第三幕

茶番劇

発覚

 ホテルリーガンTの清掃管理主任を務めるノリコはいつも通り、管理室にてフロントから入る注文と清掃員への指示に奔走していた。


 今日の清掃員は自分と同じく既婚の熟年女性ばかりで、時折廊下に出ると聞こえてくる会話はその大半が夫の愚痴と、アヤカの噂話だった。

 昨日の朝に突然姿を消し、夕方には裏通りで見つかって連れ帰られたという彼女の行動を訝しみ、どうせ結論など出やしない推理ごっこに細やかな楽しみを見出す彼女たちにノリコは心底辟易し、早々に仕事を切り上げて屋敷へ帰りたくなっていた。


 今朝、ケントもちゃんと帰って来た。アヤカももう家にいる。彼女たちがいくら蔑もうと、若い彼と彼女は子供のいない自分にとってかけがえのない養子であった。

 資産家である夫がいるにも関わらず仕事を辞めない理由は夫婦仲が冷めきっていたからであったが、刑務所や感化院から養子を取るようになってからすっかり夫は優しくなり、もう無理に外へ出て働く理由もない。

 熟女たちの下品な噂話を小耳に挟むにつけ、そろそろこんな所も辞めて、大事な子供達に寄り添う時間を増やすべきかという想いは日増しに募っていった。


 そんな心境の中でもノリコは清掃員たちに粗方の指示を出し終え、また管理室に戻って来た。

 が、扉を開いた瞬間、驚いて心臓が止まりかけた。見覚えのない男が二人、室内で神妙な面持ちをして待っていたので。


「あぁ、すみません、驚かせてしまいまして……川越紀子カワゴエ ノリコさんですね?」


 年配の方の男が、白髪混じりの頭をかきながら声を掛けてくる。ノリコは、何となしに二人が放つ威圧感に覚えがあって大体その素性を掴んだが、どうにも嫌な予感がして、それが外れてほしい一心で眉を顰めて訊ねた。


「どちら様……?」

「はい、我々、こういうモンです」


 男は恭しく頭を下げながら、懐から警察手帳を取り出した。後ろに立つ若い男もそれに続く。刑務所や感化院から養子を取る時に、何度も目にしたこの仕草。ノリコはやっぱり、と胸が締め付けられるような想いを堪えながら、手帳に書かれた名前を確かめる。

 年配の刑事の名は、『柴山鉄雄シバヤマ テツオ』、若い刑事は『飯塚諒太イイヅカ リョウタ』。


「改めまして、突然お伺いして申し訳ございません。何分、急用だったもので」

「何事ですか、一体……」

「はい、先ほど、旦那様と親しいウチの四課の者が御宅を訪ねまして……」


 シバヤマは思わず、そこで言い淀む。イイヅカもまた悲痛な面持ちで少し俯き、上司の横顔とノリコの顔を交互に伺う。


 ……ノリコは彼らの続く言葉を聞くと二人の警官の制止を振り切り、職場を飛び出して屋敷へ駆けた。


 嘘よ、嘘……嘘、嘘嘘嘘ッ!


 二人の警官は彼女を懸命に追った。小柄な中年の女性の足になど、簡単に追いつける筈だった。しかし何故だか二人は、いとも容易くノリコの背中を見失った。


 当惑する二人を包み込むように、ローズの香りが漂う。


『駄ぁ目よ邪魔しちゃ。これから親子水入らずの、大事な話があるんだから……』


 二人は脳内に響いた淫靡な女の囁き声に思わず立ち止まった。顔を見合わせ、共に同じ声を聞いたことを確かめ合う。


「なんだコレ……い、一体何が起きてるんです!?」

「落ち着けイイヅカ……! とにかく署に連絡しろ。俺は一先ず、このまま屋敷へ向かう!」

「は、はい!」


 シバヤマは錯乱する頭を必死に働かせてイイヅカに指示を出すと、川越邸に向かって走った。

 だが、いつまで経っても辿り着けない。気づけば同じ所を走っている。


『ウッフッフッフ……どうしたの、慣れた道でしょう。迷子になっちゃったの? お爺ちゃん』


 脳内でまた、あの女の囁き声が聞こえる。


「う、うるさい……! うるさいッ! 邪魔をするな……お前は……お前は誰だッ!?」


 閑静な住宅街の道路に立ち、シバヤマは一人絶叫した。

 朝を告げる鳥たちの鳴き声が止み、バサバサと家々の庭から飛び立った。

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