迦陵頻伽

貴津

迦陵頻伽

 幼い頃、市で観た美しい鳥人。

 鮮やかな赤や青の羽毛を纏い、背には大きな翼。そして見目麗しい人の顔と如何なる楽器にも敵わぬ歌声。

―― 迦陵頻伽

 東方の異国からこの国の王に献上されるためにやってきた美しい鳥人。

 それ観た瞬間から、レンカは迦陵頻伽に魂を魅入られてしまった。


「鳥人は雛の頃から育て、育てた主の前でだけ美しく歌うのです」

 そう言って差し出された小さな籠の中には、小さな白い卵。

 毎朝朝食に出てくるそれと大差ないように思ったが、籠に顔を近づけるとぴぃぴぃと微かな囀りが聞こえる。

「マジか……卵暖めるところから俺なの?」

「雛を孵し、育てる専門の職の者もおりますが、飼育者をつけるとなると……これがかかりますゆえ」

 籠を持つ男はニコッと微笑むと人差し指と親指で丸を作り、要は金かかるから勧めませんと言った。

「昔ご覧になられたという迦陵頻伽は、多分、国王陛下に献上されるために鳥の主ごと王城に上がったのでしょう」

 その日の自分の食い扶持も精一杯のレンカに他人を養えるほどの甲斐性はない。

 その上、今日からは金食い虫と名高い迦陵頻伽を育てるのだ。

 お世話係など雇う余裕があるわけもなかった。

「わかった。卵は俺が暖める。あー、あと必要な物とかってあるか?」

 多少の金は作ってきた。

 迦陵頻伽を観た日から、いつか自分の為の迦陵頻伽を手に入れるためにレンカは必死に働いて金を貯めてきたのだ。

 そして、家一軒建つほどの金貨と引き換えに、この白い卵を手に入れた。

 育てるのに不備があっては悔んでも悔やみきれない。この日の為にレンカは家一軒に馬を買うぐらいの金は貯めてある。必要なものはきちんと買い揃えてやるつもりだった。

「必要な物ですか……そうですね。特にはございませんね。ご主人の愛情があれば十分育ちます」

 男はケロッとした顔で言う。

「迦陵頻伽は金がかかるのは俺も知っている。金ならまだ少しある。必要なものを揃えて万全を期してやりたい」

 レンカがそう言うと、男は少し意外そうな顔をした。

「それは真摯なお心がけ。ですが、迦陵頻伽は育てるだけならばそんなにお金はかかりません。美しく麗しく、上手な歌を歌うようになる為にそれを教える者を雇う事が大変なのです」

「それじゃ、音痴の俺が育てたら音痴になるという事か!」

「あー……迦陵頻伽はもとより歌の才がございます。ですので、音痴という事はございません。それなりに。でございます」

「それなり……」

 歌の先生をつけねばならないとは知らなかった。

 流石に馬一頭分の金貨では、人を雇う事は無理だ。

 諦めるしかないかと、ため息を吐いて籠の中を覗くと、白い卵からまたぴぃぴぃと声が聞こえた。

 愛らしいその声はすでに手放すには遅すぎる程の情をレンカに湧かせた。

「迦陵頻伽は人の機微に聡い生き物です。人と同じ言葉を話し、当然、心も同じようにございます。慈しんでお育て頂く事が何よりです。どうぞ、その腕に抱いた子を慈しんであげてください」

 男はそう言うと恭しく頭を垂れた。

 レンカは意を決して男に金貨の入った袋を渡す。

「この子は貰い受ける。あと、せめて心地よい寝床で迎えてやりたい。残りの金で上等の絹をこの子の為に用意してくれ」

「かしこまりました」

 こうして、レンカと卵は共に添う事となったのだった。



 それからレンカは必死に卵を抱き続けた。

 卵の面倒は思ったより大変で、ただ抱えて温めればいいというものではなかった。

 柔らかな絹でくるみ、常に懐に入れ、時折ころころと転がし、あらゆる衝撃から遠ざけ、危険から守り、そして声をかける。

 レンカの元にやってきた卵の中からはすでに鳴き声が聞こえる程育っているが、迦陵頻伽はここからさらに卵の中で成長してから孵化する。

 迦陵頻伽は卵の中にいる間に言葉を覚え鳥人となるのだった。

「かわいい、かわいい雛鳥、早く生まれて来てくれ。元気ならばそれでいい。早くその姿を見せてくれ」

 レンカは朝に夜に、絹に包まれた卵を撫でては声をかけた。

 子守唄が良いと書物にはあったが、如何せんレンカは酷い音痴だったので音痴が移ってはならぬと歌は止めておいた。

 声をかけてやると、小さな卵は時折か細い声でぴぃぴぃと鳴いて応える。

 その様が大層愛らしく、レンカは心から雛が孵るのが楽しみだった。

 昔見た迦陵頻伽はそれは鮮やかな羽色をしていた。あれは国王に献上される特別な迦陵頻伽だったが、その後に見た迦陵頻伽もみなそれぞれにカラフルな羽色をしていて、まるで南国の花が咲き誇るような美しさだった。

「歌が多少下手でも良いぞ、お前の姿を見るのが楽しみだ」

 レンカはそう言って、柔らかな絹にそっと卵を包み、懐に入れて撫でてやった。


 鳥人は人と鳥の混血の為、卵生であっても孵化までに時間がかかる。

 孵化までは3カ月ほどかかり、寿命はおよそ30年。孵化した時は手のひらに乗るほどの雛で、半年をかけて成鳥になる。

 成鳥になる過程で人の言葉を話し始め、知能も人と同じくらい。性格は総じて大人しく、争いを好まない。歌が好きで、秀でたものは舞いも嗜む。


「迦陵頻伽を迎えると嫁も貰わずのめり込むと聞くぞ。これ以上貰い遅れてどうするんだ」

 酒を持って遊びに来た仕事仲間のグランが、卵を腹に抱えたまま酒を飲んでいるレンカを見て揶揄する。

「いいんだ。俺は嫁を貰う金も全てこいつにつぎ込んだ。余生は迦陵頻伽の美しい声を聞いて過ごせばそれでいい」

「歌の上手い迦陵頻伽は見世物で稼ぐだろうから、金には困らなそうだな」

「何を言うんだ! こいつにそんなことはさせない! 俺が働いて俺が養うぞ」

 レンカとグレンは傭兵だ。

 二人の住むこの国は平和だが、近隣国には度々戦が起こる。戦が起これば兵を募るので、そこへ行って戦って金を稼ぐ。

 命を張る仕事ゆえに報酬は高いが、戦が無ければ無職だ。

 グレンは荷役の出稼ぎに出て日銭を稼いでいる様だが、レンカは卵の為に今は仕事をしていない。

「お前が稼ぐのはいいが、お前が戦に出ている間、この鳥はどうするんだ? 面倒をみる者が必要だろう?」

「それは仕方ないな。半年もすれば成鳥になるし、鳥人は頭が良いから一人でも暮らせる。それまでは俺が世話をするが、時々は留守番をしてもらわねばならん」

「……俺が養ってやっても良いのだぞ?」

 酒に酔ったか、頬を赤らめたグレンが、卵を撫でるレンカの手の上に自分の手を重ねて言った。

 レンカにとってグレンは親しい友人と思っているが、グレンは憎からずレンカに思いを寄せていた。レンカはそれを知っていて、それには応えられないと常に言っているのだが、グレンは諦めようとしない。

 レンカは小柄だが賢い男だったので、戦場では奇襲の策を立てるのに長けていた。その策を実行する胆力と力を備えた剣士のグレンと弓兵のレンカは戦場でも私生活でも常に共にいた。

 グレンに応えられない事でグレンを失う事はしたくないが、それでグレンに身を許すのも違う事だとレンカは思っている。

「お前は真面目だな」

 困り果てて黙り込むレンカに、グレンは苦笑して手を離す。

「真剣に考えてくれるのがわかるから、より惚れるんだよなぁ」

 男同士だ。結婚も子をなすもない。

 それに男同士は、戦場では珍しい事でもなかった。適当にあしらって、快楽のみを得ることもできるのだが、レンカはそれを良しとはしない。

「友達だと思うからだ」

「そうだな。すまん、困らせた俺が悪い」

 そうやって身を引くグレンも悪い男ではない。

 しかし、レンカの胸の中は迦陵頻伽でいっぱいで、それ以外の人間と添い遂げるというイメージがまるでわかないのだ。

「俺も変わった男に惚れたものだよ」

 笑うグレンに、レンカは申し訳なさそうに笑い返す。

 このさっぱりとしたグレンの性格が有難い。

「まあ、迦陵頻伽は天女のように美しいと聞く、お前が惚れ込んで夢中になるのも仕方ないな」

「確かに大層美しかったが、俺が惚れたのはその声なんだ。それは素晴らしいものだった。一日中聞いていても飽きないだろう」

「そうか。それは俺も聞いてみたいものだな」

「この子が歌えるようになったら一緒に聞こう。最初に歌う歌はお前と一緒に聞きたいと思っている」

 大事な友人として、素晴らしいものは分け合いたい。

 思いには応えられないが、それを補うにふさわしいだけのものを返したい。

 レンカは大切な友人を見つめながら、腹に抱いた卵をもう一度そっと撫でるのだった。



 雛が孵った。

「おおお! 殻が割れる!」

 ぴぃぴぃと鳴く声が力強くなり、数刻前から卵がことことと動くようになっていた。

 その声に、腹に抱えていたグレンがそっと絹を捲ってみると、卵に小さくひびが入っていた。

「本当か!」

 昼食の支度をしていたレンカが慌てて台所から飛び出してくる。

 生まれた瞬間はレンカ1人が向かわねばならぬが、生まれるまでの面倒はどうしてもと手伝いを名乗り出たグレンとレンカで手分けしていたのだ。

 グレンはレンカにそっと卵を渡すと「頑張れよ」とだけ言って雛の視界に入らぬように代わりに台所へと向かった。

「無事に生まれてくれよ」

 こつこつと殻を打つ音と、ひよひよと鳴く声。

 三か月間抱いて育ててきた雛が、今、生まれようとしている。

「どんな羽色でも良い、器量が多少悪くてもいいから、元気に生まれて来い」

 母親の気持ちというのはこういうものだろうか。

 レンカは三か月間育てた卵の無事な孵化だけをひたすらに祈る。

 そして、ぱちっとはじけるような音がして、卵の殻が大きく二つに割れた。

「う、生まれたっ!」

 それは不思議な色合いの雛だった。まるで真珠のような羽毛に褐色の肌の小さな雛は、宝石のように美しい青い瞳でレンカを見つめている。

 迦陵頻伽の雛は生まれた時から人と鳥の交じり合った姿をしている。身体は人の子供で、背中のややしたあたりに翼があり、髪は人の髪の毛と羽根が交じり合って生えている。これが大人になると羽飾りのように羽根が髪の合間に残って美しい姿を生す。

 雛は髪も白く、飾り羽も白と、その鮮やかな真珠色を纏った褐色の肌は神々しい程に感じる美しさだった。

「レンカ! レンカ! 俺ももう見ても平気か?」

「あ、ああ、ぜひ来てみてやってくれ、これは本当に美しい……」

「どれどれ……」

 台所から戻ってきたグレンも雛を一目見て言葉を失い目を瞠る。

「なんと……」

 神の国には天使という羽のある御使いが住んでいると教会の牧師が話していたが、まさにそれを彷彿とさせた。

「これは美しいな。さぞかし器量の良い迦陵頻伽となるに違いない」

 二人は親バカ丸出しでこの子以上の迦陵頻伽はいないだろうと褒め称えあった。



 雛の名はクァンと名付けられた。迦陵頻伽の住まう東方の国の言葉で光をそう読むのだという。

 レンカはクァンを相当可愛がり、懸命に育てた。

 小さな雛はあっという間に人の子供くらいの大きさになり、言葉を覚え話すようになった。そして男か女かわからぬ体が、男子であるとわかるようになった。

「クァンの声は静かな夜のようで聞いていて心が安らぐ」

「声が少しハスキーなのは男だからか」

「甲高い声だと落ち着かないから、少し低いくらいがちょうどいいだろう」

 クァンまだ歌は歌わなかったが、話しかける声は柔らかく耳触りが良い。レンカはますます夢中になり、なにくれなく世話を焼いた。

 そして、クァンは半年もすると立派な青年に育った。


 いや、むしろ育ち過ぎた。


 孵化から丁度半年、胸に少しあった白と灰色の縞模様の雛の飾り羽が抜け落ちて、全身の羽が全て美しい白色になった。

 白い髪に混じる飾り羽もすらっと真っ直ぐで美しく、背に対で生える翼も眩いばかりの真珠色だ。

 そして、何となく気の所為だと思いたかったが、その背丈はレンカの身長を追い抜いて今やグレンに並び、肩幅も胸板も厚く、天女というよりは勇ましい戦士のように見える。

「おお、これは珍しい! 迦陵頻伽ではなく迦楼羅天だったのですね」

 レンカに卵を売った商人は、かなり立派に育ったクァンを見て目を瞠った。

「カルラテン?」

「ええ、迦陵頻伽と同じ国に生まれる鳥人ですが、迦陵頻伽が観賞用とするなら迦楼羅天は勇猛な戦士として戦場で重宝された種族です。もうすでに滅んだとも言われていましたが、これは素晴らしい。私も初めてみましたが、この勇ましくも美しい姿は天界の守護兵を名乗るに相応しい美丈夫だ」

 褒め称える商人の喜びとは他所に、褒められているクァンはあまり芳しい顔をしていない。

「どうした? クァン」

「ごめんなさい」

「何を謝る?」

「レンカは俺を迦陵頻伽だと信じて育ててくれたのに、俺は歌を歌う事も出来ないできそこないだ」

 クァンは今日の今まで歌を歌うことが出来なかった。

 夜の様に美しく落ち着くとレンカが称した声も、話をすることには困らないが歌う事は出来なかったのだ。

「俺が子守歌を歌ってやらなかったからかなぁ。しかし、歌が歌えても音痴では可哀相だからこれで良かったのかもしれない。お前は俺の可愛い子であることは間違いない。クァン、そんなに悲しい顔をするなよ」

 カレンはそう言って、クァンの頭を撫でてやる。

 クァンはその大きな体を申し訳なさそうに丸めて、カレンの手に撫でられるままに委ねていた。


 クァンは迦陵頻伽ではなかったが、その後、グレンを剣術の師として仰ぎ、勇猛な戦士となってレンカと共に戦場を駆け巡ることとなる。

 弓兵のレンカを背に乗せて、戦場を舞う姿はその姿を見るだけで敵陣に恐慌を巻き起こし、自陣には勝利を奮起させる不思議な魅力があった。

 そして、レンカとクァンは王にその功績を称えられ、王城の近衛兵へと召し上げられるのだが、それはまた別のお話。


 勇猛な迦陵頻伽と慈悲深き男の物語。

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迦陵頻伽 貴津 @skinpop

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