ダンジョンへの侵入者 その一

 アゼリア大森林には様々な種族が生息している。


 その中でも比較的数が多いのがトロールと言われる妖精族である。

 巨大な体躯でありながら知能が極端に低く、目に入った生物に見境もなく襲いかかり、その肉を容赦なく引き裂き喰らう。その残忍でどう猛な性格に見た目の醜悪さが手伝い、森の他の生物に忌み嫌われる存在となっている。


 しかし、そんな危険なトロールを好んで狩り続ける人間の男がいた。


 彼の名前はイシロンテ。アゼリア大森林で生を受け、その過酷な環境で生き延びてきた一人である。


 

            ▫️



 ──アゼリア大森林東部の川沿いにある小洞窟の前、イシロンテはトロールと対峙していた。

 黒いフードから覗くその面長な顔には不敵な笑みが浮かんでいた。彼の薄い唇の端がわずかに上がる。

 

「来いよ、木偶でく


 寝ていたところを起こされたトロールは機嫌が悪い。そこにイシロンテの挑発が加わり、怒りが頂点に達する。トロールは棍棒を高く振り上げ、イシロンテの脳天をめがけて勢いよく振り下ろした。その一撃をすっと真横にかわしたイシロンテは、ステップを踏みながらトロールの周りを回り出す。すると、陽炎のようにゆらゆらとしたイシロンテの残像が生まれ、トロールを取り囲んでいく。

 トロールはあたりかまわずその残像を叩き、かき消していくが、イシロンテを全く捉えることができない。トロールは肩で息をしながらも、渾身の力を振り絞って残りとなったイシロンテの一方を叩き潰す。

 「──残念」イシロンテの声と同時に、トロールの左脇腹に黒い一閃が走った。ぱっくりと割れた脇腹から内臓がドボドボとこぼれ落ちる。


「グモォオオオオオオォオオオ!」


 次の瞬間、トロールの傷口とこぼれ落ちた内臓から黒い炎が上がった。肉の焦げる匂いがあたりに漂い始める。

 トロールは炎を消そうと川に飛び込んでのたうちまわる。川の中でもがき苦しむトロールをイシロンテの三白眼が冷たく見下ろす。


「その炎は消えねえよ」


 イシロンテの右手には赤黒いナイフが握られていた。刀身の周りに黒い炎が揺らめいている。彼が『慈悲』で手に入れた『武器』 ──【黒炎ナイフ】だ。切った対象を黒い炎で焼きつくすというマジックアイテムで、その黒い炎は対象が灰になるまで決して消えないという。


【黒炎ナイフ】を静かに鞘にしまったイシロンテは手を上げ叫ぶ。


「いいぞ、ゴブリンども!」


 近くの木陰に潜んでいたゴブリン五匹がいっせいにトロールに襲いかかった。彼らは【ボーンナイフ】でトロールを滅多刺しにし、解体していく。

 通常トロールはその尋常ではない自己再生能力で多少の傷を負ってもすぐに再生するのだが、ゴブリンが解体するスピードが凄まじく、その再生が追いつかないのだ。


「気をつけろよ。その黒い炎に触れると最後、お前らもお陀仏だぞ」


 ゴブリンたちは器用に黒炎が燃え盛る部分だけを残し、それ以外を喰らい尽くしていく。イシロンテはトロールの狩りのとどめはいつもゴブリンに任せている。いや、食わせているといったほうが正しい。


 イシロンテが『福音』で入手した『仲間』──肉食ゴブリン。トロールと同様、非常にどう猛な性格で肉であれば何でも食べる妖精だ。小柄である分、素早い身のこなしが可能で、器用に武器も扱える。初めは七匹いたが、過去のトロールとの戦闘ですでに二匹死亡してしまったので、今は五匹になっている。彼らは主人であるイシロンテの命令であれば、何でも従う。


 すでに絶命しているトロールから魔素を回収するイシロンテ。


「60魔素か、シケてやがる」


 イシロンテはトロールの寝床である小洞窟に入っていく。実はイシロンテの目的は。トロールは襲った獲物から金品財宝を奪い、寝床にため込む習性があるのだ。イシロンテはこの習性に目をつけていたのでトロールを集中的に狩っているのだ。肉食ゴブリンたちに持たせている【ボーンナイフ】もトロールの寝ぐらで見つけたものだ。


「お、こいつは……」


 金属のガラクタの山の中にキラリと光る指輪があった。センターストーンは緑色の球体で、何本かの木の根のようなものがマウントからその球体を包み込んでいる。アームの部分にも同じく木の根のようなものが巻きついている。

 イシロンテは左手から具現化した青いクリスタルでその指輪を調べてみる。


 彼が見つけたのは【圧搾の指輪】──死亡した対象や、破損して効果のなくなった対象から最後の魔素を強制的に搾り取ることができるマジックアイテム。ただし、魔素を搾り取られた対象は二度と蘇ることは不可能となり、この世界から跡形もなく完全に消滅してしまう。


「──なるほど、使えるな」


 イシロンテは早速、【圧搾の指輪】を左手の中指にはめ、目の前にある金属のガラクタの山にその左手の甲をかざした。そして拳を強く握りしめると、ガラクタの山から魔素が次々と浮き出てきたのだ。魔素を搾り取られたガラクタの山は黒い塵となり霧散していった。

 浮いている魔素をクリスタルに収納し、イシロンテは叫ぶ。


「おい、臨時収入だぞ! ゴブリンども、クリスタルを出せ」


 トロールを食い尽くし、小洞窟の入り口で待機していたゴブリンたちがイシロンテに駆け寄る。イシロンテは自分のクリスタルからゴブリンたちのクリスタルに魔素を移した。ゴブリンたちはいっせいに声を上げて喜ぶ。


 その時、小洞窟の外から砂利のきしむ音がした。イシロンテは口に人差し指を当てゴブリンたちを黙らせる。そして【黒炎ナイフ】を腰の鞘から音を立てずに抜き、臨戦態勢に入った。ゴブリンたちも同様に身構える。

 小洞窟の外にいた何者かが、勢いよく砂利を弾き逃げ去っていく。「追え!」その音を聞いたイシロンテは即座にゴブリンたちに命令する。


 ゴブリンは五匹いっせいに小洞窟から飛び出していくと、そのまま右手の方に猛スピードで走り去った。

 人影が茂みの中に潜りながら逃げていくのを、ゴブリンたちは口々に奇声をあげながら追いかけていく。主人の命令でもあるが、狩り自体を本能で楽しんでいるのだ。イシロンテはそんなゴブリンたちの後ろを、一定の距離を保って静かな足取りで尾行する。


 追いかけていたゴブリンたちが急に立ち止まる。獲物を探し、辺りをキョロキョロと見回している。追いついたイシロンテは小声でゴブリンたちに言った。


「二匹ずつに分かれて探すんだ。長耳は俺に付いてこい」


 肉食ゴブリンも固有の肉体を持つので、それぞれ特徴がある。イシロンテが指名した「長耳」は、ゴブリンたちの中で一匹だけ耳が異様に長い。彼らの中で最も賢く、自然と隊長格になっているのだ。


 イシロンテは長耳を前に歩かせ、慎重に茂みの中を進んでいく。


「まだ遠くに入っていないはずだ……気を抜くなよ」


 長耳は「ギギィ」と静かに答え、武器を持つ右手に力を入れた。


 しばらく探索していてたイシロンテたちは大きな岩があちらこちらに転がっている丘陵地に入った。視界が開けたイシロンテは、その岩山の中腹あたりに洞窟の入り口があるのを発見した。黒いフードの中に満面の笑みが浮かぶ。


「おい、止まれ。お前は他の連中を集めてこい。逃げたやつはあの洞窟に逃げ込んだ可能性が高い」


 イシロンテは顎でしゃくって長耳に洞窟の場所を示す。長耳も視界にその洞窟を捉えると、大きな口を裂けそうなほど開いてニタリと笑った。


「これはお宝の匂いがするぞ」

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