陥落路・中央
抜け道を通って、イズー城近くの丘の上に出てきた五人は、燃え盛るイズーの街に衝撃を覚えた。
エレナの横で、セリスが悔しそうに炎に包まれた街を見ていた。
「ウーレンの狼どもめ……」
エレナはこの時のセリスの顔を忘れられない。
悲しみよりも憎しみに支配されていた、エーデムの民に似合わない苦痛の表情を……。
エーデム王族の血を引く少年。だが、セリスはあまりに無力だった。
――いつか、エーデムの王となって、この国に安らぎと平和を……。
しかし、今、セリスにできることは、時々泣き出しそうな妹をあやすことだけだったのだ。
あまりの情けなさに、少年は無口になっていた。
「! 伏せるんだよ! 早く……」
突然、かすかな、しかし切れよい声でベルが叫んだ。
矢羽が飛んできた。
五人は丘の上に長くいすぎたのだ。
転がるように丘を駆け下りて、背丈ほどもある草むらに、慌てて身を隠した。
上がりたての細い月は、ないのに等しいほどのかすかな明かりだった。
それが幸いした。
敵兵は、動いたものがあったように思えて射ただけであり、暗がりの中、正体を探りにくることはなかった。
まさか、こんなところに王族が潜んでるとは思わなかったに違いない。
しかし、そうとは知らない五人は、草むらに伏せたまま、じっと時を待った。
やがて、ベルの声がした。
「みんな、無事かい?」
暗がりの中、バラバラになり、心細くなっていたエレナは、母の声に安心した。
四つんばいになり、草から頭を出さないようにして、母の声のするほうに進んでいった。
やがて人影が見えた。
暗くて顔はわからないが、母にまちがいない。
あぁ……よかった……。エレナはほっとした。
もう長い間、エーデムで戦争があったことはない。エレナにとっては、初めての恐怖と緊張だったのである。血が凍り付きそうだった。
母の声に、冷たい指先に血がまわるような温かさを覚えた。
「エレナかい? フィラは? セリス様はいるかい?」
草むらが後で揺れた。一瞬、びくっとしたエレナだったが、フロルを抱いたセリスだった。
「ベル? 無事なのね?」
さらに後でフィラの声がする。全員無事だった。
「エレナ……いいかい? おまえ、『祈りの祠』を知っているね? あそこにみんなを連れて行って、ジェイを待つんだ。いいね?」
突然の母の命令に、エレナは戸惑った。
「お、お母様は?」
「あたしは、ここに残る」
ベルの言葉に驚いたエレナは、母をよく見て叫び声をあげかけた。
すばやく母の手が、エレナの口を押さえた。
「バカ! 敵に居場所を教える気かい」
母は気丈だった。
しかし、背に突き刺さった矢羽に、もう動くことができないと知っていた。
その惨い姿に、恐れることなく近寄ったのは、意外にも一番気が動転していたはずのフィラだった。彼女は、少しだけ医術を心得ていた。
しかし、深く刺さった矢を抜き取ることができない。
「セリス、手伝って……」
母の声に、セリスはベルの傍らに寄った。
が、あまりの姿に思わず顔を背けてしまった。
「セリス……!」
フィラの声が助けを求める。セリスは、恐怖しながらも、母にしたがった。
セリスは震える手で、矢を掴んだ。ガチガチと音を立てる歯を押さえ込むように、食いしばった。力いっぱい矢を引きぬく時、耐えきれず、目を堅くふさいだ。
「ウグッ!」
苦痛に耐えかねて、ベルが声を上げた。
血が噴出した。
フィラが自分の帯をほどいて止血している間、セリスは気を失いかけてよろめき、へたり込んだ。
エレナは、母の苦しみようを見ることができず、けが人以上の激しい息使いで泣いていた。
その後、エレナはフロルを抱き、フィラとセリスがベルを支えて、どうにか祈りの祠にたどり着くことができた。
万が一の時は、ここで待つように……。母と父が交わしていた約束だった。
しかし、父がここへたどり着けるかはわからない。
エレナは、ぐったりと横たわる母の手を握り締めながら、父がくるのを待っていた。
フィラも、義姉の横にいた。
「しっかりして。もうすぐきっとジェイが来る。そうしたら、状況は好転するから」
エレナは、その言葉に勇気づけられ、母の手を更に強く握った。しかし、母の口から声はなく、かすかに指先が動いただけだった。
せめて死に際をホルビンにみとらせてあげたい。それが、フィラの願いだった。
だが、まだ小さなエレナは、父さえ戻ればどうにかなると信じていたのだ。
セリスだけは、祠の入り口で暗闇の中に浮かぶクレセント・ムーンを見つめていた。
まだ、エーデム王族の証拠である角がないとはいえ、平民よりも心話に敏感なセリスには、死の苦しみに堪えられない。
異様な静けさ。空気に血の匂い。
時間だけが過ぎ去ってゆく。
まるで、少しずつ息の根を止めるかのごとく。
しかし、静寂はやがて終わった。
「お母様? お母様!」
悲痛なエレナの叫び声が、祠から聞こえた。
セリスは目線を落とした。
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