してもらうように「」で枠組みをしている。

 そして、これが正解でもないのだろうが。

 基本読者と言うのは会話の「」が繋がる場合。それぞれ別の人物の会話だと認識して読んでいるのである。

 つまりAとBと言う二人の会話が続く場合。

 最初にAが会話をしたら次の会話は必然的にBがしていると認識すると言うこと。

 一人の会話は「」一つであり、次は別の人物が会話をするのが普通なのだろう。


 私が正解でもないのだろうと言ったのは。

 実際に独白どくはくで、地の文を挟まずに何個かの「」を繋いでいる作品を知っているからである。

 とは言え、通常の会話では空行が入らないのだが、独白の場合には一つずつに空行を用いている。

 それにより読者が「これは一人の長台詞なんだ」と理解ができるのだろう。

 これもテクニックの一つなのだと覚えておいてそんはないはずである。話を戻そう。


 そして、枠組みをしていると言うことは、次の文章へは繋がらない。

 誰も――


「おはよう」

「おはよう」


 と言う会話を、句点がないからと言って『おはようおはよう』と繋いで一文、一人の台詞として読まないのである。

 きちんと別々の人物の台詞だと認識するだろう。

 そう、閉じカッコが最初から句点の役割を果たしているのに、直前に句点を入れるのは二重に句点を入れているのと同じ。

 だから重複なのだと彼女は考えたのである。


「それにねぇ~?」

「まだ、あるのか?」


 彼女の言葉に疑問の言葉を投げかける彼。


 今の小説は映像であり、「」と言うのは目の前に存在する登場人物が普通に会話をしていること。

 読者には最初から意図的に枠組みがされて会話だと言うことの理解を示しているし、そもそも通常の会話に句点なんて存在しない。

 そして閉じカッコが句点の役割をしているのに句点を入れるのは重複になる。

 だから今の小説には句点を入れるべきではない。


 彼女の説明を聞いて、こう結論を出していた彼。

 そう、結論が出ているはずなのに何が残っているのだろう?

 そんな疑問を覚えていた彼に、苦笑いを浮かべながら彼女が言葉を紡ぐ。


「あぁ……うん。これは単純に見た目の話なんだけどぉ~。えっと……」

「ん? ……」


 こんな言葉を紡ぎながらメモ帳に何かを書き出す彼女。

 疑問を覚えてメモ帳に視線を移した彼。



『「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだよ。」』


 

「……んん?」

「こ、言葉に意味なんて、ないんだよぉ~」


 その文字を眺めて疑問の声を発していた彼。そんな彼の視線の先の文字を両手で隠しながら、冷や汗まじりに言葉を投げる彼女。

 彼女のことだから、また何か願望を書いてくるだろうと踏んでいた彼なのだが。

 ある程度のスキンシップと会話を挟んでいる為、彼女は特に何も考えずに書いていたのだろう。


「と、とにかく重要なのは文末なのっ!」

「お、おう……」


 両手をパッと戻すと勢いよく言い放っていた彼女。

 その言葉に押されるように、彼は曖昧あいまいに返事をするのだった。


「これが私の台詞だとするよね?」

「ああ」

「……うーん……」


 言葉を続けた彼女だったが不満そうにうなると再びメモに文字を書き足していた。



『「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだよ。」』

『「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだよ」』


 

 そう、同じ台詞なのだが句点を入れない文を書き足していたのだった。


「ねぇ? どっちの方が言葉に力があると思う?」

「は? いや、変わらないだろ?」


 唐突に紡がれた彼女の言葉に素直に返事をする彼。

 確かに「言葉の力」と言われても、書かれているのが同じ文でしかないのだから変わらないと感じるのだろう。

 しかし彼女は彼の言葉を受けて苦笑いを浮かべながら正解を伝える。


「違うんだよぉ~。だって、ほら?」

「ん?」


 彼女は言葉を紡ぎながら最初の文の文末。句点を指差す。


隙間すきまが空いているでしょ?」

「……まぁ、な?」


 彼女の言葉にうなづく彼。

 確かに句点が入ると閉じカッコとの間に隙間が生じている。

 これは句読点が全角の前半分。縦書きの上半分に存在するからなのだが、「」もそれぞれ内側半分に存在する。

 

「枠組みをしているのに隙間があると~、そこから空気がれそうじゃない?」

「……」

「バランスが悪いでしょぉ~?」

「ま、まぁな?」


 彼女の言葉に複雑な表情を浮かべる彼。

 そんな彼の表情から心情をさとったのだろうか、床に両手をついて。

 彼の方へと上半身を傾けてながら困惑ぎみに言い直していた彼女。

 きっと、「いや文字はともかく……お前の間の抜けた語尾の伸ばしの方が空気が漏れていると思うんだが?」などと考えているのだろう。

 とは言え、確かに見た目的にも句点があると隙間が目立っているように感じた彼。

 空気が漏れるかは理解できないが、確かに座りが悪い。つまりバランスが悪く見えるのだった。


「だからぁ~、登場人物の台詞として枠組みをしているのに、隙間を作るのって『しっかりと人物の言葉を言い切っている』って感じないんだよぉ?」

「な、なるほど、な……」


 そのままの姿勢で言葉を繋げる彼女。

 それほど傾斜けいしゃをつけている訳でもないとは思うが、彼女の両腕はプルプルと震えていた。少しずつ近づいてくる彼女。このままでは、確実に倒れこんでくると悟った彼。

 そんな彼女に苦笑いを浮かべながら、彼は理解を示そうとしていた。

 単純に体勢を元に戻してもらいたかったのだが。しかし。


「……あー、ばらんすをくずしちゃったー」

「って、おい! ……」


 一瞬ニヤッと笑みをこぼすと棒読みの台詞とともに、彼の胸へとなだれ込む彼女。

 驚いて彼女を受け止めた彼は「まったくな……」と言いたげに胸の中の彼女を覗き込む。

 そう、プルプルと震えていたのも、なだれ込んでいたのも彼女の演技である。

 その証拠に。


「うーん。力が抜けちゃったから、しばらくこのままでぇ~」


 満面の笑みを溢しながら、こんなことを口にしている彼女なのだった。



 「」の最後には、原則として句点や読点は入れない。


 ――つまりは、現在のように登場人物を確立させて、人物の生活を描いている小説において。

 会話とは登場人物の口から発せられる台詞であり、決して文字ではない。

 そして小説としての観点でも見た目的にバランスが悪く、元より重複なのだから句点は入らない。

 彼女の考えは、こう言うことなのだろう。


 なお、私は「」は人物の口から発せられている。正確には視覚から口の動きが確認できる時のみ「」を用いている。

 それ以外、聴覚から音声のみ入るもの。そして視覚のみで認識できる文字などは『』を用いている。

 つまり、普通に目の前で繰り広げられる会話にのみ「」を使用。

 電話の相手や機械などの音声、手紙などの文字には『』を使用している。

 だから『』で文字を再現する場合には句点が入ることもあるのだろう。文字には句点が入るものだから。


 そして「」や『』で強調する場合。

 同じものを入れることは混乱を招くので禁じるのが好ましい。

 そう言う意味合いで、こんな書き方をする者もいるのだが――。


「おはよ「おはよう」う」


 つまりAと言う人物が「おはよう」と言い切る前に、言葉をさえぎってBと言う人物が「おはよう」と言っているつもりなのだろうが。

 正直に言おう。これでは何も伝わらない。混乱を招くだけなのである。

 何故なぜならば、「」の枠組みにおいて「」は一人の会話であり、間に割り込んできたからと言って区切られるものではない。

 つまり、この書き方では。

 普通に「おはよう」と言う台詞の「よ」と「う」の間。そう、〇コンマ何秒かの間に「おはよう」と差し込んでいることになる。

 そんな芸当ができる訳もなく、やる馬鹿もいないだろう。


 もしくは、本来ならば同じ種類を使わないのだが、単なる誤植ごしょくによって。

「おはよおはようう」とAが言っているだけになるのだ。

 そう、だから混乱を招くから同じ種類を使ってはいけないのである。


 もしも、このように使いたいのであれば。


「おはよ――」

「おはよう」

「う」


 と、「」を区切って書くべきなのだと思われる。

 三点リーダやダッシュについての詳しいことは次回にするとしよう。

 とにかく……力の抜けた彼女は彼の胸で英気を養っているのであった。 

 

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