《近似のパースペクティブ》⑧

 ぼくもそう詳しいわけではないが、『聖地』と呼ばれる場所が、日本には点在している。無論、それはいわゆる宗教においての神聖なる地、という意味じゃなくて、『アニメの中で出て来た場所』という意味を持つ。

 もっと言うと、モチーフとなった都市だとか、観光名所だとか、神社とかお寺とか、そういうものだ。


 一般人にとっては単なる風景の一部でも、アニメオタクにとっては神々しく見える場所、とでも言うのだろうか。そういう気持ちは分からなくもない。

 ぼくも地元がローカルテレビ局の番組で取り上げられた時、わけもなくテンションが上がった記憶がある。「あ、ここぼくの家の近所だ」みたいな。

 転じて、「あ、ここ○○というアニメの☓☓話で出て来た★★だ」という、若干細かそうなアレを挟みつつ喜ぶオタクが居る、というわけである。


「元々は一部のオタクの中でだけで共有される、いわゆる共通認識の一種だったのだが」


 生徒会長が無言で説明を求めたので、部長が淡々と返している。さすがにぼくらアニ研メンバーは、『聖地』の意味ぐらいはもう知っていた。

 岩根さんについては怪しいが……まあ、多分大丈夫だろう。たぶん。


「近年は経済的効果が認められ、製作段階で地元とタイアップするアニメも増えつつある。その辺りは単なるアニメに留まらない、近現代における経済活動の一つとして、自分で調べて感動しろ。両手で数えられないぐらいの作品量だからな」

「今一つ実感が湧きませんが――感動するものなのですか」

「知るか。アニメオタクという存在が、良くも悪くも『食い物』として明確に認識された事項でもある。その良し悪しについては、一介のアニオタである俺から言うことはない。ただ、お前が思っている以上に、意味不明な種族というわけだ。アニメオタクというものはな」

「最近だと戦車のやつが有名よね」

「ですねっ!」

「戦車……御殿場市?」

「富士総合火力演習じゃないよ……」


 何でそっちは知っているの、岩根さん。もっと海辺の町の方だよ。


「元を辿れば、製作側がそれとなく提示するような情報だったのだがな、モチーフとなった土地や名所というものは。それをオタク特有の嗅覚と知識で解き明かし、一部の仲間達だけでそこを訪れ、二次元と三次元の狭間に揺蕩う快感に酔う――というのが『聖地』そして『巡礼』の発端だ。最初から『ここが聖地です』と言われても……ああ、話が逸れるな」


 どうも部長は『聖地』について色々と思う所があるようだった。この人はアニメオタクと言っても、最近の(いわゆるぼくのような)ライトなアニメオタクと違って、本当にアニメという映像媒体にのみ傾倒する。声優とかキャラソンとかグッズとか、そういう二次的な副産物については、知ってはいるが興味はない。

 なので、『聖地』についても同じような反応だと思ったんだけど――意外にも、部長は何か言いたげだった。


「その『聖地』という概念については理解しました。理解しただけで、共感は出来かねますが。それで、本題に戻りますけれど――この二枚の絵は、阿仁田さんのいう『聖地』に関係しているものなのですか?」

「ああ。間違いない。近年の売れたアニメで出て来た場所だからな。田中辺りは気付いても良さそうなものだが」

「いえ、田中はそういう閃きというか、そもそも『聖地』的な発想がまずなかったです……」


 申し訳なさそうに、田中さんが頭を下げた。いや、ぼくも普通に気付かなかったっていうか、この二枚を見ただけでその結論に至る部長の方がおかしいのだ。この人がすぐに『分かった』と言った理由が、今ようやく解せたけど。

 答えが最初に分かった上で、ぼくらに色々とアニメに関連する話をした辺りが、いかにも部長らしいだろう。


「しかし、そんな『聖地』というものだけで、ここまで同じ構図の絵が出来上がるものなのですか? と言うよりも、それはそのアニメ作品からの剽窃にあたるのでは?」

「阿呆かお前は。元を辿れば、そのアニメも実在する場所から背景を起こしている。元来そこにある風景を描いた、という理由ならば、別に剽窃でも何でも無いだろう。ここにそのアニメのキャラクターでも居れば話は別だが、あくまでこの二枚の絵を描いた連中は、自分の目で見た体として描いたに過ぎない。分かるヤツにはすぐ分かってしまうがな」

「何でそんな面倒そうなことしたのかしらね?」

「逆だろう。、と考えられる。自分の目で見なくとも、ネットで検索すればすぐに出てくるような風景だからな。大方、この絵を描いたヤツらは、出不精のアニメオタクだったんじゃないのか」

「へー。まるであんたね」

「勘違いするな、莉嘉。俺は出不精じゃない。そも、アニメは家で観るものだ。俺は高校生という身分上、こういう場所で観ることもあるが、出来るならば外に出ず家で観るべきだと考えている。つまりアニメオタクは出不精なのではなく、アニメという存在が、我々アニオタを外に出させない作りをしているに過ぎん。スポーツが外でしか出来ないのと同様だが、お前はスポーツ選手を「外出ばっかしてる」と言うか?」

「うざっ」


 この切り返しはさすが馬越先輩と言わざるを得ない……。

 部長のそれは屁理屈と言えなくもないが、まあ外でわざわざ観るべきものじゃないもんなあ、アニメって。部室でみんなで観たら、それはそれでとても楽しいんだけどね。

 なので部長が出不精と称したのは、外に出て実際自分の目で見たものを描かなかった、この絵の作者達に向けてのものなのだろう。


「とはいえ、見上げた精神ではありませんね。己の目で見たモノを作品として表すのが、芸術というものでしょう! アニメの舞台となった場所をそのまま転用するなど、表現者としての努力が足りません!」

「そうは言うが、このAとBの絵が投票で上位に居たのは事実だろう。他者から評価されてこその芸術じゃないのか。売れないアニメは駄作である、という価値観が蔓延しているのと同じで、他者から評価されない絵など作者の独り善がりだ」

「でも……好み」

「坂井」

「これはちょっと難易度が高いんですけど……」


 珍しく岩根さんが部長に意見したので――まず彼女が意見した、という部分を見抜けないとミヤビンガルではない――何か言いたいことがあるのだろう。いや、言いたいことを彼女はもう言ったのだろうが、流石に翻訳難易度が高かった。


 結局、ぼくが考えをまとめている間に、話題が流れてしまう。「珍しく翻訳失敗ね」と、馬越先輩に茶化されたが、ぼくだって彼女のことを全て理解しているわけではない。

 言い訳だけど、たまにぼくのような凡人の感性では理解不可能なことを考えているんだよな、この子は……。


「ですが、この絵をそのまま校外に送る、ということは出来ません。阿仁田さんのような方が、この国に何名も居ると考えると怖気がふるいますが――そういう方からクレームを付けられる、という可能性もありますし。一度、今回得た情報を元に、作者のお二人から話を伺うことにします」

「好きにしろ」


 物凄く興味が無さそうに部長が返答した。いや、元々興味が無いから、こういう反応こそ正しいんだろうけど……生徒会長の皮肉が一切効いてない。すごい。


「経緯はどうあれ、絵としては上手いと思うけどねー」

「そうですねえ。パースも上手ですし」

「それはそれ、これはこれです。元となった風景がアニメの『聖地』であると、この絵を描いた二人は、恐らく恥ずかしくて言い出せなかったのでしょう。なので、互いに互いを盗作扱いした……どこか滑稽ですが、しかし羞恥に基づく悲しい事件です」

「全くその通りだ。俺はこの絵の顛末についてどうでもいいが――だが咲宮、を忘れるなよ」

「うっ……。し、しかし」


「しかしも駄菓子もあるか」


 今回の発端となった、同じ構図の二枚の絵。どうしてそうなったのか、その理由を部長はあっさりと言い当てた。

 しかし先述の通り、部長は本来こういう芸術にまるで興味が無い。にも関わらずここまで動いたのは、咲宮会長とある取引をしたからだ。

 会長的にはそこを流そうとしたのだろうが、そうは問屋が卸さないと言わんばかりに、部長は懐から一枚の用紙を取り出す。思うのだが、この人は常にこれを持ち歩いているのだろうか。


。これで……なかよし」

「田中にも遂に後輩が出来ましたよっ! パンを買ってきてもらう準備です!」

「あーあ、可哀想に。コイツとあんな約束するから」


 ――依頼を果たした暁には、この入部届にサインしろ。


 それが、部長の出した交換条件だった。咲宮会長は、弥刀野先生の一件以降、部長の能力を高く評価している。それは分かるのだが、同時に部長のことをあまり良く分かっていなかったとも言えた。

 この人は基本的に、自分にとって利益があれば動くし、それがないなら動かない。アニメに関わることならやる気を出すし、関わらないならやる気がない。


 その辺りの行動理念――理念というと大仰だが――を承知しておらず、下手に依頼を出すとこうなってしまう。岩根さんもやられた手法である。彼女はすんなり入部してくれたけど。


「まだ、阿仁田さんの推察が正解というわけでは……。そ、そもそも、最初から正解が分かっていたにも関わらず、どうして迂遠な話ばかりをしていたのですか! 『聖地』のことをいの一番に言えば良かったものを!」

「言い訳は見苦しいぞ。何を話すのかは俺の自由だし、そこにアニメと関連したことがあるのならば、俺はアニ研の部長として当然の行動をしただけだ。そして正解だろうが何だろうが、俺がそれなりの意見を出したのは事実だろう。よもやまさか、俺にやるだけやらせておいて、後から「的外れな意見だったので約束は反故にします」とでも言うつもりだったのか? おいおい、笑わせてくれるなよ。空の上に居る弥刀野女史が泣くぞ。孫娘がそのような卑怯な人間だったなど、咲宮家も堕ちたものだな」

「こ、この! 言わせておけば好き放題……! 貸しなさい!」


 部長から奪い取るようにして、咲宮会長は入部届の必須事項に記入していく。最終的に自分の印鑑も生徒会の決済欄にその場で押す、というスピーディーっぷりだった。「チョロい」とでも言わんばかりに、部長が首をコキコキと鳴らしている。


 馬越先輩が同情的な目で生徒会長を見ていた。まあ……この人も大概、部長に良いようにやられるタイプだもんなあ。自分を見ているような気がしているのだろう。

 一方でぼくと岩根さんと田中さんは、部員が増えたことを素直に喜ぶ。ここ最近、咲宮会長はほとんど部員みたいなものだったが、これで晴れて正式にメンバーの一員となったのだ。


「これで! 私もアニメーション研究部の部員です! 文句はありませんね!?」

「ご苦労。最初から文句があるのはお前だけだろう。ああ、もう帰っていいぞ」

「む、むきーっ! 何ですかその言い草は!」

「おお、すごくテンプレな『むきーっ!』ですよ! まるで莉嘉先輩のようです!」

「田中さん、ちょっと最近調子乗ってないかしら?」

「アッゴメンナサイ」


 田中さんが上下関係という竹刀でブン殴られていた。怖い怖い……。

 帰れと言われると帰りたくないのだろうが、しかし生徒会長とは色々と忙しい役職だ。歯噛みしながら、自分で書いた部員届けをクシャクシャに握り締めて、咲宮会長が部室を出て行く。

 部長の意見を元に、今回の一件を整理する必要もあるのだろう。あと、自分の入部処理かな。


 どうでもいいことかもしれないが、別に生徒会に入っているからと言って、他の部に入ってはいけないという校則はないらしい。とはいえ他の部に入ると贔屓が生まれてしまうし、故にほとんどの生徒会メンバーはしないみたいだけど……今後の生徒会長の安否が危ぶまれる。


 一方で部長は、肩の荷が下りたと言わんばかりに大きく溜め息をついた。


「世話の焼ける女だ」

「本当に入部させたのね。律儀って言うか、なんていうか……ムカつく」

「これで我々アニ研は生徒会との直通パイプが出来た。そこを素直に喜ぶべきだろう」

「弥刀野先生も……喜んでる。そう、思います」

「多少強引というか、不本意な気はするけど……そうだね」


 孫を頼む、という弥刀野先生の生前の依頼を、これで部長は果たしたことになる。ウチに入部させることが、果たして正解なのかは分からないけれど、部長としては最初からそこが狙いだったのだろう。

 結局、生徒会長は部長を利用(活用?)するようでいて、完全に部長の手のひらの上で踊らされていたというわけだ。


 とはいえ……今日この日を境に、ぼくらアニ研はまた一つ、生まれ変わったのである。


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