第7話 元学生 本郷みかん

 規則正しい鼓動が聞こえる。

 自分の心音だ、と気がつくのに、しばらく時間が必要だった。

 だいぶご無沙汰だったから、仕方がない。


 本郷みかんは小さくうめいた。薄く目を開ける。

 久しぶりに、よく眠れたような気がする。


 感じるのは、金属の床の冷たい感触。

 それから、湿ったかすかな風。空気の動く気配。

 こんなにして寝てたら、また叱られて――


 湿った空気?


「嘘!」


 跳ね起きる。

 銀色のぴかぴかした壁に、調子悪そうにちらつく埋め込みの蛍光灯。

 気密だけはしっかりした小部屋。閉じた扉以外は、換気ダクトがあるだけ。

 よくわからないけど、倉庫か何かだ、とみかんは見当をつけた。


 だいぶ様子は違うけれど、間違いない。

 ここは、国連の月面基地だ。


 ハイドラの目覚めた場所にして本拠地。

 何もかも全部めちゃくちゃにして、みかんが乗り込んだ場所。


 でも。


「え、ちょっと待ってちょっと待って! どうなってるの!?」


 自分の両手を見る。裏返してもみる。生身だ。

 服を引っ張ってみる。

 モスグリーンのブレザーにスカート。学校の制服。

 顔は? 確かめたいけど鏡はない。

 顔面を平手でぺたぺた触ってみる。傷ひとつない。


「あ、そうだ、ギアは……!」


 慌てて胸元を探ってみると、英雄機攻ヒロイックギアのコアは、肌に直接埋まったまま。


「ふへえ……」


 なんとなく安心し、思い切り息を吐き出した。

 息ができる。

 そうだ。それがおかしい。いや、何もかもおかしいのだけど。


 じっと手を見つめる。握る。開く。

 こぶしは、いつもどおりに形作れる。


「えーと。整理、そう、整理しよう」


 二〇二四年、十二月二十四日。ハイドラの地上が完了する寸前。

 最後に残ったアラスカの打ち上げ基地から、本郷みかんは月を目指した。

 原人類オリジネイターの残した力で、ハイドラの女王を倒すため。


 そして、すべてを、間違いなくすべてを終わらせた。


 そのはず、だったのに。


「終わった……終わったよね?」


 本郷みかんは、生きている。


「私、うまくやれたんだよね?」


 正直、混乱していた――何が起きているのか、まるでわからない。

 からだに感じる重みも、そうだ。

 月の重力は、地球の六分の一に過ぎない。

 あの頼りない感覚が、ない。理由はわからないが、


 ただ、周囲を見るに、あの月面基地であるのは間違いない。

 つまり、整理すればするほど、みかんの混乱は増していくばかりである。


 顔を覆って、ひざ立ちで、しばらくじっとしていた。

 いつものように。それから。


「ぃよっし!」


 ぱぁん、と音がする勢いで、頬を張る。

 ほほが軽く真っ赤になる。

 女の子なんだから、とよく注意されたけど、これが一番効くから仕方がない。


 動く。とにかく動く。本郷みかんはそういう子なのだ。


 立ち上がる。

 胸の英雄機攻ヒロイックギアに手を添える。

 ことばをつむぐ。最初に選んだ、はじまりのことば。

 はやらなかった歌のワンフレーズ。



 小部屋を、金色のひかりが満たす。


 モスグリーンの制服が不可知粒子に分解され、素肌に蒸着する黒の色。

 四肢と急所を覆うように、鈍い黄金色の絶対装甲アダマントが顕現する。

 瞬間的に、英雄機攻ヒロイックギアが励起した。


「んー。よし」


 軽く足を踏み鳴らして、肩を回して、こぶしを固めて。

 十分に動く。ただ、絶対装甲アダマントの色合いがおかしい。


「最初に戻ってる……?」


 何でも口に出すのは、まあ、癖みたいなものだ。

 しばらく落ち着いていたけれど、ここ何ヶ月かでぶり返している。


「ま、気にしてもはじまらない! やろう!」


 目を瞑る。意識を集中する。

 英雄機攻ヒロイックギアの機能のひとつ。

 敵対者たる強襲繁殖生物群きょうしゅうはんしょくせいぶつぐんと、同胞である人間を感知する。


 やっぱり、いた。ハイドラだ。

 動いている点の数は正確に数え切れないけど、十あまり。

 思ったよりは少ない。地上じゃない?

 たぶん、この基地の中を徘徊している。逆に、人間の気配はない。


 一番近い相手へのを確認。方向は、だいたい斜め上。

 ぐっと腰を落として、両足の絶対装甲アダマントに力をこめる。

 タケヒゴを、思いっきり押し曲げるイメージで――


「……よし!」


 めこんだ力を爆発させる。黄金の輝きがほとばしる。

 拳を突き上げる。いわゆるひとつの、

 絶対装甲アダマント非存在斥力イマジナリーフォースが指向炸裂。

 砲弾どころの騒ぎでない勢いでもって、みかんは基地の構造体を貫通した。


 金属床を数層ぶちぬき、飛び出した目の前に、見慣れた姿。


「見つけた! ハイドラ……ッ!」


 見慣れないデザインのプロテクターから溢れる異形の触手。

 見覚えがあった。ハイドラだ。

 殺すほかにもう、救うすべのない相手。


 基地が無人の理由を、みかんは大まかに見当づけた。

 終わってしまったのだ。


 慣れたはずだった。もうやらせないために、覚悟もしたはずだった。

 噛み潰したはずの痛みが、じわりと胸に戻ってくる。

 でも。


「……ごめんなさいッ!」


 刹那の迷いが奇襲の優位を消した。けれどそれは問題ではない。

 上位固体ネクサス化していないハイドラは、英雄装攻ヒロイックギアの脅威になりえない。

 こちらに気付き打ち出す肉槍を、腕の絶対装甲アダマントで打ち払う。

 非存在斥力イマジナリーフォースが炸裂。

 情報子ミーム密度において動物にすら劣る変異ハイドラは、一撃の下に爆散した。


 みかんは大きく、息を吐いた。基地内のハイドラはまだまだ残っている。


「うん。大丈夫」


 拳を握る。開く。握る。

 英雄機攻ヒロイックギアが初期化していても、戦い方は覚えている。

 昔のように、非存在斥力イマジナリーフォースが使えないなんてことは、ない。


「いこう。みかん」


 やれることをやらなければ。英雄機攻ヒロイックギアの移植者として。

 戦って。戦って。

 ――それしかもう、本郷みかんにできることはないのだから。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 黄金の光が炸裂する。非存在斥力イマジナリーフォースが物理を超克する。


「ひとつ! ふたつ!」


 基地の内壁を打ち抜き、ハイドラを粉砕し、猛烈な勢いで飛び回り。


「みっつ! よっつ!」


 吼える。感知できるの数は、もはや数えられるほどになっていた。

 残すところは、あと。


「これで、ラスト……!」


 だが、最後の固体だけはが違う。刻一刻と距離が変わる。

 明らかにこちらの接近を察して、迎撃しようとしていた。

 つまり、上位固体ネクサス。真のハイドラ――


 拳を固める。振り下ろす。最後の障害をと。


「せぇ、やあああああッ!」


 壁をぶち抜く。飛び出す。構える。暖気運動ウォームアップは終わりだ。


「まだいた、上位固体ハイドラ! と、……え?」


 目を疑うような、おかしな光景があった。


「女の子?」


 なんというか。基地の廊下の風景、それはそうなのだけど。

 東南アジアかアフリカ、そんな感じのざっくりした服を着た小さな女の子と。

 何故か、葛篭つづらっぽいものを背負ったハイドラがそこにいた。


 割と小型だ。ぎょろりとした単眼はやや愛嬌がある気もする。

 いや、それはどうでもよくて。

 なんで、


「って、あ、あッ! きみ、そいつから離れて!」

「……ほへ?」


 左右をふらふら見た後、女の子は自分を指差した。

 いや、ほかに誰がいるというのか。


「あー。えっと」


 変わった、というか雑なだけにも見える結い髪を、女の子は軽くいじった。


「いや、うーん。割とやる気まんまんていうか、どこから説明したもんかなあ」

「そんな場合じゃ……ッ」


 仕掛けるには、だめだ。女の子が近すぎる。

 上位固体ネクサスを破壊した衝撃は、人一人に重症を負わすに十分だ。

 こうなれば、自分を盾にしてでも――


「気持ちはわかるがな」

「!?」


 三人目の声がした。みかんは最初、誰が話しているのか理解できなかった。

 当たり前だ。

 本郷みかんの知る限り、


「落ち着いて、まずは話を聞いてくれないか」


 葛篭つづらのハイドラが、困った、とでも言いたげに触手を二本、挙げた。

 肩をすくめているようだった。


「説明しなきゃならんことが、山ほどあるんだ」

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