第8話 少女カララ

 『無尽迷宮』封印街は、地上に数ある封印街のうちでも最大の一つに数えられる。


 迷宮の小構造を複数層にわたりしているという一点であっても歴史上そう類を見ない代物だが、何より特徴的なのはこの街が事だ。


 この自活とは、独自通貨の発行流通という、少し成功した都市国家が侵す代表的な失敗を、世迷い言で無くしてしまうだけのを意味する。


 ──諸国案内の一節より


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 封印街は、下、つまり迷宮そのものへ近づくほど怪しさを増す。第三層ではっきり秩序立った場所といえば、公認正規の迷宮入口と、周囲の門衛詰所くらいのものだ。床一枚破ると迷宮に通じる一角ともなれば、後ろ暗い住人の見本市である。


 うえへ上がれない身の上が身をひそめるには、この上ない条件でもある。

 おかみの手を頼れない、ということと、裏表ではあるのだが。


 ごく狭い路地。挟み込む壁は象形文字の刻まれた石版と、波打つ金属板、意味の取れない文字が大書された極彩色の木製看板──ある時期の地球出身者がもしいれば、香港あたりにありそうな漢字看板だとわかったろう。

 薄暗い蛸壺タコツボめいたスペースへ無理矢理に、椅子とテーブルを詰め込んだ食堂。


 迷宮山師らしい目立たない風貌の男と。地味だが仕立ての良い服を着た、齢十にも届かない娘。とくに奥まった一角に、妙な二人連れがおさまっていた。


「それで、なんとお呼びすればよろしいでしょうかね」


 木杯の蒸留水で唇を湿す。はっきりとした緊張を、グラトは感じている。

 原因は、差し向かいで分厚いハットケーキを貪っている少女にある。

 見覚えのある顔だった。つまり、つい半日前まで死んでいたことを除けば。


「カララで良い。特に許す」


 蜜に濡れたおさない唇を、あざやかに赤い舌がなぞる。


「カララさん。そりゃ結構なことですが」


 ならば、グラトが諸王京で請け負った仕事は、見事成功したことになる。

 もしも本当ならだ。


「僕の知らされている限り、カララさんはごく平和な娘さんだったんですよ」

「そうであろうな」


 ハットケーキを綺麗に平らげ、カララは目線を上げた。


「あとひとつふたつ用意できぬか」

「すいません。ケーキのおかわりを」


 開いた皿と迷宮札を受け取って、蛙顔の爬虫人種が路地食堂の奥に消える。


「平和な娘さんが、あんな真似をできますか?」

「いのちを助けられておいて、ずいぶんな言い草よな」

「このあとの命がかかってるんですよ僕は。カララさんはですね」


 蒸留水をもうひとくち。

 何か食べたい気分になるが、無駄遣いをしている場合ではない。


「少なくとも、手も触れず翼手蛇ワイアームを捻り潰すような異法は使えなかったはずで」

「異法とやらではない。妾のである」


 流石に喉が渇いたのか、蒸留水を勝手に手酌して、カララは笑う。

 ちいさな喉が、こくりと動いた。


「人類どもはIFFなどと呼んでいたがな」

「だから、それは平和なカララさんの芸当じゃないでしょう」

「そう気を揉むな。妾はカララに違いない。今すぐ貴様を害する気もないぞ」


 薄っすらと笑いながら頬杖をつく。細めた目は、ひどく扇情的だった。

 およそ、十にもならぬ小娘が浮かべるような種類の表情ではない。


 溜息が漏れた。わかっている。グラトもわかっているのだ。


「……それで、あなたのお名前は?」

「名はない。女王とだけ呼ばれていた。ゆえ、今はこのカララが相応であろうよ」


 運ばれてきた二つ目のハットケーキに取り掛かる。

 優雅にカラトリーを操ってみせるが、切り取る一口一口は大きい。

 赤みのさした頬でほおばる様だけは、相応にも見える。


 こめかみを揉んで、一度強く瞑目し、また見開いて。グラトは意を決した。


「あなた、『影』ですよね?」

「いかにも」


 こともなげに即答だ。泣きたくなる。泣いている場合ではない。


「僕に騙らなかった理由は」

「妾は女王である。貴様は雄だろう。イン──」

「ほっといてください。どこまで把握しているんです?」

「この娘の聞き知っているかぎりは」


 ずいぶん、物騒な話が好きだったようだな。と、カララは笑う。


「カララさんの自我は?」

「死体に自我も何もあるまいよ」

「では、記憶があるというのは」

「脳の保存状態が良かったからな。読み出せたぞ」


 から独立した精神というのは薄気味が悪くていかん、などとのたまう。

 あなたのことですよ、と言い返したいのを呑んで、グラトは必死で算盤を弾く。


「今のところの目的は」

「子作り」

 

 がくりと首が落ちた。


「あと十年は待ってくださいよ」

「で、あろうな。まあ、十年でかどうか──」


 カララはひどく遠い目をした。

 今までの妖艶さと比べてなお、十やそこらの娘には不釣り合いな。

 あるいはそれは、臨終をまじかにした獣のようでもあった。


 グラトはひとまず無視した。


「仕事、しませんか」

「花街か?」

「いえ。たとえば、カララさんの演技とか、できません?」


 一瞬きょとんとしたあとに、頬を釣り上げてカララは嗤った。


「できると思うか?」

「思いません」


 まあそれはそうだろう。とうてい、誤魔化せる種類ではない。

 こうなれば、真偽判定能力をもつ「騙るもの」を突破できるかが問題だった。

 本物のカララを連れ帰った、と認められるか否か。

 こちらは、親が納得するかどうかという話ではない


 つまりグラトはもう、親から礼金をいただくことを諦めている。

 際どい商売は、見切りが肝心なのだ。迂闊に拘れば溺れ死ぬ。


「それなら、僕と諸王京まで付き合っていただくだけで結構ですよ」

「ずいぶんとうまい話に聞こえるが」

が終わるまで、お付き合い願えれば」


 カララは片目だけ細めて、空の皿にカラトリーを置いた。

 金属が木皿を叩く鈍い音。


「なるほど。面倒な話ということだな、貴様」

「グラト、で結構ですよ。カララさん」


 精一杯の笑顔を作る。少なくとも、誠意のつもりがあった。


「如何ですか」

「まあ、いい。今のところ、ほかにアテもない身だ」

「理性的で何よりですよ。それじゃあ、宿を──」


 言いかけたときだ。路地食堂の入り口に影がさした。

 皿を下げに出てきた蛙顔が硬直する。

 ひどく、またもやひどく嫌な予感を覚えて、グラトは首を九十度巡らす。


 若草色の外套。胸元には禍つ眼と片刃剣の大徽章。

 見まごうことのないがそこにいた。

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