巨人殺し再び-後編

 出立を決めた翌日の天候は幸いなことに晴れであった。青い空には大きな羊雲が幾つか浮かんではいたが、ノートラの地に慣れているオーグルだけでなくカンソン=ヴァドの村人も天候が大きく崩れることは無いと言ってくれている。

 吹雪く事が無いのは安心だった、オーグルによれば冬の道に着くまで一日そこから冬の道を抜けるのに一日ということである。そこから最寄の集落にもおおよそ一日と、最低三日は必要だろうということだった。

 三日もあれば天気が変わるのではないか、そう危惧したカブリとブレトであるがオーグルはこう言ってのけた。


「雲の羊がたゆたう程の陽気だ、曇ることはあっても一週の間は大雪になることは無いだろう。せいぜい粉雪が舞う程度よ」

 だがカブリはこの言葉をすぐには信用しなかった。というのもカブリは高山に生まれ育った男である。山で暮らすうちに天候の読み方というものも身につけていた。

「信じられんな、冬の特に雪の降る時期など一刻もせんうちに天気が変わるもんだぞ。俺はお前さんがそんなことも知らないとは思えなんだ」


 とまぁカブリはこんな具合に反論してみせたが、オーグルは全くたじろぐどころか肩を落としながら溜息を吐いた。

「記憶が確かならダンロンの山に住まう一族の出だったな。だったらそう思うのは当然だし、山の天気が変わりやすいことぐらい知っている。だがなぁここは平地ぞ、空が気まぐれを起こすときはあるが、ここの天は笑った直後に怒るような真似はしないのよ」


 うぅむ、と口を尖らせはしたもののカブリはもう口を出さなかった。カブリにとって冬の天気は女以上の気難しさを持つものだが、天の気分は土地によって違うこともダンロンを出てから覚えた。

 このノートラの地に慣れたオーグルが言うのであれば、それはきっと正しい。頭では理解できていても、身についた習慣というものはすぐには離れてくれないものだ。


 出発に関わるひと悶着があったとすればこの一幕ぐらいなもので、差し当たって頭悩ます事態も起きなかった。強いてあるとすれば、宿の主人が引きとめてきたぐらいなものだが、そんなもの三人の中の誰一人の耳にも届いていない。

 そうして一向は村を出て、村の道から街道へと向かった。村の道も街道も、役目を負ったものが夜も明けぬうちから尽力していたらしく、雪は固く踏みしめられて歩くのに何の支障も困難も感じさせなかった。


 寒い寒い冬のある日のことだから、街道で擦れ違うものは無かったが平和なもの。吹く風こそ冷たいが、日差しは弱いながらも暖かい。三人は毛皮の下に綿詰めの服を着ていたこともあり、歩いていれば肌はじとりと汗ばむほどの陽気さである。

「これは随分と歩き易い、この分ならあっというまに冬の道とやらも越せそうですね」


 軽口を叩いたのはブレトである。彼は温暖な森に生まれ育っており雪には慣れていなかった。けれども整備された雪道はたまに滑りそうになるぐらいで、特に歩きづらいということは無い。

 雪に慣れていない事を自覚していた彼は、大変な行軍になると覚悟していたのだけれども想像ほどではないことに軽い安堵を覚えていたのである。

 これに顔を険しくしたのはオーグルだった。オーグルはノートラの地を深く知る、ブレトが気楽になっても仕方が無いのは分かっていたが看過できるものではないのである。


「そう言っていられるのは今だけだ、物見遊山気分でいるなら春まで篭ってるんだな」

 きつい口調だった。言いたいことはわかるが言い方というものがある、ブレトは気分を害されたが表情には出さない。理屈ではオーグルがそういう風に言うのも理解できるからなのだが、かといって腑に落ちたわけではなく気楽さが抜けたわけではない。


 そしてブレトは自身が楽天的になっていたのだと思い知らされた。二日目に入って街道を逸れて冬の道へと入っていったのだが、そこは誰も使わぬ道である。当然ながら村の道や街道のように整備する者は無い。

 昨晩に降りしきった新雪が柔らかく積もり、一歩また一歩と進むたびに足は雪の中に深く沈む。先程までとは打って変わって歩きづらい道のりだが、オーグルは当然ながらカブリも難なく歩いていた。


 ブレトは二人の背中に追いつこうと汗水たらして息を切らしつつ、そういえばカブリが高山の生まれであったことを今更ながら思い出していた。彼がする故郷の話の中には雪に関連したものが多くあったではないか、雪に慣れていないのはどうやら自分だけらしい。

 そう思うと少しばかりの悔しさと、そして負けん気が湧いてくる。あの二人に出来て自分に出来ぬはずはないと、ブレトは己を鼓舞した。雪中を歩く技術の無さを気力で補い、二人に置いて行かれぬ様に着いて行く。


 そうして頑張った甲斐があったのか、それとも歩いているうちに技術が身に付いてきたのだろうか。二人とブレトの間にあった距離は少しずつ縮まっていった。この事にブレトは己の技量が向上したのだと思い、胸に誇らしさを秘めたのだが事実は努力でも技術を習得したわけでもなかった。

 単に先頭を歩いていたオーグルが速度を落としただけのこと。彼は一歩踏みしめるたびにしきりに周囲を、遠くを見始めるようになっていたのだ。そのために自然と歩くのが遅くなり、ブレトが置いていかれなかったと言うだけのこと。

 速度が遅くなるとカブリの機嫌が悪くなる、せっかちな性分の男だ。速くなるのは大いに結構だが、遅くなると苛立ちが募ってくる。


「おいオーグルよ、降ったばかりの雪の上を歩くのが難儀なのは分かる。分かるがこれはちぃっとばかし遅すぎやせんか」

 この言葉にオーグルは立ち止まりゆっくりと振り返る。


「お前の頭は鳥より少しマシな程度でしかないんだな、言ったはずだぞ。冬の道には巨人が出る、とな。辺りに気を配りながら進むのは当然だ、急いでいるからといって馬鹿正直に歩みを進めてはいけないんだよ」

 彼は明らかに怒っていたがその声は小さいし、喋っている途中でもしきりに首を動かして辺りを見ていた。怒られる理由は分かったカブリだったが、声が小さいのが気になった。

 オーグルに釣られるようにしてカブリとブレトも首を回してみたが、辺りは見晴らしが良く遠くにある山の姿もはっきりと見える。これだけ見渡せるのならばそこまで気をつける必要は無い気がするし、平地なのだから雪崩を気に掛ける必要も無い。


「巨人が出るからというのは聞いているししかと覚えているともさ。しかしだなぁ、こんなに遠くが見やすいというのにお前のように気をつける必要があるのか疑問だな」

「巨人は大きいだけあって何もかもが俺たちとは桁違いなのだ、目も良いし耳も良い。俺達に気付けない距離であっても奴等はこっちに気付き、その大きな頭を生かして近づいているのかもしれないんだ。そりゃ気をつけもする」

「耳が良いというのはまぁ信じてやろう、けど目が良いというのは信じられんな。お前が宿で言っていたことを覚えているぞ、目は一つだけというではないか。大して俺たちは二つだ、一つしかないやつより二つ持ってる俺達のほうが劣るというのは信じられんな。三つ目だというのならば、まぁわからんでもない」


「もういい」

 オーグルは吐き捨てると前を向いて歩き出す。


 そもそも、とオーグルは考えた。この二人を冬の道に連れ出したのはちっぽけな復讐をする為ではなかったか。逆恨みに近いとは云えどこんな境遇に落ちてしまったのは二人、というよりカブリの所業によるものである。

 巨人を利用して痛い目にあわせて一泡吹く様を拝んでやろうという魂胆でこうしているのだ。ついつい忠告をしてしまったが巨人を侮ってくれている方がありがたいというものだった。


 これ以上は多くを語るまいと決心して歩くオーグルの後をカブリ、そしてブレトが続いてゆく。カブリとブレトもオーグルの忠告を全て鵜呑みにしているわけではないが、一応は巨人に気をつけて周囲に気を巡らせていた。

 けれどまぁ北を向こうが南を向こうが、西も東も変わらず木がまばらに並ぶ銀世界が広がっていた。だが進んでいくうちに少しずつ変化が現れた、まばらだった木の本数が増え始め気付けば一向は森の中を進んでいた。


 ここはあまり雪が積もっていない。針葉樹の葉が雪を地に落ちるの許さなかったのだ。そしてこの森に入ってからというもの、オーグルの歩みはさらに遅くなる。せっかちなカブリだが、今回は苛立ちを覚えることは無い。

 ここは森の中、大人でも腕を回しきれない巨木が立ち並ぶ。カブリもブレトも巨人を見たことは無い、オーグルから話を聞いただけだ。それだけで充分に察することが出来る、ここは巨人でも身を隠せる場所が多くある。


 エルフの里では狩人を生業としていたブレトはつい想像してしまう。もし自分が巨人ならどうするだろう、どうやって人間を襲うだろうか。きっと見つからないようするだろう、聳える巨木の幹に身を隠し吐く息の白さで気付かれぬよう息を潜めるに違いない。

 そうして虎視眈々と距離を縮め、最後は一気に飛びかかり小さな人間を大きな体躯で潰してしまうのだろう。そうすれば反撃の暇も与えずに、小さくも温かな肉にあり付ける筈なのだ、と。


「随分と危ない道を歩くのですね」

 人間を狩る巨人の想像していたからだろうか、ブレトは独り言のように口にした。

 静かな雪積もる森の中、先頭を行くオーグルの耳に彼の言葉は届いている。オーグルは振り向かず、歩みを止めずに「あぁそうだ」と言って頷いた。


 オーグルが肯定したとあってはさらに気を引き締めなければならない。カブリとブレトの体は強張り、身を縮こまらせたがそれは寒さだけのせいではなかった。

 冬の日が落ちるのは早い、雪国のそれは尚早い。森に入ったばかりの頃、茂る枝向こうに見える空の色は青かった。だが気付いてみれば既に赤くなり始めている、視線を落とせば少しずつ暗がりが広がり始めていた。


 この分だとあっという間に日が暮れてしまうことになる。幸いここは森だ、風雪をしのげる場所は幾らでもあるが巨人の脅威が存在する。出来るなら早いうちに森を出れずとも、少しでも開けた場所に出て野営の準備に取り掛かりたい。

 誰もそれを言葉にしなかったが三人の考えることは一緒だった、変わらず辺りに気を配りながらではあるが歩みが速くなる。

 そしてブレトはふと気付いたのだ、今が最も危ないのではないだろうか。警戒はしているが歩を進めるのに気を取られかけている、まだ明るいとはいえ真昼間ほどではない。


 もし自分が狩る側だったら、この時を狙うのではないか。真っ暗闇よりも夕方の方が警戒されない、暗闇は見えないからこそ気をつける。なまじ見えている夕暮れの方が気が緩むというものだ。

 この狩人の勘とも言うべき想像は正しかった、オーグルは立ち止まると共に片手を広げて後ろに続く二人を立ち止まらせた。カブリは文句を言おうとしたが唇を動かすだけに留まった。声を出すな、とオーグルが唇の前に指を立てている。


 左手側の前方に妙な木が立っている、一本だけ他と輪郭が違っていた。暗くなって来ていたせいで分からなかったが、目が慣れると幹の向こうに巨大な何かがいるのがわかった。考えなくとも正体は分かる、巨人だ。


「どうすれば良い?」

 剣の柄に手を掛けながらカブリは徒手であるオーグルの前に立つ、その後ろでブレトは筒から一本矢を抜いた。


「間違いなくあれはこちらに気付いている、だがこのまま進もう。下手に動けば刺激して強く興奮させてしまう、そうなれば手負いの獣同様に手が付けられなくなりかねない。けれども剣から手を離すのは駄目だ、矢はいつでも射てるようにしておくのが良い」

 二人は頷いて答え、ブレトが最後尾なのは変わらないが先頭をカブリへと変えてまた歩き始める。ゆっくり、ゆっくりと。意識は巨人が隠れる木に向けて、けれども視線はそちらに向けない。臨戦態勢を取ってはいるが、気付いてない風を装った。


 巨人が現れた事でオーグルにとって望んだ展開になりつつある。彼が水先案内人を買って出たのはカブリとブレトが慌てふためく姿を見たかったからなのだが、ここに来て少しの後悔がやって来た。

 宿屋、安全な場所にいた時はほとんど忘れていたがこうして巨人の姿を見ると否が応にも思い出してしまう。巨人とは幾度も戦い二桁以上屠って来たオーグルだが、巨人に対して恐怖が無いわけでもない。


 木の陰に隠れる巨人に動く気配は無かったが、三人はまとわりつく視線を感じている。粘つきひり付く視線である、じわりと汗が滲み出してくるのは火照った体のせいではなかった。

 そうして巨人と三人の距離が最も縮まった時、動きがあった。低い低い唸り声があたりに響いた。揺れた枝に積もった雪が音を立てて落ちる、と同時にカブリは剣を抜き放つと共に構えを取り、ブレトは手にしていた矢を弓に番える。


 巨人が飛び出した、輪郭は人と変わらない。それは深い茶色の毛で全身を覆い、頭には爛々と輝く大きな目玉が一つ、そして何より大きかった。身の丈はざっと見ても四〇〇を超える、カブリやブレトの二倍以上ある。

 その巨人の全体像を見た瞬間、オーグルは背中の毛が逆立つのを感じた。巨人の体躯は平均して五〇〇から六〇〇であり、眼前の巨人はそれよりも小さい。成熟しきっていない個体であり、人に例えれば一〇代の後半に当たる。


 まだ若い巨人は成熟したものよりも危険なのだった。人と同様、未熟な巨人は知能が低く危険を感じる頭が無い。成長しきった、大人の巨人ならばこちらが脅威であることが分かれば去ることもある。けども未熟なものはそれをしない、危険を感じる能力がないため何であろうと猛進に迫ってくる。巨人殺しの異名を持つオーグルでも難儀する相手なのだった。


「逃げるぞ! あいつはまずい奴だ!」


 カブリとブレトにとってこれはまさかの言葉だった。咄嗟には動けず、二人は視線はオーグルへと向いた。その時にはもうオーグルは巨人に対し背を向け、駆け出している。

 目が丸くなる、オーグルが逃走を図るとは想像していなかった。特にカブリなどは巨人殺しの異名を持つ彼ならば、例え徒手空拳だろうと立ち向かうに違いないと思い込んでいたところもある。


 まさかの出来事に動揺は隠せず、巨人の体躯に見合った大きな瞳はそれを決して逃さない。狩猟者の本能はこれを好機と捉えて最も手近にいたカブリに殴りかかる。

 体が大きいだけあって動きも大振りなもの、普段のカブリならヒラリと避けてみせるところだが動揺のために反応が遅れた。何とか剣で拳を受けたものの二本の足は宙に浮き、体が舞ったかと思えば叩き付けられる。雪があったから良かったものの、そうでなければあばらがやられていたことだろう。


 その間にオーグルは身を隠してしまい、態勢を立て直したブレトは弓を引き絞って矢を放つ。狙ったのは目だ、どんな生物だろうと目が弱点でないものはない。しかし知能が低いとはいえ巨人は己の弱点を熟知しており、腕で矢を受け止める。刺さってくれればまだ良かったが、巨人の深い毛は肉まで矢を通さなかった。


「完全に出鼻を挫かれましたね……」

 ブレトの呟きに「あぁそうだ」と返そうとしたカブリだが、その一言を言う暇すら与えられない。迫り来る巨人は両腕を嵐のように振り回して攻め立てる、気勢を殺がれてしまった今のカブリはこれらを受け流すのに精一杯。


 せめて巨人の動きを緩めようとしてブレトは二度三度と矢を射いてみたが効果は無い。どこに矢を放とうと厚い毛皮の前に阻まれてしまい、巨人は露とも感じていないようだった。

 このままではいずれ推し負けてしまう、二人は戦いながら良い手立てはないかと思考を走らせはするものの妙案は浮かばない。やって来る焦りが閃きの光を遠ざける。


 オーグルは木の裏に身を隠して二人と巨人の戦いを見ていた。憎きカブリは歯を剥き出しにして巨人の猛攻をいなすのに精一杯になっている。望んだもののはずだった、願った光景が目の前に広がっているはずだった。

 だというのにオーグルの心は晴れることが無い、それどころかより黒く淀んだ鉛めいた重さが広がっていくばかり。これは自分が願ったのだ、計画通りに事が進んだのだ。悦ぶべきことだ、自分に言って聞かせてみたが笑顔になれない。


 それどころか音がするほど歯噛みしていた。どうにも我慢が出来ない、二人の実力は分かっている。死にはしないさ放っておけば良い、だというのに体が疼いてしまう。この気持ちの正体は何なのか、オーグルの胸中は渦巻いていた。

 そうして葛藤している間にもカブリとブレトは劣勢に立たされ続け、ついにブレトの矢が尽きた。カブリの方も幾度と無く巨人の殴打を剣で受け止め続けたために手が痺れ始め、ついに剣を落としてしまう。


 絶体絶命の窮地、巨人にとってはまたとない好機。人外は口角を吊り上げさせると止めの一撃となるだろう拳を振り上げた。その時、オーグルは駆け出していた。

 巨人が拳を振り上げ切るその前に、オーグルは<狼の爪>を素早く拾うと拳が落ちてくるよりも前にその切っ先を巨人の脛へと突き立てる。刺さることが無いのは知っていた、だが目的は傷つけることでなく痛みさえ与えられればそれで良かった。


 一つ目がオーグルへと向けられる、人の頭よりも大きな拳がオーグルへと向けて落ちてくる。だがそれがどうした、オーグルはこれを避けると巨人の腕へと飛び乗ってそのまま駆け上がる。

 全身を弓のように引き絞って一撃を放つ。剣は瞳の真ん中を捉え柄まで突き刺さる。必殺即死の一撃、断末魔すら許さずに生を奪う。これこそオーグルが巨人を殺すために生み出し身に着けた技だった。


 仰向けに巨人が倒れ大気が震え、静寂がやって来る。オーグルと巨人の戦いは瞬きする間も無いほど短く、数多の戦いを潜り抜けているカブリとブレトであっても信じられず、喝采するのも忘れてしまうほど。

 オーグルは冷たい空気を胸一杯に吸い込んで呼吸を整え、巨人の目玉から剣を引き抜いた。粘つく血と肉がべったりと纏わりついている、このまま返すは失礼にあたる。適当な布切れで汚れを拭い取ってから持ち主であるカブリへと差し出した。そこでようやくカブリは我へと帰る。


「あ、あぁすまんな……。それにしても見事な技、以前に剣を交えた時にどうして俺が勝てたのか不思議に思う」

 剣を鞘へと収めながらカブリは素直に、ありのままの胸中を告白した。オーグルはカブリに背を向け、その言葉を耳にはしていたが聞いてはいない。視線は倒した巨人に、意識は自己の内側へと向いていた。


 胸の中にあった鉛のような重さは無くなっていた、春のそよ風に吹かれた時に感じる爽やかさが占めていた。理由は簡単だ、迷いというよりかは雑念。それが無くなったというだけの事。

 オーグルは偉大なる男モウランの子孫ではあるが、それを歯牙に掛けたことはなかったはずだった。しかし、ノートラの地で巨人と戦う内に得た<巨人殺し>の異名とその血筋のためにいつしか担がれることが増え、端的に言えばのぼせ上がっていたという訳だ。

 誰かに讃えられたくて戦っていたわけではない、無闇に暴力を振るう輩が嫌いで動いていたらこうなっていたというだけのこと。それを今、オーグルははっきりと思い出したのだ。


「オーグルさんどうしましたか、もしや怪我でも?」

 何も言わずに俯き立ったままのオーグルにブレトが話しかける。彼は返事こそしなかったが、顔を上げると天を仰いだ。目に映るのは葉の無い枝木だったが、見ているものはその向こうに広がる赤色の空である。


「俺はお前たちに謝らないといけない、俺はカブリに負けたがために浮浪者に身をやつしてしまった。そのせいで俺は逆恨みをしてしまい、お前達が巨人に苦しめられればよいと思ってこの巨人に出くわし易い道をあえて案内した。本当に、馬鹿なことをしたと思う」


 そう言ってオーグルは二人に向けて頭を下げたのだが、肝心の謝られた二人はさっぱり何のことだか分からない。カブリもブレトもオーグルがそんな奴だとは毛ほども思っていなかったし、この道案内も全くの善意でやってくれているものだとばかり思っているのだ。

 そんな所に突然の告白だ、耳にはしていても中身が頭に入ってくるわけが無い。


「いきなり何を言い出すんだお前は? 巨人に出会うかもしれんとは事前に言っていたではないか、俺もブレトも承知で案内を頼んだんだぞ? 俺もブレトもお前が悪さしたとは思ってないぞ」

 戦い終わった所の急な懺悔だ、カブリがこう言うのも無理は無い。ブレトもカブリと同意見であり、何度も首を縦に振っている。


「いいやそれでも謝らなければ俺は気が済まない、それに他者から賞賛されるうちに自分が腐っていたことに気付いていなかった。それに今、気付いた。これを切欠に俺は自分自身を鍛えなおさないといけない、これはそのために与えられた機会なのだ。俺は村に戻る、俺ことオーグルはノートラの地にて名を上げた。ならやり直すのはこのノートラの地からでないといけないんだ。お前たちも戻れ、あの村なら春まで面倒見てくれるはずだ」


 そう告げるとオーグルは踵を返して来た道を戻り始めた、巨人が出たばかりだというのに気が急いているのか警戒する様子は無く、真っ直ぐな足取りには軽やかさがある。

 いきなり戻ると言われて唖然としているカブリの横でブレトは肩を落としながらポツリと零す。


「何となく思ってたんですけど、オーグルさんとカブリさんは似てますよね。良い友人になれるんじゃないですか?」

「馬鹿を言うんじゃあない! 俺は自ら買って出た役目をそうホイホイと投げ出すような無責任な男じゃあないぞ。案内をほっぽらかして村に戻るような男では断じてない!」


 瞬時に顔を赤くして怒ってみせたカブリだが、この反応はブレトの予想していた通りのもの。それがおかしくブレトは声を出さずに小さく笑う。

「はいはい、そうですね。で、彼の後に続いて戻るんですか?」


 尋ねたブレトだったが答えは分かっていた、尋ねてみたのはある種の儀式やお約束あるいは様式美といっても良いかも知れない。


「戻るわけが無かろう、もう雪の積もる地には飽き飽きしたわ。それに――」

「それに?」

 カブリは倒れた巨人をちらりと見やった。


「オーグルは巨人との戦い方を教えてくれた。それに食べるものには困らなさそうだしな、案内が無くとも方角は分かるんだ。のんびり南へ向かおうとしようじゃないか」

「同感ですよ、緑の無い森はどうにも寂しくっていけませんからね」

 二人は案内がないにも関わらず南へと向けて歩き出す。


 この後、当然のように巨人と出会い道に迷って山登りをし、結果冒険をする事になるのだがそれはまた別の話となる。

 そしてオーグルは宣言通りにこの<凍てつくノートラ>の地の冷たさに己が心をより研ぎ澄ませ、春になると共にまた新たな仲間を得てさらなる英雄譚を紡ぐことになる。だがそれはまた別の英雄<巨人殺し>のお話だ、これはカブリとブレト<蛮族とエルフ>の物語である。

 オーグルの英雄譚についてはいずれ語ることとしよう。

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