最終話「笑う晩冬」



七瀬玲が院内学級を受けていたその時、突然慌ただしく駆ける足音が近づいてくる。…看護師が慌てて少年の元に駆け寄ってきた。肩で息をしながら、看護師は来るべき時がついにきた事を告げた。

「九十九君!七瀬君が重篤だ!」

(マジかよ…!!)

「七瀬です、分かりました!

(ちくしょう、車椅子でのんびりやってると澪の死に目に間に合わないぞ!?)

…すいません、担いでください!」

色々と言うことを省いてしまったが、言いたい事は理解してくれたようで、院内学級の先生が少年を担ぎ全力でエレベーターへと急ぐ。間に合え…!

「先生、エレベーターでは肩貸すだけでいいですよ!」

「こういう時は黙って大人を頼れ」

いつもはやる気がない先生も、人が変わったみたいに迅速に俺を運んでくれる。煙草やってるのに無理しなくてもいいのに…!

治療室の前。バタバタと治療室に入る看護師達を見つける。急ぐってことは…間に合ったか!

先生の厚意に甘えながら、緊張感の漂う病室へと入る…。ピリピリした中で医師は猫背をしゃんと伸ばして指揮をとっていた。

「準備早くしろ!…間に合ったか九十九君!良かった!!」

「七瀬です!状態は!?」

「さっきから全く良くない!」


澪は、うっすらと目を開けながら、その目をゆっくりと動かす。

…駆け寄りながら医師に尋ねる。

「お父さんたちは!?」

「連絡した!だが間に合いそうにはない!」

「分かりました!」

腹を決める。

「…澪。」

聞こえてはいないだろうが、優しく呼び掛け、手を握る。こんな邪魔なこと普通はあり得ないだろうが、看護師さんたちは何も注意しなかった。

「ありがとう…ありがとう…」

澪が反応しないと分かってても。感謝の言葉が溢れる。

これまでの思い出と言葉と共に、涙があふれかける。しかし、

澪の唇がまだ動く。ゆっくりと、音もなく。

わ、ら、っ、て、よ

音はないが、察する。澪が今言う内容なんて…唇に出さなくなってわかってるよ…!

目尻に涙を浮かべながら、努めて笑い、

「わかったよ、笑って送り出さないとな…ありがと」

澪は、もうほとんど心拍もないのに…笑った。とても穏やかな顔で。

こっちこそ。

それが七瀬澪の、最期の声なき言葉だった…。

彼女は、笑って、逝った。

心拍計の平坦な音が小さな病室に響き渡る。

(澪…澪…ありがとう…!本当にありがとう…!)

彼は動かなくなった片割れの手を握りしめ…涙をぼろぼろと溢し続けた。悲しみで泣くと澪に悪い気がして、無理矢理に笑顔を作って泣いた。



「はいー。あ、おばさん…はい…はい…御愁傷様です」

「なんだぁ?」

「狭花さんとこの澪ちゃん、死んだんだってさ」

「あーあ…夫…ええと…男史だっけ?あんななよっちい男が婿に来るから娘もなよっちくなっちまうんだよ」

「人が死んでるんよ、失礼よ」

「まあ、葬式で忌引取れるんだし、狭花の金でただ飯食えるんだからいいじゃねえか。今更子供もいなくなったんだし、大企業勤務の狭花なら俺らにちっとくらい分けてくれても良いだろ」

ある家。姪っ子が死んだというのに不謹慎な夫と、それに辟易する妻がいた。

「もう…お願いだから粗相はせんでね」

「まあ狭花の会社の人は来るだろうからなぁ…」

「全く…」


夫婦は予定時刻よりわりと早めに葬式会場に着いた。

「ここか」

「七瀬家って書いてあるし、合ってるでしょう」

「だな。…おぅい狭花ー…」

返事がない。

「あれ?…」

「…すいませーん、ここは七瀬澪さんの葬式ですよね?」

会場の係員に尋ねる。合っているようだ。

「ったく…寝てるのか?」

「あんた!向こうは娘亡くしてんだよ?」

「はいはい」

にしても俺らが来てるんだから返事くらいしろよ、と言いながら裏へ勝手にあがる。


少年がそこにいた。座椅子に座り、柩の横で動かない。

男は怪訝な顔をして、話しかける。

「失礼、七瀬狭花さんはどこかな」

「…あっ!すいません、えー…買い物です!」

「ああ、そうか、すまんね。…つかぬこと聞くけど、君はどちら様かな…?」

「七瀬玲です」

「…?」

名前を聞いたわけではないんだがな…。七瀬というからには親戚なのか?

「まあ、もうすぐ帰ってきますから」

どこの馬の骨ともわからない青年はそう言って柩の方に向き直った。もう話をする気はないらしい。

青年は、目を真っ赤にし、大きな隈を作って泣きはらした顔で…微笑を浮かべて柩に寄り添っていた。

無愛想な奴、と思ったが、妹夫婦が帰ってきたので神妙な顔をしておいて弔辞を述べる。…こちらも、目を真っ赤にしたまま微笑していた。

二人の…いや、三人のか?異様な態度に戸惑い、彼らは少年の素性を聞きそびれたのだった。


<只今より、七瀬澪さんの葬式を執り行います…>

「お、始まった」

(あなた、静かに)

(はいはい)

父である男史がスピーチをする…と思ったが、

「本日はお集まり頂きまして誠にありがとうございます。…えー…まずは玲のスピーチです…」

ん?

(…狭花に息子なんかいなかったよな…?)

(ええ…そのはずですけど…)

そこに出てきたのは、かなり色白で車椅子に乗った…玲という、あの青年だった。

「ご紹介にあずかりました、七瀬玲と申します。…えー、お初にお目にかかる方も多いかと思われますが、ご容赦願えます。

…本日はお忙しいところ、また休日にもかかわらず、七瀬澪の葬儀にご参列くださいまして、誠にありがとうございました。

また、ご丁重なご弔意、ご厚意を賜りまして厚く御礼申し上げます。

…えー、…あ、そうか、自己紹介…

えー、私七瀬玲は、病院で七瀬澪と知り合いまして、親密な仲となり七瀬家に迎え入れられた者でございます。

…七瀬澪に、病魔が発覚したのは半年前でした…。

しかし、私達はこの半年間を、誇りに思っております。

彼女は、この半年間を、これ以上なく活発に、晴れやかに、過ごし、ました…

…彼女は、私に夢や希望を託し、……享、年…16に、して……笑って……、笑って、逝きました…!

私は…死に際して、あんなにも…誇らしく…笑う、顔を、忘れ、ません!

……はぁ…あぁ……すいません、少し取り乱しました…

…そのため、私達は澪を、笑って送り出そうと思います。

……澪亡き今、彼女の遺した志は私の中に受け継がれ、…私は澪の遺志を継承して、生きて行くつもりでございます。

…これまで同様のご指導をお願いいたしまして、御礼のご挨拶とさせていただきます。」


会場は静まり返った…。

誰も動くことも出来ない。魔法にかけられたように、呆然としている。

なんだって???

つまり、あの車椅子の彼は…

家に何も関係ない、只の彼氏?

いや、しかし苗字は七瀬だ。

そして、七瀬家にない、礼節があった。まるで医者並の金持ちに育てられたみたいな。

どういうことだ。

弔問客はみな、何も反応出来ず固まるしか出来なかった。

…ただ3人、七瀬玲、七瀬男史、七瀬狭花だけは号泣しながら笑っていたのを除いては。

そしてその混乱の張本人である七瀬玲はぐず、と鼻をすすりながら、

(嗚呼、皆ぽかんとしてる…スピーチ、ミスしたかなぁ…)

と全く的外れな事を考えていた。

涙が一旦収まってから母にこっそり言う。

「お母さん…なんだか皆固まっちゃったんだけど…スピーチ変だったのかなぁ」

「まぁそうでしょうね…普通スピーチをするのはお父さんよ?」

「えっ?」

待ってくれ。聞いてない。

「だから普通、って言ったじゃない…あなた達は普通じゃ収まらないんだから、葬式だけ普通なんて筋が通らないわよ」

それもそうか、と納得する。

「…澪に顔向け出来るスピーチだったかなぁ…?」

「あったり前よ…涙が止まらなかったわよ」

と、父が

「それならちゃんと葬式はよそ見せずに見てやろう…澪に顔向け出来ないぞ」

「そうだね」

澪の遺影は、俺達が知るような…満面の笑みだった。


葬式も済み、告別式も終わりを迎え。

いよいよ最後に、澪は思い出の品と共に火葬されることになる。

彼ら3人は、色々な思い出の品を持ち寄っていた。

遺体に散りばめる花は、澪が玲の誕生日にくれた花を頼んだ。澪が俺に、とくれたのに、俺より多分澪に似合っていた綺麗な花。遺体に散りばめると、やっぱり澪にはとても似合っていた。

澪の荷物に混じっていた、玲との筆談をしたメモ帳。初めて会った時でまだ親密でもなかった頃の思い出まで凄く大切にしまってくれていたのを見て、胸が熱くなった。

澪の誕生日プレゼントに買ってあげた白いワンピース。…かなり恥ずかしい事に、秋に買ったのに、夏用の真っ白なワンピースを選んでしまったが、澪は喜んでいた。

お母さんお手製のヴェール。今更ながら完成度の高さに愕然とする。薄い布は澪の体の上に載せられた。

澪の好物だったらしいナッツ。渋いな。

澪の小さなぬいぐるみ。病室に来たとき机の上に飾ってあったなぁ…

ウェディングドレスに飾るものならとお母さんが用意したコイン。燃やせないからと却下された。なんでコインなんだろう…

数枚の写真。

数々の、澪との思い出。

それら全てが、澪と共に柩に納められていく。あと少しで、全ては炎に包まれて…消える。

親族は完全に蚊帳の外だ。そりゃそうだ(というか葬式に親族を呼ばないと後でぐちぐち言われるから渋々呼んだだけだし)、この葬式は自分たちだけの為の葬式なんだから。

自分たちの、俺や両親と、…澪の…

…ウェディングドレスであるワンピースが、ヴェールが、惜しくなる。澪の生きた証…。澪が笑った証…!手元に置いておきたくなる。澪の証をずっと残したくなる…

ふと思い出すのはあの日、満月の月明かりの下で笑う君。


『私のせいで、君の未来を妨げたくないの』


ああ…。

歯を食いしばり、衝動に抗う。駄目だ。澪との思い出は残されても、すがる物になってはいけない。…自分は、そんなにも鮮やかな証と共に生きていて、すがらずに居られるとは思えない…

必死で沸き上がる激情をこらえる。

…そして、柩が閉じられた。

もう、あとは火葬だ。

火葬場へ送られ、柩は扉の向こうへ吸い込まれていく。

火葬が終わるまでは長くなかったはずなのに、その時間は永遠にも感じられた。


一室に案内される。納骨をするようだ。

部屋のドアが開き、


…その光景を見た瞬間、俺は血の気が失せ…崩れ落ちた。

脳裏に浮かぶのは、生きて笑う澪の顔。最期に笑う澪の顔。死に顔。…嘘みたいだった…

…そこにあったのは…ただの髑髏だった。

あまりにも濃密な、死の香り。

黒く煤け、かろうじて人の形を残すのみで、しかも一部の骨は治療のせいか色が違う。

この骨が…澪…?

この骨が?こんな…苦しげな、おどろおどろしいものが…俺が愛した澪だと言うのか。

認識が体に浸透しない。

頭では理解していても、あの澪とは似ても似つかない。

気が遠くなるが、必死で踏みとどまる。

骨の部位の説明は耳からすり抜けていく。

現実味が薄れていく。

…喉仏って軟骨じゃなかったっけ、なんで残ってるんだろ、と全く関係ない事をぼんやりと考えていた。

…骨壺に全ての骨が納められた。

その小さな壺は余計に現実味を無くし、何も考えられないまま病院に戻る。ふらふらになりながら病室へ戻る。

お母さんもお父さんも今日は病院で過ごす、という。

「疲れてるでしょ…なんで病院で?」

「あなたこそ疲れてそうだからよ」

そりゃそうだ、あの光景はかなり堪えた。ただ、今寝れる気はしない。寝ようとしても、心が何かを訴えかけてくる。

…お母さんは、疲労ですぐに椅子で眠ってしまった。お父さんが起こし、医者が特別に用意してくれた仮眠室に連れていく。

独りになった。

脳裏には様々な光景が去来する。

澪が泣き、恥ずかしがり、怒り、そして笑った記憶はどれも鮮明に、輝かしく思い出せる。

その澪は、今はもういない。

いないんだ…

仄かに暗い部屋。独り窓を見る。

「うぅ…」

また涙が零れる。

澪を喪って、標識を見失った舟のように将来が分からなくなる。

「う、う、ああ」

悲しみ、不安、絶望、恐怖といった、葬式の間には押さえ付けてきた感情が噴出する。止められない。

「あぁ、ああああ…」

…気付けば、慟哭をあげていた…

「ああああああぁあああああぁぁああああああぁぁああ!!!あああああああ、あああぁぁ…」

一体、どれくらいの時間哭いていただろうか。涙と鼻で顔をぐしゃぐしゃにし、呼吸がうまく出来ず酸欠気味になっても叫び続けた。

痛い。痛いよ。

理解していたはずの痛みは、容赦なく心をズタズタに引き裂いていく。

慟哭の中で、ドアの開く音がした。そして、背中をゆっくりとさする手。

父だった。

温かく、大きな手。

「よく耐えたな…今は、我慢しなくていい。泣け、涙が枯れるまで」

…澪なら、こういうのだろう。

泣いて、また歩み始めよう、と。

「ああああああああ…あぁ…あああぁ…」

慟哭は止まらない。…でも、今は違う。お父さんの腕が優しく俺を包んでくれていた。がっしりした体は安心感をもたらし、いつしか俺は涙も枯れて眠り込んでいた。

夢うつつのまま思う。

(…ああ。…これが、父親かぁ…

…あったかいなぁ…)



鈍い頭痛で目が覚める。

「う、ぅ…頭痛いな…」

ゆっくりと目を覚ますと、お母さん、お父さん、先生が病室に集まっていた。

「玲…お前凄い隈だな」

「そういうお父さんこそ、寝たの?ひどい顔だよ」

「俺は後で寝るさ」

「不健康ですよ…全く」

「まあ仕方ないじゃないですか。バナナ買ってきたけど、男史さんも玲も食べる?」

「もちろん」「ありがたいな」

そういえばご飯も食べずに泣き疲れて寝ていたのだから、ひどく空腹だ。ぺろりと平らげる。

「玲ももう大分回復してきてますね」

「今車椅子を使わせてるのは念のためだからね。長時間の運動は困難でも、日常生活は送れそうじゃないですかね?」

「ほんと?」

「ああ、もちろん」

つまりは、

「久しぶりに外で遊べるのか…!」

「ああ…まさかこんな早く回復するとは思っていなかったが。私としても嬉しい限りだよ」

「ありがとうございます」

「お前が退院したら、俺も色々な準備で忙しくなるなぁ…」

「嬉しそうだね」

「あったり前だ!何も出来ることがない専業主夫なんか二度と勘弁だよ!」

「じゃあ遠慮なく押し付けましょ!」

「い、いやぁ…適量で頼むよ!?」

「ふふふ…」

「お父さんってば…」

「そうだ。

なぁ玲ー、そのお父さんってのはなんか…疎遠な感じに思われるからさぁ…その…」

「へ?」

「…もっとフランクで良いんだってことだよ」

フランク…

「父さん、って呼べばいい?母さんも?」

「異議なし」「私も異議なしね」

「ふふ。さらっとそう呼び合えるのは羨ましいねぇ」

「先生もいずれ分かるんじゃないですか?」

「そうだと良いね」

「じゃあ父さん、こっちからもお願いがあるんだ」

「なんだ?」

「この辺で一番理系医学部の進学が多い高校に進みたいんだ」


「「…………えっ?」」

「な…何?」

「あれ?この辺で一番なのは確か…皇高校だっけ?…それは…」

「澪の通ってた学校よ」

「…澪は必死で皇に通ったからなぁ…玲、編入試験は普通よりかなり難しいらしいぞ?…それでもまぁ、挑戦する価値は大いにあるが…」

「なんたってその澪が教えてくれたんだ。受かって、医師になりたい。澪が見たかった世界を見たいんだ」

「はぁ…私たち大人はいつも驚かされてばっかりね…」

「全くだ。…よし、良いよな狭花!」

「もちろん」

「質問があったら院内学級の先生だけでなく私も捕まえて聞きなさい。忙しいから大変ではあるが、私も力を貸すよ」

「先生まで…!ありがとう!」

…気がつけば、俺たちは笑顔になっていた。





「玲、いってらっしゃい」

「行ってきます」

ドアを開けて家を出る。道の桜は随分と多くなり、見頃が楽しみになる。

初めての制服は、おとなしいブレザー。女子はセーラー服らしい。

バスに乗り、窓を見つめる。慣れ親しんだ病院が見えた。

「おっと、ここか」

最寄りのバス停に着いたのでボタンを押し、高校前で止まる。

同じ服を着た男女が大量に門を通り抜ける光景に驚く。

何もかも新鮮味に溢れた光景。

編入組だと言うことで職員室にとりあえず行き、そこから案内されるらしい。



「転校生来るってほんと!?」

「らしいよ!噂では色白イケメンだってさ!」

「イケメン!?最高じゃん」

「というか編入試験ってかなり難しいんじゃなかった?」

「しかも頭まで良いんだ!なにそれ最高!」

「どのクラスになるんだろーね」

「2組…うちじゃない?七瀬さん辞めたし」

「あの子何も言わずに辞めちゃったよね」

「冬に突然辞めちゃったもんねー」

「そろそろHRだよ」

「あーセンセに一発目から怒鳴られたくない」


ガヤガヤと騒がしい教室。担任の先生に連れられ、教室に入る。

「おいやかましいぞ!…あーわかったわかった!転校生の話だろう全く…若い奴の情報網は敵わんな…玲君」

呼ばれて教室に入る。

「…はじめまして、七瀬玲です。」

澪。俺は、終わりが来ても歩みなんて止めないよ。

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たとえ終わりが来たとしても とーらん @TOLLANG

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