我が歌よ響け-後編

 楽器の出来ぬ自分がいても邪魔になるだけと、いたたまれない気持ちに急かされるままにハウリクの家を後にしたカブリだが特に行く当てがあるわけではない。宿に帰ろうかと考えないわけではないが、もしかするとブレトが先回りしているかもしれなかった。


 ブレトは友であるが、友だからこそ顔を合わせてしまうと罰が悪い。さてどうしようかと思案しながら歩き続けた。ヘイルメズの街に来てからおおよそ一ヶ月が経とうとしているが、土地勘があるわけではない。


 悩んでいると自然と足は一番大きな通りである<決別の路>へと向いていた。さっきまで激しい喧嘩が行われていた場所だが、今はすっかり元通り。路の東側と西側で商人共が睨み合いを続けてはいたが、剣呑な雰囲気は無い。この街では東西の商人が睨み合っているのは日常の光景なのである。


 やって来て一ヶ月も経つとカブリもそれに慣れてしまっていたのだが、改めて考えるとおかしなことだ。仲良くすれば得することも多いだろうに、全く持って理解できない。その気持ちを口にしようとしたところで、カブリはハッと気付いた。


 隣にブレトはいないのだ。ハウリクの家に置いて来たのは自分である、しかし感覚が付いて来ていなかった。思い返してみればパンネイル=フスを出立してからブレトと離れた時期が無い。


「何をどうして良いものか……さっぱりとわからんなぁ」


 普段一緒に居る友がいないために勝手が違う、どうにも隣が寂しい気がする。かといってハウリクの家に戻る気も起きずに<決別の路>を歩き続けているうちにいつの間にか港に出てしまっていた。


 ヘイルメズは街全体に潮の香りが漂っているが、やはり港はその匂いが特に濃い。高山に生まれ、初めて海を見たのはこの半年以内のことであるがカブリはこの匂いが嫌いではなかった。


 生きているという感じがするのだ。生き物の命というものを、鼻と胸に感じさせてくれる匂いが好きだった。加えて水平線、どこまでも続く海原の雄大さは堪らないものがある。故郷であるダンロンの山から見える雲海ほど雄大なものはない、そう信じていたが海にはそれ以上のものを感じてしまうのだ。

 海の景色、潮の香りの前では憂鬱な気分は酷く矮小なものに思えてきて馬鹿らしくなってくる。こうなると憂鬱だった気分は、そんなものは最初から無かったかのようにカブリの内から消え去ってしまった。


 すると気力が湧いてきて、何の前触れも無く釣りをしようという気になってくる。多分、視界の端に釣り人の姿が入ったからだろう。


 決め事をしたカブリの行動は早い、まずは釣竿の調達である。ここが川ならば近くにそれなりの大きさの木が生えているので、そいつを叩き切って即席の竿を作るのだがここは海で、それも商船の停泊している港であり都合の良い物は無い。

 困りそうになったが考えてみれば釣具を売っている商人がいるはずだ。もしかしたらいないかもしれないが、ここは港で漁師もいる。商人が無理なら漁師から買えばいいだけのこと。


 早速、売人を探そうとしたカブリに颯爽と近づく二人の男がいた。どちらも釣具だけでなく餌まで持っている、格好から察するに漁師ではなく商人らしい。おそらく、カブリの雰囲気から商機を感じてやって来たものらしい。商人の嗅覚には目を見張るものがある。


「これから釣りかい? ならちょうど良い、ここに腕の良い職人が作った竿がある。西の組合じゃあ扱えない代物さ、俺から買うとでかい魚が釣れる事間違い無しだ」

「こっちにだって竿はある。なぁに良い魚を釣るのに必要なのは道具じゃない、活きの良い餌さ。東のやつらが扱えない小海老があるぜ」


 この二人、どちらも商人だが所属している組合が違っていた。片や東で片や西、二人ともカブリの方を見なければならんというのに対抗心のあまり睨み合いを続けている。

 殴り合いに発展する気配は無いが、商売に関しては素人のカブリからしても感心できる態度ではなく呆れから溜息が出てしまう。


「分かった、竿は東の奴から買おう。だが餌は西から買おう、幾らだ値段を言え」


 彼等の売り文句を聞く限り、竿は東の商人の方が質は良く、餌は西の商人から買うほうが良い物が手に入る。カブリがこうするは当然のことだった。

 しかし二人の商人はこれを受け入れない。


「いいやそれは無理な相談だ、竿も餌もうちから買ってくれなきゃ困る」

 と、東の商人。

「おいおい兄さん、竿と餌の一式で売ってるんだ。バラ売りはしてないよ」

 と、西の商人が言う。いがみ合っているくせにこういう所は意見が一致するらしく、カブリは馬鹿らしさを感じざるを得なかった。


「つまり……貴様等の売り文句を信じるのならば、良い竿と良い餌を手に入れるには両方から竿と餌を買わねばならんということか?」

「そうだ」

 二人の商人は口を揃えた、どうしてこんな所では息が合うのか不思議で堪らないカブリである。


「あぁ、分かった分かった。なら俺の問いかけに正直に答えろ、商売は信用が大事だというな。ならば二人は正直に俺の問いに答えてくれるな?」


 これに商人二人は頷いてくれた。もっとも二人ともカブリを見てすらいなかったが。


「では西の商人よ、貴様の扱う竿よりも東の商人の竿の方が良い物なのだな?」

「悔しいが正直に言えば、俺のやつより東のこいつの方が良い竿だな。これならどんなでかい獲物でも折れないだろうね」


 カブリは頷き、次は東の商人を見る。


「次は東の、貴様の餌より西の餌の方が良い物だな?」

「認めたくは無いが俺の持ってきた餌より西のやつのが良い餌だな。そいつを使えばでかいのが釣れるだろうね」

「なるほど分かった、となると俺にとって一番の得となるのは東から竿を買って西から餌を買うことだ。商売は自分の益だけでなく大勢に益をもたらさねばならんことは知っているはずだ。だというのにどうして、竿だけ、餌だけを貴様等は売らんのだ?」


「東にびた一文儲けさせたくないからだ」

「西に富が流れるのを許せないからだ」


 二人は互いを指差しあい、怒りを露に歯を剥き出しに睨み合いをはじめた。演技らしさは無く、本気でそう考えているようである。実は結託しているのではないかと疑っていたのだが、この様子を見る限りそれは無くたまたまそうなってしまっているだけの事らしい。


 いがみ合う二人を見せられてしまうと、カブリの中から釣りをして楽しもうなどという気持ちはすっかり失せてしまった。代わりにふつふつと怒りが湧き上がってくる。こいつらのせいで楽しくなるはずだった気分を台無しにされたのだ、拳骨の一発でも入れてやらんと気がすまない。


 カブリは拳を握り締めると怒りのままに振り上げそうになったが、そこでぐっと堪えた。こいつらを殴ったところで何も変わらない、そう感じたのである。

 一発殴ればこの場は気分が収まるだろうが、ヘイルメズの街に居る間中こんな光景を見るに違いない。もう少し、この海辺の街を堪能したいし滞在中は心を躍らせていたかった。


「また尋ねたいのだがどうして貴様等は争うのだ? 東と西の組合の中が悪いのは余所者の俺でも知っているが、その理由を知りたい。そこまで争うのであれば相応の理由があるだろうよ」


 きっと大昔に何か事件があったに違いない、そう踏んでいたカブリだったが返って来たのは予想だにしていない返事だった。


「知らない」

 二人の商人は口をそろえた。


「そんな馬鹿なはずあるか! ではなにか!? 何となく憎たらしいからという理由で貴様等はそうやって阿呆みたいな張り合いを毎日毎日続けているのか!?」


 あまりにもあんまりな答えにカブリの声はつい大きくなる。身長二〇〇になろうかという大男が声を荒げたものだから商人達はたじろいだが、それでもまだ「知らない、けれども憎たらしい」と二人して答えるばかりだ。

 殴りたい気持ちになってしまったカブリだが、殴ったところで馬鹿らしい気分になるだけなのは目に見えていた。それが分かっているのに拳骨を食らわせるほどカブリは短気ではない。


 しかし湧き上がってくる怒りのやり場が無いのもまた事実。この炎をどう鎮めてくれようかとカブリは歯を食いしばらせ、髪をざわざわ逆立たせながらも閃いたものがある。

 得た着想を形にするのは早いほうが良い。カブリは恐れに震える商人二人に一瞥だけくれると風と一体になって走った。向かう先はハウリクの家である。

 風切る音と共に集合住宅の階段を駆け上がり、楽士の部屋へと続く扉を鳴らしながら開けた。そこではハウリクとブレトがそれぞれの楽器を手に演奏をしている最中だった。

 カブリが扉を開けた音の大きさに彼等は驚いて演奏の手を止める。


「どうしたんですかカブリさん、出て行ったかと思ったらそんなに慌てて」

「えぇい答えるのも面倒だ! ともかく俺はハウリクが望みを叶える手伝いをしたくなったというだけのことよ! 鼓はこいつだな、どんな風に叩けばよいか教えろ!」


 ブレトからの問いに答えている最中もカブリの部屋の中を見渡し、隅に置かれていた筒型の鼓を見つけると早速それを引きずり出した。

 乗り気でなかったというのにすっかりやる気を見せているカブリにブレトは困惑の色を隠せないでいたが、ハウリクは新たな同士の出現に諸手を挙げた。しかしハウリクには確かめねばならぬことが一つあった、カブリの腕前である。


 喜びを露にした直後、ハウリクはカブリが物真似程度の腕前、と自称していたのを思い題していた。


「申し出は非常に嬉しいのですけど、鼓の腕前は如何ほどで?」

「先に言った様に玄人には遠く及ばん、だが我が生まれ故郷で楽器といえば鼓であり祭りには付き物だった。俺も何度か奏者に選ばれたことはあるが、まぁ打ってみせようではないか」


 演奏でも剣でも、口で言ったところで実力が伝わるわけではない。演奏に対して苦手意識を持っているカブリだが、過去に叩き込まれた鼓の打ち方を思い出しつつ、掌底と指先とを使い分けて叩いた。

 強弱と緩急を使い分け、浜辺に寄せては返すような音を打ち鳴らす。拍子は常に一定に保たれて半拍もずれることはなかった。カブリ自身が言っていた通り、素人ではないが玄人には遠い腕前である。しかしハウリクは感動を覚えていた。


 ヘイルメズ=ポタ周辺部では、鼓はバチで叩くのが普通である。手で叩く場合もあるが、その場合でも小指側の手の側面を使うものであってカブリがそうしたように指先や掌底を使って叩くことはない。しかもカブリは使う部位を変えることにより音を操っていた。

 初めて出会った奏法によりもたらされた感激はハウリクをより燃え上がらせるだけでなく、天啓の如き霊感の閃きまでも与えてくれたのである。ハウリクは湧き上がってくるものに身を任せ、鼓の音に合わせて弦をかき鳴らす。


 最初は呼吸が合わなかったがそれも束の間のこと、すぐにピタリと重なった。そうなってくるとハウリクはもちろん、カブリも段々と楽しくなってきて鼓の音にも熱が篭りだす。それはブレトにもすぐに伝わって、三人の音が合わさって名も無き曲が作られていく。

 当初は楽しいという場の雰囲気だけを表していたが、三人の目的は楽しいものを作ることではない。商人組合の諍いがどれだけ馬鹿らしいかを伝えるためである。言葉は交わさなかったが、ハウリクが音でそれを表現すると二人はすぐにそれを理解した。


 弦をかき鳴らし、鼓を打ち鳴らし、即席の名も無き楽団による曲作りは日が海の下へ沈みこんでも続けられる。夜が更けたというのに三人は食事を取ることすら忘れ、楽曲作りに没頭していると隣室の住民が叩きもせずに扉を開けた。

 隣人からしてみれば星が輝いているというのに楽の音を鳴らされるのはたまったものではない。隣人は一発殴ってやるぐらいの意気はあったのだが、ハウリク家の扉を開けた瞬間にそんな気は消沈してしまった。


 扉を開けた瞬間、隣人の顔に汗の臭いを含んだ蒸気が吹きかかってきたのである。無名の楽団は締め切った部屋で演奏を続けていたために、室内には熱が篭り蒸し風呂に近い有様となっていたのだ。けれども三人は曲に集中するあまり部屋の暑さすら忘れてしまっていたし、隣人が怒鳴り込んできたことにも気付かない。

 一瞥されることも無かったため、隣人は呆れるというよりかはむしろ感心した。三人の若者が文字通り脇目も振らず、無心となって打ち込んでいるのだ。ならば文句をつけるほうが却って野暮であろうと、隣家の者は何も言わずに静かに扉を閉めた。


 即席楽団の三人を止めるものは何も無かった。彼等が無我夢中になっているのは傍目に見ても明らかであり、これに茶々を入れるのは粋でなく野暮というもの。


 こうして三日三晩の間、三人は寝る暇も食べる間も惜しんで曲作りに没頭していた。その間、激しく衝突することもあったが心地の良い衝突であった。争いを止めるため、組合にぶつけるための曲が出来上がった時に朝日が昇り始める。

 彼等が切磋琢磨し艱難辛苦を乗り越えて生み出した曲を賞賛しているかのように感じられ、万物の頂点に立つ<大神イーザ・ヴアリ>の祝福を受けたような気さえした。カブリとブレトだけでなく、中心のハウリクにも手応えがあった。


 この曲ならば、この顔ぶれならば今までとは違う結果が得られる。頭に血を昇らせている商人の耳にも届かせることが出来る、彼等の脳髄を揺さぶることが出来るという確信があった。

 事を起こすのは早いほうが良いと、三人はそれぞれの楽器を手に<決別の路>へと足を運んだ。東と西の組合の喧嘩が最も頻繁に行われるのがそこなのである。


 三日の間で痩せた体で向かってみれば、運が良いといってよいか悩むところではあるがまた東西で言い争いをしている現場に出会うことが出来た。両者共に熱が入っており、声を荒げるあまりになんと言っているのか聞き取れない。

 これはすぐに相当な大喧嘩になるに違いないと確信し、三人の即席楽団は楽器の用意を始めた。ブレトの十二弦はそれほどでもないが、ハウリクの四弦やカブリの鼓はそれなりの大きさがあって目立つはずなのだが、誰の目も引かなかった。


 今、<決別の路>にいる人々の注目は商人達の喧嘩であって、誰も知らない出来たばかりの楽団の事など誰も気にしていないのである。楽曲の出来に確信を得ているとはいえ、聴衆が集まる気配が無いことに不安を覚えてしまうカブリとブレトだったが、ハウリクにとってはいつもと変わらぬことである。


「聴いてくれていた君達だって、僕がこうして準備しているのを見てはいなかっただろう?」


 このハウリクの言葉に二人はハッとさせられた。思い返してみればハウリクが演奏し歌っているところは毎日のように見ていたが、彼が調弦しているところを見た記憶は無かった。けれども演奏が始まれば彼を見ていた。


 ということは、かき鳴らせば耳目を集められるということだ。消えはしなかったが不安は小さなものとなり、ブレトは寸分の狂いも無いように調弦に神経を注ぎ、カブリは目を閉じて手先に感覚を集中させた。

 楽団がこうして演奏の準備を整えている間にも東と西の商人の争いは熱を増し始め、掴み合いが始まっている。殴り合いが始まってからでは遅くなるかもしれない、ハウリクは息を吸い込むと力強く弦を弾いた。


 太く響く音が<決別の路>へと広がっていく。この音は我を忘れ始めていた商人の耳にも届き、彼等の動きを止めることに成功した。けれどもそれは束の間のことである。商人だけでなく通行人の注目も集めることは出来たが、すぐに彼等は視線を戻した。

 そこでカブリは鼓を叩く、喧嘩なんぞよりも楽しいことがある。そう伝えるように陽気な調子で全身で拍を取りながら鼓を叩いた。ダンロン流の鼓の叩き方はヘイルメズの人々にとって珍しいということもあって人目を引く、けど商人達は目を向けずに取っ組み合いを始めてしまう。

 すかさずブレトが十二弦を爪弾いて単調な鼓の音に彩を付け、続いてハウリクが四弦でさらなる深みを与えて声を高らかに歌い始める。


『歌えや 踊れや 手を取り回れ

 浴びるは血で無く酒浴びろ

 肉を掴むな魚を掴め

 骨を折らずに機を織れ

 今宵は大鍋つつきあえ

 歌えや 踊れや 手を取り回れ』


 四弦だけでは出せなかった色と音の広がりに誰もが注目せざるを得なかった。道行く人々は足を止めて楽団の曲に聞き入ると、段々と陽気な気分にさせられて手を叩き始め、踊るものも現れた。

 この調子ならいけるのではないか。聴衆の様子に楽団の演奏に熱が篭る、これなら商人達ですら楽しい気分になってくれるに違いない。そうすれば争い事も馬鹿らしくなってくることだろうと期待したが、それは間違いだった。


 拳大ほどもある石が投げられた。

 ハウリクの額に鈍い音を立てて直撃したそれは、彼の額をぱっくりと裂いて白い脂肪を僅かにのぞかせたかと思えば文字通りに血を溢れさせ彼の目を塞ぐだけでなく口の中にまで流れ落ちる。


 投げたのは商人だった、東なのか西なのかそれは分からないし大事なことではない。

 商人達からすれば面白くなかったのだ。いがみ合う理由は誰も知らないが、相手をとっちめてやろうとしたところに茶々を入れられたことに怒りを覚えていたのである。


 驚いたのはカブリやブレトだけではない、楽団の演奏に聴き入っていた人々も目を丸くし息を飲み込み時が止まったかのように動きを止めた。けども演奏は止まらない、鼓の音は響かない十二弦は鳴っていない。

 だがハウリクの奏でる四弦の音は鳴り続けていた、彼の喉も歌い続けていた。

 額から流れる血は滝のよう、口を開けて息を継ぐ度に血が入り込み喉にまで流れ込む。それでもハウリクは止まらない。吹き出す血が手を濡らそうとも滑らせることは無い。


 喉に血が張り付こうが歌い続ける、笑いながら。

 あまりの光景に誰もが息を呑む、カブリもブレトも鼓を打つ手が弦を鳴らす指が止まっていることにすぐには気付けなかった。


 ハウリクは演奏を再開する気配をみせない二人を、歌い続けながら血で塞がれた目で見る。そこでようやく手が止まっていたことに気付いた二人は演奏をはじめた、今まで以上の熱を込めて鼓を叩き弦を鳴らす。

 足元を濡らすほどの血を流しながらも歌を止めないハウリクの姿は、雷に打たれたかのような衝撃を二人に与えていたのだ。自然、力が篭り音は大きくなってゆく。ハウリクも頭が割れているというのにさらに声を張り上げた。


 誰も笑わない誰も踊らない、聴衆は楽団の演奏に耳を傾け続けた。演奏が止んでも誰も動かなかった、目を逸らす者もいなかった。楽団の面子も、聴衆もハウリクから目を離せなくなっていた。


「おいおい黙っててどうするんだ!? まだまだ曲はあるんだ、踊ろうぜ!」


 一呼吸置いてからそう言ったハウリクはまた四弦を鳴らして歌い始める。これはカブリもブレトも知らない曲だったが、即興でハウリクに合わせた。それだけでなく、自分達の楽しさを伝えるように全身を動かした。


 しばらくは誰も何もせずにいたが、怪我をしつつも楽しく演奏する楽団に釣られるものが現れ始めた。最初は小さな手拍子だけだったが、次第に数が増えて大きくなる。体を揺らす者が現れる、踊り始める者が出る、一人で踊るだけでなく手を繋いで踊りだす。

 額から流れる血の勢いが弱まってからようやくハウリクは目を塞ぐ赤色を拭って瞼を開けた。そして彼は見た、笑顔を浮かべながら踊る商人達の姿を。


 

 この日以降、東と西の商人組合の喧嘩は無くなった。諍いが無くなる事は無かったが、それも日が過ぎることに減っていった。

 ハウリクとその楽団がもたらしたものはこれだけではない。ヘイルメズには音楽の力で喧嘩を止めた楽士がいると噂になり、街には各地の音楽家が集まるようになったのだ。そうなってくると画家や彫刻家も集まるようになり、ヘイルメズは交易の街から芸術の街へと姿を変えて行く。

 楽士ハウリクはその功績を人々から称えられ、<踊りの大路>と名を変えた<決別の路>に像が建てられ死後も人々に語り継がれた。けれどもあの日、ハウリクと共に憎みあう商人を躍らせた二人については語る者も知る者もいなかった。

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