第15話 迷宮隧道広間、天幕

 無尽迷宮封印街第三層でもっとも秩序ある場は、最大の容積を誇る空間でもある。

 迷宮から掘り出された資材を継ぎ接ぎして組み上げられる都合上、封印街は路地が立体的に組み合った、アリの巣めいた構造にならざるをえない。広い空洞というのは、それだけで大変な財産ということになる。


 差し渡し八十メートルほどの背の低い円柱型、三層から二層をぶち抜く吹き抜けの迷宮隧道広場は、無尽宮公社が躍進の気配を見せたとき、「語り部の家」の肝いりで築かれたものだ。

 迷宮からの引き揚げ品を運び出す際にも使われるこの空間は、迷宮山師たちが行き交う要所であると供に、無尽迷宮に「語り部の家」の権威を示す一大象徴シンボルでもある。

 天井に白く輝く巨大な純異法型集合燭台シャンデリア は、態々わざわざ専任の異法師を十人から雇って、不断の光を維持しているものだ。異法の元締めともいえる「語り部の家」でなくば、迷宮でこれを成し遂げるのはほぼ不可能だろう。諸王京の王族たちであってもだ。


 中央の竪穴タテアナと囲いの周囲は手投射的盤ダーツボードふうに区分けされ、区画ごとに多数の天幕テントが咲き誇っている。地上で作られたものもあるが、多くは迷宮産の色鮮やかな材質だ。色とりどりで見目も明るく、悪くうなら集合燭台シャンデリア の光量も手伝って、目が眩むような有様となっている。


 遠く、滑車の音が響いていた。


 ごく地味な、あかるい若草色の天幕テント越しに、エイジローはしろい光を見上げた。

 骨組みから突き出したフックにかかった外套も、見事な若草色に染められていた。


 異法焜炉こんろにかけられた鶴口薬缶ケットルが湯気を吹いている。

 天幕テントの主人は薬缶をとり、多島国ふうの茶瓶ポットへ注いだ。


「エイジローさん。あなたも如何ですか」


 ハリオ・サムラの笑顔は、無表情と同じことだった。

 出会ってから半刻も経っていないが、そこは確実に言い切れる。

 エイジローは単眼を細めた。


「いや。悪いが、俺は頂かないですよ。剪刀せんとう騎士殿」

「そうですか。嗜好品なら、栄養を気にすることもないでしょうに」


 実際、感じる限り、鏃豆茶は良い香りだった。

 昔、試しにみたが、ミントとココアの合いの子のような風合ふうあいがあった。

 もっとも、それをしっかり把握するのには、大分だいぶん努力がったものだが。


「ご覧の通り、まともな舌もない不調法者ぶちょうほうものでしてね」


 繁殖生物群ハイドラの食餌は、ほぼ同化吸収というかたちを取る。

 風味を楽しむもの、ことに茶や酒といった飲み物とは相性が悪い。


「残念です。故郷の豆なのですが」


 ハリオは把手のない木椀から鏃豆茶を飲んだ。


「しかし、剪刀せんとう騎士様からお招きいただくとはね」

「意外そうですね」

「偶然みたいなもんですがね」


 起きて朝飯をかきこんだあと、リコはまたふらふら消えてしまった。

 みかんも散歩といって飛び出してゆき、遣いが来たのはその直後。

 要するに、一〇三号にはエイジローしか残っていなかったのだ。


「生きてるうちに、こんな機会があるとはね。思いませんでしたよ」

「貴方だから呼んだのですよ。確認したいのですが、いいですか」


 来たな、と、エイジローは内心身構えた。

 嘘は通じない。碌でもないことを訊かれなければいいが。


?」

「いいや」


 答えやすい質問に感謝しよう。エイジローは偽足を竦める。


「俺を監視するとは言ってましたがね。こっちからは、どうにも捕まらない」

「そうですか」


 ハリオは唇をつぐんだ。苛立ちの色がわずかにある。


「では、今回の件に関わっているかどうかは?」

「そりゃあ、そちらのほうが詳しいでしょうよ」


 エイジローは単眼を顰める。


「ことにかかる前は、語り部から指示があると聞いてますがね」

「剪刀をたまわるとは、独自の裁量権を受けることと同義です」


 ハリオは腰の青鉄の鞘に軽く触れた。剣が微かな音を立てる。


「他の騎士の職分について、知ることは滅多にありません」

「そういうもんですか」

「ええ。他の騎士があずかる物語せかいは不可侵。それだけが原則です」


 ハリオの顔から、ほんのいっとき、張り付いた笑みが消える。

 視線の突き刺さる錯覚を、エイジローは感じた。


「たとえそれが、であってもね」

「やめてくださいよ。騎士様」


 単眼を逸らさず、エイジローは偽足をすくめた。


「俺にはその気はないし、それこそ他の騎士の取り分になるでしょう」

「失礼。エイジローさん、貴方が理性的で何よりですよ」


 ハリオは、もう彫像めいた薄ら笑いを復活させている。


「もうひとつ。昨日、迷宮から機械部品を持ち帰ったそうですね」

「ええ。確かに」


 ――このまま世間話で終わったら、笑い事だったな。


 案の定だ。エイジローにとって、来ると踏んでいた流れだった。


「新しいが流れ着いた?」

「あれだけの規模なら間違いないでしょう」

「そうですか。実は私も、昨日の夜にましたが」


 まさか、誰かを雇ったわけでもあるまい。壁の外套には傷一つない。

 この男は少なくとも、無尽迷宮の中層まで、一人悠々ゆうゆうと歩き回れるわけだ。

 剪刀せんとう剣は飾りではない。生身一つでも、鍛え上げているのだろう。

 エイジローの知る限り、剪刀騎士とはそういう生き物だ。


「値打ちものは綺麗に消えていた。道理で、貴方は腕の良い迷宮山師のようだ」

「いやあ。意地汚いだけですわ。こっちも、生活がかかってるもんでね」

「ご謙遜を。職分に忠実であるのは、誇るべきことです」


 一拍の間があった。核心が来る、という予感があった。


「エイジローさん。あそこで?」

「戻るときには――」


 エイジローはよどみなく言葉を選んだ。

 発声偽足を形成しふるわすエイジローの声は、感情を表に出しにくい。

 今ばかりは、それがありがたかった。


「――でしたがね」


 ハリオは微かに笑顔を崩し、目をすがめた。

 エイジローも真似て、半眼を


「なるほど。結構です。ご足労感謝します、エイジローさん」

「いえ。市民の義務というやつでしょうよ」


 公社経由で市民権を買っている単眼触手は、そのように応じた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 広場の天幕テントの間、ひとびとの足の間を抜ける。

 小柄というか、一抱えに余るほどしかないエイジローは、広場が苦手だ。

 それだけでも憂鬱だが、今はそれ以上に、憂い事のたねがあった。


 ――思ったよりも、動きが早い。


 自分に接触を持とうとしてくれたのは、幸運な偶然だった。

 あちらの性格がうまく作用してくれた、というところだ。

 剪刀騎士がひとりひとり別ものだとは、実に本当のことであろう。

 そんなことを思い知る身の上には、心底、なりたくなかったが。


 ハリオは理性的だ。もう一通り、直接の手がかりを洗い終えている。

 その上で、を監視する構えに入っている。


 隧道広間を抜ける正規の道なら、必ずハリオの側を通ることになる。

 不正規の出入り口を、無理矢理作ろうとすれば、第三層は大騒ぎだ。

 封印街の出入り口で騒ぎになれば、広間の昇降機リフト経由で駆けつけられる。


 つまり、封印街への被害は、必要ならば看過する。その上で、


 ――自分でかたをつける気だな。間違いなく。


 それはまさに、名にし負う剪刀せんとう騎士に相応しい判断であろう。


 エイジローは集合燭台シャンデリアのしろい光を見上げた。

 急ぎ上層うえに戻り、ヒメに首尾を確認せねばならない。


 それから早々に、リコとみかんの所在をおさえる。

 今の状態なら、公社施設でも借りて、打ち合わせができるだろう。

 少なくともだ。

 いま、無知にも程があるみかんを、アレと鉢合わせさせるわけにはゆかない。


 ――よし。


 方針を固め、壁面沿い昇降機リフトから二層を目指そうとしたとき。

 エイジローの単眼に、信じがたいものがうつった。


 行き交う人の向こう、見間違いようのない、濃緑モスグリーン制服ブレザー姿がある。

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