ユメノオワリ

 幼稚園に着くと、園庭にはいくつかのパラバルーンが、踏み潰されたカエルのようにペシャリと敷かれていた。


「なんだ来たんだ、の癖に」


 ケント少年に少し遅れて幼稚園に来たリュウジが、追い抜きざまに耳元で囁く、それと同じ顔で、同じ口で、隣にいる両親に甘える。

 そんな姿を見送りながら、ケントは何も感じなかった。ただぼんやりと、「あぁ、なるべく早くやらなきゃなぁ」と思う。


 ワイワイ、ガヤガヤ。

 昨日、一昨日、入園からずっと、ケントに暴言と暴力を集団で見舞ってきた子供達がそれぞれの両親にそれぞれの決意を口にし、パラバルーンに向かって歩き出す。「頑張れ!」両親は微笑と共にそれを見送る。


 何も感じないまま、ケントは子供達の群れに混じり、保護者の群れから離れて行く。彼らの保護者は我が子しか見ていない。それは正しいと頭で理解しながら、これからどうやって彼らの子供を目の前で奪ってやろうか、と同じ頭で考えを巡らす。ケントの頭は凍りついたように冷たくなっていた。


 配置につくと、自分を見てクスクスと薄ら笑いを浮かべる彼らと共にケントはパラバルーンを広げた。やけに重い。が染み込んでいるのがわかった。


 あぁ、おじさん、そういうことだね。


 膨らんだパラバルーンに潜り込んだケントは、「いってきまぁす」の後に何となく懐に忍ばせたライターとナイフを手に取った。

 隣にはリュウジ。その隣にも、そのまた隣にも、今倒さねばならない敵がいる。


 ケントは無心で点火した。火はバルーンに染み込んだを伝って、あっという間に燃え広がった。

 業火の檻と化したバルーンの内から外から、悲鳴がこだまする。


 熱い、熱い、助けて


 冷えているのはケントの頭だけ。燃えていないのは不思議と、ケントの立つその一点だけ。敵は頭や服に燃え移った火に怯え錯乱しながら、猛然とケントの方に殺到する。


 うるさい、うるさい、鬱陶しい……


 ケントは無心のままに、寄ってくる敵の喉笛を次々と搔き切る。その感触はカエルの解剖に似ていた。血走った目をケントに向けて、バタバタと倒れこむ彼らは、広げる前のバルーンに似てあまりに不格好だった。檻の内側の悲鳴は、あっという間に消えた。

 隣で事切れたリュウジの目から初めて嫌味ったらしさが消えたので、ケントは不覚にも笑ってしまった。


 何してるの、早くウチの子を助けてッ!


 外側の悲鳴に押されるように、誰かがこちらに駆け寄る。それが誰だか、ケントはすぐに察した。まるで導かれるように、最後の敵・女性教諭は、返り血に塗れたケントの立つ燃えていない一点に手をかけ、檻を覗き込んだ。

 ケントは驚愕と恐怖に歪むその表情を一瞥すると、昨日噛り付いた親指にバンドエイドを巻いた手を引いて彼女を引きずり込み、機械的な動作でその喉笛を搔き切った。


 最初から最後まで何も感じないままに、戦いは終わった。

 物言わぬ骸と化した彼女が僅かに開いた出口を無造作に押し上げて、返り血に塗れたケントは業火の檻から這い出る。


 背後には、パチパチと燃え盛る炎の音。正面には、一様に顔面蒼白となって自分を見る大人たち。


「誰かッ! 誰かウチの子を助けてぇっ!」

「駄目だ、あれじゃもう助からない……」

「なんだあの子……なんであんなことを……」

「ひッ……! なんだあの目……!?」

「あ、悪魔……」

「こ、この悪魔ッ!」

「悪魔の子ッ! 悪魔の子だぁーーーっ!」


 うるせぇよ。知らないくせに。

 何も知らないくせに……



 ♦︎



 カタン、カタタン……

 揺れる電車の中、ケントは再度我に帰る。眠っていたわけでもないが、心はここになかった。

 窓に映るのは今の自分。感化院にいる内に壊し尽くされた、焼け野原に立つカラッポの今。川越健人カワゴエ ケントという今。


 見たくもない過去を突きつけたのはアヤカか。止まったまま自分を何処へか運ぶ、この電車か……


「いいえ、私よ」


 突然、艶かしい女の声が真横から響いた。

 今までずっと見ていた窓に、自分の隣に腰掛ける女が映った。ワインレッドのクローシェを目深に被り、漆黒のPコートに身を包んだ、座っていても分かるほどの長身の美女。


「初めまして、川越……いえ、仰木健人オオギ ケントくん……もとい『悪魔の子』。私は『ユミコ』。よろしくね」


 驚愕と恐怖に硬直して視線すら動かせないケントに、もまた窓を見たまま、真っ赤なリップに彩られた唇で語りかける。

 濃いアイメイクの下で薄く開かれた妖艶な瞳が赤く光り、窓を通じてケントの虚ろな目を射抜く。


「全部見せて貰ったわ……私は、貴方を知ってる。全部ね」


 甘ったるいローズの香りが鼻をつく。生ぬるい体温をすぐ傍に感じる。

 ケントは、己が見ているのが幻覚でないことを悟ると同時に直感した。


 この女、人間じゃない。

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