第4話 おまかせメニュー“赤と黒”

「こんにちは。そちらの席、よろしいかな」


 礼儀正しい言葉つかいで、声がとてもきれいな青年が、いつのまにか目の前に立っていた。

 灰味がかった外套コートが似合っている。


「え、あの、どちらさまでしょうか」


 初対面よね、と、記憶を辿る。

 確かに、この青年とは初対面。


「ああ、すみません、今のはあなたに掛けた声ではありません」


 青年は真面目に言うと、すっ、と隣りのテーブルに腰かけた。


 水のような女の子ティアリオンが、注文を聞かぬうちにガラスポットにミントの緑が鮮やかなティーと、シルバーの持ち手の付いた背の高いグラスカップ、炒った松の実を銀のトレイにのせて運んできた。


 ティアリオンは、青年に一礼すると、ティースプーンで松の実をすくって、ぱらぱらと、金彩のアラベスク模様が描かれたグラスカップに落とした。

 そして、そこへ勢いよくミントティーを注いだ。


「美しい」


 青年は、ティアリオンの所作と、ティーカップの中で踊るミントグリーンを順に見やった。

 

「今日も完璧だ」


 と、青年はおおまじめに言った。


「所作はの美しさは、オリオンさんの指導の賜物たまものだね」


 そして、青年はグラスに口をつけた。


「たっぷりのペパーミントに、ローストした芳ばしい松の実。この独特の香りで、ひと口で異国に連れていってくれる。モロッコ、アルジェリア、チュニジア……マグレブの夢の旅路……」


 思い浮かぶままに青年は言葉を紡いでいく。

 

 青年の言葉を聞くうちに、日常から乖離していくのが心地いい。


 青年はグラスカップを置くと、外套の内ポケットからマーブル模様のブックカバーの文庫本を取り出して、それをティアリオンに差し出した。


「遅くなってしまって、もうしわけない。ありがとう。おもしろかったよ」

「返却日は本日ですので、遅くなってというのは当てはまりません。恐縮です」


 ティアリオンは文庫本を受け取ると、にっこりとお辞儀した。

 それから、本を壁際の本棚にもどしに行った。


「安心した。ああ、やっぱり来てよかった。実は、返却日を失念してしまっていてね」


 青年は心の底からほっとした風だった。


「お食事はいかがなさいますか」


 そのまま御主人様と続きそうなていねいな言いまわしとうやうやしげな声は、フェザリオン。

 青年は、差し出されたメニュー表を裏返すと、短く整えたきれいな爪で上から順に辿っていく。

 それから、おもむろに一点を指差した。


「今日は、これにするよ」

「はい。おまかせの“赤と黒”ですね」


 おたのしみ、だけでなく、おまかせ、もあったとは。

 私はランチタイムだからランチをと何も考えずにいた。

 

「おまかせメニューっていうのもあるのね」

「はい、よろしければ、ご覧ください」


 フェザリオンがメニュー表を持ってきてくれた。


「ありがとう」


 受け取ると、裏返して眺めてみる。


「おまかせの皿


 “赤と黒” 本日は、フルーツとシード

 “黄と白” 本日は、シトラスとヌードル

 “赤と緑” 本日は、海の恵みとグリーンスパイス」


 うん、なんだかよくわからない。

 青年はわかるのだろうか。


「フェザリオンくん」

「フェザリオンでけっこうです」


「そう、では、フェザリオン、このおまかせの皿のメニューなのだけれど、ちょっとこれだけだとどんな料理なのかわからないと思うのだけれど」

「はい。おまかせなので、おまかせください」


 ストレートな返答。


「食べ物アレルギーはどうするの」

「お客さまにおききしております」


 なるほど。

 青年は常連のようなので、すでに情報を開示済みというわけだ。


「どれも気になるな。とくに、この“赤と黒”」


 そう口にしたところに、ティアリオンが、青年の御注文の皿を運んできた。


「おまたせしました。おまかせの皿“赤と黒”になります」

「今日の“赤と黒”は何になるのかな」

「はい」


 ティアリオンは、なめらかに説明し始める。


「アメリカンチェリーとワイルドライスのココナツミルクスープです。アメリカマコモの種ワイルドライスを蒸籠せいろで蒸したものに、ジンジャーシロップで甘みをつけたココナツミルクソースをかけて、種を抜いたアメリカンチェリーをつぶして灰赤味を出しました。トッピングのチェリーは種はとってありませんのでどうぞお気をつけて」


「ふむ。食材はアメリカン+アジアンだけれど色彩はパリの石畳を思わせるグレイッシュだね」


 青年は満足げにうなづいている。


 ただ、私は、首をひねってしまった。

 美味しいのだろうか。

 決して、食欲をそそる色合いでも見かけでもない。

 奇をてらい過ぎではないだろうか。

 そう思う間に青年が、銀色のスプーンで、ひと口。


「アメリカンチェリーの黒々とした赤、ワイルドライスの紫を帯びた黒。ココナツミルクの白が、赤と黒に侵されていく。そして、やがて、灰色のピンクが訪れる」


 青年の口からこぼれる言葉は、そのまま詩になっていく。


 でも、詩が美味しいと思うのは、限られた人だろう。


「とても変わった料理……一皿は食べきれそうにないけど、味見はしてみたいな」


 つぶやくと、ティアリオンとフェザリオンが、素早い身のこなしでそばにきた。


「おまかせの皿には、おためしサイズがございます」

「初めてのお客様に、おすすめさせていただいております」


「じゃあ、“赤と黒”“黄と白”“赤と緑”それぞれおためしで」


「かしこまりました」

「かしこまりました」


 つい、注文してしまった。

 ランチをたっぷりいただいた後なのに。

 いくらお味見サイズとはいえ、食べきれるのだろうか……







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