《近似のパースペクティブ》⑦

「知ってます!」

「……名前ぐらいなら、少し」

「あー、聞いたことあるわね。まあ聞いたことあるだけなんだけど」

「単語の意味は知っています。それが何か?」


 あえてぼくは答えないでおいた。と言うより、ぼくは部長から前に教えてもらっているので、パースの意味を知っている。去年真面目に活動していた良かった……かどうかは分からないが、ひとまず静観することにした。

 田中さんはやっぱり分かっているようで、岩根さんも何故か理解は示している。馬越先輩はやっぱりよく分かっておらず、生徒会長は生真面目な返答をした。


「単語の意味は様々だが、アニメ……ひいてはイラストや漫画全般に使われる言葉だ。この場合、正しい意味合いとしては『遠近法』だが、最近では『構図』と言う意味でも使われることがあるな。今回は前者として使っていく。このパースだが、アニメに於いては基本的にハッキリとしたものが好まれる」

「ハッキリと、とは?」

「強弱、とも言えるな。背景の上にキャラクターを重ねる以上、基本的にキャラクターは前に来ることが多い。大小遠近法と呼ばれる遠近法の一つだ。近いものは大きく、遠いものは小さく見えるというアレだな」


 部長の言う大小遠近法は、よくよく考えると当たり前のように思える。しかし、実際に絵心のないぼくからすれば、描いていて遠近法のことなんて何一つ考えないものだ。

 この大小遠近法を踏まえてもう一度絵を見てみると、Aの絵は確かにこの技法を上手く使っていることにぼくは気付いた。ぼく以外も気付いたようで、全員まじまじとAの絵を眺めている。


「このAの絵は人、猫、鳩を上手く活用して、遠近感を出している。ひと目で遠近が分かるように配慮して描いたのだろう。もっとも、俺が気になったのは間の取り方だが――まあそれは後でいいか。じゃあ坂井、Bの絵はどういうパースで描かれているか分かるか?」

「え……」


 いきなり質問されても困る。ぼくが前に部長から教えてもらったのは、パースを意図的に崩すことによる演出効果とかで、それぞれのパースの名前は教えてもらっていない。なので、ぼくはパースについて知っているが、専門的な知識は持っていないというのが正しい。

 Bの絵は大小遠近法を使っていない……ように見える。と言うか、遠近を把握する為の小道具的な配置が少ない。Aの絵は分かりやすく配慮して描いた、というのは間違いないだろう。こっちの絵はあるがままというか……。


「分かりましたよっ! ずばり――サンライズ立ち、ですね!」

「……? ヨガ?」


 ぼくの代わりに田中さんが答え、そして岩根さんが斜め上の解釈をした。ヨガ……。

 先に言っておくが、間違いなくBの絵とサンライズ立ちは関係が無いと思う。


「あれはパースを意図的に崩した見せ方だろうが。実際にただのカメラで撮影してみろ。あんな風にはならん。武器か人のどちらかが絶対に歪む」

「その何とか立ちについては分からないけど、あんた試したことあるのね」

「若気の至りだな」

「すみません、何ですかそのサンライズ立ちとは?」

「ロマンだ」

「ロマンですねえ」

「……。本題を進めて下さいますか?」


 半眼で生徒会長が部長を睨む。まるで効いていないが、田中さんが代わりに怯えた。

 ロマンという説明には概ね同意だが、分からない人には全く分からないだろう。そういうアニメを、生徒会長や馬越先輩は観ないだろうし……岩根さんには後でぼくから教えておこう。少なくともヨガではないから。


 話がやや逸れてしまったが、部長は「続けるぞ」と言って回答を打ち切った。ていうか、ぼくから答えが出て来るとは思っていなかったのだろう。それはそれで残酷である。


「Bの絵はこの色使いによるぼかしが特徴だな。空気遠近法と呼ばれる手法だ。いわゆる、遠くのものほど霞んで見えるというアレだ。この絵をよく見ると、画面奥に行くに連れて、色が淡くぼやけていっている。人の顔にもそれが顕著に現れているな」

「あ……なるほど」


 ピンボケした写真のようだとぼくは思ったが、それはやはり意図的なものだったようだ。Bの絵は手前の手すりや階段は色濃く描いているが、奥の人間や空は確かに淡い。その濃淡が、小物を使わずに写実的な遠近を生み出しているらしい。


「話が色々と飛んでいませんか? Aさんはアニメオタクであると断言したり、遠近法の違いがどうのと言ったり、それが結局何に繋がるのです?」

「ここはアニ研だ。アニメに関連したものがあるなら、それをお前達に教えるのが俺の役目だろう。最初から答えだけ聞いてどうする」

「む……」

「正論のようだけど、結局アニメのことしか考えてないじゃない」

「らしい……です」

「部長だもんね」

「こういう活動も楽しいですね!」


 しかし、生徒会長の言うことも一理あるだろう。結局、部長は何が言いたいのだろうか。二枚の絵にそれぞれ別の遠近法が使われていることは分かった。そして、何故かAさんがアニメオタクということも。


 が、肝心の二枚の絵が被ったという謎の答えには至らない。むしろ、どんどん離れていっているような気がしてならないけど――


「Aの絵についてもう少し述べておく。先程間の取り方について触れたが、恐らくこいつはアニメーターになりたいのだろう」

「こ、今度は何ですか!」


 本当に今度は何を言い出すのだろう。何というか、部長は割と遊んでいる感じがする。咲宮会長が居るからかもしれない。


「咲宮。アニメはどうやって作られているか知っているか? まあ知らんだろうから先に言うが、何名ものアニメーターが必死に何枚もの絵を描いて作っている」

「そのくらい知っていますけど!」

「じゃあ訊くが、いわゆる原画担当はどこまで描くと思う? このテレビ画面のアニメを使って答えてみろ」


 リモコンを操作して、部長は先程まで観ていたアニメを映した。そしてすぐに一時停止させ、リモコンを指示棒のように使い咲宮会長へ質問する。

 まるで教師と生徒のようだが、ことアニメという分野において、咲宮会長は部長に全く敵わないからある意味正しい比喩だろう。

 まあその生徒たる咲宮会長は、教師である部長に対して非常に反抗的だけども……。


「どこまでって――全部でしょう。何名ものアニメーターさんが、この画面全てを一生懸命に描いているのです。その弛まぬ努力を、あなたは評価しているのでしょう!」

「無論、俺はアニメ制作に携わる大体の人間を尊敬しているが、お前の答えについてはまるで見当違いだと言っておく。原画担当が描くのは、基本的にはキャラクターとそれに掛かる効果ぐらいだ。背景については一々描いていない。ああ、例外は無論あるが、今回は置いておく」

「え? 全部描かないの? 何で?」

「……時間?」


 生徒会長が知らないということは、大体馬越先輩も知らないことである。どうやら岩根さんも知らなかったようだが、独自の解釈を打ち出してきた。

 ぼくは彼女の言いたいことが何となく分かったが、案の定部長は分からなかったらしい。「坂井」とだけ呼び掛けられた。


「時間が足りなくなるって言いたいんじゃないのかと」

「なるほど。岩根はやはり筋があるな。その通り、アニメ制作とは基本的に分業制だ。一人で全部作ったというケースも無いことはないが、レアケースだな。岩根の言うように、一人で作るとなると、作業量があまりにも膨大過ぎる。時間が間違いなく足りない。だから原画や動画、音声に背景と分けて作るのが常だ。当たり前のことと言えば当たり前ではあるがな」


 そういう分業をしているからこそ、以前の弥刀野先生周りの事件で絡んだ、作画監督などの役職の誕生に繋がっている。

 部長に言われて何となく得心が行ったのか、咲宮会長は曖昧に頷いた。


「確かに考えてみれば、わざわざ背景まで一々描いていては手間ですものね。それに、背景とこのキャラクター達は、何というか質感も違いますし――」

「良いところに目を付けたな。褒めてやろう」

「なっ……なんですか、いきなり!」


 まさに唐突だったので、咲宮会長が面食らった。部長が他人を褒めることはあまりないので、会長からすれば驚きだったのだろう。何より褒められるとは思っていなかったに違いない。珍しく怒り以外で顔が紅潮しているようだった。

 同時に馬越先輩の表情に闇が混じったのと、田中さんがそわそわしているのはまあ……見なかったことにしておこう。後者は自分も自分もと思っているのだろうけど。


「褒める時は褒めるのが俺の方針だ。アニメ制作において、背景は背景で別に作る。つまり、キャラクター周りとは別の担当が描いた背景を、最後に合致させることによって、このような一枚の絵になるわけだ。いわゆる背景美術というものだな。この背景美術のみを専門とする会社すらあるぐらい、アニメにとって背景美術というのは重要なファクターだから覚えておけ」

「ああっ! 田中が言いたかったんです! 背景美術って!」

「言ったところで、お前は知っていて当然だ。褒めんぞ」

「はうあ!」


 田中さんが机の上に沈んだ。何というか彼女も、日常生活において褒められる機会が少ないだろうから、そういうのを鑑みたらちょっとこう……根深い何かがある。残念ながら阿仁田部長は飴と鞭がめちゃくちゃハッキリしているし、大体鞭ばかりだから、田中さんには是非次も頑張って欲しい。

 因みにぼくはもうその鞭に慣れているので、ある意味特異体質だろう。


「背景美術……。繋がり?」

「お前は察しがいいから、言っていることは分からんがとりあえず肯定しておく。Aの描き方は、どこかアニメーションを意識したものがある。遠近を視覚的にすぐ分かるようにする部分は元より、構図にキャラクターが動き回れそうな余地を残している。人物絵もアニメ寄りだが、まあこれは本人の絵柄だろう。色合いも鮮やかでアニメ感があるしな。その辺りから察した結果が、こいつはアニメーター、それも背景美術分野を志しているのではないか、という俺の推察に繋がる」


 随分な遠回りだったが、部長がAの絵を推した理由がハッキリとした。Aさんはアニメオタクであり、しかもアニメーターを目指している。それもあまり目立たない背景美術の分野だから、部長としても肩入れしたのだろう。

 ところで、岩根さんの察しの良さを逆手に取って、取り敢えず肯定するのは反則技ではなかろうか。その発想は無かったけど……ぼくの仕事が減ってしまうし、本人的にも可哀想だからやめてあげて欲しい。


「アニメに関連してたから、あんたとしてはすぐに分かったってことね」

「あくまで勘だがな。コイツがアニメオタクという部分だけは間違いないだろうが」

「Aの絵については、私にはない知見で阿仁田さんが読み取れるものがあった、ということは分かりました。……では、Bの絵はどうなのですか?」

「知るか。こっちは俺の分野外だ」


 あっさりと部長が切り捨てた。知らんものは知らん、とでも言いたげである。


「ならばどうして、AとBの絵が被った理由が分かったと言ったのですか!」



「簡単な話だ。こいつらは同じアニメの『聖地』を描いたに過ぎない」



 部長が何でもないように言ってのけたそれは、今回の問題を一発で片付けてしまう、まさに答えそのものだった――

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