第11話 <翡翠顎>にて

 <翡翠顎>が店を構えるのは、無尽迷宮封印街、第二層より第三層の境。密封工場みっぷうこうばから少しくだったところである。この店について驚くべことといえば、何よりもまずは「ほんものの酒場」だという点であろう。かつて流れ着いた客船のバーを、そのまま使っているのだ。やすい買い物ではない。無尽迷宮に根を貼る<翡翠顎>の一族クランにとり、これは看板でもあった。


万々歳ばんばんざいじゃねえかよ」


 大木杯ジョッキ小杯カップに炭酸水を注いで、卓上に並べる。


「ああ。まあそうでしょうね、うまくいったところだけを見ればね」


 グラトは美味くもなさそうな顔で大木杯を呷った。

 同行している小娘、カララも杯を口に運び、首をかしげる。


「すまぬが、甘くしてもらえぬか」


 柔らかな笑顔なのであろうが、<翡翠顎>には常人どころか、小型蟲人の擬態面に興奮する趣味もない。金線声であいよ、とだけ答えて、第三腕で開けた玻璃瓶から、木苺砂糖煮ジャムの上澄を落としてやる。小型蟲人にはどぎつい甘味を好むものも多い。その手のものは常備していた。


 カララは<翡翠顎>を伺い、それから渋いものでも舐めたような顔で一口飲んだ。


「足りなかったかい」

「いいや。十分だ」


 グラトは幼い横顔を、さらに渋い物を舐めるような顔で見ている。

 <翡翠顎>は鉤爪で顎をかいた。


「何が不満だよ蘇生屋。そのまま連れ帰ったがいいじゃねえか」

「連れ帰れるものなら、そうしますがね」


 恨みがましい目を向けられても困る。<翡翠顎>の筋は確かだったのだ。

 グラトは炭酸水を干して、大きく息をついた。まるで飲んだくれだ。

 酒が回っているわけでもあるまいに。


 とはいえ無理もないところはある。それは<翡翠顎>も理解している。


「本物の蘇生の次に剪刀騎士とは、お前さんもよくよくツイてるな」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 半日ばかり遡る。グラトは自分の不幸を呪っていた。

 若草の外套に青鉄の大徽章は、見間違えようもない。


 狭く逃げ場のない食堂で、よりにもよって剪刀騎士に出入り口を塞がれる。

 それも、あまりに代物を連れた状態で。

 はなからろくでもない話だったが、どこでここまで踏み外したのか。


 カララを見る。

 相手がは承知しているようで、伺うような目線がかちあった。

 グラトが動かなければ始まらぬぞ、というところだ。


「あの。騎士様、何か御用でしょうかね」


 脇下の汗を自覚しながら口を開く。逃げられる相手でもなし、逃げる利もない。

 剪刀騎士となれば、「騙るもの」としての原型異法か、「語り部の家」門外不出も含む異法で重武装しているものと相場は決まっている。常人らしい見た目からは彼が「語るもの」か「騙るもの」か判別し難いが、いずれ人外の化け物なのは大前提だ。

 何より、名にし負うがある。


 それを相手に、最悪ではことを構える羽目になるかもしれないと思えば、胃の腑に重く冷えた痛みが来た。もしそうなったら、地の果てまで追われる。必要なら、仮令たとえ世界の裏側でも。剪刀騎士とはそういうモノだ。


「はい。幾つか訪ねたいことがあります。私は、剪刀騎士のハリオ・サムラ」


 目線がカララに向いた。木皿に残った蜜を指で舐め取っている。


「偽られていると場合、あなたに不都合があります。いいですか?」


 彫像的な薄笑みが張り付いた顔は、拷問吏のそれにも見えた。

 「語り部の家」には、の異法がある、と聞く。

 それがハッタリかどうか、確かめるほどの無謀さは、グラトにはなかった。


「ええ。僕はグラトと言います。諸王京のほうから参りました」

「素直でありがたいですね。お連れの方は」

「カララ。まあ、僕がいま預かっている娘さんなんですが」


 ひとつ。勝負に出る。もしこれが駄目ならば、いずれにせよご破産だ。


「諸王京のさる名家の娘さんでして。ねえ、カララ?」

「ん? ああ、うん」


 おい、いいのか、と言わんばかりの目線に、小さく頷いてみせる。

 微妙に不機嫌そうなかおで、カララは軽く肩を落とした。


「ああ。。ただ、でな。家名はいただいておらぬ」

「なるほど」


 剪刀騎士は目をすがめた。首を傾げ、カララをじっと見る。

 少女の姿をしたモノは、居心地悪げに身体を竦めた。

 異法で徹底的に変容しているであろう、その五感で何をているのか。

 グラトには見当もつけられない。


「なんだ。おい、グラトよ――」

「いえ。ご心配なく、カララさん。なるほど、


 わずかに、肩の力が抜けた。僥倖だ。


「しかし、親御さんから預かった? 迷宮にですか?」

「ええ、僕は蘇生屋でしてね。昔、一人生き返らせたこともあります」


 なるようになれ、という気分だった。

 嘘を吐けば終わりとなったら、あまり考えず、事実だけ話すほうが良い。


「なるほど、二度目とは運が良い。それで、――カララさんは正気ですか?」

「おい、それは……」


 声を張りかけたカララが、自主的に語尾を潜めた。

 本当に、理性的で助かりますよ。と、グラトは内心色々のものを呪った。


「ええ。偶々たまたま、『影』の種類も良かったんでしょう」

「そのようですね。いいでしょう」


 ハリオは頷いた。若草外套の内側、青鉄の鞘がちらりと覗く。


「最後に一つ。カララさんがのは、どこでしたか?」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「それで泥を吐いたと」

「黙ってた日には身の破滅です。だいたい、とっくに承知だったでしょうよ」


 答え合わせみたいなもんですよあれは。とグラトは吐き捨てた。

 <翡翠顎>も同意見だ。あなのネタには、寧ろ語り部のほうが明るかろう。


「にしても、剪刀騎士に見逃して貰えるたぁなあ」


 翡翠顎は第一腕を組んだ。鉄の軋るような音が立つ。


「お嬢ちゃん、あんたけっこう名のある『影』だろうに」

「どういう意味だ」

「むかしは世界のひとつやふたつ、滅ぼしかけたんじゃねえかって話だよ」


 切り出せなかった話だ。グラトはカララを見た。


 <翡翠顎>のことばも、所以のないことではなかった。

 ごと流れてくるのは、に立ち会ったモノだ。

 有り体に言えば、であったことも多い。


 カララは目を伏せたまま、ふっと息を吐いた。自嘲にも見えた。


「いかにも。わらわは、そう、世界を征さんとしたものである」

「ですよねえ。偉そうだから、そうじゃないかと思ったんですが」

「今はこの有様だがな」


 己の身体を見下ろし、右手指で左の手の甲をなぞる。指を撫でる。


「情けないことよ。見る影もない」

「あのよくわからん力があるのにですかあなた」

「当然だ。本来のわらわはあの程度では……いや、せんもないな」


 <翡翠顎>は胸から腹を丸め、前傾姿勢になり、鉤爪でカウンターを叩いた。


「しかし、だとすりゃますますわからんな。その剪刀騎士は盆暗ぼんくらか?」


 彼らの動く理由といえば、であると相場は決まっている。


「そうは見えませんでしたがね。実際どうです」

「何がだ、蘇生屋」

「惚けないでくださいよ。僕が帰りつけなきゃ代金は出ないんですよ」


 グラトは天井を見た。つまり、第一層や、封印都市の正門がある方を。


「剪刀騎士が堂々と闊歩してるんです。正門は騒ぎじゃないですか」

「ああ。門衛どもは張り切ってるらしいな。検問は厳重に……」


 ぎし、と金線を擦り合わせたような声が漏れた。


「おい蘇生屋。まさか」

「普通ね。なんてもんは用意せんですよ、僕ら」


 封印街は、迷宮の出入り口を封じて建てられる。迷宮の出入り口は不変である。

 すなわち、封印街の出入り口はただ一つ。諸王国の兵が山と詰めている。


「貴様、どうやってわらわを連れ帰る気だったのだ」

「普段ならごまかせるんですよ。普段ならね」


 だいたい、うまくいくことすら稀の死人のため、手形が刷られるわけもない。

 グラトは天井を仰いだまま、顔を覆う。


「今からとなると、出ませんよねえ。手形は……」

「当たり前だ。言っとくが、うちじゃあ用意できんぞ」

「判ってますよ」


 どこをどうしても。

 あの剪刀騎士が目的を果たすまで、この街を出られないということだ。

 普通なら。


「……<翡翠顎>さん。ものは相談なんですがね」

「無茶を言い出すなよ。一族クランの手前だ、イモは引けねえ」

「わかってます。商談の提案ですよ。真っ当な」


 グラトはカララの手を引き、肩を抱くようにした。

 愛らしい少女の顔が、なんとも不機嫌そうに歪む。


「おい。この身体に何の真似まねだ。――」

「あのの情報やカララさんの、欲しがる人に繋いでもらえませんか?」


 そちらにとっても、たぶん悪い話じゃないはずですよね。

 その提案を、<翡翠顎>は暫く検討した。

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