弐章

弐(1)

 他人は如何様いかようにして自らを男だと、或いは女だと確信するのでしょうか。


 生まれて間も無い頃から、いいえ、母親のはらの内に居る頃から、我々は「男だ」「女だ」と言われて育ちます。無論、其れは生殖器による判別です。何度と無く「男の子なのだから」「女の子なのだから」と周囲の大人に言い聞かせられ、「自らは男、或いは女である」と認識していくものなのでしょうか。そうして「男とは斯く在るべき」「女とは斯く在るべき」などと云う概念が染み付き、子供同士でも「男のくせに」「女のくせに」と言い合うようになるのでしょうか。


 ヒトの子供として産み落とされたわたしも、例外無く其の言葉を聞かされて育ちました。わたしの肉体は「女」のものでしたので、当然の如く「女の子なのだから」を繰り返され、言葉遣いや行儀、立ち居振る舞いを幾度と無く矯正されました。幼少のわたしはわずらわしさを感じこそすれ、極力反発もせず、言われるままに大人しく行儀の良い「御嬢さん」として過ごす事にしていました。無論、口煩い両親や祖母の居ない場では、ある程度、羽を伸ばしてもおりましたけれども。


 しかし幼き頃のわたしは、男女に特段の別を見出してはいなかったように思われます。乳児から幼稚園に上がるまで、わたしの周囲に居たのは男や女である以前に「大人」でございました。幼稚園より上に通えば、周囲の子供は男の子女の子も無く「遊び相手」でございました。当時は隠れ鬼も木登りも、白粉花おしろいばなも色水も、遊ぶとなれば男も女もありませんでしたから。書物を最友とするわたしには、尚更如何でも良い事でした。


 当時のわたしには性に対する嫌悪や自覚は在りませんでした。知恵の果実を口にするより以前の人間の如く。連日のように着せられる、名の知れた店のワンピースやスカートへの思いは、趣味ではないし地面にうっかり座り込む事も出来ない、汚せば苦い顔をされるとあってこころよいものではありませんでしたが、其れだけではあったのです。渋々ながら着ていたのは、言われるままにしていた方が、無駄な注文や恨み言を聞く羽目にならずに済むと、早いうちに憶えたからでした。しかしわたしにはワンピースもスカートも、周囲の子が着ているジーンズや短パンも意味合いは大差無かったのです。服を着なければならないから着る。自分の其れは他に比べて随分と制限が多いように思われていましたが、不要な問答で時間やなけなしの体力を奪われるよりは、大人しく従った方が早く物語に戻れるからと、その程度のものでした。


 勿論、自分の肉体が「女」と称されるものである事も、「男」と称される別のものが周囲に居る事も、あれほど何度も繰り返されれば知覚もしようものです。次から次と物語を渡るうち、「男」には肉棒が備わっていて、「女」はいずれ胸部が腫れ、子を産む事が可能になるのだと、割に早いうちから識りました。


 けれど、だからと云って、わたしは自身が「女の子」であるとは、斯く在るべきだとは自覚も認識も出来なかったのです。


 現実の肉体を知覚するより先に、わたしは何にでも成れるのだと識っていたのです。男にも、女にも。勇者にも、魔女にも。サラリーマンにも、遊女にも。或いは性別と云うものすら無い、植物や無機物にでも、わたしの精神は何にでも成れるのだと、其れを理解していたのです。

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