第22話 着火点

 一層からリフトで大急ぎ、第三層のどまんなかまでフルマラソンである。どうにも普段オフィス務めの身には辛い。これがの苦しみってやつかしらん、と、まっとうな貴族に知られたら激怒されるであろう思考が浮かぶのは、酸欠が原因だ。


「ちょっと、待って」


 ヒメは肩で息をしながら、大股でみかんの横に出た。剪刀せんとう騎士ハリオは、礼儀正しくその手を止めている。いかにも、げっぷがでるくらいに正しい態度だった――執行せんとした土地の統治者から、直々に異議が申し立てられたとなれば、ひとときとはいえ剣を止める。「対話」を重んじる「語り部の家」の守り手として申し分ない。


「聞きましょう。公主殿」

「あの……ヒメさん、いいんですッ、私」

「はいストップ! みかんちゃんはちょっと落ち着く!」


 ヒメは、ばっと手を突き出す。


「あのね。みかんちゃん。確かにこいつらは、正義セイギ味方ミカタだし偉い」

「はあ」


 みかんは黄金鎧のまま、カエルでも丸呑みしたような表情になった。


「偉いのよ。アタシと同じくらい権限ケンゲンがあるの。書類上は」

「ええ。ですから剪刀せんとう騎士には、国主に準ずる執行権がある」

「そう。裁判とかすっ飛ばしてを斬っても、誰も責められないってことね」

「いいですね。時間のかかるところを省けば、そういうことになります」


 ハリオは頷いた。アルカイックスマイルのまま、剣を離さず、ヒメを視る。


「いい? だから、騎士さまの判断は一人のものであって、じゃない」

「……ッ、ヒメさん」

アタシは、もう少しみかんちゃんのことが知りたい。他にもそういうやつがいるの」


 みかんが息を詰める気配があった。胸元で祈るように組まれていた両手は、いまは所在なげにさまよっている。拳をつくることもなく。

 たぶん、話は通じた。ヒメはそう信じた。神さまらしくもなく。


「なるほど。世界の総意ではないと。言葉の選び方としては好ましい」


 他方、まるで崩れない彫像的な笑顔は、いっそ仮面のようでもあった。


「いいですね。つまり、公主殿はいま、それをわきまえて話されているということだ」

「ええ。勿論モチロンよ。剪刀せんとう騎士さま」

「では伺いましょう。本郷みかんの処断に異論がある、とのことですが」


 ヒメは一度、深呼吸をした。ちらり、と血に濡れた剪刀せんとう剣を見る。

 「騙るもの」の異法を世界からり、「語るもの」にはる神剣。

 戦闘的な異法を一切持たず、高分子スーツの耐刃性だけが身の守りであるヒメにとっては、脅威という意味では普通の剣とさして変わらないが、それにしても見て気分が落ち着くようなものではない。


 ――なぁにが暴力嫌いだ、この暴力装置ボウリョクソウチマン。


 内心舐めたくちを叩くことで多少余裕が生まれた。


「ええ。まず、彼女があなたの啓示ケイジにいう脅威かどうかということ」

「……随分と話を差し戻しますね、公主殿?」


 ハリオは目を眇め、片眉をあげた。わかっている。この問い返しには答えない。

 答えなくても不自然ではないし、答えたならば真偽察知でボロが出かねない。


「人の治める封印街フウインガイで、これだけの騒ぎを起こされたら、大変タイヘン迷惑メイワクだわ」

「釈明をせよということですね。いいでしょう」


 ハリオは胸元の大徽章に指を添わせた。


「対話の聖域に誓って、私は語り部より啓示を受けました。この無尽迷宮に、新たに流れ着く物語せかいを見定めるべし。剪刀せんとう騎士に命が下るとは災厄の種であるということ。見定めるとは如何に処すかを決めること。私にはこの権限が与えられています」


 演説か、さもなくば説法のように、滔々と続ける。

 ヒメは背後、みかんが小さく息を呑む気配を感じた。慣れていないのだろう。

 こういうところは子供っぽい。先程の様子とは違って。少しだけ、安堵した。


「啓示はそれに沿うものを見出すあることばです。私はそれにより、新たに流れ着いたと、それとともに来たものを検分しました。には死体すら残っていませんでしたが、乗ってきた『影』は災厄に値するものではなかった」

「そのうえで、みかんちゃんがだとは限らないんじゃないの? 騎士様」

「ええ。そうですね、公主殿」


 ハリオは頷きすらしなかった。


「唯一のではないかもしれない。認めましょう」

「え」


 みかんの漏らした声は黙殺された。


「しかし、もし複数のがあるなら、その全てをるのが私のなすべきことです。彼女の原型異法がそれに値するものであることは、もはや詮議の必要もありません。いいですか?」


 有無を言わせぬ口調だった。笑顔はまるで崩れない。

 この鉄面皮、とヒメは声に出さず毒づく。しかもこの騎士、話を遠回りさせるための道を、一気にばっさり切り落としてきた。


 ――勘付かれてるかなあ。こりゃ。


 みかん自身が抵抗してくれていたことを差っ引いても、まだ時間が足りない。

 そしてヒメの用意した口実コウジツは、もはやほぼ提示できなくなっている。

 迷っている時間はない。ヒメは最後の一つを叩きつけた。


「それでは、騎士様。みかんちゃんの物語せかいが、貴方の司るものではない可能性は?」

「……何を言っているのです?」


 ハリオの表情が、はじめて、ひどく歪んだ。不快そのもの、という形に。


「それは啓示と「語り部の家」への冒涜です。公主殿」

「そんなつもりは、まあ、ないんですけどねえ。ほら、あるじゃないですか」

「あるというなら、論拠をご提示いただきたいですね。いいですか」

「あはは、いやぁ」

「ひ、ヒメさん、なんだかそれはちょっと……ッ」


 証拠。あったらこんなに困りきってないわけだ。とはとても言えない。

 数呼吸ほど間があった。ハリオは頷いた。


「なるほど。虚偽ではない。それはただのだ」


 ヒメを見る顔には、いかなる表情も浮かんでいない。


 ――あ、こりゃヤバい。


「対話をなさる気は、もうないようですね」


 剪刀せんとう騎士の空いた左手、手指がヒメをさししめす。


 広間に真っ赤なと、強烈な熱気が炸裂した。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 みかんは呆然と、目の前にいたものを見ていた。今は、ものを見ていた。


 赤い光。灼熱の

 みかんの目の前で、


 唐突すぎて、反応できなかった。割り込めるなんてわけもない。


 服も何もかも巻き込んで、真っ黒い炭の柱になったヒメが倒れる。

 瞬間的に骨に近い層まで焼き尽くされた死体は、身を縮めることすらない。


 もちろん死んでいた。はっきりと。


「さて。不要なものが入りましたが」

「ハリオさん」


 みかんは俯いて、声を絞り出した。


「何ですか。本郷みかんさん」

「どうして。暴力、嫌いじゃなかったんですか」

「ああ。誤解があるようですが、弁済べんさいはしますよ。必要ならば」


 それよりも、先程の問答について、質す方が先かもしれませんが。

 ハリオの答えは、つまり、そうしたものだった。


 みかんが顔を上げる。印象の強い眉が立てられていた。

 色々な感情がないまぜになった、動きへの意志がある表情だった。


 四肢を覆う絶対装甲アダマントが、薄く金色の光を帯びる。


「私。この世界のこと、ほんとにわかってないです」


 両手の指を覆う黄金てつが、拳をかたちづくった。


「ハリオさんはきっと、正しいんでしょう。でも、私」


 いま、間合いは一投足より少し広い。


「何もしないまま、斬られたくはなくなりました。ごめんなさい」

「そうですか。不本意ですが、やむを得ませんね」


 ハリオは無表情のまま、剪刀せんとう剣の血を払った。

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